表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
287/354

平安の都 その7

 テゲレス川下流域は流れも緩やかで水深も幅もあり、海船がそのまま運航することが出来る。ただし両岸近くは当然ながら浅くなっている大型船は接岸できない。だから岸から離れたところに投錨して艀を使って人や荷を上げ下ろしする必要があった。とはいえ河口の港町バスターと100万都市バブルンには立派な船着き場があり、イゾルテ達は不自由しないはずだった。しかしバブルンには彼女たちの上陸を阻む障害が待ち構えていた。

「陛下、匈奴兵が付いてきてますよ」

ムルクス指差した東岸には数十騎のモンゴーラ兵がいた。斥候が河口からずっとつけてきているのだ。

「うーん、うちがプレセンティナ軍だというのはもうバレバレなんだよなぁ。捕虜たちはまた騙すとしても、今スエーズと仲良くしてるのを見られたらマズイかなぁ」

イゾルテの戦略の根幹は匈奴軍主力をスエーズ地峡へと誘導することにある。「スエーズ(くみ)(やす)し」と思わせなくてはならないのに、神算鬼謀のプレセンティナ軍が後ろにいるとバレてしまっては警戒されてしまう。かといって相手の方が機動力があるのに追い払うこともできなかった。

「とりあえず包囲してるフリでもさせとこうか」

「そうですな」

イゾルテはビルジ軍の捕虜を手枷をつけたまま上陸させると、バブルンを囲むように整列させた。遠目には包囲してるように見えなくもない……かもしれない。全然足りないけど。

「それで、後はどうなさるのですか?」

「夜の内に避難民と入れ替えよう」

「なるほど。しかし避難民の方がいきなり今夜入れ替われるでしょうか?」

「ふーむ、じゃあ明日は防衛戦の演習でもやらせてみるか。その辺も相談してくるよ」

イゾルテは白旗を持って数人の近衛兵と伴に南東の門(バスラ門)へと歩いて行った。遠目には軍使のように見える……かもしれない。


「イゾ……トリスどの! 戦勝おめでとうでござる!」

イゾルテが城門をくぐると、自ら出迎えに来たバール王の手篤い歓迎を受けた。彼は遠くと話す箱で事前に海戦の勝利を聞いていたのである。皆の士気を高めるための演技もかねていて、奴隷軍人(マムルーク)や市民たちも大勢集まっていた。イゾルテもそれを意図して高らかに応じた。

「おほほほほ、ありがとうございます。でも、我々の手にかかれば赤子の手を捻るようなものでしたわ!」

同じトリスでもここでは商人の娘である。イゾルテはそれにふさわしい言葉遣いにあらためていた。まあ、商人が裏で海賊()やっているというのはよく聞く話である。

「さすがはトリス殿でござるな!」

だが景気のいい話ばかりではない。イゾルテはすっと声のトーンを落とした。

「艦隊は壊滅させて補給も断ちましたが、匈奴軍自体の侵入は阻めませんでした。すでに対岸まで斥候が来ていますわ」

「早いでござるな。まだ川の向こうにも避難の終わっていない者がいたのでござるが……」

「東岸はもう諦めるほかありませんわ。私達は神ではなく、万能でもないのですから」

イゾルテは冷たく言い放った。それは自分への戒めでもある。

「ところで、外にいるのは捕虜でござるか? なにゆえあんな所に突っ立っているのでござるか?」

「匈奴兵が見ていますから、戦うふりをさせようと思いますの。つまりは演習ですわ」

「演習、でござるか?」

「ええ。その間に避難民の退去準備をして欲しいのです」

「なるほど、そういうことでござったか。分かり申した。そのように手はずを整えましょう。とはいえさすがに今すぐは無理でござるよ?」

「ええ、分かっていますわ。ひとまず今日のところは町を見て回って来ますわ。無くなってしまう前に……」

「そうでござるな……それが良いでござる」

2人が妙に感傷的だったのは、最終的にこのバブルンを焼き払う事で合意していたからであった。歴史あるこのバブルンの街並みは、春には瓦礫の山と化すのだ。その前にこの町を目に焼き付けておきたいと思うのは歴史に学ぶ者として当然のことであった。


