ユイアト海賊団 その4
セルカンは帰ってきた。ユイアト海賊団が拠点にしているバーレール島(注1)に。長く暮らしたバブルンではなく海賊団のアジトに来てそう思うのは妙なものだが、桟橋まで迎えに来たサビーナの顔を見た瞬間、自然とそんな気持ちが湧き上がってきた。
「サビーナ!」
「セルカン!」
桟橋の上で抱き合う2人を見て、同乗してきた避難民たちもほっこりと和んだ。大丈夫だと聞かされていても、外国人主導で海賊を名乗る集団なのだ。いきなり奴隷にでもされるんじゃなかろうかという不安がつきまとっていたのである。しかしたった1人だけ不満気な顔をした女がいた。
「ちょっと、私に挨拶はないの?」(カンザスフタン語)
「……ルビア? なんでここにいるんだ!?」(カンザスフタン語)
「あんたのボスに誘拐されたのよ!」(カンザスフタン語)
――ボスだって? エフメト……いや、トリスか! 俺が留守にしている間にわざわざルビアを保護してくれたのか……
ルビアが進んでサビーナの犠牲になったことは彼の心に引っかかっていた。サビーナは言わずもがなである。自分たちにはどうにもできないと諦めていたのだが、トリスは彼女まで探しだして保護してくれていたのだ。
――トリスめ……こうやって人心を掴んでいるのか。プレセンティナ人達が忠実なのも分かる。
彼は冷静にそう分析しながらも、自分の心までが大きく揺れているのを感じた。少なくとも、彼の名目上の主君であるエフメトよりは遥かに好感が持てた。
同行したプレセンティナ人の海賊と共に先に帰還していたトリスの下に帰還の報告に行くと、海賊団の幹部たちが忙しく働いていた。……書類仕事を。
「カターラナイ半島からの報告書はどこだ? 数字が届いていないぞ!」
「おい、真珠の領収書が無いぞ! ちゃんと貼り付けとけ!」
「親分、経歴別志願者リストが上がりました! 水軍経験者、海賊経験者、海運業経験者、漁業経験者、その他です!」
とんだ海賊たちである。トリス自身も海賊たちの名簿を熱心に読み込んでいた。
「トリス様、名簿でしたらこのシーテ・ハメーテ・ベネンヘーリが完全に記憶いたしますよ?」
「そういう問題じゃない。これは私の義務だからな」
その様子はどこか密偵の本部にも似ていた。事務的で、散文的で、それでいてどこか一体感の感じられる仕事風景だった。
「親分、ただいま帰りました。セルカンさんも一緒です」
「そうか。戻ったのか、セルカン」
仮面の下の青い瞳にじっと見つめられて、セルカンもそれを正面から見返した。
「覚悟は決めた。お前についていく。もちろん、ハシムと利害が対立しない限りは、だが」
「良かろう。これでお前もユイアトだ」
トリスは立ち上がると彼に手を差し出し、セルカンもそれを握り返した。サビーナに似てか細く柔らかい手だった。
「バールと話して今後の方針を決めた。次は大掛かりな作戦となるぞ」
「バール? 話した? いつの間に?」
セルカンの呟きにトリスの青い目が泳いだ。
「……言葉の綾だ。手紙のやり取りみたいなものだ。そんなことはどうでもいいだろっ!」
別にセルカンも深い疑念があったわけでもなく、トリスの勢いに押されて頷いた。
「そ、そうだな」
「敵の侵攻が早まったことで、唯でさえ無理のあった市民の避難が間に合わない。そこで、敵の侵攻を足止めするための大胆な作戦が必要となった」
「……しかし、侵攻目標はバブルンだろう? どう見ても陸路を取ると思うが、俺達に何が出来るんだ?」
「確かに陸路を行くだろう。何十万もの兵を海路で運ぶのは手間がかかるし、一度に投入できないのは致命的だ。
しかし輜重はどうだ? ベネンヘーリ、ペルージャ西部には険しい山脈があるんだろう?」
話を振られてベネンへーリが恭しく腰を折った。
「はい、ザグレロス山脈(注2)ですね。ペルージャ湾岸から中央平原や北部地域との境界にそってペルージャ地方の西半分を覆う巨大な山脈です。3000m以上の山々も多く盆地・渓谷も深いため、峻険です。しかも幅が200~400ミルムにも及び、これを越えるのは大変な難行です。
