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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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密約 その2

 新年を前にしてペルージャ地方最大の港湾都市アカンタレ・アッパースは大騒ぎになっていた。30隻を越える軍船が予告もなしに現れたのである。報告を聞いた太守は飛び上がって狼狽えた。

「か、海賊だ! セルピナを呼べ! いや、捕らえろ! 捕らえてここに連れて来るのだ!」

彼はその艦隊を、先日来この街に逗留している女海賊の仲間だと思ったのである。彼は袖の下を受け取って海賊船の入港許可を与えたが、こんなに大勢で押しかけることまでは許していなかった。この街にいた軍船も大半がビルジに連れて行かれ、残っているのは老朽艦が8隻だけだ。殲滅するどころか追い払うことすら叶わないだろう。

「あら、捕まえなくても呼んで下されば参りますわ」

ひょっこりと自分から現れた美女の顔を見て、太守は怒鳴りつけた。

「これはどういうことだ!」

「どうだと言われましても、あれはビルジ陛下の船団ですわ」

「何だとっ!?」

「先頭の船にビルジ陛下のお印があります。目の良い者ならこの屋敷からも見えますわ」

セルピナはそう言ったが、実のところ彼女(?)はイゾルテから貰った鏡式望遠鏡{ニュートン式望遠鏡}を使っただけだった。

「まさか! それはそれで拙いぞ……。急いで出迎えの用意をしなくては!」

ビルジの機嫌を損ねれば太守であってもあっさりと切り捨てられかねない。アカンタレ・アッパースはビルジを迎えるため、時ならぬ喧騒に満ちることとなった。


 ペルージャ地方は山岳地帯が多く川の間(メソポタミア)を含めた中央平原地帯の豊かさには程遠い地域だ。そのためもともと帝国直轄地としては幾つかの都市があるだけで、大小の諸侯領と半独立の属国(藩国)が十把一絡げにされてきた土地である。当然ビルジ不在の間も各諸侯が統治していた。と言ってもその諸侯とその家族とその兵力の大半はビルジに連れて行かれていたので、残ったのは僅かな家臣と兵だけだ。それでも大規模な反乱が起きなかったのは、自立するには名目も旗印も兵力も足りず、彼らはただその領地を維持するだけで汲々としていたからである。

 それにビルジが追われるように東に去ったためこのままエフメト派なりスエーズ軍に占領されるのだとも思われていて、今は単なる移行期間だと考えられていた。自然、これを糾合して第三勢力、いやスエーズ軍に続く第四勢力として自立しようとする者は現れず、むしろ治安の悪化に伴って刹那の利益を求める盗賊達が跋扈するようになっていた。人々はむしろ、エフメト派やスエーズ軍によって占領されることによって治安が安定することすら望み始めていたのだ。ビルジはそんな空気を読まずにひょっこり帰って来たのである。


「皇帝陛下におかれましては、ご機嫌麗しく祝着至極に存じます。このような侘びしい街にご行幸下さり、アカンタレ・アッパースの住人一同末代までの光栄でございます」

慌ててビルジを出迎えた太守だったが、当然ビルジは満足していなかった。

「出迎えご苦労と言いたいところだが、確かに随分と侘びしい出迎えだな?」

ビルジの皮肉に太守は冷や汗をかいた。

「そ、それは、陛下のご行幸が寝耳に水でございましたので……」

「なに? 何も聞いてないのか? 一ヶ月前に伝令を出したぞ!?」

「そう仰られましても……。その伝令は賊にでも襲われたのではないでしょうか」

悠長な返答にビルジはキレた。

「賊だと? それを取り締まるのもお前の仕事だろうがっ!」

しかしこの情勢下で太守をやっていられるだけあって、彼は只者ではなかった。

「残念ながら陛下が(◆◆◆)御留守にされている間にこのペルージャ地方全域(◆◆)は盗賊と海賊の跋扈する土地となってしまいました。小隊規模の兵が行方不明になることすらあるのです。早馬の(たぐい)など格好の餌食です。しかし陛下が御帰還遊ばされたからにはすぐにでも平和になることでしょう!」

