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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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ユイアト海賊団 その7

 セルピナが罠に掛かって哀れな虜囚となった(ことになった)日よりさらに10日が過ぎた。事件のことなど何も知らないシロタク軍は凍える山道を粛々と行軍していた。

 草原にも雪は降るが、雪が積もるような土地で冬を越す者は多くない。数少ない例外においても、雪の降る季節には一箇所にとどまって移動をしないものだ。雪原で馬を走らせることなどめったにあることではない。慣れない雪道は我慢強い彼らを閉口させていたが、せめてもの救いは街道がレンガ敷きだったということだろう。舗装のない道だったら踏み荒らされて溶けた雪が泥となり再び凍りつき、最悪の悪路となっていたことだろう。


 若いアブルもさすがに疲れていたが、それでも頻繁に叔父のティムルに話しかけていた。

「叔父上、真っ白で綺麗ですね。私は雪を見るの初めてなんですよ」

「そうか」

そっけない反応にアブルは虚しさを感じていたが、彼は諦めなかった。彼の空元気は義務感によるものなのだ。

「叔父上は雪を見たことあるんですか?」

「ある」

ティムルのそばにいればアムリル部の兵士たちが不満たらたらなのは嫌でも分かる。シロタクの家臣でティムルの甥である彼は板挟みなのだ。

「叔父上、次の峠が最後の難所です。あれを越えれば平野に入ったも同然ですよ!」

「そうか」

「…………」

彼らは粛々と行軍を続けた。その足取りは遅くとも着実に前に進んでおり、彼らの胃に穴が開く前には到着できそうだった。……おそらくは。



 同じ頃、ムサイガンダム半島(注1)に向けてビルジの艦隊がアカンタレ・アッパースから出港していた。10日もかかったのは――あるいは最初の期限である月末まで10日も前に行動を起こしたのには――それなりの理由があった。

「おいセルカン、話が違うぞ。敵は30隻しかいないはずだろ? なんで60隻(◆◆◆)もいるんだよ!」

見張りからの報告を聞いたイゾルテは、同じく報告を聞いて女装してきたセルカンを怒鳴りつけた。

「……わ、私がいた時には確かに30隻だったのよ! 私のせいじゃないわ!」

 アカンタレ・アッパースの交易は確かに停滞していたが、もちろん民間船がいない訳ではなかった。ビルジはそれらを徴用し、更にはカラチンから補給物資を運んできた輸送艦隊と護衛のガレー船も加えて艦隊を増強していたのである。

「それに私はセルカンじゃないわ、セルピナよ?」

「そうか、じゃあ余分な物を切り落としてやろうか?」

イゾルテが凄むと、セルピナはその豊満な胸を突き出して挑発した。

「いいわよ、最初は右だったかしら? それとも左?」

「セルピナに余分な物だぞ? もちろん右も左も、真ん中も(◆◆◆◆)だ!」

イゾルテが指でハサミを作ってチョキチョキすると、セルカンは肩を落とした。

「……スマン」

周りで聞いていた海賊たちは内股になって震え上がっていた。


「しかし期限の10日も前にやってくるとは。愛されてるな、セルピナ」

セルカンは嫌そうな顔をした。まあ、モテないならモテないで不満なんだけど。

「そんなことはどうでもいい! それよりどう戦うんだ? それとも入江に潜んでやり過ごすのか?」

イゾルテは真面目な顔つきに戻って首を振った。

「無理だな、敵の編成に帆船が多すぎる。陸兵を積んでいるんだ」

「つまり、上陸して捜索するつもりってことか……」

「確かに合理的な選択だ。複雑なこの土地を捜索するなら陸からやった方が早い。こっちが山の上から観測しているようにな」

ムサイガンダム半島の先端、クマザーワは大変入り組んだ地形をしているが、山の上から見れば――といっても標高は600mほどだが――周辺を一望できた。水平線までの距離も100km近く、出港したばかりのビルジ艦隊を発見したのはその観測班である。

「じゃあ、海上戦力は数ほどは無いのか……」

「まあ、こっちより全然上だけどな」

「ダメじゃねーか!」

「ダメなのはお前のせいだろ!」

「……スマン」

セルカンは肩を落とした。

「まあ、面倒だが手はあるさ。こっちはこのあたりの海図を持っているからな」

「どうするつもりだ?」

「分からんか? 夜襲だよ」

「……夜襲?」

セルカンも海賊たちも不審げだったが、イゾルテは自信満々だった。

「暗礁だらけのこの海域では夜間には動けないから、ビルジ艦隊は日没時の位置のままだと推測できる。だがこっちは臨時の灯台を設置して、それを目印に現在位置を把握しながら攻撃をかけるんだ。不規則に、何度も何度も。一方的に攻撃できるし、敵は闇を恐れて一睡もできなくなる。2~3日夜襲をしかけて敵の数を減らし、数が均衡したところで決戦を挑めば、こちらに負ける理由はないだろうな」

