表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
277/354

密約 その3

 新年となれば(程度の違いこそあれ)どこの国でも祝いの宴を開くものだ。それはドルクだろうとモンゴーラだろうと変わらない。そして宴というのは、戦いを前にして兵の士気を高める効果もある。年末にアカンタレ・アッパースに到着したシロタクはそのまま足止めされてやきもきしていたが、ビルジが宴を開くというので主だった者を連れて彼のもとを訪れていた。

「ビルジ殿、新年おめでとうございます。出来ればドルクの都で新年を迎えたかったところですが。と、言っています」

シロタクとしては一刻も早く開戦して、ハサールの目を南に引きつける必要があった。そういった焦りが彼に皮肉を言わせていたのだ。だがビルジは逆だった。彼も攻勢が早まったことを喜んでいたが、彼が目標としているのはプラグやエフメトが動き出す前に中央平原を制圧する事であって、拙速に開戦することには慎重なのだ。

「はっはっは、シロタク殿は気が早いな。そんなに早いと女に嫌われるぞ。なぁ、セルピナ?」

セクハラである。ビルジの好色そうな視線が向けられるとセルピナは婉然と微笑んだ。

「おほほほ、それは女次第ですわ。女にも好みがありましてよ」

そう言って彼女は彼の杯に酒を注いだが、もちろん内心では「お前のは乱暴でネチっこいだけだろ、この下手くそが! サビーナは俺の方がずーーーっと気持ちいいって言ってたぞ!」と毒づいていた。ただし時間の長さについては敢えて触れなかったが。

「じゃあお前の好みはどっちなんだ?」

「もちろん乱暴で激しくて、それでいて長持ちする方ですわ。そうそう、他の人に見られながらするのも最高に興奮しますわね」

ビルジとシロタクはあんぐりと顎を落としたが、シロタクが呆れて眉を寄せた一方でビルジは大喜びした。

「さすがセルピナだ、物の道理を分かっている!」

「おほほほ、お褒めに預かり恐縮ですわ」

もちろんそれはビルジの性的嗜好を把握しているからこそ言えるリップサービスである。こうやってビルジに媚を売って気に入られたからこそ、ちゃっかり酌婦としてビルジの隣に紛れ込むことが出来ているのだ。

 しかしシロタクも煙に巻かれたまま黙っていられる状況ではない。彼はズバリ本題を切り出した。

「ところでビルジ殿、貴殿の軍はいつごろ到着されるのですか? と、言っています」

「さあ? たぶん今月中だろうなぁ」

随分と気のない返事にシロタクの頬がピクリと震えた。

「何ですと? じゃあ、攻め入るのはいつになるのですか? と、言っています」

「まあ、4月くらいだろうなぁ」

やっぱり気のない返答に、シロタクの額に血管が浮いた。

「何でだ!? 仮に兵が到着するのに1月かかったとしても、来月には攻め込めるではないか! と、言っています」

「今徴兵の手配をしているから、その兵士が集まってくるのにも時間がかかる。それに中央平原に行くにはザグレロス山脈を越えねばならん。雪に埋もれた峠を越えるのは大変だぞ?」

「…………」

ビルジは戦いにこそ疎いもののちゃんと合理的な判断の出来る男なのだ。思いの(ほか)ちゃんとした理由に、シロタクも冷静さを取り戻した。

「失礼した。いささか酔ったようだ。と、言っています」

「ははは、せっかくの宴だ。存分に飲まれるが良い。セルピナ、シロタク殿に酌をいたせ」

「うふふ、喜んで。さあ、一献どうぞ」

セルピナがしなだれかかるようにしながら酒器を掲げると、シロタクは大人しく盃を傾けた。

「う、うむ。かたじけない」

そしてセルピナはシロタクのさらに隣に黙って座っている中年男の脇に膝をついた。髭を生やしているので男臭い顔に見えるが、鼻筋といい目の色といいどことなくサビーナを思い出させる美中年だ。