治安が悪いのはペルージャ地方全体の問題だから自分のせいじゃないと責任を回避しつつ、さりげなくビルジの責任を追求し、しかし最後にはそのビルジをヨイショしたのである。保身のための高等技術だ。流れるようにそうまくし立てられると、さすがのビルジもそれ以上責めることは出来なかった。

「……そうか。それなら今直接伝えよう。余は帝都奪還の兵を起こした。もうじき13万の兵とモンゴーラからの援軍がここに到着する」

「それは……おめでとうございます」

「それに加えて新たに7万人徴募するように伝令を出したのだ。それとモンゴーラ兵が5万くらい来るそうだから、25万の糧食の準備も必要だな」

「…………」

太守は全然嬉しくなかった。スエーズ軍がやって来るまで私腹を肥やし、やって来たらやって来たでいかに高く売りつけようかと考えていたのだ。今更戦いに協力しろと言われても困るところである。


 ペルージャ全域の人口はおよそ350万だ。諸侯の兵は平時でも倍の14万はいただろう。しかしハサール方面への出兵、エフメト派との内戦、ヒンドゥラ方面への出兵と戦い続きで、何度も何度も徴兵を行った結果町や村の男は半減してしまった。しかも敗戦や脱走によって軍を離れた兵士が山賊化し、彼らによって殺された者も数知れない。今ここで諸侯(の代官)からなけなしの兵を取り上げれば、ペルージャ全域は完全に無法の地となるだろう。ペルージャ湾から海軍が消えた後に海賊が蔓延(はびこ)ったのと同じ構図である。だが更に厄介なのは、盗賊や山賊は船がなくても出来るということだ。折角集めた兵士たちもビルジに不満を持って脱走し、故郷にも帰れないまま新たな盗賊となるのだ。悪夢のサイクルである。

――この方はそれも理解していないのか? いや、そうじゃないな。この方は政治だって理解できるお方だ。ただただペルージャの民の事などどうでもいいのだ!

人口1000万を越える中央平原が手に入るならペルージャ地方を犠牲にしても構わないのだろう。太守にもその考えは理解できた。彼も同じ穴のムジナなのだから……

「なるほど、そういうことでしたらこちらで取り計らいます。ところで補給物資の方はどのような手はずに? それもこちらで徴収致しましょうか?」

人と物が動く時には金も動くものだ。大金が動けば大金をピンはね出来る。金さえ手に入れば、集めた人と物がどうなろうと知ったことではなかった。

「うむ、そうだな。中央平原に入れば現地で調達すればいいが、そこまでの手配は必要だ。細かいことはマフズンと打ち合わせてくれ」

「ははっ! 畏まりました!」

太守はしおらしく頭を下げた。

――この人が勝とうと負けようとペルージャ地方は終わりだ。勝ち馬乗ってバスターかサナポリの太守になれれば御の字、負けた時には海賊の伝手を頼って北アフルークにでも逃れればいい。いずれにせよ最後のひと稼ぎをしないとな。

