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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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挟撃 その12

 一方ノボロウシスクの北方を守るスノミ騎兵は、着々と防御態勢を築いていた。山に挟まれた回廊出口はもちろん、低い山々の稜線にも防御陣地を構えていた。騎兵である以上彼らはそれなりに裕福だったが、意外にも壕や柵を作るのが苦手ではなかった。なぜなら彼らは……雪かきに慣れていたから! そして薪を割ったり切り出したりするのにも慣れていたから! 斧一本で作業する彼らの作業はひどく大雑把だったが、防御用の柵を作るだけなら問題はない。それどころか掘っ立て小屋まで(しつら)えて、サウナを作ってしまう余裕まであった。あちこち隙間だらけで覗き放題なのだが、幸い覗かれて困るような者は一人も居なかった。

 そんなスノミ騎兵の前にモンゴーラ軍が現れたのは、ノボロウシスクに到着してから10日目のことであった。

「申し上げます! 北より5000騎あまりの敵兵が迫ってきております!」

稜線に置かれた物見台からの報告を受けて、ズスタスは(いき)り立った。

「よーし、今度こそ大手柄を上げてやるぞ!」

 ズスタスは焦っていた。ノボロウシスク攻略が最大の見せ場だったというのに、到着する前に陥落しちゃっていたのだから! これではいったい何のためにここまでやって来たのか分からないではないか。

――手柄だ、必ず手柄を上げてやる! イゾルテが認めざるを得ない手柄を!

「陛下、相手の数が少ないッス! やっつけちゃっていいッスか?」

ズスタスのやる気が伝染(うつ)ったかのように、ホルンも戦意旺盛だった。

「愚問だな、ホルン! 俺は何より手柄を必要としているのだ! だから決して倒してはならん!」

「分かったッス! では今すぐ……」

天幕を飛び出そうとしたホルンがピタリと足を止めた。

「え? ダメ……なんスか?」

「ダメだ! 確かに勝つのは容易(たやす)かろう。しかし5千ばかり蹴散らした所でどうなる? 勝って当たり前と言われるだけだ」

「……でも、放っておいても手柄にはならないッスよ?」

「物は考えようだ。俺たちは戦い全体の趨勢が自分たちにかかっていると思って必死に走ったよな? でも無駄だったよな? あの虚しさを忘れてしまったか?」

「忘れてないッス! 虚しいだけじゃなくて、悔しくって歯がゆくって、このモヤモヤを敵にぶつけたいッス!」

「ならば想像してみろ。叔父上がキメイラを率いてえっちらおっちらやって来た時、我らが敵を殲滅しちゃってたら……どう思う?」

「…………!」

ホルンは目を剥いて驚いた。ズスタスの癖になんという気の遣いようだろうか!

「そもそもイゾルテが目的で援軍に来たのに、敵の首級の数を競った所でどうなる? あいつは彼我の損害非で勝敗を判断するような馬鹿じゃない。要は戦略目標をいかに達成するのかということだ」

さすがに北方の獅子王と呼ばれる覇者だけはある。彼はこうみえて優れた戦略家でもあるのだ。

「……ここを守るってことですか?」

「馬鹿者! お前は『娘を獲得しようとするものは、まず母親から始めよ』(注2)ということわざを知らないのか? イゾルテを()とすにはまずはその父である叔父上を()とす必要があるのだ! 俺は叔父上に気に入られるために媚を売り続けてきた。これは最後の一押しなのだ!」

それは大体正しい話だった。本当は母親にアプローチすべきなのだがゲルトルートはとっくに死んでるので仕方がない。問題は彼が媚を売れば売るほどルキウスに辟易されていることと、ズスタスがそれに気づいていないことだった。

