ユイアト海賊団 その3
うう、しばらく日刊連載出来てたのに一日開いてしまいました……
額から出血したセルカンは船室に運び込まれ、そこでサビーナから手厚い治療を受けた。……包帯を巻いただけだけど。セルカンはついでに変装を解いて元の顔に戻り、男物の服にも着替えた。
「海賊って思ってたより怖くないのね。ビルジ様の方がよっぽど乱暴だったもの」
ドルク語の分からない彼女には、恋人がユイアト(♀)に良いように弄ばれたということが伝わっていなかったようだ。彼の恥ずかしいセリフが伝わらなかったことは天の恵みだ。彼は初めて、彼女のドルク語教師が不真面目だったことに感謝した。……彼自身のことだけど。
「ここのは特殊な連中のようだ。結局事情を聞けなかったが、連中の中に俺の部下がいた。どうやらエフメト派のようだから味方だと思って構わないだろう」
味方の割には彼はひどい目に遭わされていたけど。主に精神的に。
「そうなの? あの女の人、あなたに敵意を向けていたわよ?」
「それは俺の正体を知らなかったからだろう。まあ、分かってからも遊ばれた気はするんだけが……。
そういえばあいつが普通じゃないって言ってたな。具体的にはどう普通じゃないんだ?」
サビーナは首を傾げて考えこんだ。
「そうね、例えて言えば……まるで仮面を被っているかのように声がくぐもって聞こえたわ!」
「……うん、知ってた」
聴覚だけでそれを悟ったことは凄かったが、こういうのも「百聞は一見に如かず」と言うのであろうか。
しばらくするとベネンヘーリと鯰髭の怪しい中年男を引き連れて、ユイアト(♀)ことトリスが船室に入ってきた。
「ずいぶんとがっかりな姿になったな、セルカン」
それは頭の包帯のことだろうか、それとも女装を解いたことだろうか。どっちにしても大きなお世話である。
「だが安心しろ、さっきの美女も私の琴線には触れなかった。一番がっかりしているのはベネンヘーリだ」
「恐れながらこのベネンヘーリ、セルピナさんがセルカン様だったことに殺意すら覚えております」
「ガカリスル事ナイアル。宦官ニナル方法ナラ幾ラデモアルネ。キト女ニナル方法モ有ルハズヨ」
「…………」
セルカンはどこに安心できる要素があるのか説明して欲しかった。
「ここで尋問するのか? 構わないが俺にも状況を説明して欲しい」
「尋問はするが、サブリナちゃんは別の部屋だ」
「何故だ? 一緒に話を聞けば早いだろう」
「もちろん、口裏を合わせられないためだけど?」
セルカンは口の中で小さく舌打ちした。
――やはり油断できない奴だな……
だが名前も性別も偽った後なのに、今更秘密など無いと主張しても虚しいだろう。
「サブリナは偽名だ。本名はサビーナ。しかし彼女はモンゴーラ語とカンザスフタン語しか話せないぞ? ここにモンゴーラ人やカンザスフタン人がいるのか?」
「いや、いないな。だがここにはテ・ワがいる」
ユイアト(♀)は鯰髭の中年男を指差した。
「ワタシテ・ワアルヨ。宜シクネ」(モンゴーラ語)
「えっ……えーと、初めまして。よ、よろしくお願いします」(モンゴーラ語)
いきなり自分には分からない言葉で会話が始まり、セルカンはピクリと頬を引き攣らせた。どのみちサビーナにはドルク語が分からないのでセルカンに合わせることなどできないのだが、セルカンしか通訳出来ないのなら幾らでも誤魔化せるはずだった。しかし今はセルカンに分からない言葉で2人が会話しているのだ! これではセルカンの方がサビーナに合わせることも出来ないではないか。それにサビーナが他の男と話しているのも気に食わなかった。今更だが彼はサビーナが自分以外の男と会話しているのを初めて見たのである。自分以外の男とセックスしてるところは何度も見てるんだけど……。
