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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
246/354

挟撃 その7

 ズスタスと4000騎あまりのスノミ騎兵を載せた方舟{LCVP上陸用舟艇}は、夕方には海岸を離れると日没を待ってから対岸に……というか、対岸の漁村からツノのように伸びた長い砂嘴(さし)(注1)に殺到した。実のところこの砂嘴(さし)はクレミア半島側と2ミルムほどしか離れていない。しかし方舟をすぐ向かい側に置いておく訳にはいかなかった。なぜなら……近すぎて丸見えだから! モンゴーラ人がふらっと砂嘴(さし)までやって来たら「なんじゃこりゃ~!?」と蜂の巣をつついたような大騒ぎになったことだろう。せっかくの隠密作戦が台無しである。だから少しばかり離れているが湾状にくぼんだケッチの港の周辺で組み立てていたのだ。そのため6ミルムほど移動する必要があり、上陸作業も含めて日没から4時間ほどもかかってしまった。第二陣を運ぶために方舟が再び岸を離れたのは、22時過ぎのことである。とはいえ第二陣は目と鼻の先の2ミルム先の海岸で乗船することが出来るので、往復しても4時間もかからないだろう。

「陛下、砂嘴(さし)の付け根にある村は潜入してたスラム人達が制圧してあるみたいッス。もっともモンゴーラ人は5人しかいなかったそうッスけど」

「あー、あのうるさいおっさんたちか。岸辺で上陸の誘導をしてたのもそうだろ? なかなかやるな」

 おっさんというのはクレミア連邦の国防大臣のことである。ペレコーポ要塞からズスタス達を追いかけてきた彼らの一派は、スラム人であることを活かして先行して大陸側に渡って一般庶民に紛れ込んでいたのだ。彼らにとってはとても容易なことである。何故なら彼らは……一般庶民だったから。そしてその一部はテロリストでもあったのだ。

「しかしモンゴーラもモンゴーラだ、海賊(バイキング)の末裔たる我らを相手にちょっと油断しすぎじゃないか?」

「いやいや、そんなん知るはずないッスよ。俺自身、何でこんなところに居るのか良く分かんないッス」

確かに、彼らは本来隣国のノーウェイ王国に侵攻しているはずだったのだ。なんで彼らが縁もゆかりもないこんな僻地で戦っているのだろうか。それはもちろんズスタスの野望のためである。

「まあいい、ここからは時間との勝負だ。最低でも敵をノボロウシスクに封じもめなくてはならん。それまでは休めないぞ」

「はいッス!」


 モンゴーラ人の横暴を目の当たりにしたスラム人たちはクレミア半島からやって来たタイトン軍に好意的だった。別に同盟関係でもなんでもないんだけど、少なくとも敵対していないのは明らかだからその好意はそれほど的外れでもない。何よりモンゴーラへの憎しみを募らせていた彼らは、予め潜入班から「そのうちクレミア軍(◆◆◆◆◆)が助けに来てくれるぞ」とデマを吹きこまれていたこともあって、通過するスノミ軍に驚き慌てるモンゴーラ人を次々に手にかけて行った。もともと人数が少ない上に馬を降りて弓も持たないモンゴーラ人など陸に上がった人魚も同じだ。怖いのはモンゴーラからの報復なのだが、この場合は「いやー、どこからかやって来た軍隊が殺していったんですよー」と言えば済むのである。復讐の機会を逃すほど彼らはお人好しでも善良でもなかった。

 道案内に付けられたハサール人に先導され、スノミ軍は駆けに駆けた。もともとモンゴーラ軍の密度は恐ろしく偏りがあるから無人の野を行くが如くであったが、翌朝8時にはノボロウシスクの東に聳える山脈の端にまでたどり着いた。回廊の出口だ。およそ80ミルムもの強行軍は半分近い脱落者を出していたが、兎にも角にも回廊を封鎖することには成功したのである。(注2) だがもちろん、彼らは人馬ともに疲れ果てていた。

「陛下、この、まま、攻め、込むんスか?」

見るからに疲れ果てたホルンの言葉に、ズスタスも言葉少なに答えた。

「……無理」

もはや元気なのは案内役のハサール人くらいだった。しかし北からの攻撃は後続がどうにかするにしても、南からの反撃は時間の問題だ。彼らは少しでも休みを取り、脱落者を収容して陣営を整えておかねばならなかった。

――だが切所は越えた。後続と合流すれば回廊を封鎖できる。この戦いの勲一等はこの余だ! イゾルテも認めざるを得ないはず!

