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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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警報 その2

遅くなってすみません

 年末を控えた12月20日、ルキウスは未だにペルセポリスへの帰路の途上にあった。ソッチから方舟でドルクの港町サムセンに渡り、そこから街道にそって一路西へと向かっていたのだ。長年の仇敵ドルク国内を750ミルムも踏破する危険な旅路にも思えるが、それだけに意味があった。プレセンティナ軍に外征能力があることを示し、その威容で以って二度と攻め込もうと思わないように釘を刺す示威行動でもあるのだ。とはいえ、その旅路は緊張を孕んだものではなかった。ニルファルとハサール兵が彼らに同行していたのである。既にその陸路は2/3を過ぎており、西のペルセポリス方面までは残り250ミルム、そして南の臨時首都アイコラまではわずか100ミルムの地点で野営をしていた。

 その晩ニルファルはルキウスの移動指揮車に乗り込んで一緒にお茶を飲んでいた。彼女が移動指揮車に押しかけてきたのである。彼女はキョロキョロと落ち着きなく車内を見回していた。

「これはイゾルテの乗っていた物か?」

「ああ、本人はスエーズで新しいのを作って使っているそうだ。だがそのおかげで、私はベッドが小さくて寝返りもうてないほどだが」

彼は冗談のつもりで口にしたのだが、言ってから後悔して顔を顰めた。

――若い女性と密室にいるというのに、ベッドの見える所でベッドの話題を出してどうする! まるで誘っているみたいではないか!

だがそのニルファルも胸元のゆるいゆったりとした服を着ていて、まるで誘惑しているようである。鎧を着ていた時は無理に押さえ込んでいた胸も、今では身体を動かす度にたぷんたぷんと揺れている。恐らくはノーブラだ。授乳期だから胸が張るのかもしれないが、そんなのを見せつけられたら男の方も違うところが張ってしまうではないか! 再婚するまで長く女人を断っていたことになっているルキウスだが、実のところ定期的にリーヴィアとコソコソと逢瀬を続けていたのであって、こんなに長く禁欲しているのは10年ぶりくらいである。たとえ目の前に居るのが同盟国の皇妃だろうと、さらには娘の友人であろうとも、どうしても異性として意識してしまうのが健康な中年男の(せい)であり(さが)である。だが彼女にはそれがまるで分かっていないようだった。

「そうだろうなぁ。風呂も小さいから2人で入った時には身動きも出来なかったし」

「ぶふぅぉっ!」

何気なく呟いたニルファルの言葉にルキウスは盛大にお茶を吹いた。

「ゴホッ、ゴホゴホッ!」

「だっ、大丈夫ですか! ああ、服がお茶でビショビショです。すぐに脱いで下さい!」

服を脱がされそうになったルキウスは慌てて飛び上がった。

「わ、若い女性の前で服など脱げるか! お前は黙ってニルファル殿の胸でも見ていればいいのだ、ズスタス(◆◆◆◆)!」

 ルキウスを脱がせようとしたのはズスタスだった。ニルファルと二人っきりにならないために呼びつけて同席させたのだが、ドルク語が分からない彼は無言のままずっとニルファルのおっぱいを見つめていたのである。それがルキウスがむせた途端に、媚びを売ろうと飛びついたのだ。

「ごっ、誤解です! 余がここにいるのは叔父上のためです! 叔父上しか目に入りません!」

それは明らかに嘘だったが、嘘だと分かっていても気持ち悪かった。同性愛者じゃなくて両性愛者なのだと分かっていても、気持ち悪いものは気持ち悪いのだ。ルキウスは無言で一歩下がった。ちょっと窮屈になっていた彼のズボンも、今のですっかり動きやすくなっていた。だが今度はニルファルが彼のシャツを掴んだ。

「ルキウス殿、脱いだ方がいいぞ。この季節に濡れたままでいたら風邪をひいてしまう」

 ニルファルの身長はリーヴィアやイゾルテよりも高かったが、それでも160cm程度だ。シャツのボタンと格闘していると、その緩やかな胸元から魅惑の谷間が顕になり、(かぐわ)しい匂いが漂ってきた。……長旅で体臭がきついのだ。ルキウスだけは毎日風呂に入っていたので余計にきつく感じた。しかし女の手でシャツを脱がされる感覚は、これでなかなか悪いものではない。最近は従卒(当然♂)に着替えを手伝ってもらっているので、感動も一入(ひとしお)である。

