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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第3章 太子擁立
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悪酔い

 新年になり様々な祝賀イベントが行われる中、イゾルテは離宮に引きこもっていた。帰国してからというもの、イゾルテが皇宮にいるとやたらとチヤホヤされる。年若い令嬢方にきゃーきゃー言われるだけなら(まだ)良いのだが、寄ってくるのが役人やら元老院議員やらだとなると良くはない。テオドーラとの関係はただでさえややこしいのに、この上帝位継承候補として期待されても困るのだ。 そこでイゾルテは仮病を使って離宮に引き篭もり、全ての宮中行事をサボり倒していた。


 そんなある日、アドラーとムスタファが新年の挨拶にやって来た。約束通りムスタファに2輪の荷車(自転車)を見せると、イゾルテは颯爽と乗ってみせた。ぐるりと中庭を一周し、びっくりしているムスタファの目の前でズザザァーっと後輪を滑らせながら止まると、兜(ヘルメット)の面覆い(シールド)を跳ね上げてニヤリと笑った。

「ふっふっふ、お前にこれを乗りこなすことが出来るかな?」

「え、乗ってみて良いんですか!?」

「特別だぞ。そのうち量産品が出来ると思うが、今現在では世界に一台しかない乗り物だからな」

ムスタファは大喜びして2輪の荷車(自転車)に跨った。

「よーし、えーとここに跨って、足をこう……とっとっとっ!」

ガシャンとひっくり返ったムスタファを見てイゾルテは大笑いした。

「わははは。大の男がコケるのは、何故か無性に楽しいな」

「くぅ、まだまだ!」


 ムスタファがムキになって2輪の荷車(自転車)に挑戦している間に、イゾルテはアドラーを作業室に連れ込んで新しい贈り物を見せた。

「これは……また訳の分からない物ですね」

「だが、モノ自体は我々でも再現できそうだろう?」

「やかんやランプと大差ないですしね」

 それは銅で出来た2つの器だった。大きな方には注ぎ口と思われる細い管が付いているのだが、妙に横の方に突き出していて非常に注ぎにくそうな形をしている。小さい方の器はもっと奇妙で、上から入った銅の管が器の中をぐるぐると螺旋状に回って最終的に器の外に出て行っている。これでは管に水を入れても器の外に流れていくだけだし、器に入れた水は管からは出ない。


 イゾルテは付属していたペラペラの本を開いた。

「この絵によると、どうやら2つの器に液体を入れて繋げるようだ」

「大きい器の下にあるのはランプですか? ここに入れた液体を炙っているようですが」

「ふむ、ちょっとやってみるか」


 イゾルテは呼び鈴を鳴らしてメイドを呼ぶと奇妙な注文を出した。

「何か液体を2種類持ってきてくれ」

「液体……ですか?」

「ああ、何でも良いから適当に頼む」

 しばらくしてメイドが持ってきたのは冷えたワインと熱い紅茶だった。ひょっとすると飲むかもしれないと考えたのだろう。どうせ過熱するのならと、イゾルテはランプで炙る方に紅茶を入れ、管が貫通している方にワインを入れた。やがて紅茶が沸き立つと、ワインを入れた器の端から透明な液体がポトポトと滴り落ちた。


 イゾルテはそれを指に取ると匂いをかぎ、ペロリと舐めた。

「姫様! 毒だったらどうするんですか!」

「いやいや、もともと紅茶だろうが。それにこれはたぶん、水だ」

「水? 紅茶じゃなくて?」

アドラーも舐めてみると、それは確かに水だった。正確にはぬるま湯だが。


「ひょっとして、これは真水を作る装置なのか?」

「おお、それはすごい! ……けど、あんまり役には立たないですな」

「代わりに燃料が必要だからなぁ」

「籠城戦の時に水を断たれたら、家を焼いてでも水が欲しくなるかもしれませんが……」


 釈然としないイゾルテは、再びペラペラの本を手に取った。

「いや、やっぱり何か違うと思う。見ろ、この表紙。この絵では明らかに酒を飲んでおる。ただの水でこんなに盛り上がれるヤツがいるか?」

『アランビック蒸留器』とかかれたその本の表紙には、楽しげに乾杯している男たちの絵が載っていた。(ただし、もちろん文字は読めない)


