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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
291/354

平安の都 その10

あけましておめでとうございます。

新年が明けて一週間です。

前回の投稿からは……数えるのは止めてください。

 バブルンの城壁は巨大にして堅牢である。ムスリカ帝国、ドルク帝国という大帝国の首都であり続けただけあってその高さは15mに達し、城門に至っては20mに至る。その威容はタイトンはもとよりツーカ帝国にまで伝えられていた。故にその門を仰ぎ見る者は等しくその威に打たれ、その主たる皇帝の威を畏れるのだ。……さらに巨大な城壁の下で生まれ育ったプレセンティナ人を除いては。

 だが夜陰にまみれてその城門に忍び寄っていたのは、プレセンティナとは縁もゆかりもないモンゴーラ軍の、先鋒の副将の副将であるティムルだった。

――遠目にもデカいとは思っていたが、やはり近づくと迫力が違うな……

肩書はあんまり重要そうに見えないが、実のところバブルン周辺で最大戦力を有しているのは彼だ。だが彼はわずか20名あまりの部下を引き連れただけで、しかも徒歩で、城門のすぐ外――およそ50mほどの所まで静かに近づいていた。50mと言えば指呼の間とは言いづらい距離だが、20mの城門を見上げれば勾配率は40%だ。しかも暗闇の中でその上部ばかりが赤々と篝火に照らし出されていて、彼はまるで上からのしかかって来るかのような圧迫感を感じていた。()してティムルはそのバブルンに明白な敵意を持って迫っているのだ。少しは不安にもなろうというものだ。

――門扉だけでも10mはありそうだ。あの自重を支えているのだから厚みも相当あるだろうな……

さらにその門扉は補強と燃焼防止のために金属板で覆われていた。篝火の灯りに照らされる黒々としたその重々しさは、人の力で破ることは不可能かに思えた。だがそれよりも問題なのは鉄格子の方なのだ。何のつもりか鉄格子が上げられているこの隙に無力化してしまう必要がある。だが守備兵に気付かれれば鉄格子は下されてしまうだろう。だから彼らはこうして篝火の届かないぎりぎりの所まで密かに大きな荷物を運びこんでいたのだ。投石器である。

 車輪を付けて運ぶには音が大きすぎるしその場でトンテンカンテンと組み立てるのはもっと騒がしいから、彼らは日没前にいくつかのパーツに分けて組み立てておき、日没後にはそれらをかついで城門前にまで運び込んで来ていた。ここまで近づけば彼らの粗雑な投石機でも必中の距離である……が、それはしっかりと組み立て十分に試射を繰り返した後の話だ。パーツを仮組みして縛っただけの状態ではどの程度の精度が見込めるのかすら定かではなかった。それどころか自分自身のことすらはっきり見えない暗闇の中では目標を狙うことすら難しかった。城門は多くの篝火によって煌々と照らし出されていたが、彼らはそのどこに当てても良い訳ではない。だから彼らは少しでも正確さを上げようと、彼らは巨大な城門に威圧されながら声を殺して日の出を待っていた。

 だが長い雌伏の夜は終わろうとしていた。ようやく東の空が明るくなり、大地が、城門が、そして彼ら自身の姿がはっきりと見えるようになってきたのだ。それは終わりであり、全ての始まりでもあった。俄に城門が騒がしくなったことに気付き、ティムルは押し殺していた声を大にして叫んだ。

「放てぇぇえぇ!」

アムリル部50万の民を治め5万の兵を率いる彼の叫びに応じて放たれたのは、城門の巨大さに比べれば取るに足らない、わずか2つの小ぶりな"玉"に過ぎなかった。


 夜討ち朝駆けは戦いの基本である。その日城門に詰めていた奴隷軍人たちは決して油断していた訳では無かった。だが遊牧民であるモンゴーラ軍が攻城兵器を持ち出してくるはずがないと思っていたのだ。少なくとも前日の日没までにその姿は確認されていなかった。だから北東の門(ホラーサーン門)の上で白み始めた東の空を眺めていた見張りがふと視線を下ろした時、彼はありえない物を見て目を擦った。自分が寝ぼけているのかと思ったのだ。そこに小振りな投石機が2つあったのだから。

 それは投石機と言ってもプレセンティナ軍が多用している(いしゆみ)型のものではなく、もっと構造が単純な振り子型の物だった。単純であるが故に大型化も容易であり、城壁を相手にする攻城戦ではむしろこちらの方が相応しい。だが、だからこそおかしかった。大きくできるからこそこの型を採用するのであって、小さくては意味がない。しかもたった2台でどうしようというのだろうか? スエーズ地峡に巨大投石機を無数に並べて攻めてくるドルク軍との落差に、彼はむしろ落胆すら感じた。

