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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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ユイアト海賊団 その1

 イゾルテはいつ果てるとも知れない悪夢の中にいた。ともすれば逃げ出しそうになる彼女の意識を、身体が上げる悲鳴と耐え難い悪臭が現実につなぎ止めていた。人として女として耐え難い苦痛の中で。彼女は悲鳴を上げ続ける身体に鞭を打って立ち上がった。しかし、彼女の悪夢はまだ終わりを見せなかった。

「もう我慢できねぇ。へっへっへ……」

これで何人目だろうか。また新たな男が彼女の身体と誇りを汚そうとベルトを外しながらやってきたのだ。

「この身をどれほど汚されようと……矜持だけは失わぬ!」

彼女は毅然として男に向き直った。

「へっへっ……へいかぁ~っ! まだトイレ掃除は終わらないんですかっ? もう我慢出来ませんっ!」

「うるさいわっ! お前らが汚すからこんなに汚れているんだろうがっ! それに今は、お・や・ぶ・ん、だっ!」

「もういいじゃないですか~、十分綺麗ですって!」

「ダメだ! 私の矜持が許さぬのだ。この、便所掃除の鬼たる私の矜持がな……」

キリっとキメ顔を見せるイゾルテは……激しくカッコ悪かった。

「親分の、親分の、バカぁ~~~!」

男がまた一人、内股でどこかへ走っていった。だが悪夢はまだ終わらないのだ。彼女は再びしゃがみ込むと無心に便器を磨き始めた。


 イゾルテは今、ペルージャ湾の船上にいた。アルビア半島に送った使節の帰りを待ちながらも、その武威を示すためにペルージャ湾の制圧に乗り出しているのだ。といってもその戦力は多くない。まだ艦隊は7隻しかなかった。

 最初の船は商人から借り受けた。機に敏いとっても善良(◆◆)な商人が市場原理に基づいて船賃を通常の20倍程に吊り上げているところにイゾルテが偶然(◆◆)遭遇し、彼の商才を褒め称えていたら気を良くして快く無償(◆◆)で船を貸してくれたのだ。彼女はそのお返しに、丁重にもてなすようバールに頼んだ。慎み深い商人は遠慮(◆◆)して何度も固辞したが、迎えにきたスエーズ兵に囲まれるとダラダラと脂汗を流して恐縮(◆◆)しながら宮殿に運ばれていった。今頃は宮殿で贅を尽くした(もてな)しを受けていることだろう。

 そしてペルージャ湾は今、海賊たちの天国だった。海軍というのはとかく金がかかる。今は中央政府が機能していない……というか、どの政府に従うのかそれぞれの艦隊が右往左往している状態である。予算も下りて来ないから、自分たちの母港を守り関税を徴収するだけで汲々としている。航路の安全に気を遣う者は皆無だった。その上メダストラ海で海賊を出来なくなった連中も流れてきており、ビルジの圧政で食い詰めた連中もいて海賊の人口は激増していた。更にはバブルンから家財を抱えて都落ちしてくる連中もたくさんいて、需要(?)も供給も絶賛急拡大中なのである。

 そんな荒れ狂うペルージャ湾に、近衛兵(元衛士隊)を中心とした海戦の経験のないプレセンティナの陸兵を載せ、ただの水夫の操船で漕ぎ出したのだ。しかも当然帆船である。彼らはすぐに海賊に発見され、操船技術の勝るガレー船に追い詰められ、海賊船の餌食になった。……もとい、海賊船()餌食になった。

「火炎樽で出鼻を挫くぞ! 敵一番艦に照準合わせ、……射てぇっ!」

 うっかり彼らに襲いかかった海賊船は、艦首に無理やり積まれたキメイラの射撃によって足を止められ、燃やされ、射竦(いすく)められて、次々に乗っ取られていった。ペルージャ湾という閉じた世界で天敵を知らずに食物連鎖の頂点に君臨していた海賊たちは、メダストラ海からやって来た外来種によって捕食される立場に追いやられたのである。こうして海賊たちの平和な楽園(?)は崩壊の危機に直面していた。……まあ、イゾルテの方も海賊みたいなもんなんだけど。

「うーむ、海賊とはなんとボロい商売なのだ。なんか海賊になりたくなってきたなぁ。……なっちゃおうか?」

どのみちプレセンティナ軍を名乗るわけには行かない彼女は、今はバブルンで人気の正義のヒーローに(あやか)ってユイアト(◆◆◆◆)海賊団を名乗っていた。


 そして今日も今日とて快進撃を続けるユイアト海賊団は、新たな獲物を発見した。

「親分、単艦で航行する船を見つけました! しかもどうやら海賊船じゃないようですぜ!」

「ほう、珍しいな。だがビルジ側の船かもしれん、拿捕しろ。くっくっく、どれくらい金目の物を積んでいるか楽しみだ。じゃ、任せた」

イゾルテはどこからか白い仮面を取り出すとその顔を隠した。

「親分、どちらへ?」

「戦力の補充だ、トイレ掃除の監督に行ってくる。トイレの汚れは心の汚れだからな!」

「はぁ……」

まったくつながりの感じられない言葉だった。

「ふふふふふふ、無辜の民を苦しめた海賊どもに地獄の苦しみを与えてくれるわ!」

イゾルテはとても活き活きしていた。きっとペルージャ湾の風が彼女の心の憂いを吹き飛ばしてくれるからだろう。……金欠という憂いを。



 セルカンは愛するサビーナとともに船上にあった。馬車を調達しても盲目の彼女はどうしても目立ってしまうから、船に乗せた方が秘密を守りやすいのだ。だが船という閉じた空間は人間関係に気を遣う必要がある。人見知りするサビーナの代わりに、セルカンはその変装技術と演技力を活かして船員たちと信頼関係を築くことに成功していた。

