ボス川の戦い その1
珍しく地図を付けました
「第2大隊、第2大隊、こちらデキムス。敵迎撃部隊を排除、上陸ももうすぐ完了する。ドウゾ」
『こちら第2大隊、ここからも見えました。また派手にやりましたね、ドウゾ』
「ああ、これで敵はこちらに殺到するだろう。敵がこっちに注目している間に手早く頼むぞ、ドウゾ」
『はっ、南岸の敵は排除します。その後は計画通り出来る限り渡河点を押さえます、ドウゾ』
「無理はするな、最低でも小隊を維持しろ。お前たちが死ねば、俺が叱られるんだからな。ドウゾ」
『一杯奢って頂けるんなら喜んで生き残りますよ、ドウゾ』
「……分かった。奢ってやるから生き残れ。通信終了、ドウゾ」
『ありがとうございます。大隊一同期待しております。通信終了!』
デキムスは蒼白になった。大隊全員と言ったら戦闘要員だけで1000人だ。
「ちょ、ちょっと待て! 奢るのはお前だけだぞ! おい、聞いてるか!」
応えは返って来なかった。完全な死亡フラグである。……デキムスの貯金の。
「くそっ! 言い逃げかよ! この通信手順には問題があるぞ!」
だが彼の受難はそれだけでは終わらなかった。
『デキムス将軍、デキムス将軍、こちら第1大隊。将軍、まさか第2大隊だけじゃないですよね? ドウゾ』
「…………」
『デキムス将軍、こちら第1大隊。まさか第2大隊だけじゃないですよね? 大事なことなので2回繰り返しました。ドウゾ』
見回せば同じ車内にいる兵士たちもジーっと彼を見ていた。何を言いたいのかは問わずとも分かった。彼らも第一大隊の隊員なのだ。
「……こちらデキムス、分かったよ。ただし一杯だけだぞ! ドウゾ!」
『さすがは将軍、ルビコン川(注1)までなら付いていきます。ドウゾ』
「一緒に渡れよ、畜生! ドウゾ!」
反乱を起こす理由も度胸も彼には無かったが、そこは一緒に渡ると言って欲しいところである。むしろ逃げないように護送するということではなかろうか。
――きっとイゾルテ陛下になら付いて行くんだろうなぁ
もっともイゾルテとルキウスの親子喧嘩でどっちの肩を持ったとしても、元老院は反逆罪に認定しないだろうけど。
『将軍、護衛小隊を残して全車上陸しました。ドウゾ』
「よし。では第一大隊、この島から敵を掃討し橋を確保しろ。出来るだけ派手にな! ドウゾ」
『はっ、かしこまりました! 通信終了、ドウゾ』
「通信終了」
ボス川はこの三角州でまず3本の支流に分かれ、真ん中の一本はその先で更に2つに分かれていた。つまり三角州は3つの大きな島で構成されているのだ。このうち彼らが上陸したのは中央の最も小さな島だ。デキムスの計画ではまずここを占拠し、モンゴーラ軍の耳目を集める必要があった。
「第一方舟艦隊、第一方舟艦隊、こちらデキムス。行動を開始されたし。ドウゾ」
『こちら方舟艦隊、了解。こっちに矢が飛んでこないようにせいぜい派手に暴れてくださいよ、ドウゾ』
「出来る限りのことはさせてもらう。通信終了、ドウゾ」
『通信終了』
交信を終えると10隻が一列に連結されていた方舟がバラバラになり、北西へと移動を始めた。一列になっていたのは地上から見つかりにくいようにするためであり、連結していたのは浮き橋のように連ねることでいちいち着岸しなくてもスムーズにキメイラを降ろせるからだった。
一方そのころパトーは、5ミルムほど離れた場所で浅い眠りの中にいた。
「汗! 大変です!」
天幕に飛び込んできた部下の叫びを聞いて、彼は即座に飛び起きた。
「ハサール軍が攻めてきたか! 渡河点はどこだ?」
枕元から刀と兜を掴むと、もうほとんど臨戦態勢だった。敵襲を予測していた彼は、鎧を着たまま寝ていたのだ。
「違います、巨大な火柱が上がりました!」
「は? ……火事ということか?」
「いえ、恐らくは敵の攻撃です。前後して怪しい船影を見たという報告が上がってきています」
「スラム人部隊か。撹乱のために放火したのだな?」
「違います! ……いや、違わないのかな? だとしても、普通の敵でも普通の放火でもありません! 中洲の中央の島に50m近い火柱が突如として上がったのです!」
「何だとっ!?」