ズスタスはニヤリと笑った。ルキウスには媚を売りまくってきたし、ついでにニルファルとかいうイゾルテの友人に恩を売っておけば外堀は埋まったも等しい。今度こそイゾルテは彼の物となるのだ。……彼の主観では。

「でも、ガレー船部隊が焼き討ちをして、ノボロウシスクは混乱しているはずッス。占領する好機っスよ?」

「陽動なんだからとっくに撤退してるだろ。奴らが稼いでくれた時間を有効に使って、今は一休みしよう」

ズスタスは馬を降りるとそのまま地面に横になった。天幕も無ければ毛布すら置いてきたので後続が来ないことにはこうするしかないのだ。だが兵士たちは主君の無作法に呆れることもなく、次々と主君を真似てゴロリと横になった。格好付け用のマントがあるだけズスタスの方がマシだろう。主人が横になったのを見て今度は馬たちまでその場に座り込んだ。(注3)

 ズスタスは皆が休み始めたのを見てそのまま目を瞑ると、すぐに深い眠りの中に落ちていった。だが彼は幸せな夢を見ることも叶わず、すぐに過酷な現実と直面するハメになるのだった……。



 ズスタスたちが渡河をしていたころ、ベルマー子爵の率いる辺境諸侯連合軍、エイレーナー王とルィケー王が率いるホールイ3国連合軍はそれぞれ馬を降りてガレー船に分乗し、ノボロウシスクへの直接攻撃を目論む襲撃隊へ参加していた。なぜこんな任務に彼らが参加したのかというと、ぶっちゃけ数が少なかったからだ。両軍を足しても700騎ほどと、実に微妙な数である。ズスタスと共に行動していてはスノミ騎兵の後ろで何もすること無く終わりかねない。だったら船ばかり多くて戦力の不足している襲撃部隊に参加しようというのである。ガレー船の多くは樽ばかり乗っけてきたので乗員が足りていなかったのだ。

 この攻撃の目的は、1つはズスタスたちから敵の目を逸らすための陽動であり、1つは敵から食料を奪うことだった。南北から包囲して敵を干殺(ひごろ)しにするためには、予め敵から食料を奪っておく必要がある。食料の輸出港であるノボロウシスクにはご多聞に漏れず倉庫街があり、そこが輸出用穀物の集積地となっていた。場所はもちろん岸壁のすぐ隣だ。つまり「無理やり岸壁に乗り付けて倉庫街に火を放ってくる」というまさしく海賊のような任務なのである。

 この攻撃部隊には何故かクレミア連邦の国防大臣も参加していた。彼の配下およそ3000人のうち選り抜きの強面たち約1000人も一緒だ。他の2000人はノボロウシスクをはじめとした要所要所に潜入していたのだが、残った者達は(大臣を含めて)「顔が凶悪すぎて原住民に溶け込めない」という身も蓋もない理由で潜入できなかったのである。

 彼らは敵の食料を奪う必要性は理解していたが、倉庫街に火を付けることには反対だった。スラム人だって食っていかなければいけないし、延焼したら街ごと焼けてしまう。それならせめて奪ってガレー船に積みこむなり海に投げ込むとかいった穏当な方法を試みさせろと横車を押してきたのである。


 夜半にガレー船12隻が水平線上に姿を表しても、ノボロウシスクに反応は無かった。もともと海を警戒していないのだ。もっとも灯火管制を敷いた船などそうそう見付けられるものではないのだけど。港の小さな灯台には灯りがあったが、恐らくは潜入班の手引で灯しているのだろう。もはやノボロウシスクに大型船は1隻もなく、他の港からやって来る船も1隻もいないのだから。……彼らを除いては、だが。

 草木も眠る午前1時半、船団が街の南東に広がる小さな湾内に入ってようやく素人目にも見付けられるようになっても、まだノボロウシスク側に反応はなかった。岸壁に接岸したガレー船から岸壁に降り立ったベルマー子爵を迎えたのも、雄叫びを上げるモンゴーラ兵ではなく、喜色を露わにした潜入班のスラム人だった。

