挟撃 その9
今回は短いです
時系列的には2つ前に入れておいたほうが良かったかな
タイトン連合軍がケッチ海峡を渡ろうとしていた頃、両軍の本隊が対峙する北の平原でも大きな動きが静かに起こっていた。モンゴール軍の使者がハサール軍の本陣を訪れていたのである。可汗代理に過ぎないバイラムは公正さを示すために族長たちを集めて使者を引見した。
使者の方はタイトン軍による渡河作戦が行われていることなど夢にも思っていなかったが、ハサール軍の陣容の薄さに違和感は感じていた。10万は下らないと考えていたのにそれより遥かに少ない様子なのだ。とはいえ、分散してるだけかもしれないけど。
使者は最上位の敬意を示して両膝を地に付けると、恭しく主の言葉を言上した。
「ハサールの勇猛と知略にパトー汗も感服しておられます。
もとより汗はハサールにモンゴーラの一翼を担っていただきたいと考えておりましたが、この際対等の同盟を結びたいと申されておられます」
パトーにとっては、この戦いで勝つことは同盟後の両者の力関係を決めるための戦いでしか無かった。屈服させて奴隷として扱うか、対等の相手と認めて婚姻による同化を薦めるか、ということである。そういう意味では、シロタクがニルファルに子供を生ませようと考えたこともその一環であった。だがもちろん、ハサール側からは理解できない話だった。
「対等な……同盟だと?」
「望まれるなら大汗から正式に汗の位も授かれるように手配すると申されております」
「…………」
それはツーカ帝国やヒンドゥラ王国という名だたる大敵国すら征服して属国としてきたモンゴーラにとって、破格の申し出であった。だが所詮パトーの出来る譲歩とは、大モンゴーラ国の一部でしか無いジョシ・ウルスと対等な同盟までなのだ。
だがハサールは大モンゴーラの礎となった東のクリルタイを遥かな昔に離脱し、新たなクリルタイを作った身である。東のクリルタイを本家と認めつつも、自分たちと対等の存在だと考えていた。つまり西のクリルタイが作ったハサール・カン国と対等なのは、東のクリルタイが作った大モンゴーラ国なのである。しかし汗の位を与えると聞いて、バイラムの胸の内には小さな昏いシミが広がっていた。
――奴らの大汗に封じられれば、俺はハサールの主になれる。
このままモンゴーラ軍を破っても、バイラムや彼の息子は可汗にはなれない。クリルタイにそういう誓いを立てているのだ。だが大モンゴーラ国に封じられるのなら別問題だ。彼個人の栄達を考えれば、これは決して悪い取引ではない。彼の瞳に迷いを見たモンゴーラの使者は、薄っすらと笑みを浮かべた。
「モンゴーラは既に大陸の過半を制しております。我らを止める力を持つのはハサールのみ。我らと共に地の果てまで手に入れましょうぞ!」
使者の言葉に居並ぶ族長たちが息を飲むのが分かった。モンゴーラは大陸どころか既知世界の半分と200万以上の軍勢を持っていた。それを止めることなどハサールには覚束ないことだ。だがパトーはハサールを高く評価してくれているのだ。
バイラムは内心の迷いを押し殺して目を閉じた。今ハサールがモンゴーラと手を組めば、ケッチに向かったタイトン連合軍はもちろん、ルキウス率いるプレセンティナ軍も各個撃破出来るだろう。幾らキメイラが鉄壁の防御力を誇ろうとも、草原で最も重要なのは機動力だ。遠巻きにして糧道を断てば、アルテムスに抜ける前に飢えて死ぬことになるだろう。
――イゾルテ殿はペルセポリスには居ない。ルキウス殿さえ倒せばアルテムスは、いや、タイトン全土はハサールのものと出来るかもしれないな……
それはかつてブラヌが望んだことであった。彼に後事を託して死んでいったブラヌが。バイラムは再び目を開くと、じっと使者を見つめた。
「我らと同盟を結んだ異民族軍がアソブ海を渡り、ソッチに向かったモンゴーラ軍の後ろを取ろうとしている」