「さあ、ティムル様もどうぞ」(カンザスフタン語)

うっそりと黙り込んでいたその男は、まさかカンザスフタン語で話しかけられるとは思わず目を見開いた。

「サビーナ様の事は残念です。お悔やみ申しあげますわ」(カンザスフタン語)

「……かたじけない」(カンザスフタン語)

そう言って盃を差し出した彼の微笑みは、やはりサビーナとそっくりだった。

――まったくモンゴーラも厄介な人選をしてくれるもんだ。よりによってサビーナの身内を選ぶとはな……

 ティムルはサビーナの母方の叔父で、半農半牧のアムリル族の族長だった。当然プラグの配下なのだが、ビルジの縁戚ということで援軍兼監視役としてシロタクに預けられているのだ。謂わば副将の副将という立場である。だが皮肉なことにサビーナの死去によってビルジとの縁は切れ、プラグとの関係も弱まってしまった。そんな彼だが、その軍勢は4万余りでしかも全て騎兵だった。数はシロタクの10倍、ビルジの軍の1/3に達し、純粋な戦力としてはこの連合軍で最大と言って良いだろう。

 だがそのティムルはこの戦いに何の価値も見出していなかった。目上の者が二人もいてはいかに戦功を上げようと横取りされてしまいかねない。かといってプラグに歯向かう気も毛頭ない。はしゃぐ理由はなく、一方でつい先日死んだばかりの姪のことが不憫でならなかった。何しろその夫であったビルジが妻のことを忘れたようにはしゃいでいて、しかも他の女にうつつを抜かしてるのだから。しかしそのセルピナだけがサビーナのことを悼んでくれていた。複雑な心境である。

「サビーナとは親しくされていたのか?」(カンザスフタン語)

「いえ、私がビルジ様の下に馳せ参じたのはごく最近のことですわ。ただ、淑やかで優しいお方だと聞いております。それに美しい方だったそうですね」(カンザスフタン語)

「そうか……アレは大人しい娘だったが、意外とそなたのような者と気が合ったかもしれぬなぁ」(カンザスフタン語)

「……残念ですわ」(カンザスフタン語)

セルカンはサビーネの死を悼んでくれる人が居ることが嬉しかったが、彼女の無事を伝える訳にもいかなかった。そのカードは重要な切り札としてまだ伏せておかねばならないのだから。


 2人がしんみりと話している間に、シロタクは再びビルジの説得にかかっていた。

「敵の数は少ないのだろう? 我々だけでも先行させて欲しい。騎馬なら峠も越えられよう。と、言っています」

「確かにバブルンまでは容易に進軍できるかもしれんが、歩兵無しでは攻略は覚束ないだろう? しかもこの時期には何も略奪出来る物がないぞ。食料はどうする? 家畜だって連れて来ていないのだろう?」

 ビルジの反論は的を射ていた。シロタクだって騎馬だけで出来る限界は知っていた。彼はハサールの地でそれを思い知らされていたのだ。だが彼はここで引っ込む訳にはいかない。だから彼は、仕方なく真の目的を明かした。

「何も出来なくていいのだ! 私は……ハサールが我がジョシ・ウルスに攻め込む前に、彼らの目をこちらに引き付けたいのだ! と、言っています」

「ほう……」

シロタクは目を細めた。ようやく彼好みの話になってきたのだ。この不安定な連合軍の主導権を手に入れる機会が、ひょっこりと目の前に転がってきたのである。

「なるほど、そういうことであれば急いだ方が良いかも知れぬな」

「おお、行っても良いのか!? と、言っています」

「とはいえ問題は食料だ。馬は草を食えば良いだろうが、人間はそうもいかん。はてさて、どうしたものかな……」

ビルジの視線はセルピナに向けられた。

 セルピナの基本方針としてはできるだけ攻撃を遅延させた方が良いのだが、どのみちテゲレス川東岸からは優先して住人を避難させているのだ。無人の地を占領されたところで困りはしないだろう。それに敵を分断できれば各個撃破の機会もあるかもしれない。