パトーは天幕を飛び出して問題の島の方向に目を向けた。確かに火が上がっているようだったが、しかし50mの火柱と言えそうなものは一つもなかった。
「火柱など無いではないか」
「いえ、先ほど突然上がってすぐに消えたのです!」
「はあ?」
それほどの火柱というのは都市が丸ごと燃え上がるような大火の時にしか発生しない。あまりに強い火勢に上向きの風が巻き起こり、竜巻のように渦を巻いてぐねぐねとした禍々しい火柱となるのだ。自然の中では山火事くらいだろうか。だからこそ三角州に点在する灌木の雑木林にでも放火され、それが大火事になったのかと思ったのだ。まあ、確かに火事にはなっているようだったが。
「現に大した火事にはなっていないではないか。別に灌木がどうなろうと困りはすまい。あの程度の火事など放っておいても勝手に消え……」
パトーがそう言って島の炎を指差した時、目に見えて大きな炎が上がってキノコのような火柱となった。ただし音らしい音は遠すぎて何も聞こえなかった。
「なっ……何だアレはっ!」
「あれです! さきほどもあのような火柱が!」
「あれを、敵がやっているというのかっ!?」
「分かりません! しかし、味方でないことは確かです!」
「…………」
確かに味方がやっているはずもないし、味方でないなら敵がやっているはずだ。誰がどうやっているのかは分からないが、とにかく脅威であることだけは確かだった。
「まったく、次から次へと……! 迎撃は出したのだな?」
「向かわせました! ですが、あの有様では……」
尻すぼみなその言葉は、言外にそれでは足りないだろうという弱気な観測を漂わせていた。そしてそこに、新たな報告を持った伝令が飛び込んできた。
「申し上げます! 敵は異様な鉄の箱です! 数は定かではありませんが、少なくとも50個! 迎撃に向かった部隊より要請があり、更に3千を向かわせました!」
「箱……だと?」
ますます訳の分からない報告にパトーは頭を抱えた。
「箱馬車ということか? それとも攻城兵器の類か?」
「分かりません! 真っ黒な鉄で出来た箱で我らの矢を一切受け付けません。馬はつながれていませんが車輪はついていました。ですが問題は、その箱は火を吐くということです!」
「……全く分からん」
その箱がどんなものか分からない以上、いったいどれだけの戦力を差し向ければいいのかも見当が付かなかった。だがその箱とハサール軍のどちらが不確定要素なのかは明らかだった。
夜間は視界が悪いせいで渡河をする方も命がけだが、発見されにくい上に射撃の精度も低いからハサール軍が夜間に渡河を試みる可能性はもとより高かった。しかも今はわざわざモンゴーラ軍の後方を撹乱しているのだから、この機に渡河を試みるのは当然の策である。十中八九ハサール軍は渡河を試みるはずだったが、それを阻まんとするモンゴーラ軍の備えも万全だった。この地に陣を張ってから、渡河が出来そうなところは全て調べ尽くしてあるのだ。この一番北の支流は20ミルムあまりの間に25箇所の渡河点があった。そのどこから渡って来るかは分からないが、そのどこかからしか渡ってこないのだ。しかも縦列に並んで弓も射てず馬も走れない。分かっていれば脅威でも何でも無かった。
「ここは任せた! どうせこちらでは重騎兵は役に立つまい。予備隊の重騎兵3千はワシが率いてその箱とやらの対処に向かう。
お前たちは渡河点を全て固め、ハサール兵を1人足りとも通すでないぞ!」
「はっ!」
パトーは馬に跨ると即座に鞭を入れた。
「急げ! 敵に行動の自由を与えるな!」
キメイラは大いに暴れていた。ほとんど意味もなく火炎壺を投げ散らかして下草を焼き、完全に意味なく近くに敵もいないのに火炎放射器で炎を吐き出し、幾らか意味があることにおっとり刀でやって来た敵の増援の鼻先に火炎樽を一斉に投げつけた。
ボンっ!
ボボンっ!
ボボボボボボンっ!
ボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボンっ!
ボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボンっ!