――どういうつもりか知らないが、攻城兵器を持ちだした以上は攻めて来たんだろうなぁ

彼は「何か異常があったらすぐに知らせろ」という命令に従って警告の叫び声を上げた。

「門の外に敵影! 投石機を出してきたぞ!」

中隊が寝起きしている城門のすぐ裏の営舎がバタバタと騒ぎ出したのを確認し、彼は内心でボヤいた。

――今ので叩き起こされたやつらに嫌味を言われそうだなぁ。でも俺のせいじゃない。悪いのは……命令を出した中隊長だ!

しかしそれは杞憂だった。


 どがっ! どががぁぁあぁん!


突然大きな爆音が湧き起こり激震が足下から襲って来ると、彼はその場にしゃがみこんだ。

「じ、地震かっ!?」

だがその揺れは一瞬で収まり代わりに真っ黒な煙がモクモクと漂ってきた。しかし地震に火事は付き物ではあるが、その煙はれはあまりにも早くしかも城門の()から漂ってきたのだ。今城門の外でパンを焼いてたり風呂を焚いてたりする馬鹿が居るだろうか?

「地震じゃない……? ま、まさか……!」

彼は呆然と立ち上がると煙の向こうにいる敵に目を向けた。その頼りない2つきりの小さな投石機は、その腕を振り上げた状態でぷらぷらと揺れていた。まるでたった今石を投げ終えたばかりであるかのように!

「ばっ、馬鹿な! あのように小さな投石機で……いや、人の手であのような衝撃を産み出せるはずがない!」

彼はその恐ろしい可能性を決して認めたくはなかった。だが、遠くから響いてきた不気味な爆音がダメ押しのように彼の耳を打った。


 どーん! どどーん! どどーん! どーん! 


 その轟音は遠く、彼の足下は微塵も揺れなかった。それはつまり、先ほどの振動も轟音も地震ではなく、人の手で作り出した物だということだ。恐らくは彼の眼下にあるたった2つの投石器の仕業だろう。そしてモンゴーラ軍は、そのたった2つの投石器で門を破れると判断して攻撃してきたのだ!

「鉄格子だ……鉄格子を今すぐ下ろさなければ!」

 見張りは俄に走りだすと階段を駆け下りて巻き上げ機のある部屋に飛び込んだ。例の新型投石器の設置された部屋だ。彼以上に状況を掴めていない仲間たちは狼狽しきりで、小隊長を説得するには時間がかかりそうだった。だから彼は巻き上げ機のストッパーを備え付けのハンマーで叩き落としたのだ。突然の事に目を丸くする仲間たちを尻目に、ジャラジャラという鎖の立てる音を響かせながら巨大な鉄格子が門扉のすぐ外側を下りて行った。



 ティムルの思惑は外れた。そもそも攻撃も的を外れたのだ。組み直した時に締め付けすぎたのか、それとも締め付けが足りずに軸がブレてしまって振り子のエネルギーがうまく伝わらなかったのか、飛距離が足りずに鉄格子ではなくその下の門扉(もんぴ)の脇に当たってしまったのである。ティムルはいつもより間近に聞く焙烙玉(ほうろくだま)の爆音に思わず目をそむけ、再び視線を戻すと黒煙の向こうから金属板の一部を引剥(ひっぺが)された門扉が現れた。たったの2発の焙烙玉(ほうろくだま)で! 大した威力である。……まあ、この門の設計者もそんな高い位置を攻撃されるとは思っていなかったから、そこに貼ってあったのは防火用のためだけの薄い鉄板だったんだけど。しかしどれほど門扉にダメージを与える事が出来たとしても、それで彼の目的を達したことにはならなかった。

「くそっ! 門扉など後で良いのだ! たとえ門扉を打ち砕こうと、格子が残っては意味がない!」

焙烙玉(ほうろくだま)の爆圧で鉄格子を破るのは難しい。後ろに門扉のない状態であればあるいは破城槌で破ることも出来るかもしれないのだが、大掛かりな工作が出来ない彼らには、返ってローテク極まりない破城槌を運用する方が難しいのだ。

