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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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ユイアト海賊団 その8

 海賊に物資を強奪されたという報告を聞いた時、ビルジは即座に真実を悟った。

「くそっ、セルピナめ! オレを騙したのか!」

……と、考えたのである。国民に(彼の主観では)裏切られ、兵たちにも(彼の主観では)裏切られた(彼の主観では)悲劇の皇帝たる彼は、裏切られることに慣れていたのだ。しかし、それも一瞬のことだった。

「いえ、海賊内部の反乱です。サブリナとかいう妹が反旗を翻し、セルピナ殿を人質に取ったのです」

連絡士官から事情を聞いたビルジはあっさりとセルピナの無実を信じた。それどころか彼女に同情し、涙さえ流した。

「おお、なんと哀れな女だろうか! やっぱり弟とか妹なんて碌なもんじゃないな!」

彼女のことを弟に反旗を翻されている自分自身の境遇に重ねたのだ。彼自身もベルケルの弟だったことはもちろん棚に上げていたが。

「……で、身代金は幾らだ?」

「それが具体的な数字は出ませんでした。艦隊が運んでいた物資を横取りされ、更に同じだけ寄越せと……」

あまりにも胡散臭い話だったが、ビルジは躊躇しなかった。

「仕方ない、同じだけ用意してやれ!」

「お待ち下さい! 具体的な数字を出さないのは普通ではありません。もともと返すつもりはないのだと思います」

「何だと? 何を根拠にそんなことを言うのだ!」

「相手は海賊です。身代金を要求することには慣れているはずです。こういう場合、具体的な金額を明示するのは当然のことですよ。

 金額の交渉は受け渡し時ではなく要求時にするものですから」

当然のことだ。金貨を100枚持って行ってから値切り交渉をしても、100枚全部取られるのがオチである。

「……では、もうセルピナは生きていないというのか?」

「いえ、やつらは言っていました。今月末に右胸を、来月末に左胸を切り落とすと。そして3月の末になったら海賊たちの慰みものにするとも。

 胸を切り落としてから慰みものにするのは妙なものですが、こちらから身代金を引き出すためにも生かしてはおくと思います」

「…………」

猟奇的な話だったが、性病の潜伏期間が過ぎるまでエッチしないというのは納得できた。返って相手の本気度が見て取れる言葉だ。

「なるほど。しかしそれまで待っている訳にはいかん。あの美しい(と思われる)おっぱいが無くなってしまうことは、決して看過できない!」

ビルジが拳を握り締めると、連絡士官も頷いた。彼だって海賊ごときにコケにされたまま黙ってはいられない。ついでに露出狂美女のサブリナを捕まえることが出来たら、嬉し恥ずかしい役得も得ることが出来るだろう。

「力で海賊を屈服させましょう! 敵の戦闘艦は10隻ほどでした。我が艦隊の敵ではありません!」

「良かろう! だが念には念を入れよう。もうじきカラチンから補給艦隊が着くから、それも連れて行け。

 それと既に徴用兵も幾らか集まってきているから、民間船を徴用して詰め込んで行け。海賊を追い詰めるには陸兵も要るだろう」

「はっ!」

こうしてビルジ艦隊は海賊退治のために出撃したのであった。


 ビルジ艦隊は出港した翌日の午後にはムサイガンダム半島の先端、クマザーワ沖に到着していた。見るからに複雑な地形を前にして彼らは慎重になり、ひとまず手近な入江を捜索すると全艦をその中に入れて投錨した。海流の影響を受けない安全な投錨地として利用しつつ、陸兵の揚陸点として利用するためだ。各船から小舟が出されて物資や人員の陸揚げが始まったが、日が沈むまでの時間に陸揚げできたのは全体のごく一部だった。


「親分、連中の所在が分かりましたぜ!」

「よし、どこだ?」

「ここの入江です! このあたりに投錨して陸揚げしていますぜ」

山頂の観測班からの報告を聞いて、イゾルテは海図の上にビルジ艦隊の位置を描き込んだ。

「そろそろ日が暮れるな。ということは、今夜はもう動くまい。早速出発するぞ! セルカン……じゃなくてセルピナを連れて来い!」

「「「へい!」」」


 夕日に向かって出港したガレー船は日没に前後して進路を北に向けた。月齢は下弦で月が出るのは夜半だ。西の空が暗くなるにつれて海は真っ暗になった。半島から十分に離れていたから方角さえ間違わなければ座礁する恐れはないが、これではビルジ艦隊に夜襲をかけるどころか入江に突入することすら覚束なかった。

