草原の戦い その2
遅くなりました。
すごーく長くなって書き終わらなかったので分割しました。
次の話は明日投稿できるかと
ブラヌの葬儀を終えたハサールは軍を集結を終えつつあったが、バイラムは次々と飛び込んでくる報告に手を焼いていた。
「ジュルガル族の宿営地が襲われました!」
「またかっ! 被害は?」
「家畜が殺された事と包が幾張りか焼かれただけです」
まるで足留めを狙っているかのように連日あちこちの宿営地が襲われているのだが、擾乱攻撃――と言えば聞こえは良いが、要するに嫌がらせ――だけをしてさっさと去って行くのだ。お陰で一向に敵の足取りどころか規模さえも把握できないでいた。だがこれは予測されていたことだ。対策も考えられていた。だけど考えただけで実行に移されていなかったのである。
「ルキウス殿! アルテムス人たちはいつになったらやって来るのですか!?」
「……と、言っていました」
「そうか……」
バイラムからせっつかれたルキウスは、彼を追ってカメルスの車列と共に到着したアルテムス人達の代表を呼び集めた。何と言ってもプレセンティナを慕って付いて来た彼らだ。ルキウスの要請に否やがあろうはずもなかった。
「……と言う訳でだ、諸君にはハサール人の集落を守って欲しい」
「「「…………」」」
……ない、はずである。
「は、ハサール人の集落に、お、オラ達だけでか?」(コソっ)
「おっかねーべ……」(コソっ)
「しかも襲ってくるのもハサール人みたいな奴なんだべ?」(コソっ)
「それどころか助けに来るのもハサール人だべっ!」(コソっ)
概して田舎者ほど不必要に声がでかい物だが、彼らはヒソヒソ話すら遠慮がなかった。仕草だけコソコソしていても意味はない。途中で彼らに合流していた辺境諸侯のベルマー子爵もルキウスに同調して彼らの説得を試みた。
「これは大切な役目だぞ。それにハサール人から実際に身を守ってきた諸君だからこそ任せられた仕事だ、大恩に報いるチャンスではないか!」
「…………」
ルキウスは目線を逸らせた。実際のところは、他に歩兵がいないというのが最大の理由だったのだ。というか、この大草原において歩兵の出番なんて他に有りはしないのだ……。
「しかし……なあ?」
「さすがに……なあ?」
彼らにしてみれば、プレセンティナ軍に協力しようと思ってやって来たのであり、ハサール人のために働こうという気持ちなどこれっぽっちもないのだ。それなのに他のタイトン諸国の軍とは隔離されて、彼らだけでハサール人の集落に行けというのだ。恩に報いたい気持ちとハサール人に対する不審感との板挟みになった彼らは、思いもしない提案をしてきた。
「だったら……アルテムスに来ればいいんでねーの?」
「何?」
虚を突かれたルキウスは思わず聞き返した。
「大人しくしてくれるんなら、草なんか食っても誰も困らねーべ」
「んだな。畑を食い荒らされっと困っけど、それ以外なら構わね」
「「「んだ、んだ」」」
アルテムスは人口密度も低く開墾も十分ではないから耕作地から十分に距離をとって遊牧することも可能だ。またアルテムス人自身が村に引きこもり気味なので、ハサール人とニアミスをすることも少ないだろう。まあ、そんな状態になっているのも全てハサールのせいなんだけど。だがこれほど恐れているハサール人が自分たちの故郷に向かうことに抵抗は無いのだろうか?
