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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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挟撃 その10

 ノボロウシスクが陸路を北から迫ったスノミ騎兵ではなく、海路から街の南の港湾部に直接乗り付けた陽動部隊によって攻略されたことは、微妙な計算違いを生じさせていた。急を告げる伝令が南ではなく北に向かったということだ。だからシロタク達には昼近くまで異変が伝わらなかった一方で、ズスタスが回廊出口を塞いだ時には遥か北方にまで走り去っていたのだ。武装して10時間近く走り続けなければならなかったズスタス達とは違い、モンゴーラの伝令は軽装で(わず)か十数ミルムを半時間もかけずに走るだけである。(注1)夜半に発した伝令は、その日の夕方には500ミルム以上離れたパトーの元にまで届いていた。

「申し上げます! 昨夜遅く、ノボロウシスクの港に敵が上陸しました!」

「ノボロウシスクが? しかも海からだと!?」

「はっ! 敵軍の規模そのものは数千程度ですが、シロタク様の率いる本隊との間を遮断されてしまいました。守備隊だけでは守り切れるかどうか分からないということです。至急御来援を!」

 この時にはとっくにノボロウシスクは陥落しているのだが、第一報を発した時点ではまだ持ちこたえていたのだ。その直後には市民が蜂起して市庁舎が包囲されてしまったので続報は出せなかったが。まあ「襲われた」という報告の後に続報が無ければ、「もう続報も送れない状態なんだな」ということは簡単に分かることだが。

 とはいえ情報が全く届かなかった訳ではない。通常どこかの村で反乱が起これば周辺の村々に駐屯する者たちが集まって即座に100騎だとか1000騎だとかの臨時の軍団を作るのだが、今回は100騎が集まった時には既にズスタスの4000騎が回廊を封鎖しており、1000騎が集まった時には後続の4000騎も合流していた。ノボロウシスクとの連絡は完全に絶たれていたが、今度は彼らから来援を求める伝令が続々と押し寄せたのである。


「一万騎近い騎兵を海路で輸送するとは……。草原の民であるハサールが、それほどの海運力を持っていようとはな」

モンゴーラ人にはそこまでして馬を運ぼうとか、海を渡ってまで自分で(◆◆◆)戦おうという考えはなかった。そんなのは属国民にやらせれば良いのだ。(注2)

「いえ、回廊を封鎖した者達は確かに騎兵でしたが、ハサール人ではありませんでした。金髪の者も多いということでしたから、恐らくはスラム人かと」

「なるほど、奴らか……!」

パトーはハサールとの最初の会戦を思い出して苦虫を噛み潰した。そもそもあの時彼らが介入してこなければ、ハサールはとっくに屈服していたはずなのだ。

――なぜそれほどの力を持ちながらハサールに従うのだ? クビレイやプラグのように人質でも取っているのかもしれんな……

彼は更に苦々しそうに顔をしかめた。そういうやり方を嫌っているからこそパトーは草原の民としての伝統を重んじているのだが、身内が同じことを100倍の規模でやっているのに非難できる筋合ではなかった。

「各個撃破を狙ってシロタクに大軍を任せたというのに、このままでは我々が各個撃破されてしまう。援軍を出さねばなるまいな……」

パトーが唸ると側近の一人が口を挟んだ。

「しかし、ノボロウシスクは難攻不落とは程遠い街なのでしょう? シロタク様の軍勢ならこれ以上の増援は不要ではないですか」

「無論シロタクは負けはすまい。だが勝てもしないのだ。戦闘正面が狭いからこそソッチが落とせなかったのにノボロウシスクを攻略出来るか? せめて2方向から攻めることで戦線を広げねばならん」

場当たり的な対応ではあるがそれ以外に方法がない。スラム人を脅して山中を案内させるという方法も無いことはないのだが、相手もスラム人ではどれほど信頼できようか。

――最後の最後はやらざるを得ないかもしれんな。いや、それならシロタクの方が山を越えて脱出して来れば良いのだ。通訳や輜重のために幾らかのスラム人も連れ歩いているだろうしな

「では、5000騎ほど向かわせますか? 回廊では1000騎ほどしか戦えないそうですから、5000もいれば戦い続けられます」

「そうもいかん。回廊出口を敵が握っているのなら、一気に会戦を挑んでくる可能性もある。最低でも2万は必要だ」

「なるほど。……いや、それならその方が良いのでは? こちらが少ないと思って攻めかかってくれれば敵に出血を強いることが出来ます」

「ふむ……確かにそうかもしれんな」

それは一見非情な策のように見えるが、相手がスラム人なら重騎兵だ。逃げ足に自信のあるモンゴーラ騎兵なら逃げながら騎射すれば一方的に攻撃できるから、それほど危険な事ではない。

