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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第3章 太子擁立
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見舞い(後)

 3人が応接室のソファーに向き合って座ると、リーヴィアは頭を下げた。

「殿下、今日はありがとうございました」

「え、ああ、お見舞いのことですか。当然のことです。ミラはたった1人の従姉妹なんですから」

「そう言ってくださると、あの子も喜びますわ」

てっきり怒られると思っていたイゾルテは、内心でほっとした。だが本題はここからだった。

「ですが、それはそれ。殿下、いつまでも子供のような真似をなされてはいけません。テオドーラ様があなたくらいのお年にはすっかり淑女になっておいででした。そもそも殿下はなぜそのような服を着ているのですか? 15といえば結婚していてもおかしくないお年です。それなのに殿下は男の子おのような振る舞いをなさって、それでは嫁の貰い手もありませんよ。そもそも……」


 一方的なお小言攻撃にイゾルテがタジタジになっていると、天の助けがドアをノックした。

「失礼します、奥様。そろそろサビカス伯爵夫人とのお約束のお時間ですが……」

「まぁ、いけない。夫人には申し訳ないけれど、急いでお断りの連絡を……」

「いやいや、叔母上。突然お訪ねした私が悪いのです。私に構わずに行って下さい」

「そうですか? そう言って頂けると助かります。ではコルネリオ、殿下のお相手は任せるわ」

「あ、いや……」

「殿下、ゆっくりして行ってくださいね」

「はい……」

こうしてイゾルテはスキピア子爵と2人きりにされてしまった。


 子爵の名は、コルネリオ・パウルス・スキピア。陸軍の将軍の1人である。かつてイゾルテの叔父(子爵にとっては義理の兄)のグナエウスが戦死した戦いにも叔父の副将として参加し、途中からは指揮を引き継いで、怒涛のごとく押し寄せるドルク軍からルキウスが率いる本隊を守りぬいた。先頭に立って刀を振るいながら、雄叫びを上げて兵士たちを鼓舞し続けた猛将だ――という話を噂で聞いていた。厳格だが兵士たちからの信望は厚い――と、陸軍出身の衛兵が言っていた。まだ三十路前なので現場を離れないが、いずれ重職に就くだろう――と、ムルクスも言っていた。

 だが子爵は皇子の后の弟に過ぎないので皇族の席には座らないし、イゾルテは(海軍ばかりで)あまり陸軍の兵営は訪ねたことがない。だからイゾルテは、ほとんど子爵と話したことがなかった。これまでの数少ない会話では<ネコ>をかぶっていたのだが、今は軍服を着ているし、ミランダの前で<子供>っぽいところを見せた後なので今更に思えた。イゾルテは対応に困って、ひとまず頭を下げた。

「あー、子爵、先程は失礼した」

だが子爵は楽しげな声で笑った。

「いやぁ、殿下。こちらこそ助かりました」

「助かる?」

「殿下がおいでにならなければ、私が叱られていた所だったのです。実は、殿下がおいでになる前に私も同じようなことをしておりまして」

子爵は照れ隠しに笑いながら頭を掻いた。

「姉上に叱られそうになっていたところを、ミランダにかばってもらっていたのです」

「なんだ、それでは私を叱れないな」

2人は顔を見合わせて笑い声を上げた。意外に気さくな子爵の態度に、イゾルテは自然に<男装女子>として振る舞っていた。


「子爵は意外と愉快な人だったのだな。猛将と聞いていたのでもっと固くるしい人物かと思っていたぞ」

「それはこちらのセリフです。宮中でお見かけする姿とミランダから聞く様子があまりに違うので、先ほどまでミランダの言葉を信じていませんでしたよ。どちらが本当の殿下なのですか」

「どちらが本当ということもない。どちらも本当の私だ。どちらが欠けても、私は私ではいられないだろう」

「ははは」

「ひどいな。笑われるようなことを言ったか?」

「失礼。今のお言葉は、ムルクス提督がおっしゃっておられた殿下らしいなと思いまして」

「爺が? いや、子爵はムルクスと親しいのか?」

「いえ、年始の祝賀行事で何度かお会いしただけです。殿下がいらっしゃらないので、代わりに提督が忙しそうにしておられましたよ」

イゾルテは、ムルクスが彼女の仮病を取り繕うために奔走していたと解釈した。

「そうか、爺には苦労をかけたな」

その労りの言葉を聞いて子爵は、ムルクスの活動(◆◆)をイゾルテが公認しているのだと誤解した。ならば彼は、ムルクスの言葉が真実かどうか見極めなければならなかった。


「殿下、ご不快かもしれませんが、ローダス島でのことを教えていただけませんか?」

その言葉を聞いて、イゾルテの顔つきが変わった。

「子爵が興味を持たれているのは、やはり地上戦のことであろうな」

「いえ、海戦にも興味はありますよ」

「気を使わなくていい。どうせ海軍の自慢話は祝賀会で散々聞かされたのであろう? それに、次はこのペルセポリスでの攻防だ。ドルク陸軍の最新の戦術が気になるのは当然のことだ。だが誰も地上戦のことは話さなかったはずだ。地上を見て回ったのは私に随行した者くらいだし、祝賀会で話せるような内容でもないしな」