「モンゴーラ語トカンザスフタン語、ドッチガ話シヤスイアルカ?」(モンゴーラ語)
「どっちかと言うと……モンゴーラ語です」(モンゴーラ語)
「姫サン、嬢サンハモンゴーラ語ノ方ガ話シヤスイソウアルヨ」(ドルク語)
「そうか、尋問は任せた」(ドルク語)
「嬢サン、アッチノ部屋デ話スアルヨ」(モンゴーラ語)
「で、でも……」(モンゴーラ語)
「大丈夫アルヨ、案内スルネ。コッチアル」(モンゴーラ語)
テ・ワはサビーナの手を握って別の部屋へと連れて行こうとした。
「ちょ、ちょっと待て! こんな怪しい男に尋問させるのか?」
「ああ。密室で、2人きりでな」
「…………」
「大丈夫、テ・ワは宦官だ。ほら、サビーナちゃんを安心させてやれ」
「……サビーナ、その男と一緒に行ってくれ。いろいろ質問されると思うが、お前の素性だけは……」(カンザスフタン語)
「ホラホラ、行クアルヨ」(カンザスフタン語)
まさかカンザスフタン語でも筒抜けだったとは思わず、セルカンは言葉に詰まった。
「……正直に答えていいデス、ハイ」(カンザスフタン語)
「じゃ、じゃあ、行ってくるわ」(カンザスフタン語)
少しばかり不安げな素振りを見せながらも、サビーナはテ・ワに手を引かれて部屋を出て行った。
「まずは自己紹介といこうか。私はプレセンティナのイゾルテだ」
「イゾルテ……って、なにっ!? あ、あの、黄金の魔女だというのか?」
セルカンはベルケルを暗殺した夜にイゾルテの姿を見ていた。髪を乱れさせて狂女のようにけたたましい笑い声を上げていたイゾルテは、まさしく魔女そのものであった。
――確かにあの魔女と同じくらい鮮やかな金髪だ。だが金髪なんてスラム人なら珍しくもない。母さんも金髪だ。第一名を名乗るなら顔を隠す意味が無い。ベネンへーリも別の名前で呼んでいた……
「……トリスじゃなかったのか?」
「いや、トリスというのはだな……」
イゾルテが説明しようとすると、ここぞとばかりにベネンヘーリが口を挟んだ。
「その通り! この方はトリス様です。プレセンティナ帝国イゾルテ・ペトルス・カエサル・パレオロゴス陛下の名代として派遣された御側近です」
「いや、だから私自身がイゾルテなんだって言っただろ? トリスは黒髪だし。自慢の記憶力はどうしたんだ?」
「はっはっは! トリス様もご冗談がお好きですね。髪の色などかつらでどうとでもなるではありませんか。
恐れながらこのシーテ・ハメーテ・ベネンヘーリ、トリス様の事はシミやシワの一つ一つまで正確に記憶しております。入れ替わったと仰られても私は騙せませんよ!」
イゾルテはその言葉を否定できなかった。というか、そもそも彼女は同一人物であることを否定していないのだ。だがそんなことよりも、彼女は彼の言葉に強く打ちのめされていた。
「シミ……小ジワ……」
あまりにもショックな言葉に、彼女は顔を――仮面を押さえてぶるぶると震えていた。
「えーと、じゃあ、トリスでいいのか?」
「ええ、構いませんとも。ただし、金髪の時はイゾルテ陛下のフリをしているのだと御承知おきください」
「なるほど、影武者か。しかしそれがまた顔を隠してユイアト(♀)を名乗ってるんだろ? ややこしいな」
更にややこしいのは、彼女が本当にイゾルテだということである。
「ところでベネンヘーリ、何でお前がここにいるんだ?」
「ハシム様のご命令です。プレセンティナ軍に協力せよと命じられました。決してトリス様に踏んづけられる快感に目覚めたせいではございません!」
目覚めたせいで従っている訳ではないにしても、目覚めていない訳でもないのである。
