アル・ジャジーラ その1
ロンギヌスは娘達の顔を思い浮かべた。可愛い可愛い娘達だ。一年前まではすぐ隣にいたのに1000ミルム近く離れたローダスに赴任し、半年前にはスエーズに連れて行かれて、今ではは地の果てとも言えるアルビア半島の南端を旅していた。2ヶ月かかって今ようやく2000ミルムに及ぶアルビア海沿岸の真ん中、港町サラランまで来たところだ。
平の衛士から小隊長になれると聞いてローダス行きを志願したのが全ての間違いだった。おかげで今では近衛中隊長だ。何ということだろう! これでは彼とのコネを作るために若い男たちが娘達に近づくかもしれない。彼が帰国する時、娘達が男連れで迎えに来たらどうしようか?
「駄目だ駄目だ! 父さんは許さないぞ!」
突然宙に向かって叫んだロンギヌスに、部下が心配そうに声を掛けた。
「中隊長、何を許さないんですか?」
「……えーと、ここで諦めてはいけないと、自分を叱咤していたんだ」
「ああ、お父上ならそんな自分を許さないはずだってことですね。どっちかというと陛下の方が許してくれなさそうですけど……」
「……そうだな」
ロンギヌスは胃を押さえた。これからまた胃の痛くなる仕事が待っているのだ。
彼はバールとイゾルテの信任状を携えて、地の果てとも思えるアルビア半島を旅していた。アルビア諸侯に現状を説明し、戦いへの協力と難民の受け入れを求めるためである。しかし、どの諸侯の反応は芳しくなかった。サラランの領主も同じだった。
「ここは"アルビア地域"(注1)だ。外のことは関係ないわい」
「外とはおっしゃいますが、スエーズ王国はムスリカ帝国の末裔です。アルビア発祥ですよ?」
「だがスエーズ生まれのスエーズ育ちだ。我々には関係ないわい」
マムルーク達はスエーズ以外で生まれ育った奴隷上がりなのだが、ロンギヌスにはそれを言わないだけの知性くらいはあった。
「しかし放っておけば遠からずここも征服されてしまいます!」
「今もドルクに征服されとる」
「いや、そういうレベルの相手じゃないんですってば!」
「何れにせよ、お主を信じる根拠が無いわ」
「いえ、ですからイゾルテ陛下とバール陛下の信任状が……」
「どっちも聞いたことないのう」
「…………」
「なあ、もう帰ってくれんか?」
こうやってどの諸侯もまるで聞く耳を持たない様子で彼を追い返すのだ。
追い返されたロンギヌスはキリキリと痛む胃を押さえた。
――どうやって説得しろって言うんだ。そもそも私は衛士に過ぎなかったのに……
せめて愛する娘達でも思い浮かべてほっこりしたくなっても仕方ないだろう。……余計に胃が痛くなるけど。だが更に胃の痛くなる事態が彼を待っていた。食料の買い出しに行かせた部下が叫びながら走って来たのだ。
「中隊長! 大変です!」
「何だ? 海賊でも現れたのか?」
今彼が一番怖いのはユイアト海賊団の頭目だった。
「違います! 海軍です!」
「……そりゃあ、どこの領主だって船の一隻や二隻は持ってるだろう」
「そうじゃなくて我が国のです! 獅子の旗を掲げてます! 大艦隊ですよ!」
「何だって!?」
ロンギヌスは慌てて港に駆け出した。
彼が着いた時には、既に多くの人々が港に押し寄せていた。沖合を埋め尽くす50以上の大型船も圧巻だったが、入港しようと近づいてきた帆船は他を圧倒していた。
「ゲルトルート号じゃないか!」
ロンギヌスが海軍に所属したことは一度もなかったが、その姿を知らないものはペルセポリス市民には一人もいない。ローダスの救援のために出港したこの船を、そしてそのマストの上で黄金の髪を靡かせていたイゾルテを、彼も埠頭から見ていた。彼はその時のことを思い出し、ついでにイゾルテのことも思い出して、再び胃を押さえた。だが幸いというか当然というか、この艦隊を率いていたのはイゾルテではなかった。白髪の老人である。
「ムルクス提督!」
ゲルトルート号が接岸して彼が降り来ると、ロンギヌスは駆け寄った。
「君は……確か一度どこかでお会いしましたね」
「はっ! 近衛中隊長ガイウス・ロンギヌスです。イゾルテ陛下の護衛としてサナポリに参りました折、御顔を拝見しました」
「ああ、あの時の……。お元気ですか?」
「はっ! 自分は至って元気であります」
ムルクスは嬉しそうに一層目を細めた。
「何を言っているんですか? イゾルテ陛下のことを聞いてるんですよ?」
彼の表情とは裏腹にその声は妙に低く鋭かった。ロンギヌスは本能的に危険を察知して姿勢を正した。
「し、失礼しました! えーと、二ヶ月ほど前には元気でいらっしゃいました!」
「……ここにはいらっしゃらないのですか?」
「はい、私は陛下の使者としてこのアルビア半島の諸侯を東から順番に訪ねているのです」
「なるほど、そういうことですか……。しかし姫様にも困ったものです。いくら同盟を結んでいるとはいえ、スエーズ軍の只中で護衛責任者を他所へ派遣するとは」
「え?」
「確かにバール陛下は信用に足る人物かもしれませんが、スエーズ軍の兵士一人一人までは分かりません。それにドルクの治安も大変乱れています。これから向かうペルージャ湾も海賊で溢れているそうではないですか」
「…………」
――そうか、提督はイゾルテ陛下がバブルンにいると思ってるのか。まさか陛下自身がその海賊をやってるとは想像もしてないんだろうなぁ。
ムルクスを呼びつけたのはイゾルテなのだろうが、そのイゾルテも彼に全てを明かしている訳ではないようだ。というか、きっと思いつきで海賊をやっているのだろう。
――ということはそれを知った時、提督の八つ当たりは私に向かうのではないだろうか……?