「何ですとっ!」
使者だけでなく族長たちまでが息を呑んだ。それをモンゴーラに教えれば挟撃どころか奇襲にもならず、それどころか上陸したばかりの無防備なところを襲われるかもしれないのだ。明らかな裏切りだった。族長たちのうち幾人かは怒りを露わにして腰を上げかけたが、バイラムが傍らの盃を手にするのを見て腰を降ろした。まだ呆然とする使者に対してバイラムはニヤリと笑いかけると、その盃に酒を注いで差し出した。
「我らを同盟に誘ってくれた礼だ」
「忝ない」
使者は恭しく盃を受け取ると一気に飲み干して盃を振った。空になったことを示すための所作だ。バイラムはその姿にかつてのエフメトの姿を思い出した。
――わざわざ我らの作法を学んで来たのか。大した気の遣いようだな。
こんなところからもパトーがハサールを高く評価していることが良く分かった。誇りあるものは己を知る者の為に死ぬものだ。自分を評価してくれる者に靡くのは当然のことである。問題はただ一つ、パトー以上にハサールを評価してくれている者が既にいたということだった。
「ぐっ? が、がはっ!」
使者が突然むせ返ると、床の上に血の花が咲いた。口を拭った自分の袖が血に染まっているのを、使者は信じられないという面持ちで見た。盃には毒が入っていたのだ。
「な、ぜ……?」
バイラムは使者をせせら笑った。
「あまり舐めるなよ、蛮人! 我らは誇りあるハサールだ。蛮人の飼い犬になって生きるくらいなら、狼として飢えて死ぬのがハサールだ!」
「…………!」
彼の豹変ぶりに使者は愕然とした。
「それに我らは勝ちつつある。いや、既に勝敗は決しているのだ。モンゴーラ軍が壊滅する様を見ることなく死ねることを、感謝しながら死ぬが良い!」
「くっ……そが……っ! 滅びるの、は、お前たち、だ。仮に我らジョシ・ウルスが敗れようと、大モンゴーラ国の屋台骨は揺るがぬ……! 500万の兵に踏み潰さるが良いわっ!」
500万という数に族長たちが青ざめた。実際、500万というのはあながち嘘ではない。大モンゴーラが徹底的に徴兵すればそれくらいの数は揃えられないこともないのだ。まあ、それだけの遠征を支える兵站など、この世のどこにも存在しないのだけど。
「誇りを失った者がいくら寄り集まろうと我らの敵ではない。パトーはそれを知っているからこそお前を遣わしたのだ」
バイラムが使者の手から盃を奪い取ると、バランスを崩した使者はどうと倒れて口から血の泡を吹き出した。しばらくの間使者は恨みがましい目をバイラムに向けていたが、体をピクピクと痙攣させるうちに顔はどす黒く変色し瞳も虚ろになっていった。
「他の者も全て殺せ。モンゴーラ人は誰一人生かして帰すな」
「「はっ、はい!」」
バイラムが盃を手にとった時から惨劇を予測していた族長たちも、皆殺しと聞いて眉根を顰めた。
「返答を持ち帰る者を一人だけ残した方が良いのではないか?」
「いや、全て殺す。これまでの偵察で鉄馬車を見たものが居るかもしれない。いまこの陣中にその姿が無いことを知られれば、こちらに策があることを知られることにもなる。
全ての首を取り、草原に放り出して狼煙でも上げればいい。それが返答になるだろう」
「「「…………」」」
一切の妥協を許さぬ毅然としたバイラムの口ぶりに、族長たちもそれ以上何も言えなかった。仮にバイラムを可汗代理から引きずり下ろしたところで、こうなった以上モンゴーラとの和解はないだろう。そしてそこまでして日和りたいという強烈な意志を持つものは、今更日和ったりしないものだ。
「タイトン軍がケッチを渡ればモンゴーラ軍の本隊が動き出すぞ。我々もいつでも動けるように準備を整えろ。この草原の主が誰であるか、モンゴーラ人どもに思い知らせてやるのだ!」




