見舞い(前)
1月も末になると、年始の祝賀行事もあらかた終わっている。偉い人が暇になった頃を見計らって行われる1ランク落ちる新年会も終わり、今はさらにその下のランクの新年会が行われている。だが皇女であるイゾルテがわざわざ出向くほどのものではないので、イゾルテは仮病をやめて(今更ながら)新年の挨拶に皇宮を訪れた。といっても、正面から訪れると外廷(政治を行うエリア)をうろついている貴族や官僚に捕まってしまうので、裏門からひっそりと後宮に赴いた。ちなみに男装女子化計画は続行中なので、トーガではなく軍服を着用している。
「新年おめでとうございます、父上」
「ああ。おめでとう、イゾルテ。お加減は如何かな?」
「皮肉ですか? 仮病だとはお伝えしたはずです」
「ああ、皮肉だとも。テオドーラがどれほど心配したと思う? 放っておくと離宮に押しかけそうだったので、無理をしていろいろな祝賀会に連れて行ったのだぞ」
イゾルテはその言葉を聞いて内心冷や汗を垂らした。最悪の場合、見舞いどころか看病と称して離宮に居着いていたかもしれない。
「そ、それは、助かりました。ありがとうございます」
「まぁ、良い。おまえのお陰でいろんなカクテルも楽しめたしな」
「カクテル?」
イゾルテは聞き覚えのない言葉に首を傾げた。
「なんだ、知らないのか? お前の所で作った高濃度酒精(アルコール)で作ったお酒だぞ。色々な飲み物に混ぜて飲むのが流行り始めている」
「…………」
「今に一気に需要が増えるぞ。離宮では生産量に限界があるだろう、どこかに用地を確保しないとな」
「父上、たぶんその高濃度酒精は……掃除用洗剤ですよ」
皇帝は飲んでいたお茶を吹き出した。
「ゴホッゴホッ! 何だと!?」
「まぁ、衛生上の問題はないのですが、一応掃除用洗剤として卸しているものです」
「飲用ではないのか?」
「悪酔いするので飲用には卸しておりません」
「悪酔い? 別に悪酔いなどしなかったぞ?」
「申し訳ございません。せっかく高濃度にしたものをわざわざ希釈するという発想はありませんでした。未熟者とお笑いください。今後は飲用にも卸すことに致します」
イゾルテは妙に堅苦しい言い方をした。八つ当たりで飲用禁止にしたのを恥じてのことだったが、「折角高濃度にしたのに薄めるなよ」という皮肉にも聞こえた。
「いや、笑ったりはしないが…。今後は私も洗剤を飲まされることがなくなる訳だな、喜ばしいことだ」
「ところで用地のことですが、高い秘守性が必要となります。おいそれと余所で作ることは出来ません」
「それほどのものか? 確かに重要な輸出品に化ける可能性はあるが……」
だがイゾルテはきっぱりと言い切った。
「重要な機密です。工廠をお借りすることになるかと思います」
「工廠を? だがガレー船の件で工廠も忙しいはずだ。軍人たちが納得するだろうか?」
「説得はこちらで致します」
「そうか。まあ、お前に任せよう。だが大がかりな工事は差し控えろ。ドルクがきな臭いからな」
「ドルクが?」
「ああ。おそらくヒシャームは赦されるだろう」
「?」
イゾルテが首を傾げると、ルキウスは妙に喜んだ。
「おお、お前にも分からないことがあるのだな。父は嬉しいぞ」
「皮肉ですか?」
「とんでもない。まだお前に教えられる事があったと喜んでいるのだ。ムルクスは『もう教えることがない』とぼやいていたがな」
「爺がそんなことを……」
「それはともかく、ヒシャームはローダス攻めの総大将だった男だ」
「それくらいは知っています」
「では、ヒシャームが皇帝の乳兄弟だと知っていたか?」
「いえ」
「帝位を巡って骨肉が争うドルクの帝室では、乳兄弟というのは重要な繋がりだ。『乳は血より白い』という言葉もある。『すぐに黒ずむ血に比べて、乳は腐っても白いまま』というところから転じて、『血のつながった兄弟より、乳兄弟の方が信用できる』という意味がある」
「腐ったらダメだと思いますが……」
「恐らくは馬乳酒や乾酪のことであろう」
「おお、なるほど」
「まあそんなわけで、おそらく皇帝はヒシャームを殺したくない。だが、あれほどの大敗を喫して処罰しないとあっては皇帝の権威が損なわれる。ヒシャーム自身、あちこちから恨みをかっているしな。だから、赦すための理由を作ろうとするかもしれない」
「理由……一度の敗戦は、一度の勝利で償え、と?」
「いや、より大きな勝利を以って、だ」
「より大きな……スエーズ、ではないですよね」
スエーズはアフルーク大陸とアルーア大陸を繋ぐ地峡だ。ドルク帝国と北アフルーク諸王国(の中のスエーズ王国)の国境でもある。スエーズ王国は、いわば北アフルーク諸王国にとってのプレセンティナだ。地形を利用してドルクの大軍に対抗している。だが中立の北アフルーク諸王国を新たに敵に回すより、既に敵になっている国を襲う方が可能性が高い。つまりはプレセンティナだ。
イゾルテは真っ青になって呟いた。