「お、親分、こんな真っ暗なのに、どこに居るのか分かるんですかい?」

「案ずるな、我々にはこれがある!」

彼女は自信満々に小さな胸を張ると、クロスボウ型羅針盤{ハンドコンパス}(注1)を掲げた。それはクロスボウっぽい物に目盛りが逆に付いた羅針盤が付いたもので、目標物の見かけ上の方位を精密に計測するための物だ。羅針盤自体は神からの贈り物だったが、より正確な方位を割り出すためにプレセンティナの水夫たちが要望を出して、改良を加えたものである。

 イゾルテはそれを半島の各地で焚かれている灯りに向けた。臨時の灯台である。

「記録しろ。C灯台97.5°……F灯台143.5°……M灯台78.5°だ」

そして彼女が三角形の定規(注2)を使って海図の上に3つの直線を描き込むと、その3つの交点はほぼ同じ位置を示していた。縮尺からしてその誤差は50m以内だ。

「今我々がいるのはこの辺だ。こんだけ分かれば十分だろ?」

「「「…………」」」

海賊たちには何がなんだか良く分からなかったが、その精密な作業が彼女の言葉に説得力を持たせていた。

「しばらくは進路25を保て。15ミルムほど進んだら進路を変えて入江に突入する。戦闘の炎を見たら潜入させた者が入江の両脇で焚き火を焚くことになっているから、脱出は簡単だぞ」

「へ、へい!」


 その後もイゾルテは砂時計をひっくり返しながら定期的な測位を続け、海賊船は着実にビルジ艦隊に迫った。そして目標の入江が近づくと、イゾルテは灯火管制を指示した。

「ランタンの灯りを絞ってフードかぶせろ! 敵に位置を悟らせてはならん!」

やがて岬の影から入り江の中が伺えるようになると、その中には小さな街ほどの灯りがあった。60隻の船が数個ずつのランタンをかかげ、上陸した部隊も海賊の夜襲を恐れて篝火を焚いていたのだ。もちろん、警戒していたのは陸上(◆◆)からの夜襲だが。

 イゾルテの技量を目の当たりにした海賊たちは彼女の夜襲計画が机上の空論ではないことを納得していたが、さすがに1対60という途方も無い戦力差を前にして言葉もなかった。彼らの恐れを感じ取ったイゾルテは獰猛な笑みを浮かべた。

「あの灯りが怖いか? 馬鹿を言え! 怖いのはいつだって暗闇だ。暗闇に潜む魔物だ! そして我々こそが、奴らにとっての魔物なのだ!

 闇に溶け込め! 闇こそが我らの味方! 闇こそが我らの力なのだ!」

なんだか悪魔崇拝者みたいな言葉だったが、微塵も恐れを見せないイゾルテの態度は海賊たちを勇気付けた。

「進路190! 入り江に突入するぞ!」

「「「へいっ!」」」


 入り江の中に忍び込んだ海賊船は、櫂の音も小さく静かに、闇に溶け込むようにビルジ艦隊に忍び寄った。暗すぎて距離感が取れないから、端にいた運の悪い一隻の船にゆっくりゆっくり30m程にまで接近した。ここまで近づいても敵の船影は薄ぼんやりとしていたが、船首と船尾のランタンの相対角度からだいたいの距離は分かった。

