挟撃 その14
ルキウスの戦略はもともとわずかなタイトン軍を使ってできるだけ多くのモンゴーラ軍を拘束することだった。シロタクの遠征部隊を封殺しただけでも影響は計り知れないが、そうなればモンゴーラ軍本隊も救援を出さざるを得ない。もともと単独ではハサール本隊に勝てないからこそ、シロタクの遠征軍が帰ってくるのを待っていたのだ。彼らがいつまでも帰って来ないのではどうにもならない。ルキウスはその増援の多寡に応じてハサール軍本隊とともにモンゴーラ軍本隊を挟撃するか、あるいは南に向かった増援をズスタスと共に挟撃するか決めるつもりだった。
そしてそのモンゴーラ軍の動向を掴んだのは、空樽を運んできた船団とは別にケッチを素通りした一隻のガレー船だった。甲板上に強大な箱状構造物を持ついかにもトップヘビーなその船は、極力荷を捨てて喫水を浅くし、ボス川の注ぎこむタガロング湾(注1)奥深くに入り込んでわざと座礁させると、そこから四方50ミルムを監視していたのだ。もちろん、金玉袋{ガス気球}を使ってのことである。見た目はトップヘビーだが中身はすっからかんだったのだ。
『プレセンティナ軍本隊、プレセンティナ軍本隊、こちら彷徨えるドルク人。ドウゾ』
ちなみにムスタファはアドラーと一緒に方舟に乗り込んでいた。彷徨えるドルク人などと呼称しているが、実のところ金玉袋{ガス気球}の搭乗員は全員プレセンティナ人である。
「こちら本隊、どうした? ドウゾ」
『モンゴーラ軍本隊は最終的に三角州の中に陣を張りました。具体的な数は分かりませんが、前より半減しています。ドウゾ』
「ご苦労、監視を続けてくれ。通信終わり、ドウゾ」
『了解、通信終わり』
通信を聞いていたルキウスは腕を組んで考えこんだ。ボス川は大河だが河口付近では広く枝分かれして大きな三角州を作り出している。流域が広がった分水深も浅く、騎兵にとっては恰好の渡河点、いや渡河面となっていた。そしてもちろん、西部にも南部にももっとも近い重要地点でもある。両側を睨まねばならないモンゴーラ軍にとっては要地であり、かつ騎兵の機動力を損なわずに何段階にも渡って防衛線を築くことが出来る天嶮の要害でもあった。もともとモンゴーラ軍はシロタク軍が到着し次第西部に攻め込むつもりだったから三角州の北側、つまりボス側の右岸にいたのだが、中洲に移動したということはあくまで遠征部隊との合流を優先して防御に回るということだ。
――ならばハサール軍が接近しても今度ばかりは動くまい。ハサール軍の一部に南に向かわれたら目も当てられんからな。
そんなことになれば、アムゾン海の東岸に敵味方が7層に渡って入り乱れることになる。指揮官にとっては悪夢のような構造である。まあ、海を通して連絡が取れるルキウスは遠慮無くプレセンティナ軍を割りこませる訳だけど。
――三角州なら敵の行動も阻害できる。北岸はハサールに押さえてもらって、南から攻めかかるか……
騎馬なら比較的楽に渡河出来るとはいえ、ハサール軍の一方的な射撃を受けながら渡河するのは不可能に近い。だがそれはハサール軍にも言えることで、ボス川の支流を盾にすればハサール軍も渡ってこれないと考えているのだ。お互いに橋頭堡のない状態では川を渡ろうとした方が著しく不利になる。況して三角州を流れる支流は1本ではない。ハサール軍が血を流して川を渡ったところで、モンゴーラ軍は次の支流、次の支流へと後退すればいい。時間稼ぎをするには都合の良い戦場だった。
しかしこの戦術は一つの巨大な問題を孕んでいた。海からなら三角州のどこにでも簡単に乗り付けられるということだ。もちろん、タガロング湾の水深の浅さは大型船には致命的だ。だが川船では大人数を運べない。ノボロウシスク陥落を聞いて海上からの攻撃を意識せざるを得なくなったパトーも、このタガロング湾に大きな港が無いことを知って安心しているのだろう。
「よし、ハサール軍に連絡しろ。我々はボス川の河口を南から攻めるから北側を抑えてくれとな」
「はっ!」
7日後アドラーが方舟船団を率いて戻ってくると、プレセンティナ軍はボス川河口に向けて前進を開始した。最初はガレー船で牽引され時速2~3ミルム程度は出ていたのだが、2日ほどしてタガロング湾の中ほどに達するとガレー船が次々に座礁して動けなくなった。だが海底は柔らかい泥なので船底に傷が付くこともない。それが分かっているからこそ座礁するまでガレー船で牽引してきたのだ。そこからはカッター(小舟)を下ろし、更には方舟の舷側から櫂を漕いで進んだ。時速はたった1ミルム程にまで低下したが人だけは余っていたから4交代で漕ぎ続け、更に2日後には河口の目と鼻の先10ミルム沖で金玉袋{ガス気球}搭載船と合流して一旦錨を下ろした。夜間に出発すれば朝には上陸できる位置である。
「明後日の未明に上陸を開始したい。ハサール軍に連絡しろ」
「はっ!」
あくまで遠くと話す箱{無線機}の秘密を他国に開示していないため、この連絡は遠くと話す箱{無線機}で先日まで駐留していた漁村に指令を送り、そこから光通信{反射鏡と望遠鏡を使ったモールス信号モドキの情報伝達}によってハサール軍に伝達された。どうしてもタイムラグが生じるため、ハサール軍の返事が返ってくるには丸一日の余裕が必要だったのだ。だがその返答は思いもよらないものだった。
デキムスはなぜかモジモジとしながらルキウスの移動指揮車を訪ねた。
「陛下、返答がありました。ハサールの方は了解したとのことですが……」
「が? 何か注文があるのか?」
「いえ、ハサール軍からはないのです。ですが、スノミ・スヴェリエのズスタス陛下からの伝言がありまして……」
ズスタスは現在のルキウスの位置を知らなかったので、彼の救援要請が快速船によって漁村に届けられていたのだ。
「ズスタスから? 何と言って来たんだ?」
「……その、なんと言うか、口にしにくいので紙に書いてきました。お読み下さい」
「はあ?」
デキムスが顔を赤らめてモジモジしながら封筒を差し出すと、ルキウスは首をひねりながら受け取った。
「愛するルキウス叔父上へ
せっかく叔父上とお逢いできたというのに、離れ離れになって一月余りが経とうとしています。
叔父上の考えられた作戦は見事に成功し、私たちはノボロウシスクを制圧することに成功しました。
しかしモンゴーラの援軍による攻撃は激しく、か弱い私にはとても持ち堪えられそうにありません。
お慕いする叔父上がこの地に来られる日を、一日千秋の思いで思いでお待ち申し上げております。
あなたの可愛い甥、ズスタスより」
「…………」
「…………」
嫌な沈黙がその場を包んだ。色んな意味で嫌な文章である。何故デキムスがモジモジしているのか、ルキウスはようやく悟った。
――ま、まさか……アイツがベタベタしていたのはイゾルテが目当てだったんじゃなくて、私自身を狙っていたのかっ!?