ロンギヌスは冷や汗を垂らした。
「そうですねでもムルクス提督が行かれるのなら安心です私はまだ西に行かねばなりませんので失礼しますでわっ!」
彼はくるりと後ろを向いて立ち去ろうとしたが、ムルクスはその肩をガシリと掴んだ。
「その必要はありませんよ。すでに私が諸侯の協力を取り付けてあります」
「……え? なんで提督が?」
「もちろんイゾルテ陛下の御命令です」
あっさりとそう言われ、ロンギヌスは愕然とした。
――じゃあ、私の苦労は何だったんだ……
だが彼にトドメを刺したのは次の言葉だった。
「陛下の御意向をお伝えしたら、諸侯は喜んで協力を申し出てくれました」
「……ホントに?」
「ええ、二つ返事でしたよ。陛下の御威光の賜物ですね」
「…………」
――どういうことだ? 私に威厳がないからか? 1年前まで平の衛士だったからか? 娘達よ、父さんはそんなに頼りないか!?
彼がガックリと項垂れていると、ムルクスが慰めるように肩を叩いた。
「ここの領主に断られたのだね? それでは、もう一度領主のところに行きましょう」
「いや、でも、聞く耳すら持ってくれませんでしたよ?」
「大丈夫です。陛下の御威光があれば考えを変えて下さいますよ」
「しかし、陛下の名前なんか聞いたことも無いって言ってました!」
「御名前を聞いたことが無くても、御威光は知っていますよ」
「そんなバカな! どうしてそんな事が言えるんですか!」
ロンギヌスは叫んだが、ムルクスは相変わらずニコニコして落ち着いたものだった。
「もちろん、ここにこの艦隊がいるからですよ?」
「……なるほど」
艦隊の多くは帆船でありメダストラ海の軍事技術の革命を知らない在地の人々には軍船には見えないかもしれなかったが、これだけ多くの大型船を浮かべていることがその国力を物語っていた。聞いたことのないほどの遠国の艦隊が、地に海峡を穿ってまでやって来たのだと聞けば尚更である。
「……じゃあ、私はいったい何のために説得してきたのでしょう? ムルクス提督にお任せしておけばそれで済んだでしょうに……」
まるで後で埋めるために穴を掘らされたようだ。ロンギヌスはガックリと項垂れた。
「何を言っているのですか? 陛下には深いお考えがあってのことですよ」
「……ホントですか?」
「ほら、あれがここの領主ではありませんか?」
ムルクスが指差した方向を見ると、先ほどロンギヌスを追い返したばかりの領主が慌ててこちらにやって来るところだった。戦いを意識してのことでないことは、その装いや付き添いの数で明らかだ。
「あなたをにべ無く追い返したのに大艦隊が応援に来てしまいましたからね。彼は焦っています。必要以上に譲歩してくれますよ」
「……なるほど。ということは、私は断られるために派遣された訳ですね……!」
あまりにも意地の悪い交渉術だった。とてもイゾルテらしいと言えるだろう。それをロンギヌスに言わないところが特に!
「そういうことです。納得した所で不満気な顔をして下さい。それと時々タイトン語で私に話しかけて下さい。もちろん不満気にですよ? 怒って貰っても結構です」
「…………」
ニコニコと微笑むムルクスを見て、ロンギヌスは納得した。
――さすがイゾルテ陛下の傅役だっただけのことはある。というか、イゾルテ陛下はこの人に教育されたからこそあんなに捻くれてるんじゃないか?
この日サラランの領主は快く避難民の受け入れを了承した。イゾルテの威光のおかげである。
注1 海外ニュースでお馴染みのアラブの独立系(?)放送局「アル・ジャジーラ」がありますが、これは直訳すれば「The island」、「ザ・島」です。
しかしこの言葉は慣習的に「アラブ地域」という意味で用いられています。
アラブ人はアラビア半島のことを3つの海と砂の海に四方を囲まれた「島」と認識しているのですね。
ちなみに放送局以外にもいろんな団体名に「アル・ジャジーラ」という名前が付いていますが、直接的な関係はありません。
埼玉県下の各種団体に「彩の国」と付いてるようなものでしょう。




