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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
247/354

挟撃 その8

下ネタです

しかしエロくはありません

すごーく特殊な性癖の人以外には興奮できる余地がありません

 回廊出口まで撤退したハサール軍は夜になっても益々激しくなったモンゴーラ軍の攻撃に晒され続け、ジリジリと後退を強いられていた。しかしモンゴーラ軍にも相当な被害が出ているはずである。なんせ負傷者を回収することすら難しいのだから。

(こら)えろ! 朝になれば状況は必ず変わる! 必ずだ!」

タネルは声を枯らして兵を鼓舞し続けた。兵たちは数時間毎に交代できても、彼だけはずっと誰と交代することも出来ずに。



 翌朝になってもモンゴーラ軍はまだ回廊を突破できていなかったが、夜の内に500mほど前進することには成功していた。たかだか500mではあるのだが、戦闘正面はぐぐっと倍の2ミルムほどに広がっており、更に500m先を見れば5ミルムほどに広がっていることが見て取れた。進めば進むほど幾何級数的にモンゴーラ軍が有利になるのだ。明るい(きざ)しだった。

 だがいくら前途が明るく開かれていても、後背はそうでもなかった。見慣れぬ大型船がノボロウシスク手前の湾岸沿いの街道を封鎖している、という報告が本陣に届いたのだ。しかもノボロウシスク中央部からは煙が上がっているという話だったから、恐らくすでに敵の手に落ちているのだろう。シロタクの側近の千戸長は報告を聞いて愕然とした。

「何と言うことだ……。あと一歩でソッチを攻略できるというこの時に!」

「ソッチ攻略のためにほぼ全軍を連れて来たことが仇になりましたね……」

「まさか海から来るとは……。やはりハサール人ではなくスラム人なのだろうか」

草原の民であるハサール人が船を操って来たとは、彼らには考えられないことだった。なぜならモンゴーラ人たちも……船が苦手だったから! 遥か東のクビレイ(カン)は大陸の東にある島国を攻めるのに兵士を募ったそうだが、モンゴーラ人をはじめとした草原の民には総スカンを食らったそうだ。その島国に近い半島の原住民がやたらと乗り気なので、代わりに彼らに攻めさせようと準備させているほどだ。(注1)

「ところで、シロタク様はまだお休みなのですか?」

「昨晩は遅かったからな。とはいえそろそろ起きていただかなければ……」

ただでさえ叩き起こせば機嫌が悪くなるのに、まだ回廊を突破出来ていない上にノボロウシスク失陥(しっかん)の知らせだ。千戸長は胃のあたりを抑えながらシロタクの(パオ)へと向かった。だがシロタクは敵将を捕えてある(パオ)に行ったまま帰っていないということだった。

――そうか、敵の姫を捕らえたのだったな! 交渉次第ではノボロウシスクを通過することくらいは認められるはず。昨日までと状況は大して変わらないぞ!

ようやく活路を見出して顔を明るくした千戸長は、シロタクが居るはずの(パオ)の前まで来ると中に向かって声をかけた。

「起きてください、台吉(タイジ)! 緊急事態です、失礼します!」

そして彼は中に入り、再び愕然とすることになるのだった……。



 朝になってもモンゴーラ軍の攻撃は弱まるどころかますます激しくなり、戦闘の規模も大きくなっていた。戦場が開けてきたことと明るくなって敵味方を見分け易くなったことでモンゴーラ軍が正面戦力を増強したのだ。おかげで常時双方5千騎あまりが入り乱れる混戦になっていた。

「耐えろ! 押し戻せ! あと少しで敵は撤退するぞ!」

朝までに状況が変わると言っていたことはしれっと忘れて、タネルは兵士たちを鼓舞していた。

――くそっ、タイトン軍は何をしている! ニルファルがその身を犠牲にしてまで作った好機をみすみす無駄にしたのではあるまいなっ!?