再び天を焦がさんと燃え上がった"パエターンの炎"にモンゴーラ軍は慌てて距離を取った。
『デキムス将軍、こちら第一大隊。そろそろ散弾{粗末な矢を束ねたもの}を射った方が良いのでは? ドウゾ』
「こちらデキムス。まだだ! まだ敵の注目を惹きつけたい。今のところ敵は怖気づいてはいるが恐慌をきたしている訳ではない。散弾を発射して虐殺を始めれば躊躇なく撤退するぞ。それでは大半を逃がしてしまう。今のところは『おっかないけど天敵という程ではない』と思わせておけ、ドウゾ」
実際、これまでにモンゴーラ軍に与えた被害はせいぜい数百人といったところだ。1000人未満の部隊でそれだけ被害を与えたら大したものだが、ペレコーポの虐殺に比べればまだまだ大したことはなかった。
『分かりました。では、このまま火炎壺・火炎樽だけで橋を制圧します。でも、火が付いちゃっても知りませんよ? ドウゾ』
「構わない。どうせ渡るつもりは無いんだからな。ドウゾ」
『了解、でも後で建て直せとか言わんで下さいよ。通信終了、ドウゾ』
「通信終了」
島を制圧した彼らが次に狙いを橋に定めたのは、そこから別の島に乗り込むため……ではなかった。実のところこのあたりにある橋は近隣の都市や漁村のスラム人によって細々と維持管理されてきた木製の極めて粗末なものである。浅く流れも緩やかなこの三角州地帯だからこそ立っていられるシロモノだ。100年どころか1000年単位で残っている古ヘメタルの石造りの橋とは比べようがなかった。いつでも簡単に落とせるからこそハサール人も目こぼししてきたとも言えるだろう。
歩兵や騎兵が通る分には大丈夫かもしれないが、キメイラが渡るには重さの点でも横幅の点でも無理があった。ではなぜこの橋を制圧しようとしているのかというと、モンゴーラの増援がここを通ってやって来るからだ。……と言うのも強ち嘘ではなかったが、モンゴーラ騎兵ならいくらでも他の渡河点を押し渡って来られるだろう。デキムスの狙いはあくまで別にあった。
パトーが到着した時、先に出た増援部隊は橋の付け根で団子になっていた。
「どうした!? なぜ渡らぬ!」
「汗! ……橋の向こうに敵がいるのです」
「ならば攻めかかれ!」
「無理です! あれを御覧ください!」
兵士たちの間を縫って橋の袂にたどり着くと、パトーは向かいにいる敵の姿を見た。
「なんだ……あれはっ!?」
「分かりません!」
攻城槌のような物を想像していたパトーは、文字通り炎を吐き出す禍々しい黒い鉄箱に驚愕した。ただでさえ無骨なその姿は、自ら吐き出す炎に照らされて禍々しく、悍ましく、そして何より力強く映った。
「何かの例えだと思っていたが、本当に炎を吐いているとは……」
「それだけではありません! 奴らが何かを投げつけると、炎が膨れ上がって火柱が立つのです!」
「先ほどのはそれか! ……ここは大丈夫なのか?」
「恐らくは……。どうやら弓矢ほどには遠くに飛ばせないようです」
パトーは内心ほっとした。訳の分からない敵に訳の分からない方法で殺されるなど御免だ。
「これまでにどれくらいやられた」
「それほど多くはありません。私も含め2千の兵があの島に詰めておりましたが、およそ半数はこちらに脱出しています。残りも大半は南の川を渡ったようです」
「そうか……意外に損害は少ないな」
常軌を逸した敵の様子を見れば全滅したと聞かされても納得していたところだ。
「敵の速度は騎兵ほどには速くありません。逃げようと思えば幾らでも逃げられますし、どうやら川は渡れないようです。……歩兵ほど遅くもないのですが」
「歩兵より速いということは、人力で動いている訳ではないな。やはり馬車か?」
「分かりません。見ての通り馬は見当たりませんから、いるのならあの中です。箱のなかに置かれては馬を狙うことも出来ません。あの箱は矢も槍も受け付けないのです!」
「ふむ、やっかいだな……」
パトーは有効な攻撃手段が全く思いつかなかった。唯一の救いは騎兵ほどには速くなくて、川も渡れないということだろう。だからこそ敵は橋を確保しようと集まってきているのだ。彼は顔をしかめながら対岸の敵を睨みつけた。
――だが、なぜ攻撃してこない? 攻撃が届かないなら橋を渡って来れば……ああっ! 橋の上で火を吐いてたら橋が燃えてしまうのか!
