平安の都 その4
今回は少々短めです
ズスタスがケッチの町に着いた時、そこには想像を絶する光景が広がっていた。ケッチの港は大型船が1隻停泊するのもやっとといった大きさでしか無いのに、その港の外に多数の巨大な浮桟橋が所狭しと浮かんでいたのである。その合間に大型のガレー船も多数停泊していたのだが、何だか陸に乗り上げてしまったかのように見えた。
「何でこんな小さな町にこんなに浮桟橋があんの?」
首を傾げたズスタスに対して、彼を待ち構えていたアドラーがどこか憮然とした顔で答えた。
「渡河用の方舟です。一隻あたり100騎は乗れますから、40隻で4000騎ってところでしょうかね」
「少なくないか? それじゃあ4往復も必要だぞ?」
ズスタスの言葉を聞いてアドラーは額に血管を浮かべてピクピクと痙攣させた。
「……少ないですと? ワシが、どれほど不本意なことをして間に合わせたと思っているんですかッ!?」
「……何をしたんだ?」
「あんな小さな港じゃあ資材の陸揚げなんて出来たものじゃありませんでしたからね、木材と樽を海に投げ入れて網で引っ張って浜辺に陸揚げしたんです。ええ、船体を作る前に水に浸けたんですよ!」
「はぁ……?」
ズスタスには分からなかったが、船大工にとって加工前の木材に水を吸わせることはタブーだった。木材は水を吸うことで膨張する。乾いた状態で船体を作れば、水を吸った時に膨張して隙間をピッタリと閉じてくれるのだ。だが今回は時間がなかったし、組立作業を行うのも船大工ではなく水兵や水夫たちだ。海上で応急処置くらいはするものの、船大工に比べればぞんざいなことは間違いない。真面目に作っても水が漏れると分かっていたので、思い切って最初から水が漏れることを前提にしたのである。まあ、どうせ浮力は中にすし詰めになっている木樽が確保しているのだから。
「その上、釘ですぞ、釘! 海水に浸かるというのに、外側から釘です!」
「……普通でも釘は使うだろ?」
「それはあくまで補助的なものです。今回は全てが釘です。釘が錆びたら一気にバラバラですぞ!」
「……おい、大丈夫なのか?」
「1、2ヶ月は保つでしょう。どのみちここで使い終わったらルキウス陛下の所に持って行きますから、あなたには関係ありません」
「ちょっと待て、撤退するときはどうするんだ?」
「ノボロウシスクを確保したらガレー船が入港できます。馬を捨てれば十分乗れますよ」
「……まあ、負けるつもりはないけどな」
2人がそんなことを話していると、後続の各国の部隊からそれぞれの指揮官たちがやって来た。
「壮観ですね。こんな筏を見るのは初めてです」
「最近ペルセパネ海峡で使われとるっちゅう方舟じゃな? 馬車ごと載せられて便利じゃという」
「馬車ごと……なるほど、キメイラを渡河させるために作ったのか」
「これならウチの重装騎兵も大丈夫そうだなぁ」
ホールイ3国軍を率いるエイレーナー王とルィケー王、辺境諸侯の連合部隊を率いるベルマー子爵にディオニソス王国軍を率いるファーレンシュタインである。
「揃ったようだな。ところでアドラー、対岸の様子はどうなってるんだ?」
「偵察に行った者達の話では、すぐ対岸には敵影はないそうです。とはいえここより小さな町があるそうなので、10人とか20人とかは居るかもしれません。
主力は20ミルム離れたノボロウシスクの街を中心におよそ2万~7万が分散しているそうですよ」
アドラーの報告にズスタスは眉を潜めた。
「およそって言いながら2万~7万って何だよ。随分いい加減だな」
「勘弁してやって下さい。街の中は偵察できませんし、町の外でもバラバラに集団を作っているので全体像が掴みきれません。周辺のスラム人に聞きこんだみたいですけど、彼らにも分からないそうです」
ハサール軍と違って街の中で寝起きすることを躊躇しないので、中にどれだけ入り込んでいるのか分からないのだ。その上町の外では血族毎に集落を作って分散するので、タイトン人の目では全体の規模が想像できないのである。
「ハサール軍はどうしている?」
