ユイアト海賊団 その5
シロタク軍の行動は素早かった。ビルジの了承を得たその日には出発し、5日後には最初の大きな峠に差し掛かっていた。バブルンまでの旅程のおよそ三分の一の地点だ。歩兵であったらこれほど速く進めなかっただろうし、大勢の脱落者を出していたかもしれない。その意味では、ビルジ軍を置いてきぼりにしたことは正しかったかもしれなかった。
しかしすでに標高差は1000mを越え、温暖なこの地方にあっても肌寒く感じていた。全軍が騎馬で構成されているとはいえ、兵士たちにとっても辛いことは確かだ。シロタクたちジョシ・ウルスの兵士達は急ぐ必要を良く心得ていたが、手伝い戦にすぎないアムリル部の兵士達は不満たらたらだった。当然族長ティムルの下にはその不満の声が上がってきていたが、彼は彼でそれどころではなかった。
「おまえたちの不満は分かる。だが、今は堪えろ」
「何故ですか、族長! 春まで待てば良いだけの話ですよ!」
「とにかく今は事を荒立てるな!」
彼の心を縛っていたのはビルジの脅迫だった。具体的な要求がなされなかった事が返って彼の不安を煽っていた。
――ビルジがどんな男なのかは良く分かった。そもそもあの男は土壇場でヒンドゥラを裏切った男なのだ。いったいどんな卑劣なことを考えているのか……
ヒンドゥラを裏切ったのならモンゴーラも裏切るかもしれない。ティムルにはモンゴーラに逆らう意志など毛頭無かったが、だからこそビルジは、彼を反逆に追い込むために策謀を巡らす可能性があった。
――先んじて汗に報告すべきか? しかし証拠が何一つない……
ビルジが白を切れば返ってティムルの方が疑いを掛けられるかもしれない。一方でビルジの方はサビーナが逃げたという証拠を山程握っているのだろう。つい先日までサビーナは死んだと思っていたティムルには、何も打つ手が無かった。
――シロタク殿に相談してみるか……? 駄目だ。あの方はあの方で、自分の国のことで一杯一杯だ。同情はしてくれるかもしれんが、どれほど力になってくれようか……
彼はそのシロタクに派遣された連絡役にちらりと目を向けた。タラクト部に嫁いだ姉の息子、アブルである。
「叔父上、案内人の話では峠はすぐそこだそうですよ」
「そうか」
「峠を越えれば風も弱まるそうです。頑張りましょう!」
「そうだな」
まだ若い彼は、大きな戦いを前にして昂揚しているようだった。彼らタラクト部はプラグの配下ではないにせよ、彼もまたサビーネの従兄弟である。無事では済まない立場だった。
――アブルにも伝えておくべきか? いや、知らなくて済むことなら知らせないでおこう。仮に知ったところで出来ることもないのだからな。
アブルはハサールとの戦いで死んだ父親の代わりに百戸を継いでいたが、本来ならせいぜい初陣という年頃だ。彼を支えるべき熟練の兵士達も先の戦いで多く死んだという。間違っても政治の相談など出来る余裕など無かった。
――やはり我らには、行動によって忠義を示すしか道は無い。戦場で二心無きことを示すのだ!
