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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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密約 その1

 デレーに着いたビルジはその郊外に駐留しているシロタク軍の幕営を訪ねていた。彼の目にはシロタクの軍は1万以上に見えたが、実のところ替え馬がそう見せるだけで実際には5千騎に過ぎない。しかし1万だろうが5千だろうが、今のビルジには関心がなかった。彼が気になっていたのは別のことである。

――兵たちは仕方ないにしても、何でシロタクまで天幕で暮らしているんだ? デレーにある貴族の屋敷を接収すればいいだけだろうに。

 ハンカチで鼻と口元を押さえながら獣と獣臭い天幕と獣に等しいモンゴーラ人の間を通り、彼は多少は小綺麗な天幕に入った。内装は幾らか派手だったが、それも赤だの青だのの原色が織り交ぜられた目がチカチカするようなセンスのない毛織物ばかりだ。絢爛豪華で金ピカなドルク文化の高尚さから見れば粗野の限りである。……彼の主観では。

 だが彼を出迎えたシロタクは、さすがに幾らか礼儀を弁えていたようだった。

「ようこそお出で下された、ビルジ殿。と、仰られております」

しかしその丁重な言葉や物腰とは裏腹に、彼はビルジにクッションを示しただけだった。友好的ではあるかもしれないが、ドルク皇帝に対しては著しく無礼だ。本来なら(ひざま)くべきである

――我慢だ、我慢。こいつらに礼節を説いても無駄だからな。

ビルジもその顔にうすっぺらい笑みを浮かべると趣味の悪いクッションに座った。

「ここまで来て頂けたということは、了承していただけるということで良いのだろうか。と、仰られております」

ビルジは鷹揚(おうよう)に頷いた。

「ドルクに攻めこむことは許可しよう。だがそれは、俺の指揮下での話だ」

彼の言葉が通訳されるとシロタクは不審げに眉をひそめた。

「いや、俺が攻めこむ許可が貰えればそれで良いんだが……。と、仰られております」

「ドルクは俺の国だ。攻め込むのなら俺も行く。

 それに地理についても住人についても俺の方が詳しいし、みたところ俺の方が兵も多いようだ。おれが総指揮官になるのが妥当だろう」

ビルジの言い分には筋が通っていた。

――チッ! コイツに動きを掣肘されるのは気に食わないが、こいつの機嫌を損ねれば侵攻は来年にずれ込む。そうなればそれまでにハサールが(ウルス)に攻めて来る可能性も高くなる。やむを得ないか……

シロタクは小さく唇を噛んだ。彼はビルジはビルジで今攻めこまなくてはならない理由があることを知らなかったのだ。ビルジもシロタクに差し迫った理由があることなど知らなかったのだが、彼がむやみに強気で偉そうなのは単にシロタクを野蛮人だと見下していたからである。

「分かった。だが、こちらも一つだけ条件がある。と、仰られております」

「……何だ? 領土か? 金か?」

「名誉だ。と、仰られております」

「ほう……。具体的には?」

「俺は復讐を成し遂げなくてはならない。だからエフメトの嫁だけは貰う。と、仰られております」

「何だと?」

「ニルファルだ。あの女だけは俺に貰いたい! と、仰られております」

意外な言葉にビルジは方眉を上げた。

――ニルファルか……。まあ、本来ニルファルなんぞどうでもいいのだが、エフメトの眼前でニルファルを犯すという計画だけは捨てがたい……

 ビルジは悩んだ。先日サビーナで試してみたところ、女を知り合いの目の前で抱くのは得も言われぬ興奮を得られることが分かったのだ。どうやらビルジの陰にこもったネチネチした暗い性格が眼前寝取りプレイとピタリ一致してしまったようだ。ただの世話係のジジイに見られるだけであれだけ興奮できるのなら、憎いエフメトの目の前で愛妻を犯せばどれだけ興奮できるだろうか!