「驚いたッス! 嫁の尻に敷かれて(しゅうと)(こび)を売るなんて、とても陛下とは思えないッス!」

「何とでも言え! 兎に角俺は叔父上に気に入られるためには何でもする。そのためなら寝所に偲ぶことすら(やぶさ)かではない!」

ここだけ聞いていたら、まるでルキウスに恋焦がれているかのようだった。

「まあ、分かったッス。勝ちすぎないように防御に徹することにするッス」

「よし、それで良い。あとは叔父上に救援を要請しよう。どんな風に媚を売ろうかな? 腕がなるぞ!」

「…………」

何だか変な方向に情熱を燃やし始めたズスタスに対して、ホルンはそれ以上かける言葉がなかった。



 ノボロウシスクがモンゴーラ軍の只中(ただなか)に置かれた橋頭堡(きょうとうほ)(注1)として機能し始めている一方で、近い将来同じような状況になることが予測されるサナポリにも新たな兵力が到着していた。ダングヴァルト率いるヘーパイスツス傭兵(の第一団)が到着したのである。長年の敵であるドルクの地を前にして、ダングヴァルトは感無量だった。

「遂に来たか……。フルウィウス、見ているか? ここがドルクだ! 早速ドルク美女を征服しないとな♪」

当然のように彼は娼館を探しに出かけた。……が、船を降り切る前にがしりと肩を掴まれた。

「ねえ、あなた。いったいどこへ行くつもりなのかしら?」

ダングヴァルトはビクリと体を震わすと、ギギギと音が鳴りそうな不自然さで恐る恐る振り返った。

「……ちーちゃん、誤解だよ。娼館じゃないよ。仮に娼館だとしても、娼館という名の宿屋だよ?」

「そうね。それがどんな宿屋かよーく知ってるわ、私」

「……いや、ほら、俺が泊まる訳じゃないよ? 傭兵さんたちが泊まりに行くだろうから、挨拶をしに行くだけだよ?」

「そうね。挨拶がてら目星を付けておいて、後であなたの代わりにフルウィウスさんが泊まりに行くのよね? それとも御休憩かしら?」

「…………」

全てを見透かすようなチェチーリアの冷たい瞳に、ダングヴァルトはそれ以上何も言えなかった。まあ、見透かすも何も彼の行動が分かり易過ぎるんだけど。


「久しぶりですね、ダングヴァルト将軍。いや、今は書記官でしたかな?」

誰かの声をもっけの幸いに振り向くと、彼は岸壁に立つ海軍の軍服を着た品の良い笑顔の老人を見つけた。

「……誰でしたっけ?」

もちろんムルクス提督である。そしてもちろん彼らは初見ではない。陸軍と海軍に分かれているとはいえ、将軍同士が顔を合わせる機会など幾らでもあったのだ。最低でも5回は会っているのだが、いかんせんダングヴァルトは爺さんの顔になど興味が無かったのだ!

「…………」

ムルクスはただでさえ細い目を嬉しそう(◆◆◆◆)に更に細めた。別にマゾではない。そう見えるだけで本人は怒っているのだ。チェチーリアはそれを即座に察した。(元の)仕事柄、彼女は男性の感情に敏感なのだ。

「主人が失礼しました! ちょっと船酔いで頭がぼーっとしてますの! プレセンティナ人なのに情けないですわね!

 ご挨拶が遅れました、私はダングヴァルトの妻のチェチーリアと申します」

「そうですか、長旅お疲れ様です。私はムルクスと申します。見ての通り海軍の者です。今はイゾルテ陛下からサナポリの街を預かっています」

――この街を預かってる、ですって? 太守……いえ、総督ということかしら?

意外に大物だったことにチェチーリアは冷や汗を垂らした。ペルセポリスやバネィティアとは比較にならないが、サナポリも人口10万は抱えていそうな大都市だ。しかもプレセンティナの支配下に入ったことで、商取引の規模は急速に拡大することだろう。その街を預かるということは大変な重責である。だがダングヴァルトは全く物怖じしていないようだった。

「ああ、ムルクス提督でしたか。髪型変えました?」

「変えてませんよ」

相変わらずニコニコしている――ように見えるムルクスの前で、チェチーリアだけがダラダラと冷や汗を流していた。


「来て貰って早々に申し訳ないのですが、すぐに引き継ぎをして頂けますか?」

「引き継ぎ? 敵が迫っているのですか?」

「いえいえ。それどころか豊かな中原は空白地帯になっています。今なら王国の1つや2つ簡単に建国できますよ」

「ええっ!? 本当に?」

「ええ、本当に」

ダングヴァルトは衝撃を覚えつつもなるほどと深く納得した。イゾルテが何故金さえ出せば動かせる傭兵団を連れて来させたのかがようやく分かった。彼女は彼に自分の裁量で国を作れと言っているのだ!