 まるでドルクが攻めてくるのが分かっているかのような口ぶりに、子爵は違和感を覚えた。だが子爵を含む陸軍の軍人たちは、常にそのような心構えでいることが求められている。単にそれを配慮しての言葉かもしれなかった。

「殿下自ら視察されたのですか?」

「いや、視察ではなくてムルス神殿に参拝したのだ、騎士団のメンツを立てるためにな。団長が合意したとは言え、下の者が納得していなければ将来に禍根を残す。

 それに私が騎士団に膝を折れば角が立つが、神殿でムルス神に(ひざまず)く分にはどこにも角が立たないからな」

子爵は思った。

――外交的なセンスはお持ちのようだ。国内世論への配慮もある。それに何より、ドルク兵で溢れるローダス島を横断するだけの肝の太さも。

「ローダス島はひどい有様だった。話に聞いた"修練の壁"は見るも無残に破壊されていた。我々はやすやすと城壁に辿りつけたよ。

 だがそこにあったのは想像を絶する物だった。ドルクは城壁を乗り越えるために死体と瓦礫を積み上げていたのだ。ムルス騎士団はそれを"地獄の坂"と呼んでいた。ドルクは"天の階(あまのきざはし)"と呼んでいたそうだ。ははは、面白いだろう。それぞれの視点の違いを見事に言い表している」

イゾルテは皮肉げに口元を歪ませて乾いた笑いを漏らした。

「…………」

子爵はイゾルテの語る内容のおぞましさと、それを冷めた目線で語るイゾルテに言葉を失った。


「だが、あれをそのままペルセポリスで使うことはできまい。城壁の高さが倍はあるから、必要な瓦礫と死体は8倍以上だ。その上、それほどの重量となれば、人の体が潰れてしまうかもしれない。それに万が一完成しても、物理的な対抗策は考えてある」

「どうなさるおつもりですか?」

「結局のところ、それは隘路(あいろ)にすぎないのだ。油でも木材でも、高濃度酒精(アルコール)でも撒いてひたすら焼き続ければいい。海戦で使った小型投石機で用は足りる」

ムルス騎士団を苦しめた奇策に対して、すでに分析も対策も考えられていることに子爵は感心した。

――浮網を考案したのも殿下であったな。殿下はこの手の工夫に向いておられるのだろう。

「なるほど。もはや海峡が封鎖されることもあり得ないのですから、物資に困ることもありませんからね」


「だがな、子爵。心理的な対抗策が思いつかないのだ。あれを見た兵士や市民が怯えた時、私は彼らを鼓舞する言葉を知らない。私自身、あれを見た時には言葉を失った。歴戦のはずの護衛の中にも、思わず嘔吐する者までいたほどだ。あれを目の当たりにして戦い続けたムルス騎士団はさすがだと思った。子爵、あなたなら何と言う?」

子爵は首を振った。

「分かりません。ですが伝える言葉が見つからないなら、行動で示すしかありません。私ならそのおぞましい坂に足を踏み入れ、雄叫びをあげるでしょう」

「…………」

予想外の答えにイゾルテは瞠目していた。

――なるほど、猛将と呼ばれるだけのことはある。こういう人物こそが人々の心の支えになるのかもしれない。マストの上から見守ることしか出来なかった私とは、根本から違うのだな……。



 イゾルテは離宮を辞する前にミランダの寝室を訪れ、彼女の額にキスをした。心の冷える話の後では、ミランダの無邪気な寝顔がいつもよりも一層愛おしく思えた。

「子爵、今日は話せて良かった。叔母上によろしく」

「こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました」


 帰りの馬車の中、イゾルテは考えていた。陸軍と海軍はプレセンティナの両輪だが、一般人を含めた国民の大半が戦うのは籠城戦、つまり地上戦だ。彼らの心の支えとなる者は、陸軍を率いなくてはいけない。それは、イゾルテが海軍に肩入れしている理由の1つでもある。テオドーラの夫となり、事実上の皇帝として君臨する人物にこそ陸軍を統率して欲しいのだ。