(おもり)を増やせ! 敵が反応する前に今度こそ鉄格子に当てろ!」

「ダメです! 余分な錘は持ってきていません!」

「だったらお前自身がぶら下がってろっ!」

彼らが慌てて準備を始めると、遠くからどーんとくぐもった爆音が轟いてきた。ティムルたちの攻撃の音を聞いて他の門に向かった隊も攻撃を行ったのだ。その成否は分からないが、少なくとも攻撃する前に鉄格子を下ろされることはなかったようだ。これでこの門(ホラーサーン門)への攻撃が失敗しても他の門に望みをつなぐことができる。ティムルの気は少しばかり軽くなった。だがその朗報と引き換えに、彼ら自身の可能性は潰えようとしていた。

「族長、格子戸が下ります! 間に合いません!」

彼らの目の前でガラガラと音を立てて鉄格子が下ろされようとしていたのだ。

「やむを得ない。反撃が来る前に撤退するぞ。投石機は捨て置け。残りの焙烙玉(ほうろくだま)だけ持って……」

慌ただしく指示を出していたティムルは突然口を噤んだ。

「……族長?」

「しっ! ……音が……止んだ?」

彼が再び城門に目を向けると、鉄格子は城門の半ばまで下りたところで止まっていた。彼は状況も忘れて呆然と呟いた。

「どういうことだ……?」


「どういうことだ!?」

ティムルと同じセリフを、だがより切迫した想いで叫んだのは当直小隊の隊長だった。突然轟音がして床が揺れたかと思うと部下が走りこんで来て、勝手に鉄格子を落としてしまったのだ。明らかに越権行為で常軌を逸した行為でもある。だが勝手に門を開けたのではなく鉄格子を下ろしたのだから寝返った訳ではないのは明らかだし、目の前ではもっと異常な事態が起こっていた。ガガガガッっと嫌な音が響くと鉄格子の落下が止まってしまったのだ。巻き上げ機にはまだ半分ほども鎖が残っていたのに! 巻き上げ機が壊れたのかと慌てて部下たちにハンドルを回させてみたが、吐き出された鎖がジャラジャラと力なく床の上に垂れただけだった。彼は状況が理解できずに混乱していた。そこに営舎で休んでいた中隊長がようやく駆け込んできた。

「どうした? 何事が起こったのだ!?」

「分かりません! 格子が途中で止まってしまいました!」

「いやそうじゃなくて、何で勝手に格子を下ろしたのかと……」

その叱責は真っ赤だった中隊長の顔が青くなるのと同時に、彼の口の中で霧散した。

「格子が……下りないだとっ!?」

「はい。巻き上げ機は異常ありません。鎖にも力は加わっていないのにこれ以上下りないのです」

「だとしたら……異常があるのは鉄格子の方か!?」

 中隊長は自ら覗き窓に駆け寄った。それは城門に近寄った敵に矢を射かけたり煮えたぎる油や鉛をぶっかけるための窓であり、反撃を警戒して非常に視界の狭い造りになっていた。少なくともその限られた視界の中では鉄格子に異常があるようには見えなかった。……鉄格子それ自体には。

「も、門扉が……門柱まで……!」

バブルンの誇る重厚な門扉は巨大な攻城槌の突撃を何十回も食らったかのように金属板に穴が開いてささくれ立ち、さらにその脇の石造りの門柱までが半壊していた。いや、全体からみれば半壊というのは明らかに言い過ぎだろう。門扉はまだまだ大軍を寄せ付けない頑丈さを誇っていたし、門柱もその石材の一部が欠けただけだ。だが門扉から剥がれ落ちた金具が門柱に刻まれた溝と鉄格子の間に入り込んでしまっていた。恐らく石材の破損した部分に引っかかっていたところに鉄格子が上から伸し掛かってきて、がっちりと噛み込んでしまったのだろう。

「さっきの爆音がこれをやったのか? あれが匈奴軍の仕業だと……?」

信じられない事だが、それ以外に思い当たるフシは無い。そしてそれが敵の攻撃のせいだとすれば一度で終わるはずがない。だが今すぐ鉄格子を下ろすことは無理だった。

「……反撃だ。今はとにかく敵を撃退しろ! これ以上敵に攻撃を許すな!」

 狼狽していた奴隷軍人(マムルーク)たちは明確な目標を与えられて即座に攻撃準備を整え始めた。屋上に走った者たちは松明の代わりに篝火の燃料となっていた燃える煉瓦{アスファルト製の日干しレンガ}を床に開いた穴に放り込み、射手は横長に開いた狭間からモンゴーラ軍の投石機に狙いを定めた。その迷いのない動きは訓練の賜物で、彼ら本来の練度の高さを表していた。