何とマヌケな敵だろうか! そんなことなら初めからパトーたちのいる北の島に上陸すれば良かったのに!
「くっ、くくくくっ。兵は全て避難したのだな?」
「全てかどうかは分かりませんが、ほとんどは……」
「構わん、残っていても川を渡ることは出来る。橋が無くてもな!
橋に火をかけろ! 敵が渡る前にさっさと燃やしてしまえ!
南の島にも伝令を出せ、橋を燃やして敵を渡らせるなとな!」
「はっ!」
即座に松明が橋の上に投げ捨てられ、無数の火矢が橋に射掛けられた。だが案の定敵は何もすることが出来ず、そのまま無言で佇んでいた。橋が焼け落ちるには暫く掛かるだろうが、彼らにはどうすることも出来ないだろう。パトーはほうっと安堵の溜息を吐いた。
「これで急場は凌げたな。しかし後方に敵を抱えたことに変わりはない。退路も随分制限されてしまったしな」
「前線を下げますか? 今南の島にまで前線を下げても、川はまだ2本残っています」
「そうだな。しかし、敵が再び海から後方へ回り込む可能性がある。奴らはいったいどうやって上陸してきたのだ?」
「分かりません……。最初に迎撃に向かった百戸長が収容されています。お会いになりますか?」
「ああ」
「こちらです」
パトーが案内されたのは橋から少し離れた草原には、20人ほどの兵士たちが並べて寝かされていた。暗くて然とは分からなかったが、見た目は重症には見えない。ただうーうーと呻きながらもピクリとも動かない彼らが望ましくない状態であることは一目瞭然だった。
「……なぜ後方に運ばない?」
「馬に乗せて運ぶのは苦しがるのです。あの火柱で生きながら焼かれたために、全身に火傷を負っています。恐らくは……肺も」
「そうか……」
松明の下では煤けたようにしか見えなかったが、肺まで焼かれたとあっては助かる見込みはない。治療法もなく、じっくり怪我を治す時間もない。馬に乗れないとなれば尚更だ。今橋を焼いてしまった以上、この島から出るためには馬の背に乗って川の中を押し渡るしか無い。この者達にはとても耐えられないだろう。
「ば……ぱ、とぅ、さま……です、か?」
不気味なうめき声を上げていた百戸長が目を開けると、パトーは馬を降りしゃがみこんで彼の手を取ろうとし……考えなおしてその上にそっと自らの手を重ねた。
「そうだ、ワシだ。ご苦労だったな! 何があった?」
宙を彷徨っていた百戸町の視線がパトーを捉えた。だがその瞳には光はなく、その眼孔にはただ白く濁ったガラス玉が収められているだけだった。肺も焼かれるほどなのだ、瞳を焼かれぬはずがないではないか!
「はこの……なか、に……はこ、が」
「箱の中に箱? あの炎を吐く箱が、箱に入っていたのか?」
「はこ、の……ふね。おおき……いかだ」
「大きな筏に乗っていたのか!?」
「そう、で……す」
箱の船というのは良く分からなかったが、あの鉄箱が乗るような大きな筏で運ばれてきたということなら納得できた。筏なら水深が浅くとも関係ないし、当然上陸も容易だ。だが筏は船に比べて効率が悪い。船に疎い彼にだって、丸太よりも中身をくり貫いた丸太船の方が軽くて効率が良いことは容易に想像がついた。
――それほど巨大な筏だということか……
それだけハサール軍がこの陽動作戦に力を注いでいたということだろう。
「そ、して……たる、を……なげ……て」
「樽?」
「はれ……つ……(はぁはぁ)……ほの、お……(ぜぇぜぇ)」
――樽が破裂して炎……火薬か? 話に聞く焙烙玉(注2)に似ているが、馬が驚くほどの破壊的な音は聞こえなかったな……
パトーはいまいち釈然としなかったが、ぜぇぜぇと苦しそうに荒い息をつく百戸長に目を伏せた。
「もういい。……最期に、何か望みはあるか?」
「おじひ、を……。か、んの……てで」
「分かった」
パトーが短剣を抜いて胸に深く刺し込むと、百戸長は強張っていた顔をふっと綻ばせて静かに息を引き取った。
「お前の一族には厚く報いよう。天神の御下で安らかに眠れ」
彼は束の間黙祷すると、再び馬上の人となった。
「筏だ! 筏を始末すれば敵は孤立し無力化する! 夜陰に紛れてあの島に渡り、海岸の筏を始末してしまえ!」