……あったのだが。

「既にボロボロじゃん!」

町並みは既に破壊され、櫛の歯が欠けたようになっていた。4軒に1軒ほどの割合で建物が瓦礫になっているたのだ。何でだか道路も埃っぽい。まあ、掃除をする人もいなくなったのだから当然かも知れないが。

 イゾルテが少し街を歩いていると足を引きずったドルク人に止められた。

「あの家は危険です。今から取り壊しますから、ちょっとどいててください!」

その家はドアも窓も無くなっていて、そこから見える内部もすっからかんになっているようだった。基本的にどの建物も土壁やレンガ造りなのだが、床や階段が木で出来ている物が多い。(注1) そこから木材を取ろうとしてドアを外し、窓を外し、床を抜き取ったところ、使い道がない上に不安定な危ない箱が残ったのである。

 やがて重そうな丸太を荷車に乗せた奴隷軍人(マムルーク)の一団がやってくると、彼らは「うおりゃー」と叫びながら荷車に載せたままの丸太とともに建物の角に突撃した。どがんっと丸太が角に突き刺さるとその建物はグラグラと揺れ始め、更には壁に引っ掛けたロープを引っ張ってどどどどっと一気に建物を崩壊させてしまった。見事な手際である。なんで守備側の奴隷軍人(マムルーク)たちが攻城戦スキルを磨いているのかは良く分からないが、とりあえず街歩きが危険なことは良く分かった。

「ま、まあ、過去を振り返るよりも未来を見据えていかないとな! それが我々若い世代の勤めなのだ。うん」

イゾルテは頭にかかった砂埃を払いながら、防衛の準備をしている城壁へと向かった。


 城壁では手枷をした奴隷たちが真っ黒に汚れながら滑車を使ってレンガを城壁の上へと運んでいた。奴隷たちに過酷な肉体労働を強いる様子は、正直見ていて気分の良い物ではない。とはいえ他国のすることに文句をつけるほどイゾルテは直情的ではなかった。

 だが彼女の登場に気づいたドルク人の現場監督が揉み手をしながら声をかけてきた。

「これはトリス様! いやぁ、プレセンティナの方々のおかげで助かっていますよ」

「……何かしましたかしら?」

「うちの男たちはどんどん避難して人手が減ってますし、そもそもみんなコレですからね」

そう言って彼は自分の不自由な足を示した。そして手枷をした奴隷たちを眺めながら言った。

「だからみなさんが連れて来てくれた海賊が役に立ってますよ。使い潰して死んじゃっても構いませんしね。どうせ匈奴の蛮人たちに殺されるんだし!」

イゾルテは引きつった愛想笑いを浮かべ、ぎくしゃくと答えた。

「……どう、いたしましてぇ~」

何だか声も上ずっていた。どうやら彼女は最悪の奴隷商人だったようだ。正直聞いていて気分の良い事実ではなかった。

――ま、まあ、海賊だしな! これは刑罰だから! 奴隷労働じゃないから! だから私は悪くないぞぉー!

彼女はくるりと向きを変えると、何やら工事をしているらしい北東の門(ホラーサーン門)へと向かった。気になるから向かったのだ。決して現実から逃げた訳ではないのである。


 城門でもやはり煉瓦が運び上げられていた。しかしここには滑車だけでなく起重機までが作り付けられ、大量の黒い煉瓦がまとめて運ばれていたのだ。これまでは補修用の煉瓦かと思っていたのだが、いったいこれほどの量を何に使うのだろうか? 彼女は現場責任者に聞こうとしたが、ここの責任者は気難しそうな老人だった。

