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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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決意 その3

 ビルジは無為な日々を送っていた。モンゴーラに取り入ることは出来たから待っていればモンゴーラの大軍とともにドルク全土を奪還することが出来るのだが、ヒンドゥラ平定を優先するプラグはまだ動きそうに無かった。だが待っている間にドルクの状況は刻々と変わり、スエーズなどという三流国がバブルンを掌握してしまった。はっきり言ってカモである。今すぐ飛んでいって奪い返したい所なのだが、今度はモンゴーラに気を遣って動けないのである。彼はプラグがドルクに派兵するのを今か今かと待ちわびながら、無為に日々を過ごさざるを得なかった。

「兵力はどれほど増えた?」

乳兄弟のマフズンは、手元の資料をめくって顔をしかめた。

「現地の者を10万ほど集めて訓練させております。しかしドルクから連れてきた軍では脱走兵も多く、逆に3万にまで低下しております。せめてペルージャ地方の防衛に当たらせては如何でしょう? 少しは里心が抑えられるかもしれません」

「そしてペルージャで反乱を起こすのか? ダメだ。女でも抱かせて憂さを晴らさせろ」

「はあ、女ですか……」

それはいかにも乱暴な方法だったが確かに効果的な策ではある。金銭欲は戦にとっておくとして、食欲と睡眠欲、そして性欲を満たしておけば兵というのは案外言うことを聞くものだ。余計なことを考えるのはむしろ士官の方である。

「兵にはこの国の女を抱かせれば良いとしても、陛下は相手を選んで下さい。プラグの娘とはいえ、母は草原の蛮族ですよ? プラグ自身だって蛮族ですし。神聖不可侵たるドルク皇帝が抱くような女ではありません」

サビーナとのことを指摘されてシロタクは不思議そうに片眉を上げた。

「何を言っているんだ? 父上は随分といろいろな女を抱いていたではないか。異民族で異教徒の奴隷女までもな……!」

「そ、それは……」

マフズンはそれ以上強く言えなかった。これ以上は安易に触れてはならない話題だった。それは幼い頃からビルジに付き従っている彼こそが、一番分かっているべき事だったはずなのだ。

 だがビルジは重くなった空気を気にしていないようにニヤリと笑った

「それにあの女はあれでなかなか良いのだ。目が見えぬ分感度が良いのだろうな。他の女にも目隠しをさせてみたが、やはりこう、何かが違う。お前にも一度抱かせてやろうか?」

「じょ、冗談はやめて下さいっ!」

「なに、あの女のことだ。黙っていれば相手が誰だろうと分かるまいて! くっくっく!」

ビルジは楽しそうに笑ったが、それが冗談だと分かってもマフズンには笑えなかった。万が一そんなことがプラグにバレたらどうなることか……。でも、ちょっとだけ心が惹かれてゴクリと唾を飲んだ。

「と、とにかくあの女は注意して扱って下さい! 死なれてもマズいですが、子供が、しかも男子なんかが生まれた日にはドルク帝国が内側から乗っ取られてしまいますよ!」

「分かってるよ、ちゃんと気をつけてる。それにいざとなってもどうとでもなる。なんせ目が見えないんだ、うっかり火事を起こすこともあるとは思わないか?」

「……なるほど」

 政略結婚とはいえ正式な妻、しかも毎夜体を重ねる相手に対して、それはあまりにも非情な言葉だった。だがマフズンは、ビルジにサビーナに対する情が無いこと知ってほっと安堵した。

「しかし少しばかりエフメトの気持ちも分かったな。ニルファルというハサール女も、抱いてみれば意外と気に入るのかもしれん。エフメトを処刑する前に、やつの目の前で抱いてやろうかな」