峠の上から姿を表した新たな山々は雪を頂いていた。更に困難な道程が続くのだろう。ティムルはギュッと手綱を握りしめ、悪態を飲み込んだ。
その頃アカンタレ・アッパースには続々と海賊船が集まって来ていた。シロタク軍の侵出に合わせて物資を運び込むため、セルピナが呼び寄せたものだ。
「姐さん、食料はここにあるだけッスか?」
「まだまだ倉庫の中にあるわ」
「あの木材も運ぶんスか?」
「載せられるなら載せなさい。でも食料の方が優先よ。もちろん武器もね」
「へーい」
海賊たちは口調こそ気安かったが、そこには何がしかの規律があるようだった。彼女に逆らう様子もなく唯々諾々と従いながら、しかし彼女に色目を使うこともなかった。彼女の襟元からは胸の谷間が覗いているというのに、彼らは鼻の下を伸ばすどころか一切見向きもしないのだ! むしろ不自然なほどである。なんだか見たら負けだとでも思っているかのようだった。
「セルピナ、これがお前の海賊団か?」
「あら陛下。陛下の公認が頂けたのなら海賊ではありませんわ。私の海軍です。ただ今回は荷運び用の帆船を多く呼び寄せましたけど」
「海軍か……なるほど」
確かに軍と呼ぶに相応しいかもしれない。海軍と海賊の最大の違いは、地上の権威に阿るか否かということなのだから。
――俺に従うのもその権威付けのためか。なるほど、持ちつ持たれつだな。
動機が分かりやすいのは良いことだ。彼には信じられる部下など乳兄弟のマフズンくらいしかいないのだから。
「出港はいつになる?」
「明日には発ちますわ。月末までには到着するでしょう」
「そうか。ところで……お前も行くのか?」
言葉に淀みを感じてセルピナが目を向けると、ビルジの視線は明後日の方向に泳いだ。心なしか頬が赤らんでいる気もする。まるでウブな少年のようだ。変態サディスト強姦魔のくせに!
――うわ、気持ちわるっ! そんなに俺が気に入ったのか? まだ抱いてもいないのに? いや、むしろ抱いていないから執着しているのか……?
考えるより前に押し倒せる立場だったからこそ、好意を示されつつもエッチできないというジレンマが新鮮なのかもしれない。エッチできない理由が性病だというのが、何とも言えないところだが。
「……陛下はどうされますの?」
「余か? 軍も連れずに余が行ってどうする」
「海軍がいるではありませんか。私達とともに港町バスターを攻略するというのはいかがですか?」
セルピナとしては、ビルジが海の上に出て来てくれれば御の字だった。物資は手に入るし、ビルジは殺せるし、ついでに潜在的な脅威である敵艦隊も一網打尽に出来る。だが女に恋をしようとも、結局のところビルジが一番可愛いのはビルジ自身だった。
「冗談はよせ。そもそも乗せていく兵士がいない。シロタクが自ら先陣を買って出ているのだから、危険なことは奴に押し付ければいい。お前も危険なことはせず、拠点はやつに確保させろよ」
「……はい」
「それに一度では物資を運びきれまい。安全な拠点が確保されお前たちが再び戻って来たら、今度は俺も一緒に行こう。その頃には陸軍も到着していることだろうしな」
そしてそのころには、セルピナが性病にかかっているかどうかが判明するころである。何がしたいかは明らかだった。セルカンとしては微妙な計算違いである。
「……楽しみにしていますわ」
――うーむ、確かに色気は振りまいてきたけど、こんな風に執着されるとは思わなかった。このままセルピナを消してしまうのが惜しくなってきたな……
本来はこのまま物資を持ってとんずらするはずだったのだが、ビルジのセルピナへの執着心はもう少し利用できそうだった。
――俺を人質にするのはどうだろう? 俺が別の海賊の人質にされれば、奪還のために艦隊を寄越すかもしれない。ダメ元でやってみるか。
「……では、安全のために陛下の軍艦を1隻割いて頂けませんか? 現地までの航路にも慣れておく必要があるでしょうし」
「うむ、そうだな。では10隻ほど付けてやろう」
「いえいえ! 1隻でいいですわ!」
10隻もいると本格的な戦いになってしまうし、そうなれば全艦を撃沈しかねないのがトリスだ。そうなればビルジの艦隊は港に篭って二度と出てこないだろう。生き証人として1隻だけ付いて来てくれるのがベストだった。
「そうか、お前がそう言うのなら一隻だけつけよう。だが、必ず戻って来いよ」
「……陛下が御望みとあれば」
セルピナはにっこりと微笑んだ。ビルジがそう望んでくれることは、セルピナとしてもとっても嬉しいことだったから。