「船首キメイラ、火炎壺を装填しろ。一発だけだ。松明代わりにあの船を燃やしてやれ!」

火炎壺の利点の1つは着弾するまで炎が上がらないことだ。ばしゅっと発射音がしたものの、火炎壺自体は目に出来ないまま突然敵船が燃え上がった。

「よーし、面舵いっぱい! 艦隊の端に沿って前進しつつ敵に散弾を浴びせかけろ!」

 キメイラを始めとして両舷に取り付けられた投石器が散弾を発射し始めると、敵船から悲鳴と怒声が上がり始めた。闇の中から突然矢が飛んで来るという状況は想像以上に恐ろしい。敵がどこに居るのか分からないだけでなく、敵の規模も分からないのだ。何しろとんでもない密度で矢が飛んで来るのだ、ビルジ艦隊の兵士たちは100隻を越える大艦隊が迫っているのではないかという恐れに支配されていた。況して最初に火炎壺を食らった船は人手が足りずに消火が遅れ、今では派手に燃え上がっていた。同じ攻撃がいつ自分の船に行われるか分かったものではなく、戦々恐々だった。

 だがイゾルテは追加の火炎壺はおろか、火矢の攻撃も厳禁していた。

「火矢はまだ使うな! 闇の中から攻撃する限りは反撃も無い!」

彼女はそう言ったが、正確には反撃はあった。ただしそれはとてもまばらだったのだ。ビルジ艦隊の兵士たちは半狂乱になって猛烈に反撃していたのだが、あてもなく虚空に放たれた矢はそのほとんどが海中に没していた。極稀に海賊船に届く物もあったが、やはりそのほとんどは虚しく船べりを叩いただけだ。

 海賊たちの方は最初こそおっかなビックリしていたものの、敵の反撃が取るに足らないことに次第に慣れてきていた。それどころか起き出してきた敵兵たちのおかげで敵船の灯りが増え、より狙いやすくなっていて、海賊たちは喜々として攻撃を繰り返していた。


「取舵いっぱい! 船を反転させろ! 今度は火矢を打ち込んでやれ! ただし敵の反撃も増えるぞ! 常に身を隠せ!」

海賊たちは命令に従って散弾の火矢を打ち込んだ。この火矢というのも物凄くいい加減なシロモノで、散弾の四角い矢の束の先の方を油壷に漬け置きしただけのシロモノだ。布を巻きつけた通常の火矢に比べて火が消えやすいが、何しろ数が半端ないのだ。当てるのも楽であり、消す方はとても手が足りなかった。

 次々と命中した火矢は敵船を彩ったが、火矢を放ったことで海賊船の位置も明らかになった。そのため敵の反撃は増えた。正確には"あて"が出来たことで海賊船に命中する矢の数が増えたのである。しかし相変わらず距離感が無いので、やはり命中率は相当に低かった。


「よし、脱出するぞ! 取舵! 入江の2つの炎の中間を目指せ!」

 いつの間にか灯されていた目印の灯りを左右に見ながら、海賊船は悠々と入江を脱出した。追って来る者は誰もいなかったがそれでもさらに前進を続け、2ミルムほど離れてからようやくイゾルテは戦闘終了を宣言した。

「取舵! 進路を260に取れ! ご苦労だった! 点呼を取り、怪我人がいれば治療を行え!」

戦いの終わりを告げられた海賊たちはその顔を綻ばせた。自分たちの被害が少ないことは、点呼を取るまでもなく分かっていたし、燃え上がる敵船の数は少なくとも10隻は超えていただろう。どう考えても大勝利だ! 彼らは喜びの雄叫びを上げようと息を吸い込んだ。

「ただし勝鬨は上げるな! 敵に我々が去ったと教えてやる必要はない!」

「「「…………」」」

イゾルテに機先を制されて海賊たちは閉口した。だがその理由は実に合理的な嫌がらせではないか。彼らはニヤリと口を歪めると声を殺して笑いあった。今頃敵は、彼らの影を闇の中に必死に探し求めていることだろう。ひょっとすると同士討ちまでしているかもしれない。

「親分、被害は軽傷2名、重傷1名です。死者、行方不明はいません」

「重傷者の程度は?」

「肩に矢を受けただけです。しばらく腕を使えませんが、命に別状はありません」

「そうか」

イゾルテはほっと安堵の溜息を吐いた。いずれ死者は山のように出るだろうが、初戦で戦死者なしというのは士気を高揚させる上で重要な要素だ。

「感染症の恐れもあるから高濃度酒精{アルコール}で消毒{注3}してやれ」

「はっ、はい!」

部下を心配するイゾルテの態度に、海賊たちは少なからず感動した。こんなに部下思いの海賊がいただろうか? その上すごい航海士で、すごい戦術家だ。さらにその上、彼女はすごい美少女なのだ!