「そ、そうか……。しかし、何でハシムが? スエーズともなにやら密約があるという話は聞いているが、細かい話は聞いていないんだ。どうなっている?」
密偵が捕まって拷問されでもしたらモンゴーラ側にバレてしまうので、ビルジの勢力圏下にいたセルカンには細かいことが知らされていなかったのである。
「イゾルテ陛下のご提案で、匈奴軍をスエーズ方向へと誘導することになったのです。そのために一旦、スエーズ軍にバブルンを明け渡したそうです」
「つまり、スエーズの防壁を盾にして戦うというのか? バブルンの城壁ではなく」
「イゾルテ陛下はスエーズで大掛かりな魔術の準備をなさっているそうです」
「魔術……?」
あまりにも胡散臭い話だったが、あのイゾルテなら何か思惑があるのだろう。あの時の空飛ぶ使い魔というのも紙で作った袋{天灯}に過ぎなかったが、実際に彼女は僅かな兵力でイエニチェリ軍団を破りベルケルに瀕死の重傷を負わせたのだ。まさに黄金の魔女の名に相応しい魔術だった。ペテンか手妻の類だけど。
「それで、セルカン様はどうしてこんなところに? ビルジ様のもとに潜入していたのではなかったのですか?」
「大変な情報を掴んだ。すでにハシムのもとには知らせを送ったが、近いうちにビルジが動くぞ」
「まさか! トリス様のお考えでは匈奴軍が動くのはまだ先のはずです!」
「何を言っている? 俺はビルジとモンゴーラの話をしているんだ!」
「ふっ、だから匈奴軍の話をしているではないですか」
「だから匈奴って何のことだよ!?」
二人の咬み合わない会話の間に、静かだがよく通る声が響いた。
「モンゴーラのことだ。テ・ワの出身国ツーカ帝国では匈奴と呼んでいたそうだ」
ふと気づけば先程まで仮面を押さえてブルブル震えていたトリスがじっとセルカンを見つめていた。その青い瞳は冷静さを取り戻し、今はまるでセルカンの心の中まで覗きこむような深い色を見せていた。……仮面は取らなかったけど。
「そうか、あの男はツーカ帝国の人間だったのか。ツーカ帝国もプラグの兄に滅ぼされたらしいな」
「プラグ?」
「聞いてないのか? プラグはヒンドゥラを滅ぼした王だ。奴らは王のことを汗と呼んでいる。プラグの他にも汗が何人かいて、その汗の1人であるクビレイがツーカ帝国を滅ぼしたんだ」
「なに? では、複数の王が乱立するタイトンや北アフルークのような感じなのか? それなら相争わせることも出来るかもしれないな……」
「いや、汗の上には大汗がいる。謂わば皇帝だな。汗達はそれぞれに国を持ちながら大汗に従っている。そもそも今の大汗であるモンキは、プラグやクビレイと同腹の兄弟だ。そう簡単には争わせることも出来ないぞ」
「そうか……。では他に汗は居ないのか? プラグの兄弟でない者は」
「有力なのはハサールに攻め込んでたパトーという汗だな。だが敵対はしていない。それどころかその王子のシロタクという男が、ビルジと組んで今すぐにでもドルクを攻めようとしているんだ」
「他の汗の王子が? 抜け駆け……いや、仲間割れではないのか?」
「いや、プラグの同意は得ているようだ。最終的に占領地をどう分配するつもりかは分からないが、先遣隊のつもりなのだろう」
イゾルテは仮面の下で顔を顰めた。
――まずいな。運河はまだ一本しか出来ていない。それにあれは一度限りしか使えない策だ。先遣隊とは正面から戦うしかないか……
「その先遣隊の総数は分かるか?」
「いや。潜入したと言っても、俺はビルジではなくその妻に張り付いていたからな」
「妻? へー、意外だな。陰謀とか大好きなやつだから、ビルジって陰湿で根暗で童貞のホモだと思ってたよ」