「本当に……それでいいのか?」
「プレセンティナ軍が見張ってくれるんだべ? そのために兵士を置いて来たんだべ?」
「あ、ああ、まあ、そうだ……な」
アルテムス領内に置いて来た兵士というのは、実のところ光通信{反射鏡と望遠鏡を使ったモールス信号モドキの情報伝達}のための人員だった。彼らには戦闘力も無いし索敵能力もない。能力だけでなくする気もない。ついでに言うと生活力もないので、食事や洗濯は近隣の村の人たちに世話をしてもらうことになっている。だがまあ、彼らが存在することで安心して貰えるのなら、それを正直に話す必要はないだろう。ルキウスはハサール人が話の通じない蛮人ではないと知っていたし、窮地にあるハサールが裏切る可能性などないと考えていたのだから。
「そういうことなら女子供をずっと西に移動させることが出来るぞ、ありがとう!」
ルキウスは心底嬉しそうに彼らの手を握り、肩を叩いては頭を下げた。痩せても枯れてもルキウスはプレセンティナの皇帝である。それがただの農民に過ぎない男たちに頭を下げたのだ! 農民たちはそんなルキウスに感激した。こんな皇帝が歴史上かつてあっただろうか!? ……あったんだけど。ヘメタルやプレセンティナには割りとあったのだが、他国では知られていないだけのことである。(注1) だが知らない以上は感動は必至である。更に彼らは一昨年のイゾルテのことを思い出した。彼女はハサールが襲ってくるとわざわざ警告にやって来て、村人たちに逃げてくれと頭を下げて頼んだのだ。ルキウスにイゾルテの姿を重ね、今の感動と思い出した感動で彼らは思わず涙ぐんだ。この親子はなぜこんなに他人のことで頭を下げるのだろうか、と。
「そ、そんな、勿体ないことだべ!」
「んだ! 姫さんや殿さんのためなら、オラたちゃどんな事でもすっぞ!」
「「「んだ、んだ!」」」
農民たちの心からの言葉に今度はルキウスが涙ぐんだ。しばらく瞬きを我慢すれば簡単にできる技である。
「そうか、本当にありがとう! じゃあ、空になった宿営地を守っていてくれ!」
「「「「……え?」」」」
農民たちはぽかーんとしたが、感激しているルキウスはそれに気づいていなかった。あるいはそのフリをした。
「いやー、これでハサール人の女子供を危険に巻き込まずにすむな! 君たちのおかげだ!」
「あのぅ……オラたちは危険でねーの?」
「心配なのはハサール人と一緒に暮らすことなんだろう? その点は大丈夫だ! それにしばらく持ちこたえれば援軍が助けに来てくれるし、宿営地に非戦闘員がいないと分かれば、モンゴーラも罠だと判断して襲ってこなくなるだろう」
なるほど、ルキウスの言うことはもっともかもしれない。ただ一つの懸念を除いては……
「ハサール人が居なくても……ハサール人は助けに来てくれるべか?」
「そ、それは……」
ルキウスはハッとして黙りこみ、じっと考え込んだ挙句目を泳がせながら答えた。
「……どうだろう?」
「「「「…………」」」」
ルキウスの回答に農民たちは沈黙した。
「オラ達に死ねってか」(コソっ)
「うっかり騙されそうになったべ」(コソっ)
「やっぱ殿さんは殿さんであって、姫さんではねーべな」(コソっ)
「ああ、姫さんと違って頼りになんねー父親だべ」(コソっ)
……全然沈黙してなかった。何故彼らはこんなに内緒話が下手なのだろうか。
「待て待て、そうではない! お前たちはハサール人の狼煙の上げ方を知らんだろう? 狼煙を炊事の煙と間違われたら話にならん。確実に危急の事態を伝えるためには若干名のハサール人にも居てもらわないとな」
「「「「…………」」」」
やっぱりルキウスの主張には一理あり、彼らは沈黙せざるを得なかった。
ルキウスは黙っていたが、本当はプレセンティナ兵を配置することで光通信{反射鏡と望遠鏡を使ったモールス信号モドキの通信}で情報を伝達することも出来ないことはないのだ。彼の目が泳いだのはそれを言うべきかどうか迷ったからである。だがプレセンティナにはそれをするだけの人員と機材の余裕がなかった。何故なら彼らはスエーズ方面にも通信網を広げなくてはならなかったからだ。急増し、促成して、なんとか定員を満たす見込みができた状態なのである。それでも各通信所にはまともに通信できるのは1人か2人しかおらず、他の者達は彼らの指導の下で日々光通信を使った伝言ゲームと無駄話を通して訓練に励んでいた。ちなみに今朝送られてきた伝言ゲームは「生揉み生揉め生ママ娘」だった。元が何だったのかさっぱりである。それとどことなく卑猥な感じがするのは、たぶん気のせいだろう。