「いや、敵も馬鹿ではないから出てくるとしても一度だろう。その機会を逃さずに一網打尽にしなくてはならん」

「では、いっそ全軍で向かいますか?」

「そうもいかん。ハサール本隊に向かわせた使者が交渉を続けるには、我々に動揺がないことを示す必要があるからな」

 ハサール側にこのような思い切った手が打てるとはパトーには思っても見ない事だったが、シロタク軍が消えてなくなった訳ではない。降伏するという見込みはないにしても、交渉ぐらいはしようとするだろうと彼は考えていた。大モンゴーラのように大汗(カアン)に大権を与えたのならともかく、ハサールでは未だにクリルタイが大きな力を持っているという話だ。とかく合議体というヤツは結論を出すのが遅い。況して生死を分ける選択を委ねられて即断即決することは難しいだろう。ノボロウシスク再攻略のための時間を稼ぐためにも、パトーはどんな屈辱的な条件も甘んじて受け入れるつもりだった。……表向きだけだが。

「5000の重騎兵と15000の軽騎兵をノボロウシスク攻略に向かわせろ。ただし軽騎兵は敵の視界に入れるな。敵が打って出て来るまではな」

「はっ!」



 一方ノボロウシスクを占拠したタイトン軍は、南からの攻撃をガレー船からの攻撃で牽制しつつ、着々と防衛体制を整えていた。と言ってもその主役はタイトン人ではなく、スラム人達だった。

 もちろん船からの攻撃だけで完全に止められるはずもなく、ベルマー子爵たちタイトン軍が有り合わせの盾を使って必死に防衛線を築いていたのだが、その後ろでは着々と半恒久的な防衛線が物理的に形作られようとしていたのである。

「穴を掘れ! モンゴーラの奴らの墓穴だと思って、思いっきり深い穴をな!」

国防大臣の指揮で彼の部下たちが湾岸から山の裾野までかかる壕を掘り始めるたのだ。彼らの手際は寧ろ戦いの時よりもキビキビとして水際立っていた。まあ、実際に水際ではあったんだけど。

 なんせ彼らはペレコーポの戦いの際には地峡を完全に分断する長い防衛線を作り、その後は延々とペレコーポ要塞を作り続けてきた工兵集団である。刀を使っての戦いは覚束ないが、野戦築城に関しては人後に落ちない自信と実績があった。攻城兵器の建造や建物の建築も覚束ないけど、壕と土塁に関しては他のどこの軍隊よりも早く作ることが出来るだろう。今この時だけは自慢しても良いだろう。

 そんな彼らに惹かれて、昨夜からの興奮が冷めやらない市民たちも何か出来ないものかとぞろぞろと寄り集まって来た。 

「市民たちよ! お前たちは山から木を切り出してくるのだ! この壕の延長線上の木を切り倒し、山の上まで柵を作れ! 生木のままで構わん!」

生木というのは意外と燃え難いものだ。内部の水分を蒸発させるために発生した熱量の殆どを費やしてしまうから延焼しにくいのだ。ついでに部分的に山をハゲにすることで、敵が徒歩で忍び寄っても発見しやすくなるという効果もあった。

「我々の言うとおりにしろ! 安心して良いぞ。我々はこうやってハサールの大軍を倒したのだからな!」

 本当は彼らは足止めしただけであってハサール軍を倒したのはプレセンティナ軍だったのだが、クレミア連邦軍の武勇は大陸のスラム人達の間では半ば伝説と化していたから、市民たちはあっさり信じた。人とは信じたい物を信じる生き物なのだ。彼らは目をキラキラと輝かせながら山へと分け入って行った。

「掘り出した土は壕の後ろに積んで土塁を作れ! ガレー船から外した投石機を置く場所も作っておけよ!」



 シロタクは再びソッチ方面への攻撃を指示しつつも、主力は北に向けてノボロウシスクの再攻略を試みさせていた。本当なら自分自身も飛んでいきたい所なのだが、他人には言えない後遺症により馬にまたがれない体となっていたのだ。

「安心して下さい、台吉(タイジ)。軟膏を塗りましたから数日で馬に乗れるようになりますよ」(注3)

千戸長が彼の耳元で囁くと、シロタクはその熱い吐息を耳に感じてぽっと頬を赤らめた。……念の為に言っておくと、怒りのためである。

「くそー! それもこれもあれもどれも、全てあの女のせいではないか! あの女はまだ見つからんのか!?」

「目撃者によると、山に入って行ったそうです。既に兵を放って探させております」

「気付いてたんなら、何でその時に捕まえなかったんだ!?」

「暗がりだったので台吉(タイジ)だと思ったのだそうです。況して外から中に向かったのではなく、中から外に向かったのですから警戒する理由がありませんでした」

「…………」

 まさか脱走を試みる者が総大将の鎧を奪ってどうどうと歩いて出ていこうとしているとは、ちょっと想像出来ることではない。シロタクが夜の散歩中にちょっと生理的な欲求を催しちゃって、木陰で用を足そうとしている……と哨兵たちは認識してしまったのである。実際彼はふらっとニルファルの顔を見に行ったのだから、その帰り道にふらっと尿意を催しても全然不思議ではなかった。どう考えても一番悪いのは、女に殴り倒されて鎧まで奪われたシロタク本人だった。もっとも彼は女に反撃された事自体が初めてだったけど、ニルファルの方は男に襲われるのもそれを返り討ちにして半殺しにするのも初めての事ではなかったから、経験の差が出たのかもしれない。今度からはシロタクも、もうちょっと慎重にレイプすることだろう。

