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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
237/354

騒がしい猿

バラクダット(=バグダード)を「静かなる都」としていましたが「平安の都」が正しいようです。

うーん、どこでどう間違えたんだか……

 平安の都バラクダット――ムスリカ帝国の都として繁栄を極めたその街は、主をドルクに替え名をバブルンと改めた今でも西アルーアの中心であった。イゾルテは今その歴史ある街を眼と鼻の先にして、その名の通り平安な眠りの中にいた。

「zzz……うへへへ……そんなにさわいでもぉzzz、……助けはこないぞぉ……zzz」

……平安だった。

 ジャンジャンジャンジャン、きゃっきゃっきゃっきゃっ!

平安……

 ジャンジャンジャンジャン、きゃっきゃっきゃっきゃっ!

へ……

 ジャンジャンジャンジャン、きゃっきゃっきゃっきゃっ!


「えーい、うるさいわぁー!」


 訳の分からない騒音に我慢しきれなくなって飛び起きたイゾルテは、その騒音の主をひっつかんで思いっきり壁に叩きつけた! ……が、非力な彼女のことなので、不埒者は壁にぽすんと当たって難なく床に着地した。レオの目の前に。

 ジャンジャンジャンジャン、きゃっきゃっきゃっきゃっ!

鼻先で盛大に騒音をまき散らされたレオは、無言のままのそりと起き上がった。

 ジャンジャンジャンジャン、きゃっきゃっきゃっ ドガッ!!

不埒者を右足の一撃で仕留めたレオは、再びその場に伏せるとすぐにいびきをかき始めた。

「……お見事」


 その不埒者は、シンバルを持った毛むくじゃらの不気味な動物{お猿のシンバル人形}(注1)だった。だがその動物はもはやピクリとも動いていないものの血や脳漿(のうしょう)の類は流れ出しておらず、どうやら人形だったようだった。

――自動演奏楽器(注2)だったのか? 騒音にしか聞こえなかったが……

しかしイゾルテが音痴であることに関しては(残念ながら)人後に落ちない。彼女には騒音に聞こえたものを騒音だと断定する自信がなかった。

――せっかく車輪男を連れて来ているんだし、見せてみるかな?

と言っても今は真夜中だ。全ては明日のことである。

「ということで、今は寝ないとな! さっきの夢の続きを……って、あれ? どんな夢を見てたんだっけ?」

なにか漠然と幸せな夢だった気はしたのだが、具体的には何も思い出せなかった。

「まあいいや、眠れば続きが見れるかもしれないしな」

その自動演奏楽器{お猿のシンバル人形}を床下の隠し収納に放り込むと、彼女も再び眠りについた。今度こそ平安(?)な夢を見るために……。



 翌朝目覚めたイゾルテは、やっぱりどんな夢を見たのかはさっぱり覚えていなかった。なにか漠然と酷い夢だった気はするのだが、具体的には何も思い出せなかったのだ。

「おかしいなぁ、夜中に叩き起こされるまでは凄くいい夢を見ていたはずなのに……」

もっともその内容も全く覚えていないのだが。しかし夢のことは曖昧でも夜半の出来事は明確に記憶していた。怒りまくってたいたので寝起きでも血圧が足りていたのだろう。

「とりあえず、車輪男の所に持って行くかな?」

 イゾルテは暑苦しいカーペットをめくり上げると、そこに隠されていた床下収納から昨晩の自動演奏楽器{お猿のシンバル人形}を取り出した。右手はシンバルを持って構えているものの、左手はだらりと垂れ下がっていて明らかに骨折(というか損壊)していた。

「……まあ、あれだ。壊したのはレオだしな」

とりあえず他人(ひと)(?)のせいにして自動演奏楽器{お猿のシンバル人形}を適当な木箱に放り込むと、控えの間の扉を開けてエロイーザに声をかけた。

「おーい、起きてるか?」

「はぁい、もちろんですよぉ」

まるで毎日早朝に起きてるかのような口ぶりだが、彼女が今起きているのは兵士たちが作る朝食の匂いが漂って来ているからに過ぎない。夜中にどんなに騒ごうと起きてこないのだから、ある意味大したものである。