余談だが、人も機材も足りない光通信は実のところ予算だけはたんまりとあった。スエーズ運河の公募を発表した後、この光通信網にも同様に投資したいという申し入れが殺到したのである。これも平時には料金を取って民間利用する予定なので、投資額に応じて通信料を割り引いて欲しいということだ。交易商人にとって情報の伝達速度は最大の武器であるから、通信料を安く済ませられるなら幾ら投資したって惜しくはない。例えばどこで金山が見つかったとかどこの国が凶作だとかが分かれば、どこで何を買ってどこで売れば良いのかが分かる。そして何をどれだけ購入しろという指示を伝えるのも、早ければ早いほど安く買えるのだ。出遅れれば値が上がってしまうのだから。
とはいえ軍事・政治の情報を優先して伝えて貰えなくては困るし、ドルク~スエーズ方面はともかくアルテムス~ハサール方面への情報伝達の民間需要は少ないから、商人たちに運営の実権を握られては投資先に偏りが出る。そこで元老院では、スエーズ運河と同様に元老院が支配権の51%を所有した上で49%を公募するのか、前払い通信料方式や回数券方式など債券性の集金方式を採用するかの侃々諤々の討論が行われ、結局は回数券方式が採用されていた。一刻を争う通信を行う際にいちいち料金表を見て決済するより、前もってチケットを買っておいて貰った方が効率的だという物凄くミクロ視点の理由からだ。そう決めた元老院議員たちの多くが商人だから、経営者としてより顧客としてのニーズを優先させたのである。
そして先行投資を促すために、早く買えば早いほど安く買えるという早割回数券が販売され始めていた。更に要望が多数あったペルセポリス~バネィティア間の通信については今年中の開設が約束させられ、回数券は飛ぶ様に売れていた。距離は短いものの現段階で既に複線化は必須だと囁かれ、人員と機材の必要量もハサール方面の何倍も必要となることが予想されていた。
「で、でも、やっぱりハサール人と一緒と言うのはおっかねーべ」
「「「んだ、んだ」」」
やはり躊躇する農民たちにルキウスは大きなため息を吐いた。
「ハサール人達も同じようにお前たちのことを恐れていたぞ。お前たちが妻や子どもたちに乱暴を働くのではないかとな」
農民たちは驚きに大きく目を開かせた。彼らにとってハサール人とは狼であり、雌狼だろうが子狼だろうが猛獣には違いなかったのだ。
「と、とんでもねぇ!」
「そっただおっそろしいこと、するもんか!」
「恐ろしい? 確かにハサールの女は強いが、とても美しく優しいらしいぞ。イゾルテがそう言っていた」
「姫さんが……?」
「ほ、本当だべか?」
彼らは不審げにルキウスを見つめた。ハサール人と「優しい」「美しい」という形容詞がどうしても結びつかなかったのだ。
「美しいかどうかは人によるが、彼らも我らと同じように、泣き、笑い、憎み、愛する人々だと言うことは私が保証しよう」
そう言ったのはベルマー子爵である。彼は辺境諸侯の一人ではあるが、アルテムスの英雄である竜公の息子でもある。更には昨年のハサールの侵攻の際に多くのアルテムス人難民を受け入れてくれた恩人でもあった。
「彼らはプレセンティナ軍と共に我らをディオニソス王国の軛から解き放ってくれた。それに何と言っても、彼らの機動力は素晴らしい! 彼らが駆けつけてくれるというなら、大船に乗ったつもりで待っていれば良いだろう」
「子爵さまがそう言うなら……」
「さすが竜公の息子だんべ」
「「んだ、んだ」」
農民たちは互いに頷き合いながら、安心したように笑顔を見せた。
「……納得して貰えて何よりだ」
最終的に蚊帳の外に置かれたルキウスは、もう演技はしていなかったのに何故かちょっと涙目だった。
注1 古代ローマの帝制は神聖ローマ帝国以降の王権神授的な物とは異なり、あくまで国民(市民)と元老院の代表という建前でした。それはディオクレティアヌスが専制君主制を始めた後でもそうであり、キリスト教が国教になった後もそうであり、分裂した東ローマにも受け継がれていました。もちろん体裁に過ぎない面も多分にありますが、そういったお題目が人間の考えに影響を与えることも良くあることです。
既出ですが、五賢帝の一人ハドリアヌスが街角で市民の女性を無視したら「市民の話を聞かないあんたには、統治する資格がないわ!」と怒鳴られてすごすごと戻ったという逸話もあります。




