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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
260/354

密偵

珍しく色っぽい話です

……が、またもやNTR

でも、ホモよりマシです……よね?

 セルカンは優秀な密偵である。なればこそ彼は非情でもあった。彼が愛情を抱くのは血を分けた家族だけだ。育ての父であり恩人でもあるベルカントには愛情というより義理を感じていたのだし、エフメト皇子に肩入れするのも弟のハシムが乳兄弟兼側近だからに過ぎない。だからハシムを(そそのか)してクーデターを起こさせようとしたこともある。彼は非情なのだ。

 女に関しても動揺……いや、同様だ。性処理のために女を買うことはあっても、同じ女は二度と買わない。情報のために籠絡することはあっても、愉しみのためだけに市井の女に手を出すこともない。不必要な情を抱かないためだ。

 強い情動は思わぬ結果を生み出す。だから避けなくてはならないのだ。彼が抱くのはもちろん、誰かが彼に対して抱くことも。

――それに今の俺は俺ではない。ハサール人とスラム人の血を引く忌み子ではなく、カンザスフタン人とドルク人の子だ。若く健康な男ではなく、腰の曲がったジジイだ。例え美女のあられもない姿を目にしようと、例え敵の首魁が隙だらけの姿を見せようと、俺は決して動揺しない。

「やめ、て。い、いた、いたい、です」(カンザスフタン語)

「そうか、そんなに気持ちいいか! ならば俺をもっと愉しませろ!」(ドルク語)

――そう、俺は動揺しないのだ。例え隙だらけのビルジが、俺の目の前で幼気(いたいけ)な少女を犯していようとも!

動揺していないセルカンはビルジの背中を睨みつけた。表情を変えても変装が解けないかの確認である。

動揺していないセルカンはギリギリと歯を噛み締めた。寸鉄を帯びることも許されない彼にとって顎は立派な武器だから、鍛錬を欠かすことは出来ないのだ。

そして動揺していないセルカンは、前かがみになった。老人のフリをしている以上、腰は曲げておかねばならないのである。

「はやく、すま、せて……」(カンザスフタン語)

「よし、来た来た来たっ! 行くぞっ!」(ドルク語)

クライマックスに差し掛かってもセルカンは落ち着いていた。目を背けて唇を噛んでいるように見えたとしても、それはきっと演技の練習である。その証拠に、事を終えたビルジがセルカンを呼んだ時、彼は一切の表情を浮かべていなかった。

「ジジイ、後始末をしておけ」

「…………」

 言い捨てて去っていくビルジにセルカンが無言で頭を下げたのは、怒りを(こら)えての事ではなく、彼が皇帝に対して直言出来る立場に無いからだった。そもそも彼には怒る理由がない。ビルジがこの少女を抱くのは彼女がビルジの妻(の1人)だからだし、密偵であるセルカンはそれを望んでもいた。正確には行為そのものはどうでもいいのだが、その後にビルジが睦言(むつごと)を囁くことを期待していたのである。重要な情報というのは得てしてそういうところから漏れ出すものだ。

 だがビルジは、彼女の肉体は気に入っても彼女の心には関心を示さなかった。素性や身分は蔑んでさえいた。だから彼女を抱いた後はすぐに自分の寝室に戻ってしまう。少女はまだドルク語が拙く、ビルジの方も合わせる気はないから会話らしい会話は未だに一つも無かった。彼が漏らすのは情報でも愛情でもなく、獣欲の塊だけだったのだ。しかも毎回敢えて彼女の上に漏らしていくものだから、こうしてセルカンが毎回後始末を命じられるのである。蛮族の女との間に子は作らないということだろうか、それとも男子が生まれれば自分の身が危ないとでも思っているのだろうか。

「失礼します、サビーナ様。体をお拭きします」(カンザスフタン語)

「…………」

 ベッドの上に横たわる少女は虚脱したまま、ただ顔をそむけた。セルカンが嫌われている訳ではない。むしろ彼女は血の繋がった祖父のように彼を慕ってくれていた。朝になればいつものように優しい笑顔を見せてくれるだろう。だが、だからこそ、今だけは涙に濡れるその顔を彼に見られたくないのだ。

 彼女の体温を布越しに感じながら、彼は優しく丹念に彼女の体を清めていった。ビルジに対する怒りと、倒錯した情欲が沸き起こりかけるが、彼は密偵である。仕事に私情は挟まない。彼は平静を保った。

「終わりました、サビーナ様。お着替えになられますか?」

「……自分で着ます」

「そうですか、分かりました」

彼は少女の手を取るとベッドの上に置いた寝間着に触れさせた。

「ここにございます。外におりますので、不都合がございましたらお呼びください」

「……ありがとう」

彼女はようやく彼に顔を見せた。未だ涙の跡の残るその寂しい笑顔は、何故かセルカンに幼いころのテュレイを思い起こさせる。二人に共通する草原の民の血のせいだろうか。彼女が彼の顔に手を差し伸べると、彼も慌てて優しく微笑んだ。彼女の柔らかい指先が彼の顔をなぞる間、彼はお返しに新しい布で彼女の涙の跡を優しく拭った。そこには互いを思い遣る愛情が感じられた。彼女はビルジに求めることの出来ない愛情を、せめてセルカンとの間に求めているのかもしれない。だが、全ては偽りである。セルカンは非情な密偵なのだから。彼は彼女の手を振りきって一礼すると、逃げるように彼女の寝室から退出した。