「そろそろ移動指揮車の外に出たいんだけど……」

「ダメですぅ、まだ治療中ですぅー」

エロイーザが言うように、アイン・ジャーノレートの戦いの日に倒れて以来彼女は移動指揮車から出られなくなっていた。まだ絶対安静なのだ。

「しかしだな、全快するのにいったい何日かかってるんだ? というか、ちゃんと全快するのか?」

「ちゃんと治りますぅー。私の技量(うで)を信じてないんですかぁ?」

「信じられるか! 私ならとっくに治ってるぞ!」

「むぅー、だったら陛下が(◆◆◆)治療すれば良いじゃないですかぁ!」

 病臥しているのはもちろんイゾルテではなく、ペーター男爵(の衣装){ダース・●゛イダーのコスチュームセット}だった。酷い切れ痔のために外出不能になっているのだ。絶対安静である。だからイゾルテはエロイーザにお尻を治療する(=(つくろ)う)ように命じたのだが、遅々として一向に終わらないのだ。

「分かったよ。じゃあ男爵(◆◆)を私によこせ」

イゾルテは切れ痔の治療中のペーター男爵(の衣装){ダース・●゛イダーのコスチュームセット}を掴んだが、なぜかエロイーザが反射的に抵抗した。

「嫌ですぅ! コロテス男爵(ダーリン)は渡しませぇん!」

 ビリビリビリッ

「「…………」」

 二人の女性に求められてペーター男爵{ダース・●゛イダーのコスチュームセット}の心は引き裂かれんばかりだったのかもしれない。だが実際に引き裂かれたのは心ではなくお尻だった。哀れペーター男爵(の衣装)のお尻は2つに割れてしまったのだ! 明らかに治療前よりも傷が広がっていて、重症というかほとんど危篤状態である。あるいはマントが翻るたびに歓声が上がる魅惑の魔法が掛けられたとも言えるかもしれないが、イゾルテにとっては呪いでしかなかった。

「えっとぉ……陛下がぁ、へんなことをおっしゃられられましゅらのれ……」

さすがに罪の意識があったのか、エロイーザの言い訳はかみかみで尻すぼみになって口の中に消えていった。言葉も無く茫然自失したイゾルテの姿が痛々しく、エロイーザはしゅんとなった。イゾルテの責めるような瞳は雄弁で、エロイーザはきっと食事抜きになっちゃうんだろうなぁと思ってお腹をぐーと鳴らした。彼女はお腹の方が雄弁なのだ。

「なんてことだ……」

「せ、洗濯に行ってきますぅー!」

イゾルテの視線に負けたエロイーザは、ペーター男爵(の衣装){ダース・●゛イダーのコスチュームセット}を引っ掴むと移動指揮車の外へと駆け出していった。

「演壇で演説を()っている時にいきなり破れたらどうなっていたことか……」

もしそうなったら、演説の内容の如何(いかん)を問わずきっと大喝采を浴びただろう。

「しかし、どうしよう? 素性を隠しつつ外を出歩く方法は何か無いものだろうか……」

 バブルンには間違いなくビルジに通じた者が潜んでいるだろう。プレセンティナがスエーズ軍に協力していることを悟られないため、イゾルテは素性を隠す必要があった。ペーター男爵の他にも魔人プー{巨大テディベアを改造したきぐるみ}という手があったのだが、既に2回も熱中症でぶっ倒れているので出来れば冬まで使いたくはない。しかしその他に彼女の美貌を隠す変装グッズなど……

「あ……トリスの(かつら)を持って来てたんだった。この際トリスでいいか……」



 その朝バールは浮き立つ心を抑えるのに苦労していた。何と言っても旧都バラクダットを目前にしているのだ。ドルクに奪われて幾星霜、この都を奪還することはムスリカ帝国(を名乗るスエーズ王国)にとっては感慨深いことであった。