「……ニルファルでないとダメなのか?」

「当たり前だ。あの女に恨みがあるんだ! と、仰られております」

――まあ、止むを得ないか。それならそれで次善の策がある。

「分かった。ニルファルは自由にしてもいい。だが、それについてこちらも1つだけ条件がある」

「なんだ? と、仰られております」

「初めてニルファルを犯す時は……俺とエフメトの前でやってくれ!」

「…………?」

シロタクは不思議そうにきょとんとしていた。

「だから、お前がニルファルを犯すところを俺たちに見せてくれ!」

「……それはつまり、あれか? 俺の後にニルファルを抱きたい……と? と、仰られております」

「とんでもない! ニルファルを抱くのはお前だけだ。おれはエフメトで楽しむだけだ!」

「…………!」

シロタクは衝撃を受けた。

――こ、こいつ、同性愛者の上にブラコンだとっ!?

彼はビルジの倒錯っぷりにくらくらと目眩がする思いだった。そりゃあエフメトも謀叛を起こす訳である。

――分からん。例えば俺でいうならウラグチに欲情するようなものだろう? そんなこと……

シロタクは脳裏に可愛い弟の姿を思い浮かべた。そしてシロタクは……ポッと頬を赤らめた。そして何だかお尻もムズムズしてきた。

――いやいやいや! 俺にそんな趣味は無い! ……はずだっ!

「わ、分かった。お前がどんな趣味の持ち主でも、互いの利害は一致している。ニルファルをお前たちの前で抱くことも了承した。お前はお前の弟を可愛がれば(◆◆◆◆◆)良いだろう。と、仰られております」

「よし、取引成立だ!」

ビルジが差し出した手を見て、シロタクは握ろうかどうしようか少しばかり逡巡してしまった。


 話がまとまればこんなところに用はないと、ビルジは馬車に乗り込んだ。しかし馬車では面倒な知らせが彼を待ち構えていた。

「陛下、少々やっかいなことが起こりました」

「何だ? 今更少々くらいの厄介事で緊張することもないだろう、マフズン」

「はっ。実は……あの女が居なくなりました」

ビルジはすっと目を細めた。

「それは確かに厄介だな。……特にお前にとっては」

マフズンはゴクリと唾を飲んだ。彼がサビーナを遠ざけるよう諫言していたことから、ビルジは彼を疑っているのだ。

「お、お待ち下さい! 私なら後腐れなく殺します。死体を残して。そうでなければ死んだとも発表できません!」

「なるほど、確かに」

「時を前後して世話役に雇っていた老人も姿を消しており、その部屋からは変装の品が見つかっております。恐らくはどこかの間者ではないかと……」

ビルジは露骨に顔をしかめた。

「あのジジイか……危なかったな。奴がエフメトの間者なら、俺が殺されていたところだ」

「ご存知なのですか?」

「まあ、あいつの見てる前でサビーナを抱いたからな」

「…………」

マフズンは呆れたが、そういうことなら自分でも良かったんじゃないのかとちょっと残念に思った。

「ということはプラグの密偵か? いや、それならあの侍女で十分のはずだ。となるとスエーズか? あるいはヒンドゥラの残党という可能性もあるか……」

「何れにしても厄介です。探させてはいるのですが、船に乗ってペルージャ湾の何処かに向かったとしか分かっていません」

マフズンはビルジの叱責を覚悟したが、彼の主君は簡潔に命じただけだった。

「そうか、やむを得まい。殺せ」

「は? しかし2人の足取りは……」

「前に言っただろう? 目が悪ければ火事くらい起こしても不思議ではない、と。ちょうど処分に困っている女が1人いるしな」

それはサビーナの侍女ルビアのことである。彼女を焼き殺してそれをサビーナだということにしようと言っているのだ。

「なるほど。しかし陛下、モンゴーラ側を納得させるためには、あの侍女に現場を検証させた方が良いかもしれません。別に焼死体を用意いたしましょう」

「そうか、それもそうだな。任せた」

「はっ」

正妻の誘拐という大事件を前にして、話はただそれだけで終わってしまった。


 3日後にエフメトの宮殿から火の手が上がり、焼け跡からは一人の女の焼死体が見つかった。そしてその体格・服装から彼の正妻サビーナ妃であると断定された。彼女の名前が歴史の表舞台に初めて現れ、そして永遠に消えた瞬間だった。

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