――イゾルテ陛下も策士だな! 俺に国を作らせておいて、そこに嫁ぐという計画に違いない! 

皇帝である彼女でも、外国の王に嫁ぐということなら言い訳が立つ。身分違いと言われることもない。いったいどうやったのかはダングヴァルトにも分からなかったが、イゾルテはそのためだけにこんな状況を作り出したのだろう。

――ちーちゃんは第二夫人に降格しちゃうけど、王妃になれるんだから勘弁してもらおう。陛下、あなたのためにこのメソポタミアを須く平らげてご覧に入れますよ!

彼はイゾルテの期待に応えるべく心の中で誓いを立てた。しかし、ムルクスの話は終わっていなかった。

「でも来年には100万以上の軍勢が押し寄せますので、それまでの短い天下ですね」

「…………」

死ぬほど要らない土地だった。防衛の責任を負わされるくらいなら放置しておいた方がマシである。だからこそ空白地帯になっているのだろう。納得である。


「……引き継ぎということは、提督はどこかに行かれるんですか?」

「陛下に呼ばれましてね。1万ミルムほど航海に出ることになりました」

「1万ミルム!? いったいどこへ?」

「ここから1000ミルムほど東です」

「…………」

物凄い遠回りだった。まあ単に移動するというだけでなく、戦争を大義名分としながら将来の交易ルートを開拓する意味もあるのだが。


「あれ? じゃあ誰がこの街を守るんですか?」

「何を言ってるんですか、あなたですよ」

「……ですよねー。って、あれ? じゃ、じゃあ、もしかして、俺が総督に!?」

ローダス島のコレポリスは元老院属州だが、サナポリは皇帝属州である。総督の任命権は皇帝にあった。彼女がルキウスさえ説得できれば、将軍をクビになったダングヴァルトでも総督に任命できるのだ。

――そうか、まずは総督として実績を積めということなのですね。分かりました、必ずやこの街を守りきり、大きく発展させてみせましょう!

彼はイゾルテの期待に応えるべく心の中で誓いを立てた。しかし、ムルクスの話は終わっていなかった。

「何を言ってるんですか、あなたは傭兵隊長でしょう」

「……ですよねー。って、あれ? じゃあ、誰が総督なんですか?」

「まだ到着されていませんが、あなたも良く御存知の方ですよ」

「…………?」

ダングヴァルトは首をひねった。彼がよく知っているプレセンティナ人は、イゾルテの他には娼婦たちくらいである。総督になれるような人物に心当たりはなかった。フルウィウスが生きていれば、20年後くらいには総督になってたかもしれないけど。

「居るでしょう。あなたに釘を刺すことが出来て、しかも交易に詳しい人物が」

ダングヴァルトははっとしてチェチーリアに目を向けた。

「ま、まさか、ちー……」

「父君です」

「……ちぎみですよね~」

何故か「ちーちゃん」と言いかけたことは誤魔化しておいた。彼女なら意外と上手くやるかもしれないが、そもそもイゾルテは面識もないのだ。

――しかし、親父かぁ。この歳になって親父の部下になるとは……

大商人であり元老院議員でもあるダングヴァルトの父は、確かにこの交易港の総督にふさわしいかもしれない。問題は軍事面の実績が全く無いことだが、それをダングヴァルトに補えというのだ。

 だが彼には少なからず葛藤があった。実のところ彼は父親への反発から軍人になったのだ。色街に入り浸るようになったのも、政略結婚させられろうになったからである。そして彼はいい年して未だに父親の財布をアテにしていた。現在の彼を形作ったのは全て父親の影響だったのだ! ……最後のは完全に甘えだけど。