「上様、ついにこの日が来たでござるな」

「ああ、つい半年前までは思いもよらないことであった。これもイゾ……いや、神と歴代の指導者様(ハリーファ)によるお導きだな」

バールの立場では、これが全てイゾルテの企みであることをバラす訳にはいかなかった。それに彼はこの急激な展開の中で、神がイゾルテを遣わしたのではないかとまで考えるようになっていた。彼女は異教徒だったが、預言者(ナビー)も元は異教徒だったのだ。神の啓示を受ける者がムスリカ教徒であるとは限らない。もちろん確信を持ってのことではなく「ひょっとして……?」という程度の疑問にすぎないのだが。

 だがそんな浮き立つ空気の中に水を差す者が現れた。

仮宿(かりやど)だということを忘れてはいけないぞ。バブルンを確かに手中にすることが出来るのは、全ての(◆◆◆)危険を排除した後のことだ」

その声は神の遣いかもしれないイゾルテのものだった。

「おや、イゾルテ殿、久しぶりでござ……る……か?」

振り向いたバールの前にいたのは、常人なら見惚れてしまいそうな美少女だった。美しいだけならサラやイゾルテのような美少年(◆◆)が身近にいるバールだが、美少女(◆◆)は幼いシャジャルくらいだ。彼女を双葉だとすれば、この少女は今にも花咲んとする蕾のような瑞々しい清楚さと儚い美しさが漂っていた。……言葉遣いを除けば。

「あ、しまった。じゃない、失礼いたしましたわ。私はイゾルテ陛下にお仕えする侍女のトリスと申します。

 諸般の事情(◆◆◆◆◆)で陛下は人目のあるところに出られませんので、私が陛下の目となり耳となるように仰せつかりました」

優雅に腰を落として頭を下げるトリスを見てその場にいた奴隷軍人(マムルーク)たちは頬を赤らめてそわそわとしたが、バールは一人は正体を悟ってドン引きしていた。

――恐ろしい御仁だ。いかにも変装らしいペーター卿の姿を見せ、次に冗談としか思えない魔人ぷー殿の姿を見せておきながら、今度は一転して鬘をかぶって黒髪にしただけだ。あまりにも自然だ、自然すぎる! スカート(◆◆◆◆)まで穿いて女装(◆◆)しているというのに、何故こんなに違和感がないのだ! 変装のためだけにここまでやるとは、なんと恐ろしい()だろうか!

だがバールは更に恐ろしい可能性に気づいた。というか、サラに(◆◆◆)恐ろしいことに気づいたのだ。

――ま、まさか、サラにまで女装趣味を感染(うつ)したりしてないだろうなっ!?

バールにとってはサラとイゾルテが女装して並んでいる姿など悪夢でしかなかった。若い男たちがそんなのを見たら、きっと普通の女に興味が持てなくなってしまうことだろう! 恐ろしいことである。

「い、イゾ……じゃなかった、トリス殿、ペーター男爵や魔人ぷー殿はどうなされておるのでござるか?」

「ペーター卿は切れ痔で危篤ですわ。魔人プー様も熱中症で面会謝絶です」

「そうでござるか……」

無茶苦茶である。どうやらイゾルテは当分トリスで押し通すつもりのようだった。

「それで、バブルンの偵察は終わっているんですの?」

「バラクダットには既に先遣隊が乗り込んでいるのでござるが、いまのところドルク軍の姿はないでござる。プレセンティナ軍は我が軍の輜重隊とともに一旦城外で待機して、我軍が城内の安全を確保した後に入城していただくでござる」

「分かりましたわ。では陛下にお伝えしてまいります」

再び優雅に一礼するとトリスはしずしずと歩み去った。その挙措は完璧に礼節に適ったものであるが、あくまでタイトン式のものなのでバールにはそこまでは分からなかった。分かったのはただ凄く女性っぽい振る舞いだという事だけである。

――やはり恐ろしい御仁だ……



 イゾルテは一旦移動指揮車に戻ると、自動演奏楽器{お猿のシンバル人形}を入れた木箱を持って今度はコロテス男爵のカルメスを訪れた。真四角な箱馬車に過ぎなかったはずのそのカメルスは、側面いっぱいに棚と作業台が取り付けられて雑多な植物標本やらガラクタが所狭しと並んでいた。離宮の研究室の事を考えればこうなるのは半ば自明のことだったけど……