――ついでにビルジの海軍も殲滅できればこの街は丸裸になる。その時こそビルジを殺す好機だ! ペルージャは混乱し、先行したシロタクも引き返さざるを得なくなる。シロタクがここに居座っていると、その混乱すらあっさりと鎮圧されかねないからな。

セルピナは内心でほくそ笑みながらも、表面上は艶然と微笑んだ。

「あら、それなら私どもが運びますわ。テゲレス側の岸辺でよろしければ、どこなりとお運びいたします」

「……と、いうことだ。シロタク殿、どこが良いかな?」

シロタクは満面の笑みを浮かべて頭を下げた。

「ビルジ殿、セルピナ殿、感謝する! では早速出立の準備をしなくては! 場所は軍議の後にお伝えする! と、言っています」

シロタクはすぐさま立ち上がると、そのままそそくさと部屋を出て行ってしまった。どんだけ余裕が無いのだろうか。ビルジが言うように、本当にベッドでも早いのかもしれない。

「……では、私もこれで失礼する」(カンザスフタン語)

シロタクの副将であるティムルも腰を上げたが、今になってビルジが声をかけた。

「ティムル殿、待たれよ。……と、通訳してくれ、セルピナ」

彼は通訳を遠ざけると、セルピナとティムルだけを近づけた。

「先ほどサビーナの名前が聞こえた。何を話していたんだ、セルピナ?」

「……亡くなられて残念だと話していたのですわ」

ビルジは楽しそうに声を殺して笑った。

「くっくっくっく、そうか。それなら喜ぶがいい。サビーナは生きている」

「えっ!?」

セルピナはビルジがそれを明かしたことに驚きながらも、言われた通りティムルに通訳した。

「どういうことだ! ではサビーナはどこにいる!? と、言っていますわ」

「それは分からない。あいつは男と一緒に駆け落ちしたのだ」

それを聞いたセルピナとティムルは蒼白になった。それぞれ理由は違うのだが、その顔を見てビルジは満足そうにニヤリち笑った。

「分かるな? サビーナを死んだことにしたのは俺の温情だ。これが公になれば、俺以上にプラグ殿が恥をかくことになる。当然ながらお前とお前の部族には災が振りかかるだろうなぁ、ティムル殿」

「…………!」

サビーナの件が明らかになればビルジとて立場を悪くするというのに、より弱い立場にいて影響の大きいティムルを脅す材料に使っているのだ。ひょっとすると最初からそのつもりでサビーナの死を偽装したのかもかもしれない。ルビアを始末しないで実家に返そうとしたのも、サビーナの生存をプラグには秘密にしつつもティムルに教えようと考えたからかもしれない。

――ビルジめ……まさかこういう形でサビーナを利用してこようとは……!

セルピナが青ざめたままティムルに通訳すると、彼も愕然として言葉を失ってしまった。反論が出ないということは、この場合降伏に等しいだろう。これでティムルはビルジの思うがままである。

――くそっ! ビルジめ! ……と思ったが、俺としては困らないか。いや、それどころかもっと有効に利用できるか……?

「さあ、ティムル殿、シロタク殿がお待ちであろう」

余裕ありげに(うぞぶ)くビルジに無言で頭を下げると、ティムルは青い顔をしたまま去っていった。気の毒なことこの上ないが、セルピナはこの状況を利用して即興の芝居を始めることにした。

「では……あれはやはり本物のサビーナ様だったのかしら……?」

「なにっ!?」

ボソリと呟いた彼女の言葉にビルジが大きく目を見開いた。今度はビルジが驚く番だ。

「サビーナと会ったのか?」

「いえ、サビーナ様かどうかは知りませんが、報酬を貰って若い男女をバブルンに連れて行ったんですの。女性の方は盲目で細身の可愛らしい方でしたわ。この街に来てからサビーナ様の話を聞いて、まさかとは思っていたんですけど……」