「お待ちしていました! モンゴーラ軍は大挙して南下して行きました。残っているのはせいぜい2~3千ですよ!」

想定していたより遥かに少ない頭数を子爵は眉根を寄せて訝しんだ。

「……ずいぶん少ないな」

「今朝までは少なくとも5万以上がひしめき合っていたんです。でも昼過ぎにいきなり移動を始めまして」

「そして残ったのが3千か」

随分と思い切った兵力移動である。モンゴーラがいかに後方を警戒していないか、というだけではない。ソッチ方面に出来るだけ多くの兵力をすぐさま展開したいという差し迫った状況なのだろう。

――どうやらハサール軍は思い切った策を打ったようだな。ひょっとしたら回廊から撤退してソッチに立て籠もったのかもしれないな……

だとしたらベルマー子爵やズスタスが失敗すればソッチのハサール軍は絶体絶命のピンチに陥ることになる。彼らは自身の危険を顧みずタイトン軍のために敵を引き寄せたのだ。

――我らの数は1700……いや、プレセンティナの水兵も入れれば2500くらいか? 地の利は敵にあるが、敵はまだ我々に気づいていない。このまま息を殺して中枢を占拠してしまえば敵を各個撃破できるかもしれないな……

この攻撃は本来ズスタスのスノミ騎兵を支援するためのものでしかなかったのだが、今はこの街を占拠する絶好の機会だった。逆に今本来の予定通りに擾乱攻撃だけを行えば、朝までに敵が大挙して戻ってくるかもしれない。それではあべこべだった。

 子爵が悩んでいると、桟橋からエイレーナー王とルィケー王がやって来た。

「何を迷っておる! 今は攻める時じゃ!」

「義父上、それは計画にありません。我々はこの街の地理だって覚えてないんですよ」

「関係ない! この街を陥落させてイゾルテちゃんに褒めて貰うのはワシじゃ! あの若造に手柄を挙げさせてなるものか!」

「「…………」」

 ベルマー子爵のイゾルテに対するセクハラ(というか強制猥褻)疑惑はなんとか払拭出来たのだが、エイレーナー王は今度はズスタスを恋(?)のライバルと看做(みな)して激しく敵愾心(てきがいしん)を燃やしていた。子爵とルィケー王は呆れたが、意外な人物がエイレーナー王を支持した。国防大臣である。

「案ずるな、この街には城壁もないから密度は高くない。どの建物も間に道一本挟んでいると思っていい。だいたいの方向さえ分かればどうとでも辿り着けるぞ」

大臣の言葉にベルマー子爵は頷いた。

「なるほど、ならば身動きが取れなくなることもないな。潜入班の案内もあるから十分以上の勝ち目がある。しかしこちらの援軍は朝まで到着することはないが、敵のはいつ来るか分からないぞ?」

「南への街道は湾岸に沿って伸びている。プレセンティナの船に警戒してもらえばいい。海からなら一方的に攻撃できる」

「ふむ。だが夜の闇の中では命中率も下がる。強行突破してくるかもしれない」

「ガレー船に網が積まれていただろう? あれを設置しておけば時間が稼げるはずだ」

「だが、戦っている間は人手が足りない。戦いがいつまでかかるかも見当がつかないぞ?」

子爵の懸念に大臣はニヤリと笑った。

「おい、あまりスラム人を嘗めるなよ? 俺たちは馬には乗れないが、勝ち馬に乗ることに関しては節操がないのだ!」

「「「…………」」」

どう聞いても誇っていいようなことではなかったが、国防大臣はエヘンと胸を張っていた。ひょっとするとあまりタイトン語は得意でないのかもしれない。だが何れにせよ彼が言いたいのは、煽動すれば市民も立ち上がると言うことだろう。確かに数千の兵士が戦い合うところに数万の市民が加勢すれば勝敗は一気に傾く。スラム人にとってはタイトン人も異民族ではあるが、モンゴーラ人とは人種からして違うので見間違われることもないはずだ。ベルマー子爵とルィケー王も納得して支持を表明した。