「私は、ヒシャームを捕らえるべきだったのでしょうか……?」
「ドルクには次の皇帝の座を狙う3人の皇子たちがいる。ヒシャームがプレセンティナに殺されたとなれば、その仇を討つことで得点を稼ごうとするであろうな」
「では、そもそもローダスに援軍を出すべきではなかったと……?」
「そうではない、ドルクがプレセンティナを襲うのは必然なのだ。それは秋の後に冬が訪れるのと同じことだ。だが逆に言えば、夏の直後に冬は来ない。今が秋だと分かっていれば、冬に備えることができる。
1年のうち冬の4ヶ月を冥界で過ごすペルセパネが、うっかり暦を読み間違えればハゾス(冥界の王)の怒りが世界を襲うだろう。我々も暦には注意しなくてはな」
自分のせいではないと分かり、あるいは、少なくとも皇帝が責めているのではないと分かり、イゾルテは幾分血の気を取り戻した。
「では、今は秋だと言うのですね」
「ああ、年明け早々にな」
その後しばらく歓談した後、イゾルテは帰ることにした。
「姉上が見舞いに来ないうちに、快復したとお伝え下さい」
「ああ、分かった。快気祝いがどうとか言い出しそうではあるが……」
「そのあたりは上手いことお願いします」
「ああ、まかせろ。もう慣れた。見舞いといえば、ミランダがまた臥せっているそうだ。お前も病気だと聞いて心配していたそうだぞ、見舞ってやってはどうだ?」
「ミランダが? そうですか……これから行ってみます」
ミランダはルキウスのすぐ下の弟の娘で、イゾルテにとっては従姉妹にあたる。皇位継承順位は第3位。たった3人しか居ない皇位継承権保持者の1人である。
イゾルテはその足で、ミランダと叔母のリーヴィアが暮らす離宮を訪れた。こういう場合、普通はあらかじめ使いを立てて相手の予定を聞き、訪問日時やフォーマル度を相談し、それに合わせた服装を整えてから訪問するものだ。だがイゾルテは全てをすっ飛ばした。部屋の中に取り次ごうとするメイドを押し留め、ドアをばぁんと開け放ちながら大声を上げた。
「ミラぁ、お見舞いに来たぞぉ!」
「ルテ姉さま!」
だがそこには、ベットから身を起こした小さなミランダの他に、栗鼠のように小柄な貴婦人と熊のように大柄な男がいた。
「……失礼しました、叔母上。それにスキピア子爵」
イゾルテは言いながらペコリと頭を下げた。
「お久しぶりです、殿下。今、あなたが立派になったとお話ししていたのに台無しですよ」
イゾルテは苦笑いを浮かべながらポリポリと頭をかいた。イゾルテは昔からこの叔母が苦手である。
「まぁまぁ、姉上。お忙しい中ミランダを訪ねてくださったのです。お小言は後にしましょう」
大柄な割につぶらな瞳が熊のぬいぐるみを思わせるスキピア子爵は、このリーヴィアの実の弟であり、ミランダにとっては叔父に当たる。イゾルテは思った。
――あれ? 結局後で叱られるの?
優しげに見えても猛将と知られる人物だ。あんまり優しくないのかもしれない。
「ミラ、久しぶり。元気だったか?」
ミランダはくすくす笑いながら答えた。
「ルテ姉さま、元気じゃないですよ。ルテ姉さまこそお元気だったんですか?」
「私はいつも元気だ。実は朝ベットから出るのが嫌で嘘をついてたんだ。ミラもホントは元気なんじゃないのかぁ~?」
「くすくす、そうかも知れません。おじ様やルテ姉さまが来てくださって元気が出てきました」
ミランダは両手を振り上げて力こぶを作るふりをしてみせたが、イゾルテにはその腕の細さが痛々しかった。生まれながらに体の弱いミランダは、今年で11歳になるのに体つきは8歳くらいにしか見えない。体重なら6歳児並かもしれない。一年の大半をベットの上で過ごし、残りも屋敷から出ることのないミランダにとって、イゾルテは一番年の近い友人でもある。
「前に話した船のことは覚えてる?」
「ルテ姉さまのお母様と同じ名前の船ですね」
「そうそれ。その船で南の方に行っていたんだ」
イゾルテはローダス島をめぐる海戦を童話的に脚色しながら面白おかしく話して聞かせた。その話では、イゾルテが敵船に乗り込んでたった一人で全員を締めあげたり、イゾルテが変装してローダス島に潜入して極秘情報を掴んできたり、イゾルテが海神プルセイドンに祈ると海が割れてドルクの大艦隊が飲み込まれたことになっていた。
ミランダはすっかり喜び、興奮して熱を出してしまった。
「熱があるようだ。もう疲れただろう? ゆっくり寝て元気になるように!」
「はい。ルテ姉さま、また来てくださいね」
「もちろん。私はしばらく暇だから、ミラが元気になったらまた来るよ」
イゾルテは手を振りながら部屋を出ると、しばらくの間ミランダの素直さに感動していた。
――なんて聞き分けがいいのだろう。姉上と同じ血が流れているとは思えない……!
イゾルテは自分を棚に上げてそんなことを考えていたが、その感動は水をさされた。
「殿下、こちらへどうぞ」
「はい……」
イゾルテはスキピア姉弟に応接室へと連行されて行った。
長くなったので前後編に