彼がセルピナに入港許可を与えたのも、貢物が欲しかっただけではなくて退路を考えての布石だったのだ。


「あら、でしたら私にも協力させて頂けませんか?」

そう言って二人に歩み寄って来たのはまさにそのセルピナだった。

「こ、こら、セルピナ! 皇帝陛下の御前で失礼だろう!」

「失礼いたしました。ビルジ陛下の御力になりたいとの一心で、思わず声をおかけしてしまいました」

殊勝な言葉とは裏腹に妖艶に微笑んだまま蠱惑的な瞳を逸らさない美女に、ビルジは好奇心をそそられた。

「セルピナとやら、許す。お前は何者だ? どう力になれるというのだ?」

彼はそういいながらも鼻の下を伸ばしていた。こういうシチュエーションで在地の有力者が美女を差し出してきたら、どのように力になってくれるかは明らかである。

――なかなか色っぽい女ではないか。サビーナがいなくなってから具合の良い女がいなかったから調度良いな。

セルピナは優雅に一礼すると、すすっとビルジに擦り寄った。香水の甘い匂いが鼻をくすぐり、ビルジはますます鼻の下を伸ばした。

「私は海賊ですわ。ペルージャ湾は支配下にあります。私なら物資兵員の輸送で陛下の御力になれると思いますわ」

「……え?」

その答えにビルジの目は点になった。

「陛下の再征服をお助けする見返りに、私どもの地位を公的に認めて頂きたいのですわ」

「……なるほど」

それは予想出来ない回答だったが、理解出来ない答えではなかった。魚心あれば水心あり、人は利を求めて動くものだ。相手がどんな利益を求めているのかはっきりしていれば、その範囲の中でに限っては誰よりも信頼できる。お互いの利益が対立すれば自分の求める物を隠して駆け引きをする必要もあるが、今回はその必要もないだろう。いずれ誰かに命じて制圧する必要があるのだから、既に制圧している者が味方になるというのを拒む理由はないのだから。

「良かろう、幾つか港町もくれてやる。働きによってバスターの街をくれてやってもいいぞ。だが……」

ビルジは鼻先が触れそうなほどに彼女に顔を寄せた。

「まだお前を信頼出来ない。女が男の信頼を得るためにどうすればいいのか、分からぬ訳でもあるまい?」

彼はそう言ってセルピナの襟元に指をかけた。彼がどういう意図でそんなことを言っているのか、もちろんセルピナも理解していた。

――やっぱりそうきやがったか、このスケベが!

セルピナは内心毒づきながらも妖艶な笑みを崩さず、彼の手を両手で包み込んだ。

「もちろんですわ。陛下のお情けを賜われることを光栄に存じます。

 でも、それは三月ほど待っていただかなくてはなりませんわ」

「余を待たせて気を持たせようというのか? ダメだ、今宵にでも伽をいたせ」

「ですが、それでは陛下のお命が危のうございます」

「危ないだと? 大した自信があるようだな! そんなに凄いのか?」

ビルジは期待に胸を膨らませてふたたび鼻の下を伸ばした。しかしその返答もまたまた予想もしないものだった。

「はい、感染するとまずはあそこが痒くなり、用を足す度に激痛が走るようになります。それでいて性欲は収まりませんから欲求不満に陥り、勃起しては悶え苦しみ、落ち着けばまた勃起するという悪夢のような症状に陥ります。そして最悪の場合、ナニが腐り落ち、尿管から毒が回って死に至ります」

「……え? い、いったい何の話だ?」

「ですから、私が罹患(りかん)しているかもしれない病気の話です。先代の頭目はこの病気で死にました」

「なっ……!?」

ビルジは彼女の手を振り払うと慌てて5歩ほど後ずり、両手を服に擦り付けた。

「おほほほ、大丈夫ですわ。医者の話では体液(◆◆)が交わらねば伝染(うつ)らないそうです」

「そ、そうか……」

ビルジはほっと溜息を吐いたがその顔は未だ青ざめていて、少々薬が効きすぎたようだった。このままでは拙いと思ったセルピナは、再び妖艶な笑みを浮かべて品を作った。

「それと、後3ヶ月経っても発病しなければ大丈夫だということです。その折には決して陛下をガッカリさせませんし、飽きさせませんわ。

 先代の頭目はそれはそれは度の過ぎた女好きのド変態で、私もいろんな技を仕込まれましたの。あんなことも、こーんなこともして差し上げますわ!」

セルピナが悶えるように自分の身体を撫で回しながらそう言うと、ビルジは再び鼻の下を伸ばした。

「そ、そうか?」

「ですからそれまでは、他の事でお役に立たせて頂きますわ。ペルージャ湾に関することなら何なりとお言いつけ下さい」

「良かろう。モンゴーラ軍が着いたらお前も軍議に参加しろ」

「ありがとうございます」

セルピナは胸の谷間を強調しつつ腰を折ると、その伏せた顔をニヤリと歪めた。

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