「親父が総督というのは、まあ分かります。しかし、なんで俺が守備隊長なんです? そりゃあ傭兵隊の世話係はしてますけど、おれはとっくに軍籍を離れた身ですよ」

「プレセンティナに外国人傭兵を扱う部署はありません。またプレセンティナ市民軍をこの地に派遣することも難しい。かといってこの街の市民を徴兵したところで、いったいどれほど役に立つのか分かりません。正規の軍人でないあなたとヘーパイスツス傭兵に最もふさわしい戦場ですよ」

もっともらしい話だったが、ダングヴァルトは頬を引き攣らせた。ムルクスは――というかイゾルテはこう言っているのだ。「この街は危険だから、プレセンティナ国民は置いておけない」と。あまりにも酷い仕打ちに、ダングヴァルトは肩を落とした。

「つまり……負けたら負けたで仕方がないと?」

ムルクスは再び嬉しそうに目を細めた。今度は本当に嬉しいのだとチェチーリアには分かった。

「おや、ご不満ですか? 折角あの時(◆◆◆)のやり直しが出来るというのに」

「…………?」

ダングヴァルトは首をひねった。

「アルーア大陸にぽつんと取り残された橋頭堡。敵の大軍に包囲され、僅かな兵でそれを耐えしのぐこの戦い。似ているとは思いませんか? あなたが軍から追放された、あの時(◆◆◆)の戦いと」

「…………!」

 それはテオドーラの婚礼の日に行われたガルーダ地区の防衛戦のことだった。守備に徹しろと言われながら、親友フルウィウスに手柄を挙げさせるためにその命令を破り、そのフルウィウスだけでなくクィントゥス将軍をも虚しく死に追いやってしまったのだ。もちろん多くの兵も一緒に。

――あの時死んだ者達の弔い合戦だというのか! 軍を追放された俺を拾い上げてくれただけでなく、あの時のやり直しまでさせて下さるとは……

ダングヴァルトはイゾルテの厚情に涙した。あまりにも重い彼女の()に。

――必ずや敵を蹴散らし、あなたの夫となるにふさわしい手柄を立ててご覧に入れます!

彼は時にフルウィウスの名を騙ることがあったが、今はその考えまで往時のフルウィウスとそっくりになっていた。ムルクスは少々不安に思いつつも少し肩を竦めただけだった。

――まあ、陥落したらしたで仕方ないですね。どうせ匈奴を撃退した後には簡単に取り返せるのですし。

それでも守備隊を置いて守ろうとしているのは、最後まで市民を守って抵抗したという実績が今後100年の安定をもたらすからであった。

注1 橋頭堡(きょうとうほ)という言葉はただ単に「前線基地」「拠点」という意味で使われることが多いですが、本来は橋の対岸を守るための砦のことです。

つまり敵の勢力範囲内に切り込んだ拠点です。百年戦争後のカレーみたいなものですね。

カレーを確保しているおかげでイギリスはいつでも安全にフランスに上陸できました。

一方フランスにとっては喉にささった小骨のように邪魔な存在です。RPG風に言えば敵のヘイトを一身に集める盾役というところでしょうか。

カレーは百年戦争のちょうど100年後までイギリス領でした。


注2 昔札幌に住んでいましたが、本州の人がイメージするほどの降雪量はありませんでした。

気温が低すぎてそもそも大気中の水蒸気量が少なすぎるのです。無理やり絞り出した水分はパウダースノーになるのであまり積もりません。時間あたりの降雪量は大したことないのです。

ですが、問題は春まで全く溶けないこと。おかげでどんどん積もっていき、パウダー状だった雪は圧縮されてカチコチになります。

騙されてはいけません、パウダーなのは表面だけです。


注3 『|娘を獲得しようとするものは、まず母親から始めよ《He that would the daughter win, must with the mother first begin》』は西洋のことわざで、「女の子と仲良くなりたかったら、先に(彼女が信頼している)母親と仲良くなっとけ」という意味です。

いきなりナンパしたら警戒されますけど、母親と仲の良い所を見たら「お母さんが信頼してるんなら悪い人じゃないのね」と思う訳です。

東洋で言うところの「将を射んと欲すればまず馬を射よ」ですね。

こうやってコブ付きの母親と再婚したロリコンが、女の連れ子を毒牙にかける訳です。……え? 違う?

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