――スキピア子爵も悪くはない。だが候補に入れるのは、口だけではないと証明されてからの話だな。



 そのスキピア子爵は離宮で姉の帰りを待っていた。自宅に帰ろうと思っていたのだが、『叔母上によろしく』と言われた以上はちゃんと伝えなくてはいけない。彼は無駄に律儀な男だった。

 姉を待つ間、彼は独り思索に没頭していた。彼はこれまで、テオドーラが帝位を継ぐことに納得していた。というより、テオドーラでもイゾルテでも結局はその夫が実権を握るのだから、どっちでも変わらないと思っていたのだ。

 皇帝に劣るところのなかった彼の義兄が、日陰者として生き、日陰者として死んだのは長幼の序に従ったからだ。ならば、イゾルテではなくテオドーラが帝位に就くのが当然のはずだった。それは彼だけでなく、多くの宮廷人達の共通の考えでもあった。そのはずだった。


 だがローダス以来、ムルクスを中心としてイゾルテ派ともいうべき勢力が(にわか)に形作られつつある。それはまだ海軍中心ではあるものの、大臣や元老院議員を始めとする政治家、官僚たち、そして貿易商を始めとした民間の有力者までも巻き込み始めている。

 ムルクスは連日、方々(ほうぼう)の祝賀会に顔を出して周り、盛んにイゾルテを褒めちぎっていた。子爵もそこでムルクスの話を聞かされた1人だった。イゾルテを帝位に推そうという腹が透けて見え、平地に波瀾を起こすムルクスを軽蔑して席を離れようとした時、ムルクスが言った。

「テオドーラ様の夫となられる方が、イゾルテ様より優れた方なら良いのですが」


 テオドーラの夫とイゾルテの夫が同じ力量を持つのなら、長幼の序に従ってテオドーラが帝位に就くべきである。だが、テオドーラの夫とイゾルテ自身が同じ力量を持つのであれば、イゾルテが権力を握るのが正しいようにも思える。

――だったらやはり、イゾルテが帝位に就く方が正しいのではないか……?

子爵は、ムルクスの主張自体にはそれなりの妥当性を感じ始めていた。だが彼には、宮中で何度か会話を交わした美しく大人しい少女が、ムルクスの言うような英雄的な言動をしたとはとても思えなかった。ムルクスが野心のために自分の手柄を譲っている、と考えたほうが自然に思えたのだ。

 だが今日のイゾルテは、子爵の知る大人しい少女ではなかった。冷静な観察、的確な対策、そして心を切り離したかのようなその振る舞い。賢いだけで戦いを知らない訳ではない。怯えた兵を鼓舞する方法まで考えるのは、実際に兵を指揮した経験からだろう。ただのお飾りでなかったことの証でもある。


 彼はムルクスの言葉が事実であると感じると同時に、危うさを感じずにはいられなかった。彼が引っかかりを感じたのは、イゾルテの何気ない言葉だった。

『私自身、あれを見た時には言葉を失った。歴戦のはずの護衛の中にも、思わず嘔吐する者までいたほどだ』

――なぜ殿下自身が、15の小娘が吐かずにすんだのだ?

確かに水兵は陸の兵より大量の死体を見ることは少ないかもしれない。だが、戦争がない限り誰も死なない陸の兵と異なり、海兵は普段から事故死を間近に見ている。しかも、激しい実戦をくぐり抜けた直後だ。

――その中の精鋭が見ただけで嘔吐するような物を前に、なぜ殿下は黙りこむだけですむのだ? いやそれより、自分が言葉を失ったということが、そのおぞましさを伝えるなどとどうして思えるのだ? 殿下は御自分を、ただの人間だとは考えていないのではないか……?

 だが彼がそう危ぶむ一方で、イゾルテにはミランダに見せる優しい姿や、捕虜や奴隷に対する寛大な側面もあるのだ。何かが違う、と彼は思った。能力がどうとかいうのではなく、心の有り様が根本的に違うのだ。


『どちらが本当ということもない。どちらも本当の私だ』


彼は『黄金の魔女』という異名を思い出した。捕虜たちから漏れ聞いた噂だ。

彼は『太陽の姫』という二つ名も思い出した。もはやペルセポリスにその名を知らぬ者はいないだろう。


――神か、悪魔か。いずれにせよ只人(ただびと)には理解できぬのか……?


だが8年前に義兄に後事を託された以上、彼はイゾルテが帝位にふさわしいかどうかを見極めなくてはならない。彼は律儀な男だった。

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