「おう、プレセンティナの嬢ちゃんじゃねーか。どしたい?」

それなりの地位にある男としては、イゾルテが初めて見る態度だ。無礼だが悪意は感じず、それでいてやっぱり強圧的である。

「え、えーと……」

彼女が戸惑っていると、強烈に真っ黒な顔をした小太りの男が駆けてきた。汚れたとかそういうレベルではなく、まさに暗闇に溶け込んじゃいそうなレベルの真っ黒さである。

「これはこれはへい……トリスさん! お久しぶりです。紹介しますね。こちらはアル=ギャザリン技師長です」

「えっ? あのトイレの水洗人形を作った、あのアル=ギャザリン!?」

イゾルテが驚くと、ギャザリンは嬉しそうに相好を崩した。

「おっ、嬢ちゃんあれを見たのかい? どうだい、感想は?」

「素晴らしい! 特に必要な時に必要なだけ使用するという発想がすばらしいな! ぜひとも我が艦隊のトイレに導入したい! ……ですわ」

それはイゾルテの心からの願いだった。

「そりゃあいい。嬢ちゃんの頼みならいっちょ作ってやっか」

乗り気になって腕まくりしたギャザリンだったが、真っ黒な男が引き止めた。

「何言ってるんですか! 演習があるのは明日ですよ? 新型投石器の調整をしないと!」

「ちっ! しかたねーなぁ。まったく何だって急に演習なんてするんだ……」

ギャザリンがぶつぶつと文句を垂れると、イゾルテは笑顔を強張らせて視線を逸らした。

――いや、思いつきじゃないんだ! 必要なことなんだよ! ……たぶん。

「悪いな嬢ちゃん、水洗トイレはまた今度にしてくれ。おい、先に行ってるぞ、学者センセー!」

ギャザリンは黒煉瓦を満載した起重機の荷籠に飛び乗ると、学者と呼ばれた真っ黒な男に怒鳴った。

「やれやれ、危ないなぁ。じゃあ陛下、失礼します」

真っ黒な男はプレセンティナ語でそう囁くと、城門の脇の階段へと走っていった。だが思い出したように立ち止まると振り返って叫んだ。

「そうそう、猿の人形{お猿のシンバル人形}が直っていますから、誰か技師長の工房に受け取りに行かせてください!」

イゾルテはビックリして目を見開いた。

――こ、こいつ……車輪男だったのか!

それでも彼女は無言で手を振り返して体裁を保ったが、ロンギヌスは首を傾げて彼女に囁いた。

「陛下、今の方はお知り合いですか? 暗黒大陸(アフルーク大陸の大砂漠の南にある地方)の住人みたいでしたけど……」

「あれはモチロンコロテス男爵だ。私はモチロン一目見た時からモチロンコロテス男爵だとモチロン分かっていたぞ、モチロン! あいつが車輪男と名乗っていた頃からの付き合いだからな、モチロン!」

ちなみに彼が自分からそう名乗ったことはこれまで一度もなかった。

「ええっ、コロテス男爵なんですか? ……なんだか、頭からインクをかぶったみたいでしたね」

「まあ、それに近いことをしたんだろう。あいつは昔から1つのことに夢中になると他のことは気にならなくなるんだ」

「…………」

彼はツッコんだら負けだと思った。コロテス男爵にもイゾルテにも。いつだって|セミはセミにとって、アリはアリにとって親しい《Cicada cicadae cara, formicae formica.》ものだ。(注2) 


 イゾルテたちは今度はギャザリンの工房を訪れた。この街の住人には有名なようで、誰に聞いても即座に道順を教えてくれて迷う余地がなかった。工房の住人たちはまだ避難していないのか、そこでは多くの技師たちがトンテンカンテンと騒々しく働いていた。

「あのー、人形が直ったと聞いて引き取りに来たんですけどー」

イゾルテの甲高い声が響くと、騒音はピタリと止まった。

「おんなだ……女の娘がいる……」

「しかもすっごい美少女だ……いい匂いがする……気がする」

「落ち着け! 女の子はおろか60の婆さんだって近寄らないんだぞ! こんなところに美少女が来るはずがない!」

「いかん、俺にも幻覚が見える……!」

威容な空気にロングヌスたちは怯んだが、イゾルテは慣れていた。これは徹夜2日目くらいの反応である。小人さんがちらほらと現れる時期だ。(注3) だが一応交代で休憩を取っているようで、比較的にまともな男が出て来た。