――疾走したら全部落ちてきそうだな。一応戦争に来ているんだって自覚はないのだろうか……

まあ、主君を見てればそんな気も失せるのだろうけど。彼女は開け放たれていた後部扉から勝手に中に入りながら部屋の主に呼びかけた。

「おーい、車輪男ぉー、生きてるかぁー?」

「これはこれは、陛下、ようこそお越しくださいました」

コロテス男爵はボサボサの髪に激しく寝ぐせをつけていたが、それでもとてもいきいきしていた。前回の放浪では西に向かったので、このあたりは初めて来たのだろう。博物学者である彼にとっては未知の物は少ないだろうが、紙の上でしか知らない物を実際に手にすることも幸せなのだ。

「……っていうか、陛下ですよね? その髪はどうしたんですか?」

「プレセンティナがスエーズに協力していることを知られたくないからな。この鬘をかぶっている時の私はトリスと名乗っている」

「おや? それでは私達もスエーズ人のフリをした方が良くはないですか?」

「気にするな、上り調子のスエーズ軍にプレセンティナ商人(◆◆)が肩入れするのはありそうな話だろう?」

「なるほど」

 世間ズレしたところもあるコロテス男爵だが、彼も世界を放浪しただけあってプレセンティナ商人の(したた)かさはよく知っていた。彼らは今までスエーズにはほとんど出入りしていなかったが、それはスエーズが貧乏だったからである。ドルクに勝利して大国に返り咲こうとしていると知れば、プレセンティナ商人が群れをなしてやって来ることは火を見るよりも明らかであった。まあ、実際には運河特需の方が遥かに美味しい商売だったから、スエーズ軍に付いて来ている者は皆無だったんだけど。


「あー、ところでだな、超秘密で超隠密な超特殊部隊の手によってこんな"遺物"が送られてきたんだ」

イゾルテは深くツッコまれないようにドンっと大きな音を立てて作業台に木箱を載せると、壊れた自動演奏楽器{お猿のシンバル人形}を取り出した。

「これは……猿ですかねぇ?」

「猿? 猿って言うと、あれか? なんか芸をしたりするって言う……」

「そうですけど、ご覧になったことはございませんか? ウロパ大陸には生息していませんが、北アフルークから連れて来て愛玩動物にしている人は結構いるみたいですよ?」(注3)

「へー、つまりこれはシンバルを鳴らす芸を仕込まれた猿、という設定なんだな」

 なんでわざわざこんな毛むくじゃらな外観にしたのか不思議に思っていたのだが、実在する動物をモデルにしていると聞いて納得ができた。機械的な自動演奏楽器にこういう無駄な趣向を凝らすのは彼女の趣味ではないが、そもそも音楽自体が彼女の趣味じゃないのでそれ以上ツッコむ気もなかった。

「そうですね。生きた猿ならシンバルを鳴らしても不思議ではありません。それもあって神の使いだとかそういう伝承でもあったのかもしれません。遺跡に残されていたのもそのためでしょう」

どうやらただのぬいぐるみだと思っているような男爵の口ぶりに、イゾルテは言いにくそうに目を逸らした。

「いや、実はだなぁ……これもシンバルを鳴らしていたんだ」

「……何ですって?」

コロテス男爵は眉根を寄せて訝しそうにした。ぬいぐるみがシンバルを鳴らすなどおいそれと信じられる話ではない。

「勝手にシンバルを鳴らし、きゃっきゃとけたたましい鳴き声を上げていたのだ。……壊しちゃうまでは」

「何ですって!? 壊した? これがどれほど貴重な物かお分かりでないのですか!?」

コロテス男爵は眉根を釣り上げてイゾルテを非難した。貴重な太古の遺物をそんなにぞんざいに扱うことなど、例え皇帝であっても許されることではないのだ。……彼の主観では。

