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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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終戦

 ボス川の戦いでモンゴーラ軍が敗れ去ったその日、ズスタス率いるスノミ軍は苦境の中にいた。

「陛下、また一つ尾根を奪われたッス! 稜線を維持するのは無理ッス!」

「それでもスノミ騎兵か? 何としても維持しろ! 勝利のカギは稜線にある!」

 ズスタスは平地である回廊部分は既に3つ目にして最後の防衛線にまで下げていたが、左右の山脈の稜線は確保し続けていた。謂わば体だけ半歩下がって両手をずずいと突き出した体勢だ。相手はその突き出された手を警戒して踏み出してこれない。言わば出丸のようなものだ。(注1) おかげでモンゴーラ軍はむしろ稜線への攻撃を優先させるようになっていた。

「叔父上は50万のドルク兵に囲まれたペルセポリスを守り通した御方だぞ。その叔父上に『お前になら(娘の)全てを委ねても良い』と言わせるような劇的な勝利をモノにしなくてはいかんのだ!」

「しかしこの防衛線を下げたために攻撃に晒される稜線の長さも伸びてるッス。尾根もほとんど奪われたッス。敵はそれを足がかりに攻撃して来ているッス。もしどこか途中を破られれば、その先の部隊は孤立してしまうッス!」

「…………」

 尾根の拠点があることで稜線への攻撃を防いでいたのに、それを失っては稜線は丸裸だ。稜線は幹であり尾根は枝葉である。枝葉が落ちればいずれ幹も立ち腐れるのは当然のこととも言えた。

「陛下、ただでさえ慣れない山岳戦で疲れてるッス。それでも士気が折れないのは陛下を信頼してるからッス。でもいつもは先頭に立つ陛下が後方にいて、この上兵を無駄死にさせたら士気が下がるッスよ? ダダ下がりッス!」

ホルンにまで反対されてズスタスは不満気に口を歪めた。彼らの言うことが正しいと思うからこそ腹が立つのだ。

「止むを得ん……。だが、夜までは持ちこたえろ。夜の闇に紛れて撤退する。この防衛線の横までな」

「はっ! さすが陛下ッス!」

喜んで飛んで行くホルンを見送りながら、ズスタスは少しばかり自己嫌悪に陥った。


 だがズスタスの受難はそれだけに留まらなかった。撤退を終えて迎えた翌朝、稜線を奪い取ったモンゴーラ軍が勢いに乗って更なる攻勢に打って出る……はずだったのだが、そうはならなかった。

「へ、陛下……て、敵が、敵がいないッス!」

「敵……? 敵娼(あいかた)のことか?」(注1)

「違うッス! まあ、確かに女っ気はないッスけど……。でもそうじゃなくて、モンゴーラ軍が消えたんッス!」

「はぁ?」

「だから、モンゴーラ軍が居なくなってるんッス! 綺麗さっぱりッス!」

「まさか……どこかに間道でも見つけたのか?」

ノボロウシスクの存在意義は南北2つのモンゴーラ軍の合流を防ぐことに有る。他に道があるのなら彼らがノボロウシスクを守る意味は無かった。

「伝令を出せ! 街の南側の様子を調べてこい!」

「はっ、はいッス! ……って、あれ? でもそんなのがあったら、南のモンゴーラ軍が北に移動するんじゃないッスか?」

もともとモンゴーラ軍は閉じ込められた味方を助けに来たのだ。わざわざ回廊の中に進入するはずも無いだろう。

「それは……そうだな。じゃあ普通に撤退か?」

「そうじゃないッスか?」

ズスタスは危機的な状況に気付いて青ざめた。

「ま、マズい、マズすぎるぞ……!」

「え? 敵が撤退したんなら良かったんじゃないッスか?」

「バカモノ! このままでは、このままでは……叔父上が到着された時、敵がいなくてガッカリするじゃないか!」

「…………」

ズスタスは1人頭を抱えたが、ホルンは呆れるばかりだった。


 3日後ルキウスが到着すると、ズスタスは強張った笑顔で出迎えた。

「いやー、さすがは叔父上! その姿を見ただけで敵は逃げ去りました!」

彼はルキウスをヨイショすることでいい気になって貰うことに決め、彼に対する敬意を全身で表していた。具体的には腰を低くして揉み手をしていたのである。

「陛下……ちょっと情けないッス」(ボソっ)