「放てっ!」

投石機から放たれた反撃はティムルの放った焙烙玉(ほうろくだま)よりも更に小さく威力も微々たるものだったが、その狙いの正確さと弾数の多さは圧倒的だった。


 ティムルは戸惑っていた。命中もしていない鉄格子がなぜ止まったのか、彼には全く想像もできなかった。

「族長、どうするんですか?」

攻撃が成功したのならこれ以上の攻撃は不要だ。だがそれならまた戻ってきて別の投石機を使って焙烙玉(ほうろくだま)を門扉に叩きこむことになる。ここで大事に持ち帰るのも馬鹿らしくないだろうか?

「この際だ、持ってきた焙烙玉(ほうろくだま)を撃ち尽くしてやれ!」

といっても残っているのは2発きりだ。一斉射で事足りる。しかし一旦逃げ出そうとして焙烙玉(ほうろくだま)を下ろしていたことで余計に時間がかかっていた。だから反撃の矢が射られることはティムルも覚悟していたのだが、彼の予想は裏切られた。彼らに向かって飛んできたのは矢ではなく小さな火の玉だったのだ。

 ドスッ

それが2つの投石機の真ん中に落ちて砕け散ったとき、ティムルはまだ時間があると思った。投石機の再装填と照準合わせは時間がかかるものだ。だがその予想も裏切られた。

 ドスッ ドスッ ドガッ! ドガッ! ドガッ! ドガッ! ドガッ! ドガッ! バキッ! ゴスッ! ……

5秒後には4発目の火の玉がもう一台の投石機に直撃し、その後20秒間に渡って20発の火の玉を一発も外さずに当て続けた。そしてその21発目の直撃弾が装填されていた焙烙玉(ほうろくだま)を叩き割った時、それは起こった。


 ドッガァァァアァンッ!


投石機から逃げ散ろうとしていた兵士たちは爆風に薙ぎ倒された。


 投石機が爆発したことに誰より驚いたのは燃える煉瓦{アスファルト製のレンガ}を発射していた射手本人だったかもしれない。訓練で味気の無い立て看板をボロボロにしたことはあったが実際の敵をボコボコにするのは初めてだったのに、それがいきなり爆発したのだ。彼は一瞬、この投石機を作った怪しいドルク人技師といつも真っ黒になっている(やっぱり怪しい)プレセンティナ人学者が勝手に秘密の機能でも持たせていたのかと勘ぐった。どんな仕組みかは想像できないが、彼らならやりかねない。

――まさか……俺まで危険じゃないよな?

一抹の不安が()ぎったが今は敵の撃退が最優先だ。彼は気を取り直すと、もう一台の投石機に照準を合わせて引き金を引いた。


 もう一つの投石機の陰にいたティムルは、初めて経験する近距離での爆発に頭を抱えて地に伏せていた。耳もキーンとして何も音が入って来なかったが、彼はその爆発が焙烙玉(ほうろくだま)の暴発であることを見抜いていた。まあ、他に可能性を思いつかなかったんだけど。

――誰一人として目標を外さないとは、なんという正確さだ! これではこちらの投石機もすぐにやられてしまう!

全ての火の玉がたった一台の投石機から放たれていることを彼は知らなかった。だがもしも知っていたなら、この命中精度の高さも納得できた事だろう。再装填の作業もなく連射出来るのなら、どんな下手くそだって簡単に照準を修正できるのだ。

 彼は震える足で立ち上がると撤退を――正確には逃走を命じた。

「&%$#*! #*@! (逃げろ! 今すぐ!)」


 兵士たちの痛めつけられた耳には、それどころかティムル自身の耳にすら彼の声は届かなかった。彼はやむを得ず手近な部下たちの肩を叩いて後方を指さした。

「*&$#%*! (逃げるんだ!)」

兵士たちが三々五々に逃げていくのを見届けながら、彼は爆風に吹き飛ばされて地に伏せている者達のもとに駆け寄ろうとした。あるいはそれがなければ間に合ったのかもしれない。わずかな時をおいて再び届き始めた火の玉を見てティムルが逃走を始めた後、今度は僅か10秒あまりで焙烙玉が爆発した。

 ティムルが耳にした爆音は小さかった。ただ背中を押す暖かい風と衝撃に空を舞った時、彼は愛馬の背に跨がって故郷を駆けた少年の日を思い出していた。

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