「せっかくだから風呂に入ったらどうだ? イゾルテのお返しに私が身体を洗ってやろうか?」

そう言って彼女の手がベルトに伸びた時、ルキウスはうっかり頷きそうになった。

「いやいや、服を着替えるだけで十分だ!」

彼は控えの間に飛び込むとクローゼットの中に閉じこもった。

「惜しかった……。いや、危なかったんだ! リーヴィアやイゾルテに怒られるのはもちろん、あやうくドルクと戦争になるところだった……」

不倫で滅ぶのは古代のトロロイヤ市だけで十分だ。いくらルキウスがトロロイヤ市の王族の末裔(注1)だと言っても、一時の気の迷いで国を滅ぼす訳にはいかない。それくらいならズスタスを相手にした方がマシだ。ついでにいうと、ズスタスも相手にしない方が遥かにマシである。

「……拙い。あの2人だけにしておくのはあまりにも拙い」

ルキウスの監視下でその甥が人妻に手を出したら、ルキウスの責任にされてしまうだろう。エフメトにも、イゾルテにも。彼は慌ててシャツを着替えると二人のもとに戻った。

「やあ、待たせ……」

ルキウスはにこやかに声をかけようとしたが、皆まで言う前に凍りついた。ニルファルが自分の胸元に手を突っ込んでゴソゴソとしていて、ズスタスはそれをかぶりつくようにして見ていたのだ。

「……何をしている?」

だがこの決定的に破廉恥な状況でもニルファルは悪びれなかった。

「この男が見たそうにしているから見せてやろうと思って」

「だっ、駄目だ! 人妻がそんな事しちゃいかん! ……独身でもダメだが」

ルキウスは叱りつけたが、ちょっとばかり迫力には欠けた。だって彼も見たいのだ! 中年の(せい)(さが)である。だがそのせいか、やっぱりニルファルは悪びれなかった。

「そうかな? まあ、確かに大ぴらに見せる物じゃないが、イゾルテの父上と従兄弟になら見せても構わんと思う」

とんでもない倫理観である。彼女がこんなに破廉恥なのはハサールの風習のせいだろうか? それともドルクの文化のせいだろうか? というか、相手がイゾルテ本人だったらどこまでOKなのだろうか? 一緒に風呂に入るくらいなのだから、きっと……。ルキウスはゴクリと唾を飲み込んだ。

「……まあ、み、見るだけなら……」

中年の(せい)(さが)である。彼の合意のもと、彼女はついにその緩やかな襟元からそのお宝を露わにした。

「…………」

「…………」

ルキウスとズスタスの目は釘付けとなり、二人は言葉を失った。

「なんなら……触ってみてもいいぞ? イゾルテの父上殿は特別だからな」

「そ、そうか。じゃあ、遠慮無く……」

ルキウスはおずおずと手を伸ばすと、それを手に取った。それは想像以上に立派でズシリと重かった

「あっ……!」

ニルファルが声を上げると彼は慌てて手を引っ込めた。彼女の重くて立派なネックレス(◆◆◆◆◆)から。

「そういえば、父上の形見をまだ付けていなかった!」

ルキウスはイゾルテから聞いていた話を思い出した。死んだ者達の墓代わりであり、いずれ彼女の墓代わりとして家族に形見分けされるものだ。彼女にとってはとても大切な物なのだろう。

――彼女が我々に見せたがったのは、ブラヌ殿を悼んでくれると思ったからなのだな。

ルキウスは彼女がおっぱいを見せようとしているなどと誤解したことを恥じた。そして誤解だったことにがっかりもした。命拾いもしたけど。

「ニルファル殿、申し訳なかった」

「何がだ?」

「だから、そなたのおっ……」

「おっ?」

「おっ……ちち……そう、おっ父上だ! 彼の弔いのためにも一度本国に戻りたかっただろうに、我々に付き合わせてしまった」

「そんなことか。私はドルクに嫁いだ身。いずれ我が子にハサールの草原を見せたいとは思っているが、今はその時ではない。それに父上はいつもここにいて下さる」

彼女はそっと胸を押さえた。その様子を見たルキウスは優しげに目を細めた。彼女の心の中では今でもブラヌが生きているのだ。父と娘の絆は人種・民族を問わず、かくも強く断ちがたい物なのだ。例えそれが死であっても。きっとルキウスが死んでも、イゾルテやテオドーラは同じことを言ってくれるだろう。