「うるさいっ!」(ボソっ)

ズスタスがホルンをどつくのを見てルキウスは眉を顰めた。

「まだ聞いていないのか? 敵の本隊を倒したのだ。敵の撤退はそれを知ったからだろう」

「え? ええーと、そうだ! さすがは叔父上! 敵の本隊を蹴散らされたのですね!」

「敵を蹴散らしたのはハサール軍だ。バイラム殿が敵の君主を一騎打ちで華々しく(◆◆◆◆)討ち取ったそうだぞ」

実際にモンゴーラ軍を蹴散らしたのは主にプレセンティナ軍だったし、バイラムは一騎打ちに負けた上に勝手に自殺されちゃったのだけど。

 しかしルキウスとしてはプレセンティナの功績を誇ってハサールに(へそ)を曲げられては困る。プレセンティナにとってより直接的な影響のあるドルク防衛に関してハサール軍の協力をあてにしているからだ。名より実を取ったのである。

 一方バイラムとしてはプレセンティナや他のタイトン諸国に対してハサールの功績を主張する必要があった。だからバイラムはしぶしぶ(◆◆◆◆)嘘をついたのである。決して自分の名誉を守るためではないのである!!

「ま、またまたぁ。それだって叔父上の御助力があったからでは……?」

「お前が負けそうだって言うから、私は決戦を前に抜けて来たんだけどな」

「…………」

ズスタスは笑顔のままパクパクと口を動かしたが、ヨイショのネタは何も思いつかなかった。



 シロタクは未だ父が死んだことも知らず、ただ自分たちの窮地を脱しようと手を替え品を替えて様々な手を打っていた。だが平地を突破しよう強攻とすると馬まで鎧を着せた重装騎兵が表れて一掃され、山間部の防衛線を突破しようとすると油壺(だと思われていたが中身は酒精{アルコール})を投げつけられて火に追われた。浅瀬に首まで浸かって侵入を試みても遊弋している軍船に見つかって射殺(いころ)され、山脈を超えるルートを探しだそうと長距離斥候を送り出せば道に迷った挙句罠にかかって負傷したり原因不明の食中毒にかかって衰弱しきって帰ってきた。八方塞がりのシロタクは、ついに禁断の手段に打って出た。なんと兵たちを馬から降ろして、急造の盾を持たせたのである!

「……なんで今までやらなかったんです?」

「……言うな。お前たちだって思いつかなかっただろう?」

 命令一下歩調を合わせて前進する……ことは、モンゴーラ人にとってあまりにも向かない戦法だった。そもそも徒歩で戦うというのが向かない。両手を必要とする弓も使えない。だが盾を並べて弓矢を防げる効果は大きく、ほとんど損害を出さないまま防衛線に近づくことが出来た。

「よーし、良い調子だ。例の騎兵が出てくるかもしれんが、長槍の準備は出来てるな?」

「もちろんです。もし奴らが突っ込んできたら、ぶっ()くて長くて固いので串刺しにしてやりますよ!」

「…………」

「……照れんで下さい」

「照れてないっ!」

 だが重装騎兵は現れず、それどころか土塁から頭を出していた敵の歩兵たちまで姿を隠してしまった。

「どういうつもりかよく分からんが、好機だ! 全軍、突撃せよ!」

「「「ふうぅぅぅるぁぁあぁ!」」」

モンゴーラ兵たちは持ち慣れない盾と長槍(というか木の杭)を持って駆けた。バシャバシャと腰まで水に浸かって水濠を越え、あまり固められていない土塁を登り、その向こうに控える敵に襲いかかったのだ。