「……なるほど」

セルカンは舌を巻いた。流石は海洋国家プレセンティナの皇帝である。しかし、所詮は海洋国家プレセンティナの皇帝であった。

「あのぅ、親分。俺たちそんなことしたことねーんですが……」

「……何?」

ペルセパネ海峡に面するプレセンティナでは、まず最初に叩き込まれるのが海峡を安全に航行する術だ。過密航路だから夜間だってノンストップだ。海峡内で下手に停泊されたら余計に危険である。当然すべての船乗りが複数の灯火から自分の位置を知る術を心得ていた。

「お、お前ら海峡とか越えるときどうしてたんだ!?」

「え? べつに海峡だからってそんなに危険とは思えねーけど?」

「…………」

 最小2ミルムの幅しか無いペルセパネ海峡とは違い、目の前のホームズ海峡は100ミルム近い幅があるのだ。夜になった瞬間角度を90度曲げて一直線に陸地に向かって突っ込まないかぎり、一晩の内に座礁することは出来ないだろう。

「……そだね」

セルカンの冷たい視線が突き刺さるのを感じ、イゾルテは声を上ずらせた。

「ま、まあ、そのあたりはうちの近衛……じゃなくて、私の古参の部下たちが担当しよう! 彼らは生粋のプレセンティナ人だからな!」

だが近衛兵達は眉を顰めて顔を見合わせた。

「あのぅ、へい……じゃなくてトリスさん。我々はもともと衛士ですよ? そんなこと出来る奴が(おか)にいると思いますか?」

「…………」

今度は海賊たちの視線も突き刺さった。痛い視線だ。この視線を束にすれば立派な遠距離武器に出来そうだ。耐え切れずイゾルテは音を上げた。

「分かったよ! 私が行けばいいんだろ! ふんっ、最初から行くつもりだったけどな!」

「……1隻で?」

「そこまで突き放すのかっ!? 付いて来いよ! 夜間に艦隊行動くらいしたことあるだろ?」

「でも夜戦なんて初めてっすよ? どの明かりが味方かなんてすぐに分からなくなるんじゃないですか?」

「…………」

イゾルテはぐうの音も出なかった。彼女はいじけたように口を尖らせなら左右の人差し指の先をつんつんと突き合わせた。

「仕方ない、私が一隻で行くよ! ……でも、セルカン。お前にだけは付いて来て欲しいんだ……」

「えっ?」

イゾルテが上目遣いに見上げる視線を受けて、あんまりモテたことのないセルカンの心臓は跳ね上がった。まあ、最近は盲目のサビーナや男(ノンケ)のビルジにまで惚れられているけど。

「ま、待ってくれ。お前の気持ちは正直嬉しい。嬉しいが、オレにはサビーナがいるんだ! だからお前の気持ちには応えられない!」

イゾルテは悲しげに顔を伏せた。

「それは分かる。サビーナちゃんのためにも生きて帰りたいだろう。しかし私が死ねば早かれ遅かれサビーナちゃんはビルジの手に落ちるんだぞ?」

「……あれ? どうせならオレと一緒に死にたいって話ではないのか?」

「はぁ? いざって時にはお前を人質にして逃げようってだけだぞ?」

「…………」

「同意が得られなくて残念だ。まあ、同意がなくても同じだけどな。さあ野郎ども、セルピナ姉さんをふん縛りなさい!」

「「「へーい」」」

海賊たちはビルジを迎え撃つ準備を始めた。囚われていることになっているセルピナを縛るのも、その一環と言えるかもしれない。

注1 ムサイガンダム半島=ムサインダム半島

ホルムズ海峡に飛び出したアラビア半島側の半島です。既に登場済みですが脚注を入れるのを忘れてました。

周辺はアラブ首長国連邦の領土なんですが、半島先端部だけはオマーンの領土です。でもって更に先端部分のクマザール地区はなんとフィヨルドになっています。

ぐにゃぐにゃのギザギザで、ほとんど島になってるのにその端っこが辛うじてアラビア半島に繋がっています。

ごく最近まで陸の孤島だったので、ここの住人であるクマザール人だけアラビア語じゃなくて独自のクマザール語を話しているんだそうです。

たった500人なのに! げ、限界集落……

面倒なので話の方では出しません。たぶん

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