「ハサール軍からの連絡と海上からの偵察によると、ソッチとノボロウシスクの中間で戦線が膠着しているようです。
モンゴーラ軍、ハサール軍それぞれ3000ほど出していますが、正面で戦っているのはせいぜい1000ってところでしょう。狭くてお互いにそれ以上の戦力を出せないそうですよ」
「だからモンゴーラの本隊も後方で待機しているのか……。まあいっか。さっさと渡ろう」
あっさりと決断したズスタスに、ファーレンシュタインとベルマー子爵が慌てて止めに入った。
「いやいやいや! 仮に2万でも我らより多いのですよ? しかもノボロウシスク周辺は草原です。数でも地の利でも負けます!」
ついでに言うと指揮官への信頼でも負けていた。
「その通りです。我らは簡単には撤退も出来ないのです。確実にノボロウシスクを抑え、敵を回廊に押し込める必要があります」
ズスタスは2人の反論に唇を尖らせた。
「しかしどうするんだ? 敵が動いてくれるのを待つのか?」
「何も待つ必要はありますまい。ソッチのハサール軍に敵を引き寄せて貰えば良いだけのことです。前線を下げれば敵は喜んで移動を始めるでしょう」
ベルマー子爵の提案にズスタスは腕を組んで考えこんだ。普段はおちゃらけているが、真面目な顔つきになるとどこかイゾルテを彷彿とさせた。血のなせる業だろう。
「ふーむ、ソッチまでは快速船で2日だっけか? だったら余裕を見て5日後に決行ということにするか。その前に対岸の調査をさせておこう。事前にモンゴーラ兵を始末して、海岸に灯りも用意させないとな」
さすがに武力によって伸し上がってきただけあって、ズスタスは切り替えが早かった。しかもさすがは海賊の伝統が息づくスノミ・スヴェリエの王である。夜間隠密上陸の肝を心得ていた。
「では使者を派遣しましょう。その間に我々も渡河の準備を」
「そうだな。だがその前に、アドラー!」
「……何です?」
突然名指しされてアドラーは嫌な予感に襲われた。彼の仕事は粗方終わっているはずである。
「手が空いたなら……ゴトゲルトを作り直せよ」
「…………」
こうしてアドラーは、再び不本意な仕事に忙殺されることになった。角材を拳型に彫刻するという、どうでも良い仕事に……
一方そのころ、遥か彼方のバブルンでも不本意な仕事に追われる職人たちがいた。平安の都であるはずのバブルンを支配する空気は平安というよりは不安であったが、そんな情勢とは無関係にずっと前から彼らの周りは平安とは無縁である。日がな一日けたたましい音が鳴り響くそこは近所の人たちから白い目で見られていた。
トンテンカンテン
「技師長! ぎーしーちょー!」
「あー? 何か用か?」
ぎーこぎーこ
「呼び出しです! 明日の正午に皇宮の大広間に来いとのことです!」
「何だって!?」
ガン、ガン、ガン、ガン
「だーかーら! コルクト・パシャからの呼び出しです! 明日の昼に皇宮の大広間に来いって!」
「何だとっ!」
技師長と呼ばれた老人はようやく木槌から手を離すと弟子に向き直った。
「ベルカントのケチ野郎が? くくく、大広間といやあ柱の間だけでも横は20m、縦は40m、高さも20mはあろうってところだ。あそこならデカイ仕掛けが置けるぞ! こうしてはおられん、作業は中止だ! 水時計なんてつまらん物を作るのは止めて、アイデア会議を始めるぞ!」
不敵な笑いを浮かべたその老人は、ドルク中にその名を轟かす大発明家アル=ギャザリンであった。……まあ、轟いているのはごくごく限られた趣味人の間だけなんだけど。
「ベルカント様ははとっくに北部に逃げちゃいましたよ。忘れちゃったんですか?」
「んん? そういやそうだな。じゃあ、コルクト・パシャってのは誰なんだ?」
「ベルカント様の息子です」
「何だボンクラか。何でワシが行かにゃならん? ワシは水時計を作るのに忙しいんじゃ」
ついさっきつまらんと言ったばかりなのに随分な豹変ぶりである。
「これ以上水時計作ったって売れませんって。買うような人はみんな逃げたかビルジ陛下に連れ去られましたよ」