「いや、レオだよ、レオ! 壊したのは私じゃない!」

「だとしても……!」

「責めないでやってくれ、あいつだって私の身を守ろうとしての事だったんだよ、うん」

「……そうですね」

イゾルテの説得に矛先を収めつつも、コロテス男爵のがっかり具合は半端無かった。そのげっそり感はボサボサの寝ぐせ頭にピッタリではあったけど。というか、実際のところは納得したんじゃなくて怒っても仕方ないと諦めただけなのだろう。忠誠心が半減しちゃったかのような彼のがっかり具合にイゾルテは冷や汗を垂らした。彼は重要機密をいろいろと知っているから裏切られると非常に困るのだ。

「えーと、まあ、そうガッカリするなよ。こうしてここに持って来たのは他でもない、お前に分解を許そうと思ってのことなんだ」

男爵はしばらくきょとんとしていたが、ようやく事態を悟ると喜色をいっぱいに表した。

「ぶ、分解して良いのですかっ!?」

「ああ、壊れてしまった物は仕方ないしな。そんな訳だから今回は特別に分解してもOKだ。特別だぞ? 他の皆には内緒だ!」

 イゾルテは基本的に贈り物の分解を禁止していた。離宮の学者たちがそれをやって元に戻せなくなる事故が多発したからである。だが実のところ、イゾルテがこの自動演奏楽器の分解を許したのは壊れてしまったからというだけが理由ではなかった。そもそも楽器なんて心底どうでもいいと思っていたからでもあったのだ! それでコロテス男爵の忠誠心を買えるのなら安いものである。

「で、では早速……」

 コロテス男爵ははさみでザクザクと表皮を切り裂くと、まずは背中に生えた鍵{ネジ}の根本を調べた。そこには歯車をはじめとした様々な部品が複雑で繊細に組み合わされていて、中でも一際存在感を放っていたのが渦巻状の長ーい金属の板だった。

「ほうほう、なるほど。これはおそらくゼンマイ(注4)ですね」

「ちぇんまい?」

「いえ、"ぜんまい"です。ここにグルグルと丸めた板バネがあるでしょう? これが元に戻ろうとする力を使って時計を動かす仕掛けがあると聞いたことがあります」

「へぇー」

「そういえば、時計の遺物を見たことが無いですね。どうしてでしょう?」

イゾルテはギクリとして目を逸らした。

「さ、さあ? ほら、神様って時間にルーズっぽいし? 俺は時間には縛られないのさっ、とか言ってそうだし?」

本当は時計らしき物はいままで幾つもあったのだが、全部同じだけズレるので役に立たなかったのだ。恐らく天界と地上では一日の時間が違うのだろう。

「ふーむ、なるほど。確かに神話の時間感覚は我々には理解し難いところがありますからねぇ。

 あるとしたら規則正しいアプルンかアルテムスの神殿でしょうか。いずれそんな遺跡が発掘されれば……って、あれ? しかしアプルン神由来の物と思われる物は既にあったような……」

イゾルテはとっさに誤魔化した。

「そ、そうだっ! じゃあ、でっかいのをキメイラに搭載すれば、勝手に動くようになるのかっ!?」

「なるでしょうね」

適当に言ってみただけなのにまさか肯定の答えが返ってくるとは思わず、イゾルテは目を丸くした。

「マジで? じゃ、じゃあ、今すぐにでもでっかいちぇんまいを……!」

「ゼンマイです。でもキメイラを動かすほどのゼンマイを積んだら、今の倍は重くなりますよ? それに5分動くかどうかも怪しいですし、(あらかじ)め30分掛けて巻いておかないとダメでしょうね」

「……人力で?」

「水力でも良いですよ?」

「…………」

水力巻き上げて、いったいどこで使えというのだろうか?

「時計のように小さな力を持続的に発揮するような物に向いているんでしょう」

「……なるほど。小さなことでもコツコツと、だな」

イゾルテは的はずれな例えを言ってうんうんともっともらしく頷いた。

「コツコツと言えば、このアームの破片が歯車に挟まってコツコツ言ってますね。ちょっと取ってみましょう」

「あっ、ちょっとまっ……!」

イゾルテが慌てて止める前に、コロテス男爵は破片を取り去ってしまった。

 すかすかすかすか、きゃっきゃっきゃっきゃっ!