「分かりました。私も攻撃案を支持します」

「そういうことなら、私も付き合いますよ」

こうしてズスタスの知らない所で、勝手にノボロウシスク攻略戦が開始されてしまった。指揮権が宙ぶらりんで、かつ(主将であるはずの)ズスタスが諸将の信頼を(欠片も)勝ち得ていないために起きた悲劇(?)である。


 襲撃隊は当初の目的だった穀物倉庫を放置して、やたらと張り切るエイレーナー王を先頭に街の中心へと攻め入った。ノボロウシスクは東西の山脈の合間にできた小さな川と、その河口周辺の湾に出来た街だ。当然細長い形であり、南東の港湾部から北西へ攻め上る形となった。

 モンゴーラ軍は突然の襲撃に驚愕した。寝ていた所を叩き起こされたというだけではなく、主力が南東に出て行った日の夜中に、その南東から敵がやって来たのだ。海路という変数が頭から抜け落ちている彼らは、「主力が手もなく全滅して、敵がその余勢を駆って攻めてきたのか!?」と勘違いしたのである。無理も無い話だ。

 残留部隊の指揮官は即座に急を知らせる伝令をパトーに向けて発する一方で、不退転の決意を固めた。ズスタスがモンゴーラ軍を回廊に押し止めようと回廊出口を目指していたのと同様、彼もハサール軍(だと彼らは思っていた)をこのノボロウシスクで食い止めようと考えたのだ。ハサール軍がこの街を越えて草原に溢れ出せばパトーの後背を脅かされることになるが、この細いノボロウシスクであれば(モンゴーラ軍主力を壊滅させるような)大軍であろうとも数千の兵で持ちこたえられるはずなのだ。まして互いに草原の民だ。不得手な市街地戦闘ではなかなか決着も付き難いはずだった。

 しかし彼のもとに次々と上がってきた報告では、敵はハサール人ではないとのことだった。スラム人っぽかったのだが、その武装は明らかにこれまで見てきた(大陸の)スラム人とは一線を画したものである。というか(大陸の)スラム人の武装なんて鎌か鋤、あるいはせいぜい木槍といった程度だったのに、攻めてきた者達は鎧を着込んでいたのだ。しかも士官らしき者たちの指揮で統制された動きを見せていた。

「敵のスラム人は明らかに訓練された兵士たちです! 徒歩での集団戦に慣れています!」

「スラム人が? しかしいくら訓練されていても、奴らに台吉(タイジ)の主力軍を破れるとは思えん」

思い通りの戦場ではないとはいえ、モンゴーラ騎兵が歩兵ごときに遅れを取るとは指揮官には思えなかった。その点は報告していた兵士も同じである。だが彼はスラム人達(だと彼も思っていた)を直に見ていたのである。彼らが訓練された兵士であることは明らかだった。

「では……破っていないのでは?」

「なに?」

「敵をハサール軍だと思っていたからこそ、戦場は細い回廊に限定されていました。しかしスラム人はもともと農耕の民です。プラグ汗やクビレイ汗が従える農耕の民は、歩兵が主力だったではありませんか!」

兵士の言いたいことを察して指揮官は息を呑んだ。

「……山か! 山を越えて来たと言いたいのだな!?」

「そうです。敵の規模は分かりません。これまで攻撃してこなかったのは数が足りなかったからでしょう」

「だが主力が街を去った隙を突き、こうして夜襲を仕掛けてきたのか……! 夜襲である以上敵の数が多くないのは確かだろう。しかし、まだ残りが山中に居ないとも限らない……」

 それはゾッとする話だった。主力が生き残っているのならそれは確かに心強い話だ。しかし敵に山に慣れた歩兵軍があるのなら、回廊のどこでも好きな所を好きな時に攻撃できる。そして山中に逃げ込まれればモンゴーラ軍からは手が出せないのだ。それどころか今も東西の山中に潜んでいて、彼らは既に包囲されているのかもしれないのである。

「……だが、毎日の駅伝が途切れれば本隊はすぐに気づくはずだ。戦線を縮小して全軍をこの市庁舎に集結させろ! 主力からの援軍が来るまで耐え忍ぶぞ!」

「はっ!」


 だが彼らは誤解していた。確かに敵の襲撃に最初に目を覚まして反応したのはモンゴーラ兵だったが、市民たちも目を覚ましつつあったのだ。彼らはモンゴーラ兵とは比較にならない人数がいて、しかも単に睡眠状態から覚醒したというだけではなかった。どこからか「立てよ市民よ!」というスラム語の叫びが聞こえてくると、つい先程までモンゴーラ兵に犯されて泣いていた女達が、あるいはその夫や息子や父親達が、積もりに積もった憎しみをモンゴーラ兵の背にぶつけたのである。