「……まあ、いいんじゃないですか?」

人間、暇を拗らせると碌なことを考えないものである。マフズンは呆れながらも適当に相槌を打った。


「そういえば、シロタクなる人物から書状が届いておりますよ。それと珍しくあの女にも手紙が来ています」

「しろたく? 誰だ?」

「モンゴーラ人のようですが、よく分かりません」

「まあいい、読もう。モンゴーラ語なのか?」

「いえ、陛下に気を遣ったのかドルク語で書かれています」

「ほう!」

 支配者たるモンゴーラ人の多くは、あくまでモンゴーラ語を使いモンゴーラの慣習を押し通そうとしていた。征服者として当然の権利ではあるが、同じく当然ながら顰蹙(ひんしゅく)は買う。だがシロタクはわざわざドルク語で書状を送ってきたのだ。ビルジは少なからず好感を覚えた。


『ドルク帝国皇帝 ビルジ陛下


 私はキルギス・カンの長子ジョシの孫にして、ジョシ・ウルスの後継者候補であるシロタクと申します。

 この度プラグ叔父に助成してエフメトを討たんとやって参りました。

 エフメトは我らとハサールの戦いに横槍を入れた仇敵なのです。


 プラグ(カン)は私の願いを聞き届け、先触れとしてドルクに攻め入ることをお許し下さいました。

 しかし同時に、あなたの許可無くドルクに攻め入ることは許さぬとも仰せになられました。


 エフメトは我ら共通の敵、願わくば我らに貴方の敵を討たせ給え。


                                  シロタク』


「これは……!」

ビルジは読み進むうちに思わず立ち上がっていた。

「どうされました? シロタクとは何者なのですか?」

「ふふふ、どうやらシロタクはプラグの甥のようだ。

 そして降って湧いたような話だが……ようやく戦いの季節が巡ってきたようだぞ!」

「では、ついにモンゴーラの大軍が!?」

「……いや、どうやらシロタクはプラグとは別の独立した家に所属しているようだ。援軍に押しかけて来たと書いてある。プラグも認めているが、あくまでこのシロタクの軍だけでエフメトを攻撃するのだそうだ」

「大軍では……ない、ということですか?」

「そうだ。だが、何か問題があるか? これで我らも(◆◆◆)戦争を始められる! エフメトがバブルンにいた時ならともかく、今はスエーズごときザコがのさばっているのだ。まさに奪還の好機!」

「なるほど! エフメト派の始末はモンゴーラに任せ、我らは帝都と川の間(メソポタミア)を掌握出来る……」

「渡りに船だ。すぐにでも返書を……いや、事前にシロタクの顔を見ておくべきか。奴の心底も見定めねばならんしな」

「ではさっそくデレーに向かう準備を整えます。しかし今からでは出発が遅くなりますから、出発は明朝で宜しいですか?」

「そうだな……。今宵は前祝いと洒落こむことにしよう」



 サビーナの口数は日が暮れるとめっきりと減る。夕食時は特に。まあセルカンが隣りに座って「はい、あーん」「あ~~~~ん」と食べさせてるんだから当然だけど。見ているだけでも背中が痒くなるような行為だが、セルカンは非情な密偵である。真っ赤になりながらも声だけは平静を装っていた。この後に悪夢が訪れると分かっているからこそ、彼女にとっては大切な時間なのだ。

「……何をしている?」

突然かけられた声にセルカンは慌てて立ち上がった。

「へ、へへ、陛下っ! 今は、その、お食事中でしてっ!」

「……そんな事は見れば分かる」

ビルジの不機嫌な声はサビーナを怯えさせた。そして彼女の表情が曇ったことがビルジを更に不機嫌にした。

「……何だ、その顔は」

「サビーナ様は、その、恥ずかしがっておられるのです!」

「お前には聞いておらぬ!」

ビルジは苛立ち紛れにセルカンを殴りつけたが、「あ、そういやこの女はドルク語が分かんないんだっけ」と気付いてバツの悪そうな顔をした。彼は暴君だったがバカではない。自分の過ちに気づくことも出来るのだ。まあ、それを他人に対して認めることが出来ないんだけど。だからその気まずさは、自分以外の者へと向けられる。

「来い!」

彼はサビーナの腕を握ると有無を言わさず立ち上がらせた。

「いっ、痛い……」(カンザスフタン語)

一旦嗜虐性(しぎゃくせい)を帯びたビルジの瞳には、怯えるサビーナが、いやサビーナの怯えこそが美しく見えた。サビーナは愚かでか弱い取るに足らない女だったが、唯一にして絶対の真理を心得ていた。彼は神聖不可侵の皇帝なのだ。誰も彼の過ちを指摘してはいけない。彼は畏怖されるべき存在なのだ!