 すかすかすかすか、きゃっきゃっきゃっきゃっ!

左手がだらんとしたまま右手だけすかすかと空振りさせる猿の笑顔が、なんともシュールだった。

「ほほう! なるほど、本来は両手を動かしてシンバルを鳴らしていたわけですな。この歯車から左右に分離して……ふむ、このアームが……なるほど!」

男爵は人形{ゼンマイ式お猿のシンバル人形}の機械構造に感心したらしく、何度も感嘆の声を上げていた。

「おおっ、素晴らしい! ああっ、なるほど、最高です! あっ、そこは……ああああっ!」

こんなセリフをオッサンが猿の人形{ゼンマイ式お猿のシンバル人形}を抱きかかえてハァハァしながら言っているのだから、事情を知らない者が見たら変態だと思うことだろう。まあ、変態だけど。

「理解できるのか?」

「ええ、大凡(おおよそ)のところは。我々の技術でも似たような物は作れると思います」

「鳴き声もか?」

「鳴き声はこの筒{グロウラー}(注5)から出ているようです」

そう言って男爵が取り出したのは穴の空いた筒状の部品だった。彼がその筒を振ると、確かに「きゃっきゃ」という鳴き声が出るではないか!

「おおっ! いったいどういう仕組だ?」

「これも更に分解してみないと分かりませんが……さて、どうやって開けるんでしょう?」

「……さあ?」

ぬいぐるみを切り裂くのとは訳が違うので、出先で簡単に分解する訳にもいかなさそうだった。


 2人が煮詰まっていると、そこに余計な男がやって来た。

(ダン)サン、イルアルカ?」

「ああ、テ・ワさん、おはようございます」

呑気に挨拶を返す男爵に呆れつつも、イゾルテは自動演奏機(だった物)を慌てて木箱に押し込んだ。

「や、やあ、テ・ワ! いい天気だな! まさに絶好の都市攻略日和だ!」

いったいどんな日和だろうか。木箱を背後に隠して冷や汗を垂らすイゾルテを、テ・ワは不審そうにじっと見つめた。不審なことに関しては人後に落ちないテ・ワに不審がられるとは、何という屈辱だろうか!

「……誰アルカ?」

「え……? ああ、私だ、イゾルテだよ。これは鬘だ」

テ・ハは驚いた。イゾルテにしてみれば、彼が驚くことの方が驚きである。

「コレハビクリアル! 全然気ヅカナカッタアルヨ! スゴイアルネ!」

「……ありがとう」

確かに変装しているのだが、ここまで驚かれるのも何だか微妙に不本意だった。要するに髪の色と服装でしか識別していなかったということなのだから……。

「デモ、ドシテ変装シテルアルカ?」

「ビルジの密偵が潜んでいるかもしれないからな、変装してトリスと名乗っているんだ」

「……暗殺ヲ警戒シテルアルカ?」

「まあそれもあるんだが、私がスエーズ側に付いたと知られれば恐れ慄いて地峡を越えないかも知れないからな」

もちろんそれは「ビルジ軍や匈奴軍が」という意味である。しかしテ・ワには伝わらなかった。

「自分ガドルクノ人タチニ忌ミ嫌ワレテイルト知テルアルカラ、スエーズヘノ避難誘導ニ差シ障ルト思タアルナ? サスガハ姫サンアルネ!」

「……そだね」

イゾルテは泣きそうだった。


「ところでテ・ワさん、何の御用ですか?」

気まずい空気を変えようとコロテス男爵が水を向けると、テ・ワははっとして手を叩いた。

「コナイダ言テタ"燃エル土"ガコノ近クニアルネ」

「おお、このあたりでしたか!」

男爵が大喜びするのを見てイゾルテが首を傾げた。

「燃える土って何だ?」

「恐らくアスファルトのことです。大地からアスファルトが湧き出す泉があるという記録を読んだことがありますので、おそらくはそれのことかと」(注6)