「喰らえぇえぇ!」

「うわぁーーー!」

「このっ! このっ!」

湧き上がる怒号を後方で聞きながら、シロタクは拳を握りしめた。確かな手応えがあった……ここまでは。

「駄目だ、槍も刀も効かんぞ! 手に負えん!」

「ぎゃぁあぁぁぁ! 火が! 火がぁぁああぁ!」

悲鳴が怒号に取って代わり、盾も槍も投げ捨てた兵たちが土塁を越えて駆け戻って来た。中には炎に巻かれた男たちもいて、頭から水濠に飛び込んでいた。

「なっ、何事だ!?」

シロタクは思わず怒鳴ったが、それはすぐに明らかになった。土塁の上に何だか良く分からない物が登ってきたのである! 全然明らかじゃなかった! 彼は逃げ惑う兵士の1人を捕まえると問いただした。

「何だアレは!?」

「わ、分かりません! 黒光りする硬い何かが焼けそうなほど熱く突っ込んで来るんです!」

「…………」

錯乱していて訳が分からなかった。

台吉(タイジ)、照れんで下さい」

「照れてないっ! と、とにかく撤退だ! また仕切り直すぞ!」

「はっ!」

 シロタクたちが慌てて走りだすとその背後で連続してボンボンと何かが弾ける鈍い音が連続して響き、カッと激しい熱を背に感じた。直後に吸い寄せられるような風を感じて振り返ると、天にも届かんばかりの巨大な火柱が上がっているではないか! 風は焔に向かって吹き込んでいるはずなのに、シロタクの肌はジリジリと焼けるように熱かった。

「こ、これが人の手による(わざ)なのか……?」

敢えて外して打ち込まれた火炎樽は、シロタクの体ではなくその戦意を焼きつくした。そのためのキメイラ、そのためのパエターンの炎であったのだ。シロタクたちは反撃を恐れて10ミルムも後退し、眠れぬ夜を過ごすこととなった。バイラムの名を以って講和の使者が遣わされたのは、翌朝のことである。


 使者となったのはボス川の戦いで負傷しハサール軍の治療を受けた千戸長の1人であった。彼の伝えたハサール川の申し出は、シロタク達が想像もしないものだった。

「武装を解除して国に帰れ、だと……?」

正確には武装と荷を捨ててハサール領から退去しろというものである。彼らには各自一頭の馬と20日分の食料だけを持つことが許されていた。モンゴーラ軍ではあり得ない申し出に、誰もそれを文面通りに受け取らなかった。

「ヌルい条件だ。ヌル過ぎる!」

「我らを武装解除させて、その後で襲おうという罠に違いない!」

「あの鉄の騎兵や鉄の箱に手も足も出ない我らにか?」

自嘲気味に呟いたシロタクの言葉に反論を唱えるものは誰もいなかった。言うべき言葉を持っていたのはただ1人、その申し出を持ってきた使者の千戸長だけであった。

「パトー様はハサールの(カン)と取引をなさいました。自ら命を断つ代わりに兵たちを見逃して欲しいと。パトー様は恐らくその日その場にいた者に限って仰られたのでしょうが、ハサール側は此度の戦役を通じての約束だと受け取ったのでしょう」

「父上が……?」

「もしここで断れば、パトー様のご遺志をも無碍(むげ)にすることになりましょう」

「…………」

 もはやシロタクは敵に勝てるとは露ほども思っていなかったが、最後の矜持がこの講和を受け入れることを拒んでいた。武装解除などという降伏に等しい講和を受け入れるよりも、最後の一兵まで戦って死ぬことでモンゴーラの名誉を守るべきではないのかと。しかしこの屈辱を受け入れることがパトーの遺志だということならば、彼がそれに従うのは当然のことだ。誰も彼を弱腰を罵ることは出来ない。シロタクには「まだ戦えた」と言い張る余地が残されるのだ! それは甘い誘惑だった。

――いいのか? モンゴーラ皇族の誇りとはそんなに都合の良いものなのか?