このシーテ・ハメーテ・ベネンヘーリ、あの山々を越えた時の苦労は思い出したくありません。それを忘れられないこの呪われた頭脳が恨めしい……!」
「うん、私もとっても恨めしいぞ。パンツのこととか忘れて欲しい」
セルカンには何のことか分からなかった。
「まあとにかく、人間が旅するだけで音を上げる道だ。荷を満載した馬車がこれを越えるは困難だろう。一方で海上輸送なら少ない人数で大量の補給物資を運ぶ事が出来る。安全さえ確保できればな」
「つまり、ビルジの補給艦隊を襲うということか?」
「はっはっは、ペルージャ湾は海賊の海だ。そんなところにむざむざ補給艦隊を差し向けると思うか?」
「……じゃあ、どうするつもりなんだ?」
トリスは人差し指を立てて「ちっちっち!」と左右に振った。
「簡単な話だ。こちらから売り込めばいい」
「……何だと?」
「こちらから海上輸送を請け負うと言うんだ。商売としてな! なんせ我々は海賊だ、第三勢力だ。スエーズのシンパだとは誰も知らない!」
「…………!」
それは最悪のペテンだった。敵の補給を担当するフリをして、物資を強奪しつつ敵の補給計画を根本から覆そうと言うのだ。ビルジ=モンゴーラ連合軍は大混乱に陥るだろう。しかもそれを、一戦もせずに行おうと言うのである。
――悪魔だ……こんなに酷い作戦は初めて聞いた。だが……面白い! ユイアト海賊団などと名乗っていたのもこのためだったのか……って、あれ?
感心しかけたセルカンは首を傾げた。
「ちょっと待ってくれ。じゃあユイアト海賊団という名前は拙くないか?」
「え、何で?」
「だってユイアトはビルジを暗殺しようとした男だぞ?」
「あ゛っ……」
どうやらトリスも、最初からそこまで計画してた訳ではなかったようだ。しかしトリスはそのまま腕を組んで考えこんだ。
「……いや、それはそれで……うむ、アリだな。確かにお前の言う通りだ。だから今ここに宣言しよう、愛と正義のユイアトは倒れた!」
彼女はそう言って仮面を外した。その下から現れた白皙の美貌に見惚れ、セルカンは一瞬息を忘れた。
――そういえばトリスは自分のことをイゾルテだと言っていた。仮面を付けてたし、ベネンヘーリがトリスだとか言うから別人なのだと思っていたが……
セルカンが呆然としていると、彼女は白い仮面を押し付けてきた。
「海賊団を乗っ取ったのはお前だ、セルカン!」
「え? ど、どういうことだ? いや、そうじゃない! お前はまさか……」
トリスは大きく頷いた。
「そう、ユイアトは死んだ。いや、むしろ死んでこそユイアトなのだ。死んだことでユイアトは永遠になったのだ! ビバ・ユイアト!」
意味が分からなかったが、彼女の意志は分かった。彼女はあくまでユイアトというあやふやな存在で押し通したいのだ。
――そうだな。俺はトリスに助けられたのだ。トリスが本当にイゾルテ本人だろうと、あるいは影武者役のそっくりさんだろうと、俺には関係ないことだ。
「分かった。お前がそう言うのなら、俺もそれでいいさ」
「おお、さすがは熟練の密偵だ! こんなに快く応じてくれるとは!」
「うん? まあ、サビーナやルビアのことで借りもあるしな」
「よし、ではクーデターで二代目頭目となった"白仮面"という設定で売り込みに行ってくれ!」
セルカンは目をパチクリとさせた。
「……何だって?」
「ユイアトだと拙いんだろ? だったら代替わりしなきゃ!」
「そうじゃなくて、何で俺なんだよ! おれはついこの間までビルジと顔を合わせてたんだぞ!」
「だからこそだ。変装も潜入も得意なんだろ? ドルク人として違和感もないし、各地に潜入させている密偵とも連絡が取れる。打って付けじゃないか!」
イゾルテはにっこりと天使の笑みを浮かべた。内心は悪魔のようだったけど。
――それにコイツならサビーナという人質もいるから裏切る心配もないしな!