「そうだな。父親とはいつまでも娘を幼子のように心配するものだ。どんなに立派に育とうと……。

 きっとブラヌ殿の魂もニルファル殿を見守るためにその心の内に宿っておられるのだろう」

「心の内……? あっ、父上はこっちだった」

彼女はお尻のポケットから小さな革袋を取り出すと胸の前で握り締めた。

「父上はいつもここにいて下さる!」

「…………」

形見があるというのも良し悪しである。あと、せめて胸ポケットとかに入れておいて欲しかった。父の愛は一方通行なのかもしれない。ルキウスはにっこりしたまま目を潤ませた。


 コンコンとドアがノックされ、従卒の声がかかった。

「ルキウス陛下、エフメト皇子の御使者が参られました」

ルキウスは外に出ようかと思ったが、二人を残しておくのはやっぱり心配だった。それにニルファルはエフメトの妻だし、ズスタスはドルク語が分からないのだから、ここで話を聞いても問題ないだろう。

「ここに通してくれ」

「はっ」

やがてやって来たのは人の良さそうな若者で、彼の顔を見たとたんニルファルは飛び上がって喜んだ。

「ハシム殿ではないか! 息災のようで何よりだ。エフメトはどうしている?」

「はい、殿下も元気ですよ。例の戦いで怪我はしましたが、今では五体(◆◆)満足です」

六体目は未だに満足に機能していなかったが、ニルファルにとってはその方が浮気の心配が無くて都合がいいだろう。

「ハシム殿とやら、それで一体何の用だ?」

「失礼しました。私はエフメト皇子にお仕えするハシムと申します」

「ハシム殿の母上がエフメトに乳をしゃぶらせていたのだ」

なんだか卑猥な関係のようだった。

「……乳母と言って下さい」

ハシムがガックリを肩を落とすのを見て、ルキウスは内心で唸った。

――ほう、ということはこの若者がエフメトの乳兄弟でもあるコルクト・パシャか。

聞けば彼の父親はエフメトの宰相として臨時の政府を切り盛りしているという。新生ドルクの未来を占う上で、ある意味エフメト本人よりも重要な人物かもしれない。

「実は潜入していた密偵から情報が伝えられてきました。匈奴の侵攻が早まりそうです」

「なに? イゾルテは知っているのか!?」

「スエーズ軍には伝えましたので、恐らくはご存知かと。予定を前倒して避難を誘導していますが、現状では十分とは言えない様子です」

「…………」

それは、多くの無辜のドルク人が匈奴軍の前に蹂躙されるということを意味していた。ルキウスにとっては他人事だが、彼にとっても深刻な問題を孕んでいた。

――中央平原に住まう全てのドルク人を助けることはもともと不可能だった。そもそもペルージャ地方の人々は最初から諦めているのだ。あとは犠牲をどこまで許容できるのかという問題に過ぎない。分かっているはずだ。イゾルテは、きっと理解しているはずだ。

それでも一抹の不安が拭い切れないのがイゾルテだ。いや、問題はルキウスだろうか。父親にとっては娘はいつまでも幼子のように心配なのだ。

「具体的な規模や時期は分かっているのか?」

「いえ。ただし今回はヒンドゥラ王国を倒したプラグの軍は動かないようです。ビルジとプラグとは別の集団だそうです」

「別の集団? ツーカ帝国を倒したという奴か? それはまずいな……」

ツーカ帝国を倒すほどの相手ならどう少なく見積もっても10万単位の援軍だろう。東の果てを征したがために、ツーカ帝国の兵を派遣するところが無くて援軍に出したのかもしれない。そう考えると100万近い軍勢ということも(あなが)ちあり得ないことではない。本国においておけば内乱のもとになりかねないのだから。

「詳しくは分からないのですが、応援に来たのはジョシ・ウルスのシロタクとかいう者だそうで……」

ハシムがその名を口にした途端、それまで黙っていたニルファルが突然立ち上がった。

「シロタクだとっ!? ぐぬぬぬ、おのれ変態シロタクめ! 私をあれほど苦しめただけでは飽きたらず、エフメトの国まで犯そうと言うのか!」

「えっ? 奥方様はシロタクを知っているのですか?」

「知っているも何も私を縛って乱暴した変態だ! 私は10日近くも泣いて過ごしたのだぞ!」

「「…………!」」

衝撃的な告白にルキウスとハシムは蒼白になった。そしてふつふつと怒りが湧いてきた。戦場ではよくあることだが、だからといって主君の妻を、娘の友人を弄ばれて平気でいられようか!