「アスファルトって……接着剤の?」

「古代ナイールではミイラの防腐剤にも使ったそうですね」

「……へぇ」

残何ながらイゾルテはあまり興味を持てなかった。ぶっちゃけ需要が少なすぎるのだ。わざわざここからプレセンティナに運ぶことを考えると、それだけの価値があるようにも思えなかった。木炭を作る時に出るタールでも良いじゃん、と。

「早速行クアルカ?」

「行きましょう!」

「……行ってらっしゃい」

イゾルテはひらひらと手を降った。

「あれ、陛下は行かないのですか? 燃える土ですよ?」

「だって……臭いの嫌だし」

イゾルテの答えに、男爵は膝を叩いた。

「そうでした! 陛下ならともかく、普通の女性であるトリスさんが行ってはおかしいですからね!」

「……そだね」

頷きながらもイゾルテは内心衝撃を受けていた。ワイワイと楽しそうにどこかに出かけて行く二人を見送りながら、イゾルテは自問自答していた。

――なんで素の私だったら臭いところに行ってもおかしくないと思われてるんだ? 船のトイレ掃除とかしてたからか? 私だって別に好きでしてたわけじゃ無いんだぞ!

注1 お猿のシンバル人形(シンバル猿)は、シンバルを両手に持って打ち鳴らす猿の人形です。ただし、正式名称は分かりません。

いろんなメーカーが色んな商品名で販売していたようです。

シンバルを鳴らすだけでなく、首を振りつつ鳴き声を上げる機能を持つのが定番でした。

電池式のもありますが、ゼンマイ式のものもあったようです。


注2 自動演奏楽器は文字通り自動で演奏する楽器です。

オルゴールが代表的な例ですが、手回しオルガンのように動力だけ外から与えるものもあります。

また自動演奏機能付きのピアノなんかもあります。

普通の楽器をロボットが演奏するのは……どうなんでしょうね?


注3 意外なことですが、ヨーロッパには猿は生息していません。

南ヨーロッパでも十分に生息可能だとは思いますけど、地中海を越えられなかったんでしょうね。

もともと森から出ない生き物ですし、長距離移動にも向いて無さそうですし。

そんな訳でイゾルテは猿を見たことがありません。

キリンやライオンのようにインパクトがあったり、象のように軍用騎獣として実用性があれば百科事典だか動物図鑑で読んだのを覚えていたんでしょうけど。


注4 ゼンマイは渦巻状のバネが元に戻ろうとする力を回転エネルギーとして取り出す機構です。

1400年代にゼンマイ式の時計が作られて以降、腕時計、懐中時計、オルゴール、チョロQなどに使われていました。

今ではオルゴール以外はほとんど電気化されてますが、自動巻き式の腕時計は今でも一応現役ですね。

チョロQは……そもそも死滅してます。(たぶん)


注5 グロウラーは鳴き笛とも呼ばれ、人形やぬいぐるみに組み込まれて鳴き声などを模した音を出します。

押すとふいごによって笛が鳴るものと、傾けると中に入った錘が移動することで空気を押し出して笛が鳴るものがあります。


注6 自然状態で天然アスファルトが噴き出している池をタールピット(タール池)と呼びます。

石油が地表に吹き出す際に軽質分が蒸発し、残りの重質分がなんやかんやしつつアスファルトに変化しちゃうそうです。

つまり……蒸発した軽質分がぷんぷんしてる訳ですね。臭そうです。

バグダットのちょっと西にあるヒートにもタールピットがあるそうです。

タールは無茶苦茶粘度が高いので、動物がタール沼に落ちると自力で這い上がるのはほぼ不可能です。

いわゆる底なし沼ですね。まあ、底があるかどうかというのは生死とはあまり関係ないんですけど……

バクテリアなんかが生きていけないので、ここで死んだ動物は完全な化石が残っていることが多いそうです。

ちなみにアスファルトの発火点は480℃で引火点は260℃なので、アルコールほど燃えやすい訳ではありません。

まあ、そこまで燃えやすかったら道路が大変なことになってますけど!

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