「すいません、しばらく隠し部屋の方に隠れていて下さい」

「また海賊ですの? 怖いですわ」

「あ、安心してください。このあたりの海賊にはちゃんと付け届けを渡してますから」

「まあ、それなら安心ですね」

「ええ。ですがあなたの姿を見たら奴らの気が変わるかもしれません。セルピナさんは、そ、その、魅力的ですから! ……あ、サブリナさんも」

「まあ」

「と、とにかく大人しくしていてくださいね、セルピナさん! ……と、サブリナさん」

船員は真っ赤になって走っていった。

「おほほほ、頑張ってくださいね~」

笑顔で船員を見送るセルピナに対して、サブリナと呼ばれた少女は青い顔をしていた。

「セ、セルカン……」

「サブリナお嬢様、セルピナですわ。セ・ル・ピ・ナ♪」

サブリナは青い顔のまま頬を引き攣らせた。恋人の知られざる一面を見て(聞いて?)、自分の選択が軽はずみだったのではないかと今更ながらに深刻な疑問が湧き上がってきたのだ。

「……よし、行ったようだな。もう大丈夫だ。だがサビーナ、俺が周囲を確認するまでは演技を続けろ。気を抜いてはダメだ」

セルピナことセルカンにそう言われて、サブリナことサビーナは安堵の溜息を吐いた。

――よ、良かったぁ。セルピナはあくまで演技であって、セルカンはセルカンなのよね!

「分かったわ、セルカン。でも、どうしてあなたまで偽名……というか変装を? しかも女だし……私よりモテてるみたいだし……」

その事実が微妙にサビーナを傷つけていた。自分の容姿を確認できない彼女にとっては第三者の評価が全てだ。それなのにセルカンが自分よりモテモテだという事実は、ただでさえ足手まといの自分がセルカンに相応しくないことの証明に思えた。

「お前とラビアを運ぶつもりで女二人って注文してしまったからな。それにラビアがいないなら俺が一緒にいないといけないだろ? それなら同性のフリをしていた方が都合が良い」

「それは……そうですけど……。でも、だったら私が男になった方が……」

「いや、意味ないから」

セルカンはパタパタと手を降った。でもサビーナには見えないことに気づいて代わりに彼女の肩に手を置いた。

「いや、意味ないから」

「何で2回も!?」

「まあ、あれだ。お前じゃあ男らしい男のフリなんて出来ないだろ? 女っぽい男っていうのは意外とモテるんだよ」

「え? でも他に女の人なんていませんよ? モテようがないのではありませんか?」

セルカンは目を逸らせた。彼女には見えていないことは分かっていても、彼女の無垢な顔を直視出来なかったのだ。

「……気にするな。お前は知らなくていいことだから……」

「…………?」

無邪気なサビーナが不思議そうに首を傾げると、セルカンは愛おしそうに彼女を抱きしめた。自分のより大きい偽乳に包まれたサビーナは微妙に複雑な気持ちになったが。

「とにかく、俺が女になってモテまくることでお前の盾になっているんだ。可愛いお前は俺だけのものだからな」

「そんなに深い考えがあったなんて……。あなたが男の人にモテて喜んでいるのかと勘違いしてしまいましたわ。ごめんなさい、セルピナ!」

「いや、そこはセルカンでいいから」

セルカンはパタパタと手を降った。でもサビーナには見えないことに気づいて代わりに肩を抱いた。

「いや、そこはセルカン愛してるわでいいから」

「セルカン、愛していますわ」

うっとりと頭ももたせかけるサビーナをそのまま抱え上げると、セルカンは床下の隠し部屋へと姿を消した。愛し合う二人にとっては薄暗く小汚いその場所すらも理想郷だった。2人にはもうお互いしか目に入らない。だから2人は……状況を忘れて少々うるさくし過ぎてしまうのだった。



 そのころイゾルテは、トイレ掃除をする元海賊たちを大声で怒鳴りつけていた。

「動け、動け、動け! そこ、洗剤薄いよ! 何やってんの!」

だが男たちは(はなは)だ不真面目だった。

「やってられねえ。何で俺たちがこんな事を……」

「奴隷として便所掃除をやらされ続けるくらいなら、死んだ方がマシだったぜ」

もとより便所掃除を喜んでやるような人間はいない。まして彼らは今朝まで海賊だった男たちなのだ。まあ、白い仮面を付けているイゾルテも傍目には不真面目に見えてたんだけど。

「甘えるな! 誰が貴様らを奴隷なんぞにしてやるものか! お前たちを奴隷にする気がないからこそ、私自らがここにこうして立ち会っているのだ!」

「……何だって?」

「見ろ、この便所を。この船が出来た時からこの便所は汚かったのか? 否、お前たちが汚したのだ! お前たちが初めて見た時には既に汚かったのかもしれない。しかし自分で掃除する気のないお前たちは、既に汚れているのだからといって汚し続けてきたのだ!