「犯される前に逃げられたから良かったものの、毒を仕掛けておいた泉の水を逃走中に飲んでしまったのは、まさしくアイツのせいだ! あの下痢と便秘に苦しんだ10日間は生涯決して忘れない!」

「「…………」」

ルキウスとハシムの顔色は戻った。逆恨みもいいところだ。しかしニルファルの怒りはまだ収まらないようだった。

「ぶん殴って気絶させて縛り付け、尻にろうそくをねじ込んだ上にもう一発殴って気絶させたくらいでは割にあわないぞぉー!」

「「…………」」

ルキウスとハシムの顔色は再び青くなった。なんでシロタクがドルクに攻め込もうとしているのか、二人は分かるような気がした。

「と、ともかくハサールで撃退したモンゴーラ軍の敗残兵ということだな。まさかこの短期間で再び攻撃に出るとは思わなかったが、数としては数万に過ぎないはずだ!」

「そ、それは良いニュースですね!」

二人はニルファルから目を背けた。ニルファルが余計なことをしなければ攻勢が早まることは無かったんじゃないかという疑問からも目を背けた。それを追求した所で誰も幸せにはなれないのだ。そして二人は互いを信じられる男だと評価した。

「それで、エフメト殿はどうするつもりなのだ?」

「計画通り防衛の準備をしています。ただしビルジが主敵である以上、攻撃の矛先はスエーズではなく我らに向くものと考えています。敵の数は少なくとも攻撃は返って激しくなるかもしれません。

 敵を撃退するのは我らがやりますが、プレセンティナが同盟関係にあることを示すため幾らか部隊を派遣して頂きたいのです」

エフメト派の防備が盤石であることを示せなければ敵をスエーズに誘導することは出来ないのだから、ルキウスとしても協力するに(やぶさ)かではなかった。

「なるほど、了解した。他は計画通りなのか?」

「スエーズまで逃げる時間的余裕が無くなったことで、多くの民がユーロフラテンス川を遡上するかたちで北部を目指しています。この対応にもあたっています」

「難民か……」

 ドルク北部の山がちな土地で細々と畑を耕す人々を目の当たりにしていたルキウスは、そこに何百万もの人々を受け入れる余地があるのか疑問だった。もちろんエフメトやハシムは何らかの手を打っていたはずだが、それは春以降の予定だったはずでもある。これから冬本番を迎えようとしているこの時期に、宿舎も無く冬を越せるのだろうか。

――だが私に出来ることなど多くはない。幾らか食料を融通するくらいが関の山だ。

多くの犠牲者が出ることは分かっていたことだ。そして自分には何もできないことも分かっていた。だがその時ルキウスは思い出した。スエーズがドルク難民を受け入れたということを。

――我らプレセンティナ人にとってドルクは仇敵だ。彼らのせいで国土のほとんどを奪われ、多くの民を失った。私の指揮の下で死んだ者も数知れない! だがそれは、アルテムスにとってのハサールも同じことだ。だが彼らは受け入れた。それは何故か? もちろんイゾルテだ!

アルテムスの人々はイゾルテのためを思い、彼女のために働こうとハサールまで付いてきたのだ。ハサールの避難民を受け入れたのもその一環だ。だというのに、イゾルテの父親であるルキウスが何もしなくて良いのだろうか?

――良い訳があるか!