随分な評価である。だが斯く言うイゾルテは処女の百合で陰謀も大好きだった。ある意味正当な評価かもしれない。
「そんな奴が戦争に関わることを奥さんに相談していたとはなぁ」
「いや、そうじゃない。さっきの情報を知ったのは、シロタクの配下の者からビルジを説得して欲しいという手紙が来たからだ」
「何で奥さんに? ビルジに言った方が早いだろうに」
「サビーナの話では母方の従兄弟だとかいう話だ」
「ふーん、親戚か。ということはサビーナちゃんもモンゴーラの……って、ちょっと待て! サビーナちゃんがビルジの奥さんなのかっ!?」
「……そうだ」
「何と羨ま……って、もう一回ちょっと待て! じゃあ、なんでサビーナちゃんがここにいるんだ? つーか、なんでお前とエッチしてるんだっ!?」
「…………」
セルカンはバツが悪そうに視線を逸らせた。だが勘の鋭いイゾルテは二人の間に何があったのか即座に見抜いた。
「なるほど。人妻に横恋慕した挙句に女装して油断させて近づき、拐かした挙句に嫌がる彼女を散々に弄んでいる訳だな。その上飽きたらビルジに身代金を請求しようとは……恥を知れ!」
「お前が恥を知れ!」
セルカンは思わず立ち上がって叫んでいた。
「じゃあ、何がどうなってこうなってるのかちゃ~んと説明しろよ。そうでないと女装趣味の変態強姦魔兼営利誘拐犯として海に沈めるぞ」
セルカンは口を閉じてへの字に曲げた。それは一方的な言い分だったが、反論の機会は与えられているのだ。反論しないで不公平だと言っても仕方ないだろう。
――どうせ口裏を合わせられないならサビーナの方からバレるだろう。だったら正直に話すしかない。
「……サビーナはプラグの娘だ。と言っても何十人もいる妾腹の子の中の一人だがな。
同盟の証としてビルジに与えられたが、それだけの存在だ。2人の間には愛情はおろか会話もなかった。ビルジはプラグの介入を嫌ってサビーナに子供を生ませる気もなかったんだ。ただ彼女を閉じ込め、身体を弄んでいたんだ……」
イゾルテは同じ女として同情せずにはいられなかった。
――政略結婚というより贈り物に過ぎないのか。政治のために言葉も分からない相手に嫁がされ、しかも子を産むことすら望まれないとは。いったい何に望みを託せば良いのだろうな……
もっとも彼女は、女装して無理やりヘメタル神殿に嫁がせたアルクシウスについては全然同情してなかったけど。まあ、あっちは本人が喜んでいたし。
――その上盲目の美少女でお姫様。そんな娘に女装して接近し、頼りにされてたら確かに情も湧くだろうだろうな。
「なるほどな。それで彼女に同情して拾ってきたのか」
「違う!!」
思いの外強い反駁にイゾルテは仰け反った。
「確かに俺はあいつに同情していた。でもそれだけじゃない! あいつは……強い女だ。地獄の中にたった一人で残されるのだと分かっていながら、俺を逃がそうとしたんだ!」
「そ、そうか……」
イゾルテはちょっと気圧されていた。
「あいつは最初から俺の変装を見破っていたんだ! それなのに何も言わずに知らないふりをしていたんだ! お前に分かるかっ!?」
「い、いやぁ、分からないなぁ……」
イゾルテは何でセルカンがこんなに熱くなっているのかが分からなかった。
「だから俺は、せめてアイツを解き放ってやりたいと思って……」
その後延々と惚気とも説教とも付かない話を熱弁するセルカンに適当に相槌を打ちながら、イゾルテは密かに考えこんだ。
――ビルジはサビーナをどうするつもりなのだろう。誘拐されたということを公表し、それを以って戦争の大義とするか? いや、そもそも奴は皇帝を名乗っているのだ、ドルクの国土を回復するのに大義など必要ない。ならばプラグには秘密にしたまま?