シロタクの顔はみるみるうちに苦々しそうに歪んでいった。

「何か特徴は無かったか?」

「そういえば、右の乳房の下のところにホクロがありましたわね」

「……間違いない、サビーナだ。しかし……何でそれを知ってるんだ?」

セルピナはうっと言葉に詰まって視線を逸らした。即興の芝居にはこういう危険性があるのだ。

「……お、お風呂で見たからですわっ!」

女湯があるような船など世界中に何隻も無いだろうが、幸いにもビルジは不思議に思わなかったようだった。

「そうか。……で、男の方は?」

「惚れ惚れするほどのイケメンで女性に優しい紳士でしたわ。しかもアッチの方も強いようで、毎晩毎晩それはもう気持ちよさそうなサビーナ様の喘ぎ声が聞こえてきました。私もこんな状態でなければ一度くらい相手をしたいところでしたわぁ」

「…………」

シロタクは頬を引きつらせながら黙りこんだ。セルピナには彼の不機嫌が手に取るように分かった。

「おほほほ、冗談ですわ。本当は何だかボサッとした冴えない男でした。まあ、盲目の女性には男の容姿など関係ありませんしね。私にはビルジ様の方が全然良いですわぁ」

そう言って彼の胸にのの字を書くと、ビルジの機嫌はみるみる良くなった。

「そ、そうか……? まあ、俺ほどの男はそうそういないからなぁ」

下げて上げる、まさしく魔性の女である。中身は男だけど。

「でもサビーナ様はカンザスフタン語しか話せないようでしたからその男に聞いたのです。ドルク語を話せないのにバブルンに行ったら大変じゃないのかって。そしたら男の方がこう言っていたのです。

 『どうせすぐにドルクからも出て行く。その前に古アルビア語を覚えさせないとな』と」

「古アルビア語? ということは……スエーズか!」

ビルジは唇を噛み締めた。もともと黒幕はエフメト派かスエーズ王国しか無かった訳だが、これで黒幕がスエーズだと明らかになったのだ。考えてみればエフメトならビルジの暗殺を試みない訳がないだろう。スエーズの手先だったからこそエフメトとの抗争を狙ってビルジを生かしておいたのだろう。

――そうなると、わざわざサビーナを攫ったのは俺とプラグの間の確執を期待してのことか? だがそれならなぜヒンドゥラに直行しない? まずは俺とエフメトを争わせ、その後にプラグと争わせようというのか……? ちっ! 迂遠なことを!

彼女がひょっこりプラグの前に現れてビルジのした仕打ちを直訴したら、今度はビルジの立場が非常に拙いことになるだろう。スエーズが知恵を付けていれば、「ビルジに暗殺されそうだったから先に逃げた」とでも言うかもしれない。サビーナは二度と戻らないと思っていたからこその偽装だったが、そうなれば完全に裏目に出てしまう。

――そうなる前にサビーナを押さえねば……

「セルピナ、内々にサビーナの足取りを探せるか?」

「私の縄張りは海の上だけですが、(おか)にもそれなりの伝手はあります。そちらの方で探させますわ」

「頼んだぞ、お前だけが頼りだ」

ビルジの言葉を聞くと、セルピナは蕩けるような笑顔を見せた。まんまと思い通りになったのだから、その笑みは心からの物である。

「おほほほ、お任せ下さいな」

「出来れば生かして捕らえろ。男の方もな」

「えっ?」

ビルジは宙を見つめたままニヤリと笑った。

「タダでは殺さない。その前にまたあのジジイの目の前でサビーナを犯してやろう。いや、せっかくの機会だ。犯しながら殺すというのも一興だな……」

そうつぶやくビルジの瞳に狂気の影を見て、セルピナは初めてビルジに恐れを抱いた。

人名がややこしくなってきましたね……

いいかげん登場人物一覧を作らないとなぁ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