「今日は良いことがあったからな。今夜はとことん可愛がってやる!」

サビーナを引きずるようにして寝室に入ろうとする彼を、しかし追いかけてきた白髪の老人が両手を広げて立ち塞がった。

「……何のつもりだ? ジジイ!」

セルカンはビルジの怒声に動揺した。彼自身、自分が何のつもりでそんな事をしているのか分からなかった。

「サ、サビーナ様は、まだ、お食事が、済んでおりません」

しかし彼の動揺は返ってビルジを喜ばせた。

「気にするな、栄養ならたっぷり俺のをくれてやる。この女にもそう言ってやれ!」

「そ、そんな……」

ビルジは立ちすくむビルジを押しのけるとサビーナを部屋着のままベッドに押し倒した。

「や……いや……」(カンザスフタン語)

「陛下! せめて、せめてもう少しだけサビーナ様に優しく……」

「何を言っている。この女はこういうのが好みなのだ!」

ビルジはまるでセルカンに見せつけるようにナイフを取り出すと、息を呑む彼の前でその切っ先をサビーナの襟元にあてた。

「な……なにを……」

「こうするのだ!」

ビルジはビリビリと彼女の服を引き裂いた。

「いやぁぁぁぁあぁあ!」(カンザスフタン語)

慌てて胸を隠そうとするサビーナの姿はセルカンの血を沸騰させた。だが続く言葉が彼に冷水を浴びせかけた。

「見ないでセルカン! お願い!」(カンザスフタン語)

「…………!」

――サビーナは……俺を男として見ている!

彼女の言葉はセルカンを凍りつかせたが、逆にビルジは狂喜した。彼女が反応らしい反応を示したのは初めてのことなのだ。

「おい、ジジイ! 今この女は何と言ったのだ!?」

セルカンははっと我に返った。彼は非情な密偵なのだ。

――こんなことで動揺してどうする! 今宵のビルジはいつもと違う。良いことがあったとも言っていた。何か動きがあったのだ!

憎みあうハサールとスラムの血を引きドルクの貧民窟で生まれたセルカンには、血を分けた家族だけが全てだ。今この時非情になれなくて、彼に何の存在意義があるのだろうか! 彼はベッドから目を逸らしながら声を絞り出した。

「……わ、私に……見ないで、欲しいと……」

「ほう……」

それは天啓の閃きか、悪魔の囁きか。ビルジは昼間の戯れ言を思い出した。エフメトの目の前でニルファルを犯すという話である。

「……面白い。ジジイ、見ていけ」

「……は?」

セルカンは息を忘れた。

「どうした? もう枯れ果てたか? この女がイクところを見せてやると言っているのだぞ!」

「ごっ、ご冗談を!」

ビルジはセルカンの頭をがしりと掴むと、サビーナの顔に突きつけた。互いの息がかかるほど近くに互いの存在を感じ、サビーナは悲鳴を上げた。

「だめぇぇえぇ! お願い、見ないでぇ……」(カンザスフタン語)

「ははははっ! いいぞ! なかなか良い趣向だっ!」(ドルク語)

――サビーナ……!

ビルジの嬌声とサビーナの悲鳴の間で、彼はせめて自分の気配を感じさせまいと必死に声を押し殺した。セルカンは非情な密偵だ。聴覚の敏感なサビーナにすら彼の嗚咽一つ聞こえなかった。しかし、汗ばんだ彼女の肌に落ちる水の雫が、彼の存在とその心を彼女に確かに感じさせていた。


 朝方まで二人を弄ぶと、ビルジは満足して去っていった。残されたのは身も心も汚され尽くしたサビーナと、非情になりきれなかった哀れな密偵と、そして……彼女に宛てた一通の手紙だった。

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