「じゃあ今度はワインを温めてみますか?」

「うーん、ホットワインはあまり好きではないんだけどなぁ。体は温まるけど、酒精(アルコール)が飛んでしま……」

イゾルテは急に押し黙った。


「……姫? どうしたんです?」

「エウレカー!(ひらめいたー!)なるほど、なるほど、そういうことか! 理屈はわからんが、これは飛ばされた酒精(アルコール)を回収する装置なのだ! ……たぶん」

「でも、さっきは水でしたよ?」

「そうだ。さっきは紅茶を沸騰させて水を飛ばしただろう? だから水が出てきたのだ」

「おお、じゃあ今度はワインを温めて酒精(アルコール)だけを飛ばせば……」

「あぁ、酒精(アルコール)だけが取り出せる!」


 アドラーとイゾルテは頷き合うと、大きい器から紅茶を捨てて残りのワインを入れた。

「沸騰せぬようにゆっくりと加熱するのだ!」

やがて小さな器の端から、再び透明な液体が滴りだした。

「これは……すごい匂いだ。味は……うぐっ」

「姫様!?」

「これはすごい。僅か数滴でボワッときたぞ。口の中でなくなってしまったが、ワインほどに飲んだらとんでもないことになりそうだ」

「おお、コップ。コップに溜めて飲んでみましょう!」



 2輪の荷車(自転車)になんとか乗れるようなったムスタファが、擦り傷だらけで作業室にやって来ると、そこは既に惨憺たる有り様だった。アドラーは床に倒れ伏し、イゾルテは見えない誰かと話をしていた。オカルトかサイコっぽいシチュエーションなのだが、濃厚な酒の匂いと茹でダコのようなイゾルテの顔色で大体の事情は分かった。

 二人の名誉のためにフォローしておくと、アドラーは自分の酒量を弁えてるし、イゾルテも深酒はしない。ついでに言うと、15歳でワインを飲むのはタイトンでもドルクでも割りと普通のことだ。そもそも彼女たちの飲んでいるワインは、度数がせいぜい5%。糖分が分解されずにたっぷり残っているため、普通はさらに水で割る。特に長く海上にいると、衛生上の問題から腐りやすい真水ではなくワインを薄めて飲水にする。そんな訳で薄いワインは飲み慣れていたのだが、今回は相手が悪かった。


 完全に据わった目をしたイゾルテが、ムスタファに気がついた。

「む? むすたはか? ちょうろいい、ちょっろこい」

「殿下、大丈夫ですか?」

「うるさーい。わらしはもうころもれはないのら。ともかくここにすわるのら」

イゾルテはバンバンと自分の座る長椅子を叩いた。


ムスタファがしぶしぶ長椅子に座ると、イゾルテが嬉しそうに笑った。

「ずっとむすたはにしたいことがあったのら」

「……何です?」

「それは……こうら!」

イゾルテはムスタファに飛びかかると、長椅子の上に押し倒した。


「わらしはるっとこうしたかったのら! はぁはぁ、もうらまん(我慢)れきん!」

「で、殿下、いけません。こんなの誰かに見られたら……」

「そんらのみせつけてやればよいのら!」

イゾルテは抵抗するムスタファの顎を掴むと、その口に無理やり押し付けた。


 油性ペンを。


「わははは、もじゃもじゃじゃ~」

イゾルテは笑いながらムスタファの顔を油性ペンで髭モジャにしていった。

「このインクはなかなかきえないろー。これれいつまれもひげもじゃじゃ~」

だが、実際に描き上げてみると何だかしっくりこなかった。やはりボリュームがないからだろう。

「まえとちらう(違う)。らっかり(がっかり)」

「ヒ、ヒドイ。しくしく」

「ないとらんで、おまえものめ!」

押し倒されたままのムスタファに、イゾルテは高濃度酒精(アルコール)を無理やり飲ませた。

「ご、ごぼごぼッ……って、殺す気ですか!?」

ムスタファが袖で口周りを拭うと、袖が真っ黒になった。

「な、なんじゃこりゃーー!」

油性ペンのインクが酒精(アルコール)で落ちるという(割りとどうでもいい)発見の瞬間だった。



 人生初の二日酔いを経験したイゾルテは、八つ当たり気味に高濃度酒精(アルコール)の飲用禁止を宣言した。正月早々職人たちが動員されこの蒸留器を量産すると、離宮の一角で高濃度アルコールの生産が開始された。そしてそれは、あくまで医療用、掃除用洗剤として出荷されていった。だがその裏で、生産された高濃度酒精(アルコール)が飲用としても出回ったことは言うまでもない。それはイゾルテの目を逃れるため、原料のワインに偽装して木の樽に入れられ、そのまま密かに出荷されていった。

 そして約1年後、倉庫の片隅に隠蔽されたまま忘れらていた樽の1つが再発見されることになる。

「あれ? アドラーさん、なんか美味くなってますよ」

「おぉ、本当だ。樽に入れておいただけなんだがなぁ」

ブランデーの発明(?)である。だが、それはまだ先の話だった。

5%のアルコール水溶液からは、1回の単式蒸留で40%くらいのアルコール水溶液が取れるみたいです。

ちなみに酒の密造は酒税法で禁止されていますので、この蒸留器のマニュアルを作った人はかなりいい根性をしています。

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