彼は娘が誇りに思う父親でありたかった。要するに我侭である。

「コルクト・パシャ、我が国は200万の農民を受け入れよう」

「…………!」

突然の宣言にハシムは目を丸くした。プレセンティナ帝国の人口は100万人に過ぎないのだ。

「昨年アルテムスの難民たちが開拓した耕地と、貴国から割譲されたアルーア大陸側の土地がある。なんとかなるだろう」

「ルキウス陛下……」

 その膨大な数といいドルク人を受け入れることといい、ハシムには想像することもできなかった提案だった。奴隷にして外国に売りつけるつもりなのではないかと疑うのが当然であり、そうだとしてもハシムは非難できない立場だった。野垂れ死ぬよりは奴隷として生き長らえることの方が幾らかマシなのだ。それは不自由なく育った彼に言えることではないが、スラムで育ったテュレイやセルカンでもきっとそう言うはずだと確信が持てた。彼らは地を這ってでも生き延びろと言うだろう。だがルキウスの穏やかな顔を見て、彼に難民を虐げる意志はないのだと何故か確信が持てた。

「ありがとうございます。この国の民を代表して、御礼を申し上げます」

「この地で難民が暴動でも起こせばモンゴーラは我が国まで攻めてくるだろう。それを防ぐためだ」

それが言い訳に過ぎないことはハシムにも分かった。これまでの先代ウラト2世の世であれば、邪魔な難民など皆殺しにして遺体を川に流したことだろう。かつてセルカンに指摘されたように、エフメトもそうするかもしれない。そうであれば暴動など起こりようはずもなく、ルキウスが心配するような事にはならないはずなのだ。彼はただ助けたくて助けると言ってくれているのである。照れ隠しである。ツンデレである。ハシムは胸が温かくなる思いだった。

「先日バブルンでイゾルテ陛下とお会いしましたが、彼女といいあなたといい本当にお人好しですね。こう言ってはなんですが、いささか呆れるほどです。さすがは親子ですね」

「…………」

ルキウスが驚いて黙りこむのを見て、ハシムはさすがに軽口が過ぎたかと口を閉じた。だがルキウスは意外にも嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑んだ。

「……今まで聞いたどんな美辞麗句より、その言葉が一番嬉しいな。ありがとう」

彼の瞳が潤んでいるのを見てハシムは戸惑った。娘と似ていると言われたことがそんなに嬉しいのだろうか? だがそこに嘘は見えなかった。まだ人の子の親になったことのないハシムには想像もつかないことだったが、彼にも一つだけ確信できた事があった。

「またイゾルテ陛下にお会いしたら、同じことを申し上げましょう。そしたらきっと、イゾルテ陛下も同じように喜ばれるでしょうね」

「ああ、きっとそうだろうな!」

ルキウスは破顔した。ハシムが確信した通り、それが最もルキウスを喜ばせる言葉だったのだ。これでルキウスは彼を心から信頼することになるだろう。だがハシムは彼の笑顔を見て重大な問題が潜んでいたことにも気付かざるを得なかった。

――問題は、僕もこの親子を憎めなくなってしまった事だな……

いつの間にかハシムも社交辞令を忘れ、自然に口元を綻ばせていた。


 翌日、デキムスは比較的部品損耗の少ない第二、第三大隊を率いて一行を離れ、ハシムと共にアイコラへと向かった。半千年対立し続けた両国が、仮とはいえ首都に相手の軍を招き入れる歴史的な出来事のはずだった。だが大きな歴史のうねりの中で生きる人々にとってはそれすらも取るに足らない事であった。

注1 トロロイヤ=トロイア 木馬の置き土産を何故か城内に入れたうっかりさんたちの街です。

既出ですが、ローマの名門ユリウス氏族(カエサルやアウグストゥスの一族)はトロイアの王族でアプロディーテの息子でもあるアイネイアースということになっています。神の血を引いているということで家格を上げたかった訳ですね。

まあユリウス・クラウディウス朝ですらことごとく子供に帝位を継がせることに失敗してますが。でもなんやかやでありがたがられますからユリウス氏族の血は多くの皇帝に流れていると思います。……たぶん。

ひょっこり皇帝になった人は名門の女性と結婚したがりますしね。

でも、よりによってなんでアプロディーテなんでしょう?

黄金のりんごが欲しいばかりに愛人の甥っ子に人妻をあてがった性悪女です。

更にはヘーパイストスと無理やり結婚させられ、それが不満でマルスと浮気して旦那に見つかり、××(チョメチョメ)しているところを家族全員に見られるという元祖リベンジポルノをされた女神ですよ?

何が悲しゅうて彼女を(というかその子孫を)選んだのでしょうか……

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