魔女の壺
数字は一応調べたものですが、たぶん現象には科学的に嘘があります
量産が始まった高濃度酒精(アルコール)はイゾルテの思惑を越えて飲み物として広まりつつあった。だがそのまま飲んでも美味しくないため、巷ではソフトドリンクと混ぜあわせて飲む"カクテル"が流行りつつあった。そして今、他とは一線を画す革新的なカクテルが生まれようとしていた。
「アドラー、最近カクテルなるものが流行っているそうだ。知っているか?」
「さ、さぁ」
「何でも高濃度酒精を薄めて作った酒のことらしい」
「へぇぇ」
「医療用と洗剤として売ってるはずなのに、おかしいよなぁ?」
「……不思議ですねぇ」
「だが、広まってしまった以上は仕方がない。そこで、販売ルートを広げることにしたのだ」
「酒問屋を呼んで来ましょうか?」
「いや違う。呼ぶのは軍人だ」
「え? 酒保(軍隊の購買部)の担当者ですか?」
「もちろん工廠(兵器の開発・生産などを行う施設)の担当者だ」
「姫、カクテルの話でしたよね?」
「ああ、勿論カクテルの話だ」
後日、陸海軍の工廠からやってきた担当者を連れて、イゾルテは郊外の空き地に向かった。たまに陸軍が演習で使っている土地である。
「さて、諸君に紹介したいのは学者たちが考案した新しいカクテルだ。材料は軍用高濃度酒精3と食用油7。そしてスパイスとして炭火を使う」
掃除用洗剤(と闇市場の飲用)は1回だけだが、軍用は2回、医療用は3回と、蒸留を何度も繰り返すことで酒精(アルコール)の濃度を上げている。ちなみに原料が度数5%のワインだと、1回で40%、2回で80%、3回で90%程度になる。
イゾルテは白い壺を取り出すと、中からコルク栓を抜いた。
「この壺には2つの空洞があり、それぞれコルクの内蓋で密閉できるようになっている。ここにそれぞれ軍用高濃度酒精と油を流しこむのだ」
イゾルテは実際に油と高濃度酒精を流し込んだ。
「そして内蓋のコルクで密封する。この状態で備蓄が可能だ」
言いながらグイグイっとコルク栓を押し込んだ。
「そしていざという時は、内蓋の上に炭火を放り込んで外蓋をする」
イゾルテは焚き火から木炭を取り出して壺に放り込み、壺の口に外蓋の皮をあてて紐で縛った。
「そして種火が消えないうちに投石機でシェイクするのだ」
ゲルトルート号から取り外してきた小型投石機に壺を置くと、脇で待機していた水兵に命じた。
「カクテル発射!」
投石機によって打ち出された壺は放物線を描いて飛んでいき、地面に当たって砕けた途端にボワッと火柱が上がった。
「おおぉ!」
ガソリンの-43℃には比べるべくもないが、エチルアルコールの引火点は13℃。225℃のオリーブ油よりも格段に火がつきやすいのだ。
「いきなり火が着いたぞ!」
「油だけではこうは燃えんぞ」
「油と火を別々に打ち込む手間も要らない。これは便利だ」
投石機で油壷や火の玉(火を着けて飛ばす可燃物の玉)を投げることや、弓や弩で火矢を打ち込むことは今までも行われていた。だが油壺だけでは火がつかないし、火の玉は油壺ほどには燃え広がらないのだ。
カクテルの火はすぐに衰えたが、それでも消えずにメラメラと燃え続けていた。
「高濃度酒精は激しく燃えるが、すぐに燃え尽きてしまう。だがその間に油に火が移るので、長い時間燃えてくれるのだ」
「なるほど」
「これでは火を消す暇もない。船に当てれば被害は大きいぞ!」
「いやいや、これは攻城兵器に対して使うべきだ。攻城槌も攻城櫓も城壁に近づく前に火だるまにできる!」
陸軍と海軍はこの火炎壺の採用を決め、工廠の奥で高濃度酒精を量産することにも合意した。(ついでにイゾルテは、医療用、掃除用洗剤、そして飲用の生産も押し付けた)
後日この火炎壺は軍内で『イゾルテ・カクテル』と呼ばれるようになる。『イゾルテ皇女が下賜する炎獄のカクテル』という意味だ。これを飲んだ者は、地獄の業火に灼かれるように体が熱くなるのだという。後にドルクではこれを飲む者が続出し、『魔女の壺』とも呼ばれるようになる。
折しも「イゾルテの浮網」と「ムスタファの投網」によってガレー船の地位が揺らぐ中、『イゾルテ・カクテル』が登場したことで、ガレー船による近接戦から帆船による射撃戦へと海戦の常識がパラダイムシフトを起こしつつあった。
もちろん実験してません。
木炭が十分に大きくないと、油とアルコールであっさり火が消えそうです。
ちなみに火炎瓶の「モロトフ・カクテル」は、「(敵の)ソ連外相モロトフに捧げる特製カクテル」という意味からきたそうです。
ずっと考案者の名前だと思ってました。カラシニコフのように。
そういえばカクテルの名前って「(女性の名)に捧げる○○」とかありそうですもんね。