 これまで無抵抗だった者達の突然の反乱、しかも外敵からの奇襲を受けている時に背後から襲われたのだ。ただでさえ混乱していたモンゴーラ兵たちは恐慌状態に陥った。モンゴーラ兵は精強だが、こういう時の粘り強さは欠片もない。劣勢に落ちいった場合彼らはひたすら馬を駆けさせて逃げ切ろうとするのだ。とにかく敵から逃げ延びて、それから反撃の機会を伺うのである。それは最強の戦法である。……それが可能ならば。残念ながら今の彼らに馬は無かった。馬に乗った者もいたことはいたのだが、彼らは彼らで障害物だらけの町中で身動きが取れなかった。だから彼らは勝手の分からない戦場と状況に悪態を吐きながら、タイトン人の刃に、スラム人の拳によって次々に血の海に沈んでいった。それはもはや戦いではなく私刑であった。襲撃部隊は碌な抵抗を受けなくなった代わりにむしろ市民の渦に行く手を阻まれ、明け方になってようやく市庁舎に辿り着いた。この頃にはもう、モンゴーラ軍は市庁舎に立て籠もった100名あまりが生き延びていただけだった。


 襲撃隊の指揮官たちは市庁舎の近くに寄り集まった。

「粗方片付いたのう。まだまだ暴れ足りんのじゃが」

冷水(ひやみず)どころじゃないですよ。ぎっくり腰に注意して下さいね」

「なんじゃとっ!?」

軽口を叩いていても、エイレーナー王も寄る年波には勝てないようでだいぶ疲れているようだった。ルィケー王もなんのかんの言って心配なのだろう。

「立て籠もった奴らは手練だ。周囲が開けているから近づけば狙撃される。馬を降りても弓の腕は変わらないからな」

国防大臣はさすがに草原の民に詳しかった。草原では相手にならないから街の中で馬を降りたハサール人相手に戦ってきたテロリ……独立運動家としての経験(ゆえ)だろう。だから当然対処方法も知っていた。

「適当に盾でも作って近づくぞ。接近してしまえばこっちのものだ」

だがベルマー子爵は首を振った。

「いや、これで十分だ」

彼は火炎壺を包んだ布をぶんぶんと振り回すと、塀を越えて市庁舎の窓に投げつけた。すぐさまメラメラと燃え上がったその炎はもくもくと黒い煙を上げ始めた。

「あと10個ほど投げ込んでやろう。焼け死にたくなければ出て来るはずだ。そこを捕らえる」

「……殺さないのか?」

国防大臣は胡乱(うろん)げな目を子爵に向けた。彼は「立てよ市民よ!」と叫んで市民の蜂起を促した立役者だったが、子爵の方はスラム人によるモンゴーラ兵の虐殺に眉を顰めていた。彼は無駄な殺戮よりも常に和解の道を探るべきだとイゾルテから学んでいたのだ。……まあ、イゾルテの場合は無駄ではない殺戮はやっちゃうんだけど。とはいえ子爵は、自分の考えを他人に押し付けるほど子供ではなかった。

「いずれ使いみちもあるだろう。少なくとも降伏勧告の使者としては使える。私や家臣たちが使者になるのはゴメンだからな」

国防大臣も頬を引きつらせた。確かにそれは嫌な役回りである。

「……なるほど。ならば我々は市民とともに街道を南に向かおう。夜が明けきる前に防衛線を築いておかないとな」

「では私も北に向かおう。ズスタス陛下と合流するまでに回廊の出口を押さえておきたい」

「じゃあここは2人に任せるぞ!」

「火炎壺の扱いは十分気をつけてくれ!」

子爵と国防大臣がそれぞれ手勢と市民たちを率いて南北に去って行くと、エイレーナー王は再び張り切りだした。

「ふっふっふ、城壁の上から石を投げ下ろしてドルク兵の頭をかち割った昔が懐かしいのう。壺ごときあの屋上に投げつけてやるわ!」

ドルク軍がペルセポリスを包囲した際に(ついでに)攻められてきたホールイ3国は、それなりに籠城戦が得意だった。まあ、見るからに貧乏そうでドルク軍もあんまり乗り気じゃなかったんだろうけど。