そうかもしれない。だからこそモンゴーラはこれほど大きくなれたのだ。だがパトーだけは他の(カン)たちと違うものを追い求めていたように思える。講和を受け入れることはそれを傷つけることになるのではないだろうか。だがそもそも、これはパトーが求めた取引なのだ。

――分からない。分からないのは俺が未熟だからだ。未熟な俺に兵たちを付き合わせる訳にはいかん。この兵たちは父上からの借り物に過ぎないのだから……

それすらも言い訳がましく思えてシロタクは顔をしかめた。

「……講和を受け入れよう」

 シロタクの決断に諸将は複雑な顔をした。彼らもシロタクと同じように、忸怩(じくじ)たる思いを抱えながらもほっとしているのだ。だが彼らは決断を下す必要が無い。決断に伴う責任を負うこともないのだ。公にはパトーの責任ということには出来ても、シロタクの心にはその重みがズシリと伸し掛かっていた。

――未熟なままで(カン)の位を受け継ぐことは出来ぬ。俺は俺の誇りを見つけ出さねばならん。そのためにはまず……復讐だ! 復讐を果たさねば、傷つけられた俺の誇りを取り戻すことも出来ぬ!

それはケジメとも言って良いだろう。だがパトーの仇を討つために兵を死なせるのは、自ら死を選んだパトーの遺志に背くことだ。彼の復讐の対象はハサールではなかった。

「今は雌伏して機会を待つのだ。だがそれは遠い未来の話ではない。プラグ叔父(◆◆◆◆◆)は気の長い方ではないからな……!」

口の端を歪ませたシロタクは、その目に昏い炎を宿していた。


 ヘメタル歴1525年10月28日、シロタクは正式に講和条件を受諾し、モンゴーラ軍は武装を解いて帰国の途に就いた。彼らがハサール領から完全に退去するのは半月ほど先のことではあったが、武装解除をしたこの日が事実上ハサール・モンゴーラ戦役の終戦となった。しかし草原に吹き荒れたこの嵐も、より巨大な嵐の前触れでしか無い。そしてそれを知る者達の目は、既にハサールを離れてドルクへと向いていた。

注1 出丸(でまる)出曲輪(でぐるわ)(出郭)とも呼ばれ、本城の外に独立して作られた防衛拠点です。

大阪夏の陣で有名な真田丸なんかがその典型ですね。

出城も似た概念ですが、こっちは本城からずっと離れていることが多い……と思います。

例えば山城なんかの場合、本城に繋がる山道を抑える時間稼ぎ用の出城があります。

じゃあ出丸にはどういう意味があるのかというと、こっちは主に反撃のためです。出丸は陥落しても本城の防衛には一切関わりがありませんから、門をどーんと開いて全員で攻めていってもOKです。

攻める方からしてみれば本城を攻めてると横から攻撃されちゃう訳ですから、鬱陶しいことこの上ありません。

その上本城よりも防御力が弱そうに見えるので、「取り敢えず最初に潰しておくか」ということになります。

打って出るような精鋭が小さな出丸に駐屯している以上、戦力密度が高いのは明らかなんですけどね


注2 敵娼(あいかた)というのは、文字通り客の相手をする娼婦のことです。

何で「敵」かと言うと、くんずほぐれつプロレスをするから……ではなくて、「敵」には「~に相対する」「~に相当する」という意味もあるからだと思います。

別に(enemy)でも何でもない相手と比較して「匹敵」という言葉を使いますしね。「無敵」もたぶん同じです。この場合は(enemy)でも意味が通りますが。

漫才コンビでもよく「相方(あいかた)」と言いますが、これを「敵娼(あいかた)」だと聞けば腐女子の妄想も捗るかもしれません。

「いやぁ、アイカタのツッコミが激しくて体がもたへんわ」

シロタクなら照れてるところでしょう。

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