 見ろ、この海を。ペルージャ海はもとより無法な海だったのか? 否、お前たちが乱したのだ! 確かにお前たちが海賊になった時には既に海賊たちが暴れまわっていたのだろう。しかしお前たちはそれを言い訳にして船を焼き、財を奪い、人を殺し、女を犯してきた!

 お前たちが焼いた船は何十人の船大工が何ヶ月かかって作ったと思う? お前たちが奪った財産は何百人の男たちが何十年かけて蓄えたものだと思う? お前たちが殺した男たちはその何倍の人々に大切に思われていただろう。お前たちが犯した女たちは何百倍の人々に愛されていただろうか!」

 何気に男女差別が激しかったが、全体としてそれは彼には耳の痛い話だった。彼らはイゾルテの断罪を聞いて耳が痛む(◆◆◆◆)者たちなのだ。

 イゾルテは既に20隻以上の海賊船を沈め、1000人以上の海賊を殺し、500人以上を奴隷としてスエーズ軍に引き渡していた。もちろんマムルークのように開放される予定はないから、恐らく鎖に繋がれたまま匈奴軍と戦うことになるだろう。死刑同然だが自業自得だ。

 一方ここでトイレ掃除をさせられている者達は、食い詰めて海賊に入った比較的マトモな連中だった。根っからのアウトローではないからまっとうな社会生活を知っているし、だからこそ奪われた者たちの苦しみが理解でき、自分の犯してきた罪の重さも理解できた。彼らはただ、その事実から目を逸らし続けることでしか生きることが出来なかったのだ。だがその事実を突きつけられ、1人の男が悲痛な叫びを上げた。

「仕方なかったんだ! 仲間にならなきゃ殺されていた! 生きていくためには、仕方なかったんだ……」

その叫びを聞いて他の男達も顔を俯かせた。皆同じ気持だった。だがそれが言い訳にもならないことも、かつて被害者だった彼らは誰よりも理解していた。彼らは許されざる者たちなのだ。それを理解していなかったのはたった1人、仮面の少女だった。

「お前たちとて好んで海賊に堕ちた訳ではない。生き延びるために仕方なく選んだ道だ。だから私には、お前たちを責めることは出来ない……」

イゾルテはその男の傍らにしゃがみ込むと、白い仮面を外してその美貌を露わにした。汚らしい便所に似合わぬその神秘的なまでの美貌に、男たちは呆然とした。

「だから私は、お前たちに罪を償う機会を与える。お前たちが汚したこの海を、私と一緒に綺麗にするのだ。私に、力を貸してくれないか?」

イゾルテが手を差し出すと、彼は目に涙を浮かべた。だがその手を取ろうとして躊躇した。彼の手はあまりにも汚れていたのだ。だが彼女は微塵も気にした素振りを見せなかった。

「どうした? お前は自分の行為に責任を持たなくていい運命の奴隷として生きていきたいのか? それとも1人の男として罪を償い、世界に対する責任を担いたいのか? 私とともに来るというのなら……さあ、私の手を取れ!」

さらに突き出されたその白い手を、彼はその汚れた両手で恭しく包み込んだ。

「あなたと共に行きます、お嬢さん」

「ようこそ、愛と正義のユイアト(◆◆◆◆)海賊団へ! 私のことは親分と呼べ!」

 彼の双眸から滂沱の涙が流れだすと、他の男達も嗚咽を漏らし始めた。彼らは自分を認めてくれるのは同じ海賊だけだと思っていた。だから海賊として生きるしかないのだと思っていたのだ。そして戦いに敗れた以上は殺されるのが当然、生き残っても奴隷か下っ端として扱き使われる運命なのだと。だがこの美しい少女は、まだ立ち直る機会があるというのだ。彼らを一個の人間として認め、ともに戦おうと言ってくれるのだ!

「……親分、俺も付いていきます!」

「俺もです、親分!」

「俺も連れてって下さい!」

「もちろんだとも! 志を同じくする者はみなユイアト(◆◆◆◆)海賊団の一員だ、歓迎するぞ。だが、まずはこの便所掃除からだ。

 もう文句は言うなよ? 今度は私も一緒に掃除するんだからな!」

「「「へい、親分!」」」

 一転してキビキビと掃除を始めた男たちを見て、イゾルテは満足そうに頷いた。そして彼女は仮面を付け直しながら傍らの男の耳元で囁いた。

「よくやった。さすがは役者崩れだ、回を重ねるごとにどんどん上手くなるな」(コソっ)

「いえいえ、親分もなかなかのもんですよ」(コソっ)

イゾルテは仮面の下でニヤリと口を歪ませた。

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