「おや、プレセンティナのトリスさんじゃありませんか! ……いや、飲み物を配ってた侍女さん?」

どうやら彼はスエーズ軍が入城した時の説明会に参加していたようだ。彼の視線から胸を守るように、イゾルテは胸の前で指を組んだ。

「トリスですわ、技師さん。それより猿の人形{お猿のシンバル人形}なんですけど……」

「ああ、学者さんの持って来た騒音製造機のことですね」

随分な物言いだったが、確かにそれは正確な表現である。

「どうぞこちらへ。ちょうど実験が始まるところです」

「実験? 何の実験ですの?」

「あの騒音製造機の構造が実に面白いので、この構造を応用してより用途に即した物を作ってみたのです」

「ああ、自動演奏機を造ったんですのね。それは楽しみデスわ」

「まあ、そんなところです」

やがてたどり着いたのは地下室だった。なんだからオドロオドロしい雰囲気を感じるのは廊下に死屍累々と横たわっている男たちのせいだろうか? まあ、疲れて寝てるだけなんだけど。

「御覧ください、これです」

彼が示したのは四角い木箱の上に小さな鐘が付いたものと、同じく箱の上に鳥の羽根がついた筒が付いたものだった。鐘の方は分からなくもないが、鳥の羽に何の意味があるのだろうか?

「……どうやって使うんですの?」

「さっそく実験をしてみましょう。すでに被験者は奥の部屋に連れて来させています」

「被験者?」

「みなさんが連れて来た敵の捕虜です。なるべく孤立している(◆◆◆◆◆◆)者を連れて来てもらいました」

不穏な物言いにイゾルテはゴクリと唾を飲み込んだ。

――ま、まさか秘密保持のために殺すつもりなのか? そのために死んでも仲間が騒がない奴を選んだということか……?

衝立の向こうには目隠しをされ手足を作業台に縛り付けられた男が寝かされていた。実にヤバげな感じである。不穏な空気を感じてイゾルテはヒソヒソと技師に囁いた。

「……何をするつもりなんですの?」

「あの人形と同じ目的だと言ったじゃないですか。情報を吐かせるのです」

「……へ?」

予想外の答えにイゾルテは目が点になった。

「騒音で何日も寝かせないというのは回りくどいようですが、肉体より先に精神を参らせるというなかなか面白いアプローチです」

「…………」


確かにイゾルテも騒音に頭にきて思わず猿の人形{お猿のシンバル人形}を壊してしまった訳だが、そういう発想は無かった。だが確かに、あれに嫌がらせ以外の利用法があるのだろうか? というか、神様はなんでイゾルテに嫌がらせをしたのだろうか……。

「こちらはひたすら鐘を鳴らし続けて寝かせない『真理の天使(ジブリール)の導き』、こちらはひたすらこそぐり続ける『真理の天使(ジブリール)の羽ばたき』です(注4)」

ひょっとすると、ムスリカ教では真理の天使(ジブリール)は嫌われているのかもしれないとイゾルテは思った。

「どちらも螺旋状の板バネを使った回転運動を使っていて、くるくるっとネジを巻くだけで1時間動き続けます。拷問吏は過酷な仕事から解放されるのです! 後々大型化して連続稼働時間が長くなれば残業0も夢ではないのですよ!」