 セルカンが最初にこの宮殿に訪れた時、世話をするのがモンゴーラの王の娘だと聞かされた彼は、「え? ニルファル姫みたいの? 馬に乗って飛び回るお転婆を、ジジイにどないせいっちゅーねん!」とツッコミを入れかけた。だが彼は優秀な密偵だ。ツッコミは内心だけで我慢して、彼は愛想笑いを浮かべた。実に優秀である。

 しかし彼の心配は杞憂に過ぎず、サビーナはお転婆ではなかった。侍女に手を取られて静々(しずしず)と歩くその姿は、まさに深窓の令嬢、高貴な姫という様相だった。背が高い訳ではないが、小さな顔とすらりと細身な体が彼女を大人のようにも子供のようにも見せた。どこを見ているのか分からない茫洋(ぼうよう)とした視線が神秘的な雰囲気を醸しだしていたが、その顔に浮かんでいた(ほの)かな笑みは、むしろ彼女の悲しみや不安を物語っていた。

――小動物みたいな娘だな。愛想笑いを浮かべながら四方を警戒してビクビクしている。猛獣のようなニルファル姫はもちろん、意外に(したた)かな姉さんとも全然違う。本当にプラグ(カン)の娘なのか?

 しかし彼女がお淑やかな理由はすぐに分かった。(ひざまず)くセルカンに気づかず、ぶつかりそうになったのだ。

「姫様っ!」

「え? ラビア、どうしたの?」

「そこに男が控えております」

「え?」

侍女の言葉に彼女はきょとんとしたが、その目は一向にセルカンを捉えなかった。彼はその様子を見て、彼女の瞳が光を写していないことを悟った。

――なるほど、これは面倒だ。しかし、幾らジジイとはいえこんないい女の世話なんてさせて大丈夫なのかねぇ。

セルカンはどこか他人事のように呆れながらも、表面上は恭しく(こうべ)を垂れた。

「お初にお目にかかります。セルカンと申します。子供の頃に覚えて以来あまり使っておりませんでしたので、カンザスフタンの言葉におかしいところがあるやもしれません。どうか御容赦下さい」

文言こそ堅苦しかったが、その声音は努めて優しいものであった。臆病な少女を驚かせないことを再優先に考えたのである。だが少女の答えは予想より浮世離れしたものだった。

「まあ、本当にいらしたのですね。全然気配(◆◆)がしないから驚きましたわ」

セルカンは内心はっと息を呑んだ。

――そうか、目が見えない分他の感覚が敏感なのか。本当に厄介だな……

必要もないのに気配を殺していたことを反省しつつ、彼は表面上穏やかに微笑んだ。

「ジジイだからです。若い男なら姫を見ただけで心を乱したことでしょうが」

「まあ」

彼の軽口に侍女は微笑んだが、当の本人は首を傾げた。彼女は盲目であるが故に自分の美しさも知らないのだ。滑稽なことである。あるいは他人の醜さを知らないのかもしれないが。

「お顔を触っても良いですか?」

「えっ? ええ、構いませんが……」

セルカンが承諾すると、彼女は細く柔らかい指で優しく彼の顔を撫でた。たくさんの子犬に鼻先を押し付けられているような感覚に彼は思わず笑い出しそうになった。

――こんな娘がよくも草原で生き残れたな。……いや、だからか。1人では生きて行かれないと知っているからこそ、この娘は俺にまで――ど平民のジジイにまで優しく振る舞うのだ。

 それはある種の(したた)かさと言えるかもしれない。誰もが彼女に好意を持ち、彼女のために働こうとするだろう。

――だが、俺はお前の父の敵だ。夫の敵だ。俺はお前を利用させてもらうぞ!

セルカンは非情な密偵である。そうでなくてはならないのだ。彼が必死に自分にそう言い聞かせている間に、彼の顔を撫でるサビーナの指がピクリと震えたことも、彼女が僅かに眉根を寄せたことも、彼は気づくことが出来なかった。


 その夜、ふらりと現れたビルジがサビーナを押し倒し、泣き叫ぶ彼女を陵辱した。彼女を守ろうとした侍女は軟禁され、代わりにセルカンがただ一人の世話係になったのだ。僥倖(ぎょうこう)である! だが彼は非情な密偵だ。彼は幸運を神に感謝することもなく、ただサビーナの嗚咽を聞きながら拳を握りしめただけだった。

「ジジイ、後始末をしておけ」

「…………」

無言で頭を下げた彼は、握りしめた拳から血が滴っていることにようやく気付いた。手のひらに食い込んだ爪を引き抜きながら、彼は思った。

――せめて優しくしてやろう。この娘が壊れてしまえば、俺の役にも立たないのだからな

彼は非情な密偵だった。非情でなければならなかった。密偵とは非情でなければ耐えられない仕事なのだから……


 彼と彼女の受難は、その日以来毎晩のように続いていた。

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