セルカンから聞いた二人の冷えた関係とビルジの陰湿で根暗で童貞のホモっぽい性格を考えれば、その可能性は高そうだった。サビーナとの間に子供を望まないということは、匈奴との関係も一時的なものと考えているはず。その間都合の悪い事実は隠しておけばいい。
――とはいえ、プラグにバレることは恐れているはず。スエーズへ誘導する一手にも使えるかもしれないな……
「おい、聞いているのかっ!?」
ふと見るとセルカンが彼女を睨んでいた。
「……もちろんだ」
もちろん彼女は聞いていなかった。
「お前の熱い想いに感動した。私の言葉は些か軽薄だったようだ、すまない」
「そ、そうか? いや、分かって貰えれば良いんだ、うん」
素直に謝られてしまい返ってセルカンの方が気恥ずかしくなった。感情が先走ってしまい彼はそもそも何に怒ったのかもよく覚えていなかったし、彼女は何で怒られたのか欠片も気にしていなかった。
「だから私はお前たちに力を貸したい。お前たちを丁重に保護しよう」
「それはありがたいが、バブルンに送ってもらえれば後はどうとでもなる。北部に行けば家族もいるしな」
イゾルテは仮面の下で小さく舌打ちをした。
「彼女がこのままエフメトの元に向かえば……殺されるかも知れないぞ?」
「なに?」
「お前、本当に気付いていないのか? もし、サビーナの腹の中に子供がいたらどうなると思うんだ?」
「…………!」
万が一サビーナが妊娠していたとしたら、その子はビルジの血を引いている可能性があった。人々に憎まれる存在であると同時にその子にはドルクの帝位を継承する権利があるのだ。その子を立てることでビルジやモンゴーラに阿ろうとする者も現れるかもしれない。そのような陰謀の渦に巻き込まれることが幸せだとは思えないし、そもそも誕生する前に始末しようと考える者がいても不思議ではない。それどころか妊娠しているかもしれないという可能性だけで、彼女が暗殺される可能性もあるのだ。
「まさか……」
「せめて妊娠の是非が分かるまで、少なくとも2~3ヶ月の間は様子を見るべきだろう」
「そうだな……」
トリスの言葉には説得力があった。
「あと、ややこしくなるからお前もしばらくエッチするな」
「うぐっ」
トリスの言葉には説得力があった。
「ということで間違いが起こらないように、サビーナちゃんをお風呂にいれたり着替えさせたりするのは私がやるしかない……よな?」
「いや、それはさっきの宦官でいいだろ」
セルカンの言葉にも、やはり説得力があった。イゾルテは露骨に舌打ちをした。
「……ちッ!」
話がまとまって2人が握手をすると、横で見ていたベネンへーリが余計なことを言い出した。
「これでセルカン様もユイアト海賊団の一因でございますね。トリス様、もう正体を明かしたのですから仮面をお取りになってはいかがでしょう?」
「か、仮面? ダメだダメだ!」
何故か嫌がるトリスにベネンヘーリは首を傾げた。
「どうされたのです、トリス様。私どもにはその美しい顔をお見せ下さったではありませんか」
だがイゾルテは仮面を押さえて再びブルブルと震えだした。
「小ジワ……シミ……」
「そんなに気になさっていたのですか? 大丈夫ですよ、トリス様」
彼はそっとイゾルテの手を取った。
「テ・ワ殿も言っておられました。この薬指の付け根から伸びるシワは太陽を表し、多くの人の人気を得られる証しだそうです。古代ツーカ帝国の皇帝にもそのシワがあったのだそうですよ(注1)」
「えっ、シワって手のひらのことだったのか? そ、そうだよな! 私の肌はぴちぴちのもっちもちだもんな! あれ? じゃあシミは?」
「このシーテ・ハメーテ・ベネンヘーリ、恐れながらトリス様の洗濯を一手に引き受けております。パンツのシミの一つ一つまで私の記憶に焼き付けてございます」
イゾルテは思わず立ち上がった。
「なっ! なななななななんのことだっ!?」
「ふっ、大方脱ぎ散らかした服の上でお夜食をお召し上がりになったのでしょう。恐れながらこのシーテ・ハメーテ・ベネンヘーリ、匂いを嗅ぐまではまさかデミグラスソースだとは思いも寄りませんでした!」
「な、なんだ、デミグラ……って、嗅ぐなよ! だいたい何でお前が洗濯してんだ! エロイーザは何やってんの!?」
「毎日違うお料理のレシピを教える代わりに、快く御役目を譲ってくださいます」
「…………」
イゾルテは密かに決意した。今度から自分で洗おう、と。
注1 このシワは「太陽線」と言うそうで、漢帝国を興した劉邦にもあったそうです。
負けっぱなしなのに何故か人の集まってくる劉邦には、確かに不思議な力があったのかもしれません。
彼が美女や美少女だったら納得できなくもないんですが、おっさんの上に「龍顔」と呼ばれる変顔でもありました。
こんなんの人望に負けた項羽は、よっぽど手相が悪かったんでしょうね。