しかしセルカンはイゾルテの言葉の合理性を認めつつも、納得はまだ出来ずにいた。
「しかし、いったいどうすればいいんだ? 具体的に言ってくれ」
「この島ととなりのカターラナイ半島で採れた真珠を買い入れてある。これをペルージャの港に売りに行くんだ。貿易の途絶えた港にな。否が応でも目立つだろう。ペルージャ湾を安全に航行できるのは我々だけだと声高に宣伝するんだ!
そしてビルジに接触してこう伝えろ。『再征服後にペルージャ湾の支配権を公認してくれるのなら、戦争に協力する』と」
セルカンは目を大きく見開いた。
「なるほど! 思い上がった海賊が言いそうなことだな。実際に山賊から成り上がった諸侯も多い」
セルカンの言葉を聞いて、イゾルテはムスタファの事を思い出した。
「そうだ! ついでに"提督"の位も要求しよう。メダストラ海の海賊に准提督の位を与えて取り立てた例もあるから、それを持ち出せば説得力が上がるぞ」
「なるほど。メダストラ海から流れてきた海賊連中も少なからずいるみたいだし、それを知った者が欲を出すのは自然だ。
しかし、ビルジがそんな条件を呑むか? モンゴーラを説得するのも大変だぞ」
トリスはニヤリと笑った。
「だからこそだ。あいつには約束を守るつもりなどないだろうから、タダで扱き使えると思うだろう。
ただひとつの懸念は、我々が物資を持ち逃げするという可能性だ。その懸念を払拭するため、真珠の代金で豪遊してこい。金に困っていないことを見せるためにな!」
「それなら品質の良い真珠を貢物に持って行くのも良いな。しかし、そんな散財をしてもいいのか?」
「散財と投資は違う。それに今は、食えない真珠より食料の方が有り難いさ。ただし……娼館には行くなよ。女遊びは絶対にダメた!」
「はははっ。なんだ、俺に嫉妬してるのか?」
セルカンが笑うと、周りの海賊たちがピタリと動きを止めた。トリスもポッと顔を赤らめてぷいっと顔を背けた。
――あれ? サビーナを悲しませないように、とかじゃなくて? 俺がモテてるのっ!? マジで? いやぁ、まいったな~
セルカンは鼻の下を伸ばした。トリスの怪しい性癖を警戒していたくせに、美少女だと分かると現金なものである。
「わ、私だって一度くらい娼館で美女に囲まれてみたいのだ……!」
「……あ、そっちなんだ」
海賊たちは再び動き始めた。至って平常運転である。
「なんだその気のない返事は? よし、お前が女遊び出来ないように条件を付けてやる!」
「分かってる。言われなくてもサビーナを裏切るような事はしない」
しかしイゾルテは人差し指を立てて「ちっちっち!」と左右に振った。
「バカだな、海賊の男が豪遊するのに女がいなきゃ不自然だろ? だから、お前はもう一度セルピナになれ!」
「なにぃ~っ!? 女が頭目をやってる方がふしぜ……いや、なんでもない」
不自然なのは確かだったが、それを女頭目に言った所で説得力が無いことに彼は気付いたのだ。
「なんだったら他の男を女装させて、そいつを愛人ということにしてもいいけど?」
「…………」
セルカンが周囲を見渡すと、海賊たちはぽっと顔を赤らめて視線を逸らした。
「俺が女装します……」
5日後、ペルージャ地方有数の港町アカンタレ・アッパース(注3)に巨乳美女セルピナが降り立った。
「おほほほほっ! もうヤケですわっ!」
彼女の美貌と豪快な遊びっぷりは、即日街中に広まった。
注1 バーレール=バーレーン
かつてはシュメール文明の一派ディルムン文明があったそうです。
中世まではとなりのカタール半島とともに真珠の産地だったそうです。
バーレーン自体は小さな島ですが、王家はかつてカタールの北半分も支配していたそうです。
注2 ザグレロス山脈=ザグロス山脈です。
ペルシャ湾岸からイラクやトルコとの国境に沿ってイランの西半分を覆う巨大な山脈です。
最高峰ザルド山(4548m)を始めとして3000m級の山々が連なります。
現在の国境では山脈の西側の平原の一部もイランに含まれていますが、作中ではそのあたりは中央平原に含まれます。
注3 アカンタレ・アッパース=バンダレ・アッバース
バンダレ・アッバースはホルムズ海峡に面するイラクの港湾都市です。意味は「アッバースの港」です。
でもこのアッバースはアッバース朝のアッバースではなく、サファヴィー朝のアッバース一世のアッバースです。