ニルファルが犠牲になったのは確かだが、犠牲になろうと思っていた訳ではなくて勝手にドジって捕まっただけである。そんなことで責められてはタイトン軍の方も堪ったものではないだろう。だがもちろんタイトン軍は好機を無駄にしなかったので、日が高くなるころにはモンゴーラ軍は潮のように(にわか)に退いていった。

「うむ、計画通りだな」

タネルの呟きに「どこがやねんっ!」というツッコミは誰からも入らなかった。激戦と言っても戦闘正面が狭かったから兵士たちは交代で休めていたが、タネルは丸一日戦い続けていたのだ。彼は疲れ果てていて、目の下にはクマが出来ていた。

 だが、彼にはまだ眠ることが許されなかった。防衛線を再構築し、敵からニルファルを取り戻さなくてはいけないのだ。

――力攻めを諦めた以上、敵はファルを人質とした交渉を試みるだろう。だがその交渉相手に選ぶのは、おそらくタイトン軍だ。

モンゴーラ軍にしてみれば、ソッチを奪った所でノボロウシスクを失っていては無意味だ。結局回廊に閉じ込められて遊兵と化してしまう。彼らが回廊に閉じ込められている間に平原で本隊が敗退してしまえば、全ては無に帰するのだ。彼らにとってより重要なのが、ソッチではなくノボロウシスクであることは明らかだった。

――しかし、タイトン軍にとっては勝機を捨ててまでファルの解放を求める理由がない。いや、ハサール軍にとってもだ。

ニルファルはブラヌの娘ではあるが、そのブラヌは既に亡い。理性的に考えれば彼女一人の命と数万の敵を無力化することを天秤にかけることはできない。敵を回廊から出せば、少なくとも数万のハサール人が戦場に倒れることになり、最悪の場合ハサール人は国を失うことになりかねないのだ。()く言うタネル自身ですら理性では「仕方ないよなー」と思っていたのだが、彼が力を貸すと言った時のニルファルの笑顔や、彼女が必ず戻って来ると励ました時のイヴァンナ微笑みが彼を割り切れなくさせていた。

――兎にも角にも交渉だ。時間を稼ぐことは、包囲下にある敵の不利になる。船を出してタイトン軍とも連絡を取らなくてはならないからな……

彼はニルファルの解放を求める使者をモンゴーラ軍に向けて送り出すことにした。

「少なくともファルの無事を確かめてこい。モンゴーラがファルとの面会を断るようなら死んだものとして扱うと脅しをかけていい」

「はっ、かしこまりました!」

こうして使者はモンゴーラ軍の陣中へと向かった……のだが、タネルの淡い期待は予想もしない形で裏切られることとなった。


「タネル様! 大変です!」

いつもならよろこんでちょっかいを掛けに行くタネルも、ニルファルの命を天秤にかけているこの時ばかりはさすがにイヴァンナに会いたくなかった。

「陣中だぞ、ファルを看病していろ」

「そのファル様です! ファル様が大変なんです!」

「……はぁ?」

タネルはイヴァンナの顔をマジマジと見つめた。エア看病なんて訳の分からないことをしている間にイヴァンナの心の方が壊れてしまったのだろうか? タネルとしてはイヴァンナの看病と称してお医者さんごっこをすることは(やぶさ)かではなかったが、心の病はさすがに想定外だ。

「ファルは必ず俺が取り戻すから、お前は体を休めていなさい」

タネルは優しい笑顔を向けたが、イヴァンナはぶんぶんと頭を振った。

「違います、ファル様が戻って来たんです!」

――ああ、思い悩んだ末に幻覚まで見るようになってしまったのか……

タネルはイヴァンナを憐れに思った。こんなことになったのも、彼女がニルファルのことを心から心配してくれたおかげなのだ。

「そうかそうか、良かったな。後方に下がるのが面倒なら俺の天幕で寝ていくと良いぞ」

「こんな時にセクハラはやめて下さい! 本当にファル様が帰ってきたんです! 叔父さんたちが連れて来てくれました!」

「……なに?」

彼女の話に第三者が出てきたことで、タネルもさすがに何か変だと思い始めた。

「とにかくこっちに来て下さい!」

グイグイと袖を引っ張られて、彼は仕方なく彼女に付いて行った。

――まあいいか、使者が帰って来るまではすることもないし……


 ニルファルの(居ることになっている)天幕の前には見たことのないスラム人の男たちが所在なさ気に突っ立っていた。恐らくその中の誰かがイヴァンナの叔父なのだろう。タネルは彼らを一瞥しただけで中に入った。するとニルファルが寝ていることになっているベッドには、確かに本物のニルファルが横になって居たではないか!