彼の作る細工は大掛かりすぎて皇帝や大貴族でない限り注文してくれないのだが、そういったクライアント層が全滅してしまった。だから仕方なくランクを落として大富豪でも買えるくらいの水時計を作っているのだが、そもそも大富豪も当然居なくなっているので全く売れていないのである。
「だったらエフメト皇子が買ってくれるだろ」
「そのエフメト皇子も北部に逃げました。今居るのはスエーズ軍です」
「なに……? スエーズ軍ってどこの軍隊だ? 金は持ってるのか?」
「スエーズ軍はスエーズの軍隊ですよ! 金は……持ってないんじゃないですかね。略奪を始めればすぐに金持ちになるかもしれませんけど」
ギャザリンは呆れたように片眉を上げた。
「なんじゃい、だったら略奪が終わるまで用はないわい」
そして彼は再び木槌を手にとった。
「いやいや、略奪されたら困るでしょ! 略奪されないためにも有力者に集まって話し合えってことですよ!」
「そうか? うちに略奪されて困るような物は無いぞ」
宵越しの金があったら全て細工の道具か材料に化けてしまうギャザリンには奪われるような金目の物は一切無かった。水時計だって完成して設置して調整しない限りパン一切れ分の価値すら無いのだ!
「とにかく行ってくださいよ。それくらいの義理はあるでしょ」
「ベルカントなんぞに義理があるか! あいつのせいでどれだけ予算を削られたことか!」
「でも貧民だった俺達に仕事をくれたのもベルカント様です。技師長みたいに自力で這い上がれる人ばかりじゃないんですよ!」
かつてベルカントが民政長官だった時、彼は貧民の救済に力を尽くしていた。そうしないと治安が安定しないからである。とはいっても食事や小金を施すような一時的な人気取りではない。大人には職を与え、若者に技術を習わせたのだ。そのための予算を確保するためにギャザリンの仕事も何度も予算を削られたのだ。しかもベルカントはそれだけではなく、何の技術もない若者達を連れて来て弟子としてギャザリンに押し付けたのだ。
「だとしても、義理があるのはお前たちだろ。ワシは関係ない!」
「そうじゃなくて、技師長を呼んでるのはベルカント様の末の息子なんです。母君とは知り合いなんでしょ?」
「末の……? ああ、ポリーナちゃんの息子か!」
「ちゃんって……」
女っけの欠片もないギャザリンに似合わない口ぶりに弟子は思わず耳を疑った。
「確かハシムと言ったか? そうかそうか、もうパシャと呼ばれるほどの男になったか……」
ギャザリンは遠い目をして優しい笑顔になった。ますます彼らしくなかった。
かつて幼い子供達を抱えて貧民街で生活していたポリーナは、一時期ギャザリンのもとで飯炊きの仕事をしていたのだ。これもベルカントの政策の一環であった。彼女の方も熱心に仕事に励み、寝食を忘れて仕事に没頭する彼に何とか食事を取らせようと、あの手この手の策謀を巡らした。そんな彼女の姿にギャザリンの頑なな心も次第に絆され、やがて2人は歳の差を越えて……どうともならない内に彼を訪ねてきたベルカントが彼女を見初めて妻にしちゃったのである。ギャザリンには恋愛未満で不完全燃焼のまま彼女を失った喪失感だけが残り、それがベルカントへの反感を加速させていたのである。他人にとっては激しくどうでもいい話だ。しかし、ギャザリンとポリーナの間の友誼は依然として存在していた。
「ハシム坊か……それなら大きな仕事を発注してくれそうだな!」
――いや、そのハシム様もエフメト王子とともに都落ちしてるんですけど……
弟子はそのツッコミを口の中で飲み込むと追従笑いを浮かべた。
「いやー、そうかも知れませんねー。だったらやっぱり行かないといけませんよ!」
「うむ、ではやはりアイデア会議だな!」
「はい!」
弟子は大きく頷いた。どうせアイデアを出した所で無駄なのだが、無駄に水時計を作るよりは幾らかマシである。ついでにギャザリンが明日の会議に出席してくれるなら我慢できようというものだ。こういう集まりをサボると、ますます近所の目が厳しくなるのだから……