「いや、屋上じゃあ煙たくないでしょう。ちゃんと一階部分に当てて下さいね」

「うるさい! 黙って見とれ!」

エイレーナー王は腕まくりをすると、意気揚々と子爵が置いていった火炎壺をつかんだ。

「ふんっ!」


 ゴギュッ


……腰のあたりから何やらヤバそうな音が響くと、彼はゆっくりと手を離した。

「……ま、まあ、たまには若い者に任せるのも良いかのう」

彼は強がったが、その顔は真っ青で脂汗がダラダラと流れていた。

「……とりあえず、あなたを運ぶことは任されました」

ルィケー王は火炎壺を投げ込むように指示すると、自らは義父をタンカに載せて近くの民家へと運びこんだ。彼が再び市庁舎前に戻った時には、モンゴーラ兵が次々と咳き込みながら飛び出してくるところだった。



 こうして街道に沿って北に向かったベルマー子爵は、郊外に放置されていたモンゴーラの替え馬を見つけ、それを失敬してさらに北へと向かった。そして山脈の途切れる回廊の出口で自分たち以上に疲れ果てたズスタスたちを見つけたのである。友軍との合流を喜んだ子爵に対して、ズスタスは燃え尽きたような無表情な顔つきだった。

「お早いお着きで何よりです」

「……皮肉か? お前が居るってことは、ノボロウシスクは攻略しちゃったんだろ?」

「我々は単に運が良かっただけです。意外とあっさりと攻め落とせましたよ」

「…………」

ズスタスにとっては皮肉でしか無かった。彼らの必死の強行軍は全て無駄だったのだ! まあ正確には、今後予測される南からの攻撃に対して十分な兵力をこのタイミングに連れて来たことは大きな意味があったのだが、そんなことは彼にとって二の次だったのだ。少なくとも勲一等ではなかったし、ニルファルの命の恩人だと思われることもない。したがってイゾルテが褒めてくれる可能性は皆無だ。ぶっちゃけ彼にとっては、戦争に負けてもイゾルテの好意さえ勝ち取れればそれでいいのに!

「くそー! せめて敵本隊との戦いでは手柄を上げてやる!」

ズスタスは次の戦いに一縷の望みを繋いだ。だが、ベルマー子爵はそれすらも無慈悲に打ち砕いた。

「いえ、食料は奪いましたから兵糧攻めですよ?」

「くっそー!」

注1 砂嘴さしとは、流れてきた砂が堆積してツノか触覚みたいにひょろっと伸びた陸地になったものです。

にょきにょき伸びて他の陸地と繋がると砂州(さす)になります。

これが陣取りゲームみたいに海を切り取って湖にしたのが潟湖(ラグーン)です。日本ならサロマ湖とかが有名ですね。

行ったことがあれば分かると思いますが、必ずしも砂ばかりではありません。土質が良いとは思えませんが、ふつーの地面です。木だって生えます。

地図を見るとケルチ海峡には砂嘴さし砂州(さす)がうねうねと伸びているようです。潟湖(ラグーン)もいっぱいあります。

アゾフ海が川から流れ込む泥で遠浅になってるので、それが流れ着くのかもしれません

最初は道路用に埋め立ててるのかと思いましたが、砂嘴さしも含めると海峡の幅は2kmくらいでした。


注2 ノヴォロシスクは東西を山に挟まれていて、その2つの山脈がぶつかる北西に方向にだけ細い出口がある地形のようです。唯一の幹線道路がその隘路を抜けています。

まあ左右の山もそれほど険しくはなさそうなんですけど、(特に騎馬軍団にとっては)軍事的な要地であることは確かでしょう。


注3 馬は基本的に立ったまま寝ますが、余程安心できる環境か疲れ果てていると足を畳んで腰を下ろします。犬の「伏せ」に近い状態ですね。

さらに酷いと横臥位と言って横向きにバタリと倒れた状態になりますが、ここまでいくとかなりの重症です。

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