「ファル! 大丈夫なのか!?」

「にい……さ、ま……」

彼女はわずか1日あまりの間にすっかり様変わりしてしまっていた。溢れんばかりだった活力は鳴りを潜め、立つことすら覚束ないようなやつれ様である。心なしか頬までこけてしまったかのようだ。

「わずか一日でここまで……。おのれモンゴーラ! 俺の妹に何ということを!」

彼は妹の手を掴むと胸に掻き抱いた。

「と……と……」

「何だ、俺に出来ることはあるか? 俺に出来ることなら何でも言ってくれ!」

「と、とい、れ……は?」

「へ?」

ニルファルの泣きそうな視線が彼のそれとぶつかった。


 ぎゅるぎゅるぎゅるるるるぅ~


ニルファルの腹から響いた何とも嫌な音にタネルは押し黙った。彼が背後を振り向くと、イヴァンナとスラム人達は冷や汗を垂らしながら目線を逸らしていた。

「とい……れ。ど、こ……?」

「えーと、この天幕の裏手にあるけど……」

カッと目を見開いたニルファルは青い顔をしたまま飛び起きると、両手でお腹を押さえたままヨロヨロカクカクした不思議な動きをしながら天幕を飛び出していった。意外に元気……と、言えるかもしれない。

「ファルはどうなってんだ? 乱暴されたんじゃないのか?」

彼が知る由もないことだが、実のところニルファルは乱暴した(◆◆)方である。しかも性的に。

「目立った怪我は頭のたんこぶだけでした。でも問題は……毒です」

「毒ぅーっ!?」

タネルは意外な単語にぎょっとした。捉えた敵将をわざわざ毒殺する理由など思いつかないからだ。

「ファルは大丈夫なのか……?」

「その……間違って飲んでも死なないようにって……致死性の毒は使ってないのですが……」

「そうか……」

タネルはほっと安堵……しかけた。

「……って、何でそんなことを知ってるんだ?」

イヴァンナとスラム人たちの頬がピシッと凍りついた。

「だから……叔父さん達が仕掛けた罠に引っかかってたんです! モンゴーラ軍が山を越えないようにって!」

「あ……」

それを頼んだのが自分たちだと思い出してタネルは沈黙した。ニルファルがイヴァンナに頼む所に彼も同席していたのだ。ちなみに彼らが致死性の毒を使わなかったのは、イヴァンナが彼らの村に行った時に迷ってしまったことで「街のスラム人がうっかり迷い込んで死んじゃったら大変だな」と思ったからだった。ニルファルが今生きているのは、ある意味イヴァンナの方向音痴のおかげなのである。

 だがタネルの沈黙はイヴァンナやその叔父たちにとっては無言の圧力となっていた。責められていると勘違いした彼らは次々に言い訳を始めた。

「モンゴーラ軍が南に降ってきたから慌てて夜中に毒を補充しに行ったんだ。前に仕掛けたのは2周間前だったからな」

「あのあたりじゃあ5ミルムも歩けば山を越えて盆地に入れちまうからな。今回は即効性のあるやつを使ったんだ」

「でも死なないように、ってんで特殊なやつを泉にドバっと投げ込んだんだよ。奴らだって水くらい飲むだろうし、水場があれば補充するだろうから」

「だがそこに甲冑を身につけたモンゴーラ人が1人でやって来たんだ。とっさに身を隠したら、そいつがその泉から水を飲み始めて……」

「後になって姫さんだったと分かったんだ……」

納得できる説明だった。彼らに悪意がなかったことは認めざるをえない。

「で、その毒はどんな毒なんだ。解毒剤はないのか?」

タネルの当然の質問に、イヴァンナは残念そうに首を振った。

「ありません。正確には、それは毒では無いんです」

「じゃあ……何なんだ?」

「一種の……瀉下(しゃくげ)薬{下剤}……です」

「…………」

タネルはぽかーんと口を開けてスラム人達を見た。

――ま、まあ、確かに、腹を下していては戦いはもちろん、山を越えることすら覚束ないな……

だが腹を下していて戦えないというのはなかなか情けない話だった。自分だったらどうせなら麻痺とか幻覚とか、毒っぽいものにして欲しいところである。とはいえ逆に言えば、腹を下しても普通は「悪いものを食ったっけ?」と思うものだから、罠の存在になどなかなか気づかないだろう。即効性でも多くの敵を罠に嵌めることができるという意味では最適な毒かもしれない。