どうやら彼も相当疲れが溜まっているようだ。彼にとってはこの拷問道具こそが小人さんなのだろう。

「す、素晴らしいですわね……」

「そうでしょう! ではまず、こちらから試してみましょう」

彼はこそぐり拷問具(仮)を手に取ると、寝かされた捕虜に話しかけた。

「さて、あなたは何者ですか?」

「お、おれはセルカン。ビルジ軍の兵士じゃない! 誤解なんだ!」

「……え?」

イゾルテは驚いて目を見開いたが、技師はもちろんセルカンの事を知らなかった。

「何をバカなことを言っているのですか? ですが正直でないのは実に結構です! そうでなければ新型拷問具の実験にはなりませんから!」

「う、嘘じゃない! 俺は本当に兵士じゃないんだ! 海賊の女頭目セルピナなんだってば!」

それは確かに事実だったが、断片的に聞くと支離滅裂であった。

「せめて性別ぐらい本当のことを言ったらどうです?」

技師は非情にも新型拷問具[真理の天使(ジブリール)の羽根]をセルカンの足の裏の側に置いた。

 ジジジジジジ

虫の音のような音を発しながら筒が回転し始めると、筒の側面に付いた羽根が彼の足の裏をやさしく撫で始めた。

「ぎゃわぁーーーーーっはっはっはっはっ!」

セルカンの足の指がきゅっと丸まり、四肢を縛ったロープがギュッと引っ張られた。目隠しをしていることで触感が敏感になっているのかもしれない。

「ひぃぃいいぃーー! あ、足の裏は、やめてくれぇぇぇええぇ!」

彼が身をよじって激しく悶える姿を見て、イゾルテははっと息を呑んだ。

――こ、このプレイ……すごくイイ!

もちろん彼女はセルカンに興奮した訳ではない。これが可愛い女の子だったらと想像したのだ! 例えばテオドーラが、ニルファルが、あるいは手近なところでサビーナが、自分の手によってこんなに激しく悶たら――その体が紅潮して汗が浮かび、エビ反りになった背中は美しいアーチを描き、張りのあるおっぱいがぷるんぷるんと震えたら――イゾルテはじゅるりと涎を拭った。

――し、しかしいきなり女性に使う訳にはいかないからな。せっかくだしセルカンで実験しておくのも悪くないだろう。

もともと暗殺失敗の罰が必要だったので渡りに船でもある。

「さーて、正直に答えなさい。あなたは何者なのですか?」

「わはははっ! だ、だからっ! ひぃぃいぃ! か、海賊だって! ぶわはははっ!」

「そうまで言うのでしたら、海賊の秘密を話して貰いましょう」

「え? えーと、わはははっ、本当の頭目のトリスの、はははっ! しょっ、正体はっ、ぶはっ! お、黄金の、わははっ、魔女だっ!」

実に締りのない尋問風景である。しかしセルカンがあっさりと口を割ったことにイゾルテは目を丸くした。

――密偵のセルカンがこんなにあっさり口を割るとは! ……いや、ベネンヘーリは私のことをイゾルテのフリをしてるトリスだと説明したんだっけ? だからニセの情報だと思って吐いているのか? それとも捕虜にした他の連中が私のことをイゾルテだと言ったのか?

ややこしい話である。だがこれ以上彼女がイゾルテだと広めないためにも、この技師には嘘だと思わせた方が良いだろう。イゾルテは技師にヒソヒソと囁いた。

「もちろん今のは嘘ですが、それを誰に吹きこまれたのか知りたいですわ。探ってください」

「分かりました。……今の話、どうやって誰から聞いたんですか?」

「聞いたわけじゃない! だって、あれはどう見ても、魔女じゃないか! ぶははははは!」

「つまり顔を見知っていたと? 海賊なのに?」

「そ、それは……っ! くわぁははははははっ! あんな美少女、めったにいないからな!」

イゾルテは思わず膝を叩いた。

「なんと正直な! 固い密偵の口を割ってこんなに正直な反応を引き出すとは! うーむ、この拷問具は侮れない!」

ついでに思わず地が出ていた。

「……その声はトリスだな? いったい何のマネだ! 俺だと知ってるんなら助けろよ!」

セルカンの叫びに技師は困惑すると、真理の天使(ジブリール)の羽根を止めた。

「ひょっとして……お知り合いなんですか?」

「お、おほほほ! 良いじゃないですの。この男の言ってることが本当かどうかは私が知っていますから、拷問の効果もはっきりしますよ?」

「おお、なるほど。それもそうですね!」

技師は納得したが、セルカンはそうもいかなかった。

「良くねーよ! 目隠しされてすげぇ怖かったんだぞ!」

「何を言っているのかしら? サビーナさんは常にその状態ですのよ?」

「…………!」

セルカンははっと息を呑んだ。確かにイゾルテの言う通りだ。だがこの場には何の関係もない!