しかしよく考えればズスタスはイゾルテの従兄弟でありゲルトルートの甥なのだ。性的にノーマルでなくても何の不思議もないではないか! 何よりこの恋文のような文章は、まさしく恋文以外の何物でもないように見えた。
「……誤解するなよ。アイツが両刀だろうと私にその手の趣味は無いぞ!」
「私に言われましても……。漁村でこれを開封した人間にも口止めしておきますか?」
「口止めじゃない! 誤解するなと言ってるんだ!」
そこのところの違いがルキウスの名誉に関わるのである。
「分かりました。しかしそれはそれとして、どうします? 行き先を南に変えますか?」
「そうもいかんだろう……」
すでにこの時にもハサール軍は動き出しているはずである。今更中止を連絡しても間に合わないだろう。ボス川河畔まで辿り着いたバイラムは「くっくっく、馬鹿め! 後ろからプレセンティナ軍に奇襲されて慌てふためくことだろう!」と期待しながら彼のほうが馬鹿みたいに延々と待ちぼうけを食らうことになるのだ。ドタキャンにも程がある。それこそ一日千秋の思いでルキウスを待つことになるだろう。
――ハサール軍が穏便に引き返せるように、少なくとも牽制はしないとなぁ。でも一度攻撃をしかければ二度とこの手は使えない。今が千載一遇の好機なのだが……
ズスタスだけならこのまま死んで貰った方が良いくらいだが、それでは隣国ホールイ3国の2王やベルマー子爵やファーレンシュタインのようなイゾルテのシンパまで失うこととなる。彼らを見捨てたプレセンティナの評判は地に落ちるだろう。更には一旦は収まったかに見えるアプルンの野心を再び刺激することになるかもしれなかった。
「……止むを得ない、軍を2つに分けよう。
私は一個大隊を率いて南に向かう。デキムス、お前は残り2個大隊を率いて予定通りモンゴーラ軍本隊を襲え」
「私が……? 陛下が主戦場に向かわれるべきではないのですか? そ、それともまさか、ご自身の手で救出したいのですか? 愛しいズスタス陛下を……」
「アホか! お前の方がキメイラの指揮に慣れているからだ! 況して三角州は川と陸と湿地が入り組む複雑な地形だ。お前が居なくてはキメイラを上手く動かせまい」
「ならば陛下が2個大隊連れて行かれるべきです」
「馬鹿を言うな、主戦場はこちらだぞ? 本来3個大隊で当たるべき所を2個大隊でやって貰うのだからお前に申し訳ないくらいだ」
「陛下……」
ルキウスはその主戦場の華々しい役割を臣下に任せ、自分は裏方に回ろうと言うのだ。常に騒ぎの中心にいつづけるイゾルテとは何と対照的なのだろうか! まあ、単に任せられるものは人任せにしたい性格なだけかもしれないけど。
「分かりました! 必ずやモンゴーラを倒してご覧に入れます!」
「よし! だが死ぬなよ? 死ねばイゾルテが悲しむ」
「えっ、イゾルテ陛下が?」
――まさか、イゾルテ陛下は私のことを……?
デキムスは再び顔を赤らめモジモジしだした。
「クィントゥスが死んだ時も悲しんだからな。もっともアレは、兵が死んでも市民が死んでも悲しむのだが」
「……そうですね」
デキムスは期待が外れても不思議と悪い気はしなかった。そこに男女の愛は無くとも、君臣の愛があることは確かだったのだから。
「ではさらばだ、デキムス。私は第3大隊を率いてすぐに南に向かう!」
「はっ! 御武運をお祈りしております!」
注1 ボス川=ドン川、タガロング湾=タガンログ湾
ドン川はモスクワの南東あたりからアゾフ海へと流れる大河です。ミハイル・ショーロホフ著『静かなるドン』のドンです。新田たつお著の方とは関係ありません(たぶん)
タガンログ湾はドン川が運んでくる泥(というか天然ヘドロ)が堆積していて平均水深は5mだそうです。
なぜタガロングにしたのかというと、私がずっとタガロング湾だと思い込んでいたからです。