「……あれ? でもそれなら何でファルだと気付いたんだ? モンゴーラ人の格好をしてたんだろう?」

タネルの素朴な疑問に、スラム人達の視線がその中の一人に集まった。彼は真っ青になってこれまで以上に冷や汗をダラダラと流し始めた。

「い、いや、その……即効性だから……」

「…………!」

イヴァンナが黙ったまま真っ赤になるのを見て、タネルは真相を悟った。

「皆まで言うな! 言ったら殺す! というか、もし人に言えば、ファルがお前を殺すだろう」

男は慌てて首を振った。

「言いません! 暗かったし、臭かったし、人に話すようなことじゃありません!」

「臭いとか言うな!」

男は慌てて両手で口を塞ぐと、再びぶんぶんと首を振った。まずいと思ったのかイヴァンナも彼を庇った。

「と、とにかく、叔父さんはその人影が女性だと分かって、ニルファル様だと気付いたんです!」

「女性だと分かって、ねぇ……」

ジト目になったタネルの視線に、イヴァンナの叔父は視線を逸らせた。彼だってどうせ覗くなら水浴びシーンの方が良かっただろう。覗かれたニルファルの方だってそっちの方がマシだったに違いない。

「……まあ、とにかく命に別状は無いんだな? どれくらいで治るんだ?」

「大量に飲んじゃったみたいですけど、お腹が下るのはせいぜい3日だと思います。でも、その後が大変なんです」

「その後は……どうなるんだ?」

「その後は……」

イヴァンナが言いにくそうにするのを見て、タネルはゴクリと唾を飲み込んだ。

「便秘になります」

「…………」

イヴァンナが「解毒剤は無い」と言う訳である。うっかり下痢止めなんて飲んだら後々すごい便秘になりそうだ。なんとも厄介な薬である。

「まあ、治るのなら良い。イヴァンナには看病を頼む」

「はい!」

イヴァンナが嬉しそうな声で返事をすると、一件落着とばかりに叔父たちも安堵の溜息を吐いた。

「お前たちはまだだ。ニルファルには毒のことは黙っていてやるから、その代わりに今後も罠を仕掛けてもらうぞ。敵の水の手を断つんだ」

もともとそのつもりだったとはいえ、彼らにとってハサール人に命じられるのは気が進まない事だ。そもそも毒を仕掛けたこと自体は彼らの罪ではない。とはいえ見てはいけない物を見てしまった罪だけは認めない訳にはいかなかった。

「はぁ……、やりますよ。やればいいんでしょ!」

「結構だ」

タネルはニヤリと笑った。敵が同じ目に遭っていると分かれば、きっとニルファルも溜飲が下がることだろう。なんとも妹想い(?)なタネルであった。

注1 いわゆる元寇ですが、実のところほとんどは高麗人と漢人(中国人)でした。

特に一回目の文永の役の時は、まだ南宋が滅びてなかった上に人質にしてた高麗の王太子(後の忠烈王)が「日本攻めましょうよ、日本! 俺っちも手伝いますよ!」と進言していた(『高麗史』巻27・世家27・元宗世家3)ので、船も高麗製で水夫も高麗人になり、全軍の過半数が高麗人でした。

残りも漢人(南宋軍の降伏した者とか)がほとんどでしたから、モンゴル人は少なかったみたいです。

まあ人口比率自体がモンゴル人は非常に少ないですし、全然不思議じゃないですけどね。

二回目の弘安の役の時には南宋が滅びていましたから、船も軍も漢人(旧南宋人)がメインになります。どっちにしてもモンゴル人は少ないです。

作中では南宋(モドキ)が滅びてるのに何で1回目の準備中やねん、と思われるかもしれませんが、そのへんの時系列は"もともと狂ってる"ので気にしないでください。

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