「ベネンヘーリ、敵船の被害は分かるか?」

「う~~~ん」

ベネンヘーリは目を閉じて(珍しいことに)眉間にしわを寄せていた。記憶を呼び起こしているのだろうか。

「最初に火炎壺を当てた船を含めて、合計24隻の船に火矢を命中させました。500本以上命中させた船は12隻、500~100本は9隻、10~90本が2隻、10本未満が1隻です」

「そ、そうか……」

これにはさすがのイゾルテもビックリしていた。20隻くらいだとまではカウントしてたのだが、個々の船にどれだけ命中していたのかまでは分からなかったのだ。ひょっとするとベネンヘーリは、記憶を呼び覚ますために唸っていたのではなくて火矢を数えるために唸っていたのかもしれない。

 火矢を消せるかどうかは、敵の指揮官と船員たちの練度、火矢の命中箇所、火矢の前に散弾でどれだけ死傷者が出ていたか、といった複合的な条件に依存する。だから実際の戦果は明日の朝になるまで分からないが、火矢の命中数はその目安になるだろう。

「恐らく12隻は始末出来ただろう! 大戦果だ!」

海賊たちはその数に目を剥いた。1隻で60隻に挑み、一方的に12隻を無力化したというのだ!

「やったー!」

「さすが親分!」

「ユイアト海賊団ばんざーい!」

「あれ? 赤仮面海賊団だろ?」

「どっちでもいいからばんざーい!」

海賊たちは歓声を上げたが、すぐさまイゾルテの怒声が飛んだ。

「うるさい! 叫ぶなと言ってるだろ!」

海賊たちは慌てて口を押さえたが、溢れ出る歓喜を抑えることは出来なかった。声を殺して喜び合う海賊たちの中に、人質であるところのセルピナが船室からひょっこりと顔を出した。

「なあ、勝ったのならそろそろ縄を解いてくれないか? ……って、え? おい、何をする!? 俺は男だっ……って、ぎゃわー!」

彼女は縛り上げられたまま海賊たちに捕まると、彼らに体中を触られまくった。……胴上げという形で。

「やめろっ! 縛られててっ、バランスがっ、取れないんだっ!」

無言のまま胴上げする海賊たちはちょっと不気味だったが、その顔に浮かんだ笑顔はどれも清々しいものだった。


 翌朝、山頂の観測班は敵艦隊から9隻の船影が消えたことと6隻の船が黒焦げになったことを報告した。さらに2隻の帆船はマストが焼け落ちており、事実上無力化したとのことであった。

注1 ハンドコンパスは、手で持って横から目標を狙うことで方位を測るタイプの方位磁針です。銃身のない銃みたいな感じですね。

軍用のレンザティックコンパスも似た感じですが、あちらは携帯用なので持ち手もなくコンパクトに出来ています。

じゃあ嵩張るハンドコンパスはどこで使うのかというと、船舶で使います。灯台なんかの目標物の方位を調べ、海図上に線を引いて現在位置を測定します。小型船舶の実技試験でもやらされました。

こうやって海岸の目標物を手がかりにして現在位置を割り出す航海方法を地文(ちもん)航法と言います。まあ、大昔は海図自体がいい加減なのでそんなに厳密ではないですけど。


注2 古代ローマの三角定規は、どうやら三角じゃなかったようです。

大英博物館に収蔵されている文具セットにある三角定規(?)は二等辺三角形にカッター刃が付き刺さったような奇妙な形です。

なんか使い方が良く分からないんですけど、まあ、きっと、似たような使い方をしたんだと思います。(根拠なし)


注3 こういう時恐ろしいのが破傷風菌ですが、実は消毒しても破傷風は防げません。生きた菌には効くのですが、芽胞(フルアーマー状態の胞子)はそう簡単に殺せないんだそうです。

ただし健康体だとその芽胞が発芽しないので、発症もしないんだとか。出血などで弱っていることで発症しやすくなるのでしょう。

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