「はっ!」
パトーが筏――方舟に目標を定めた時、しかしながらその筏は彼の思っていた場所ではなく、実はもっと彼の近くにいた。
『デキムス将軍、デキムス将軍、こちら第一方舟艦隊。両岸に接岸完了、あと15分ほどで完成します。ドウゾ』
「こちらデキムス。ご苦労、これよりそちらに向かう。敵には見つかっていないか? ドウゾ」
『今のところは大丈夫で……いえ、見つかったようです。今のところ敵の数は多くありませんが、援軍が来るのは時間の問題ですね。ドウゾ』
「なんとか持ち堪えてくれ! お前たちにこの戦いの、延いてはタイトン、いやメダストラ世界の命運がかかっていると良いのだ! ドウゾ」
『……分かりました、将軍。あなたにそこまで言われては、命を賭して守りぬくしかありません。ですが、最後に一つだけ知りたいことがあるんです。ドウゾ』
「何だ? 何でも言ってくれ。俺に答えられることなら何でも答えてやる。ドウゾ」
『奢ってもらえるのはキメイラ部隊だけじゃないですよね? ドウゾ』
「…………」
『あれ、聞こえてないのかな? 奢ってもらえるのはキメイラ部隊だけじゃないですよね? 大事なことなので2回言いました。ドウゾ』
意外と余裕のありそな態度にデキムスはガックリと肩を落とした。余裕が無いのは彼の財布だ。
「分かったよ! 奢ればいいんだろ、奢れば! ドウゾ!」
『さすが将軍、サイコロならいつでも代わりに投げて差し上げますよ。責任は持ちませんけど。ドウゾ』
「せめて俺自身に投げさせろ! 通信終了、ドウゾ!」
『通信終了』
こうしてデキムスと第一大隊は燃え盛る橋を離れて河口方向へと移動を開始した。
注1 ルビコン川はイタリア半島の付け根にある川です。古代ローマではイタリア本国と属州との境界線でした。
民主制時代の元老院議員は将軍経験者が多かった……というか、執政官や法務官経験者しか軍団を指揮できなかったので、元老院議員は大抵軍務経験があって軍団とも深いつながりがありました。
放っておくと子飼いの軍団を呼び寄せて対抗勢力に軍事的な恫喝を加えたりクーデターに発展しかねないので、「イタリア本国には軍団を入れちゃダメ! 問答無用で国家反逆罪だかんね!」と法律で禁じられていました。
しかしガリアで華々しい戦果を上げたカエサルは、本来褒められて然るべきなのに政治的な理由でガリア総督を解任されてローマに帰って来いと命令されます。軍団員たちも激おこ。みんなでルビコン川までやって来ました。
「でもなー、ここ渡ったら法的にも反逆者なんだよなー。俺って結構文才あるんよ? 今全部ほっぽりだせば、伝記でも書きながら愛人たちとウハウハ暮らせるんだよなー」
「でもガリア総督じゃなくなったら、いったいどうやって莫大な借金を返すんですか?」
「…………」
ラノベでは「小国の国家予算なみ」の金持ちが出てきますが、彼はリアルに「小国の国家予算なみ」の借金を個人で負っていた伝説の借キングでした。(最大の債権者はクラッスス)
こうして彼は反逆者の汚名を着ることを覚悟してルビコン川を渡ります。彼と深い信頼で繋がった軍団兵たちも。
ちなみにこの時彼が腹心に言ったのが「|賽は投げられた《alea iacta est》」という有名なセリフです。
借金で首が回らなくなった人って、最後は結局博打に走りますよね。
注2 焙烙玉は、正確には日本の戦国時代において村上水軍が使っていた原始的な手榴弾です。信長配下の九鬼水軍が何度もコテンパンにされたので、信長は安宅船(大型和船の一種)に鉄板を貼り付けた鉄鋼軍船を作ってこれに対抗しました。
ですが、これにヒッジョーによく似た兵器が300年近く前に登場しています。元寇の際に使われたという「てつはう」です。
しかしこの「てつはう」、正しい名称が分かりません。この「てつはう」というのも『蒙古襲来図』に「てつはう」と落書きされていただけですし、しかもこの落書きはどうやら後世に書かれたものらしいです。
そんな訳で「てつはう」にするのはどうかと思い、作中では「焙烙玉」の名前を使うことにしました。