「だというのに、あなたはなんて情けないのでしょう! ビルジはともかくあなたが敵の提督すら暗殺出来なかったせいで、私達ユイアト海賊団は多大な被害を出しました。私だってあと一歩のところで死ぬところでした。そうなっていたら海賊団は瓦解していたでしょうし、いまごろ匈奴軍は補給を受けてテゲレス川を渡っていたはずです。

 そう、全てはあなたがしくじったせいですわ!」

「うぬぬぬ……」

明らかに話題を逸らされていたが、イゾルテの言葉は全て事実だった。彼には反論の言葉がなかった。

「と言うことで、あなたは拷問器具の実験で役に立ってくださいな」

「おい! 俺じゃなくてもいいだろうが!」

「何を言ってるんですの? 固い密偵の口を割らせるくらいの物でなくては意味が無いでしょう?」

「…………」

「でもあなたは私のことをあっさり喋ったのであてにならないですね」

「そ、そうだろう? だからここは俺じゃなくて、ビルジ艦隊の指揮官でも拷問しろよ」

「あら残念。その方なら私がこの手で殺しちゃいましたわ」

「…………」

「でもあなたからビルジ軍の機密を聞いても仕方がないので、ここは違う質問にしましょう。例えば……初恋の相手とか?」

「…………」

セルカンの実に嫌そうな顔を見てイゾルテは満足気な笑顔を見せた。

「じゃあ技師さん、実験がんばって下さいね」

「はい、ありがとうございます」

「ちょっと待てぇぇぇえぇ!」

セルカンの悲鳴と笑い声を残してイゾルテは地下室を後にした。

注1 中東では木材が貴重なので、石材や煉瓦を使った建物が一般的でした。

建材を積み上げて外壁や内壁を作り、その壁によって屋根や天井などの上部構造物を支える組積式(そせきしき)構造です。

ちなみに日本のようにまず柱を建て、(はり)で柱と柱をつなぎ、それによって屋根や天井などの上部構造物を支える構造を架構式(かこうしき)構造と言います。

とはいえ完全に木材を使わないで屋根を支えるのは(構造力学上の計算とか素材の均一化とかが?)大変なので、壁の上に木材を渡してそれを支えに屋根を作る構造も多いようです。

ていうか、2階3階の床まで煉瓦のみで作るっていうのはどう考えても無理がありますよね。屋根と違ってアーチ構造を作る余地もないし。


注2 「|セミはセミにとって、アリはアリにとって親しい《Cicada cicadae cara, formicae formica.》」は、「キカーダ・キカーダエ・カーラ・フォルミーカエ・フォルミーカ」と発音します。要するに「類は友を呼ぶ」という意味のことわざです。

しかしなんでセミとアリなんでしょう?

セミの交尾は夏にはよく見かけますが、アリの交尾なんて映像資料以外で見たことないですよね? オスメスの違いも激しすぎます。

またある種のアリはオスメスの遺伝子が完全に断絶していて、生まれてくるのは父のクローンであるオス(働き蟻)と母のクローンであるメスだけなのだそうです。

さらにセミの亡骸をアリが美味しく頂くことを考えると、蟻同士よりセミとアリの方が(ある意味では)親しくないでしょうか?


注3 グリム童話『小人の靴屋』に登場する小人のことです。しかしこの小人は時代に合わせて様々な技能を習得しているようで、現代ではプログラマーの前に現れることもしばしばあります。私も遭遇したことがあります。

まあぶっちゃけ「徹夜で朦朧としている間に記憶が飛んで、その間に進んだ仕事がまるで小人さんがやったかのように思える」というだけの事なのですが。

社会人には常識(?)ですが、学生だと知らないかもしれないので脚注に入れました。

注意力散漫な状態なのでポカが目立ちますが、一応脳ミソは動いてるんでそこそこの仕事はします。


注4 ジブリールはイスラム教の四大天使の一人で、キリスト教で言うところのガブリエルです。

ムハンマドにコーランを与えたのも、岩のドームから天界に導いたのもジブリールです。

そのため「真理の天使」とも呼ばれるそうです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