「とにかく探せ! どうせ戦闘正面は限られているんだ。手の空いた者で山狩りでも何でもしろ。例えあの女が見つからなくても山道を知っておくことには意味がある。草原に脱出するルートを探すのだ!」



 最後にケッチに残されたディオニソス軍重装騎兵隊と輜重隊(とベルマー子爵達陽動部隊が置いていった馬たち)は、第二陣を送り届けて帰ってきた方舟に乗り込むと、今度は海峡を渡るのではなくアソブ海から流れ出る海流(注4)に乗って南に向かった。もはや海峡を渡った所で第一便とのタイムラグは8時間近い。その上武装した重装騎兵隊はとてつもなく足が遅くて歩兵ほどにしか進めないから、いつモンゴーラ軍が反撃してくるか分からない所で野営をすることになる。況して輜重隊や預かり物の馬を守りながらというのは無理があるのだ。

 方舟は海峡から離れると今度はガレー船に曳航されてノロノロと、しかし偏西風に乗って24時間休むこと無く東へと向かった。ノボロウシスクに着くのは、陥落の2日後の夜のことである。

注1 站赤(ジャムチ)とはオゴタイ・ハンが作った駅伝制のことで、10里ごとに(たん)(=宿駅)を置いていました。

中国文化圏なので1里≒500mで5km毎ってことになると思いますが、マルコ・ポーロによると25~30マイル(≒40~50km)ごとに宿駅が置かれていたそうです。

まあ彼はシルクロードにそって中央アジアを横断した人ですし、そんな人口密度が低そうなところで5kmごととか無茶ぶり過ぎますから、辺境では40~50kmだったのかもしれませんね。

またこれは必ずしも伝令のためだけの仕組みではなくて、常時300~400頭の馬が用意されていて牌符(通行手形)を持つ役人は自由に馬を借りれたそうです。彼らは馬を疾走させたりしなかったでしょうから、1日の移動距離としては妥当なところかもしれません。

あるいは高速道路みたいにPAとSAがあって、伝令が交代するだけの駅(PA)は5kmごとにあるけどレストランや宿泊施設が付いた宿場(SA)は50kmごと、という感じかもしれません。

まあいずれにしても戦争中のハサール国内では宿場を整備する暇なんてありませんから、軍団と軍団を結ぶように小部隊を配置していたと考えるのが妥当でしょう。


注2 当然ながら馬を海上輸送するのは無茶苦茶コストがかかります。バカスカ飲み食いしますし、乗り降りも大変です。少なくとも大型船が接岸できる岸壁がなければ覚束ないでしょう。まあ、象やキリンよりかは遥かにマシですが。

元寇を描いた蒙古襲来絵詞もうこしゅうらいえことばでも、モンゴル人(風の服を着た朝鮮人か漢人?)が馬に乗らずに弓を射ています。

モンゴル騎兵の必勝パターンは騎射による一撃離脱ですが、馬がなければそれも無理です。彼らが上陸するたびに海に追い戻されたのも仕方ないでしょう。

むしろ鎌倉武士の流鏑馬(やぶさめ)こそ一撃離脱の極地ですもんね。


注3 wikipediaに載っていた2004年の海流図(元ネタは米海軍資料らしい)によると、黒海東岸は北向きに流れているみたいです。ただし思いっきり内海な上に"潮汐は事実上皆無"(澤村良二著『黒海は黒いか』より)なので、その海流が激しいとは思えません。

しかしドン川とクバン川から流れこんだ水がアゾフ海→黒海→地中海へと流れこむ構図があるので、ケルチ海峡付近では"基本的に"南向きの流れがあるのだと考えられます。

でもそんな単純な話では済まなくて、不思議なことにアゾフ海の方は潮汐が大きいのです。

満潮時に増える水量は黒海から流れ込む以外にはあり得ないので、満ち干きに合わせて流れの向きも緩急も定期的に変わるのではないかと考えられます。だからこそアゾフ海の泥(シルト)が海峡に流れ込んで砂嘴さし砂州(さす)が無数に出来ているのでしょう。

まあ、私の勝手な想像に過ぎませんが……


注4 中世イスラム世界や中世日本では武将が男色趣味を持ってても不思議ではありませんでしたが、モンゴルではホモ(バイ)はマイノリティーだったようです。

『集史』によると、金(女真族の国)の軍を破ったトルイ(チンギス・ハンと正妻の間に生まれた末っ子でモンケやフビライの父)が、捕虜にした敵兵を辱めるために「男同士でエロいことしろ!」と無茶ぶりしたそうです。

ひょっとすると強制的な布教活動かもしれませんけど……

千戸長が何で治療法を知っているのかを考えると、この時捕虜になっていたのか、捕虜の治療をしたのか、どちらかかもしれません。

ちなみにトルイの直系子孫である元の『元史』にはこのホモ話は出てきません。

一方『集史』を書いたイル・ハン国も直系子孫ですが、イスラム教に染まったせいで男色が悪じゃなくなっちゃったのかもしれません。

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