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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
226/354

指導者

ついにサラがイゾルテとトリスの関係に気づきます

 サラの大親分(大アミール)としての仕事はアイヤールの掌握である。日々訪ねて来ては仁義を切るアイヤールたちを指揮下に置き、アントニオが作成する作業割り振りを通達して運河工事に従事させるのだ。時にはアイヤール同士の諍いを仲裁したりもするが、基本的には彼が愛想よくにこにこしていればアイヤールたちはぼーっと呆けたような表情で大人しく従ってくれる。傍目から見えるほどには大変な仕事でもない。中にはたいして用もないのに雑談をしに来るアイヤールたちもいたが、意外とそんなところから貴重な情報が仕入れられたりするのだ。そんな彼らは概して赤ら顔で、まるで想い人に見つめられて照れているかのような真っ赤な顔をして、サラのもとに情報を運んでくるのだ。その日彼に重大な情報をもたらしたのは、そんなアイヤールの1人だった。

「何と、女人が?」

「へい。若い女がイゾルテちゃ……イゾルテ陛下のお世話をしているそうでござんス。しかも顔を隠していないそうで、話題になっているでござんスよ」

「そ、その女人は……可憐でゴザったか?」

「何をおっしゃる! 大親分(大アミール)に比べれば月とすっぽんでござんスよ!」

そのアイヤールは真っ赤になってそう叫んだ。彼はもちろんサラの方が可憐だと(両者にとって)失礼な主張をしたかった訳だが、サラの方は180度誤解してしまった。

――なんで某を比較に出すのか良く分からんでゴザるが、とにかく凄く可憐だということでゴザるな! ということは、その女人はきっとトリス殿でゴザる!

 サラは神出鬼没のトリスとはずっと会えないでいたのだが、彼女がイゾルテに同行してドルクに行くのだということは、他ならぬイゾルテの口から聞いていたのだ。ならばその前にイゾルテの元に帰ってくるのは当然だろう。そしてイゾルテの出発は翌日に迫っていた。

――ということは、会えるのは今日だけでゴザるな!

「そ、そういえばイゾルテ殿に相談したいことがあったでゴザる! 出発される前に行ってこないと!」

彼はそそくさと――そしてアントニオには黙って――プレセンティナ大使館へと足を運んだ。


 大使館に着くと近衛兵が彼を執務室に案内しようとしたが、彼はそれを固辞した。

「大丈夫でゴザる! 部屋の場所は分かるでゴザるよ。ほらほら、刀も置いていくでゴザる!」

別に取り上げるつもりもない刀を自ら差し出すのは何だか逆に怪しかったが、一国の王子にここまで言われては信用しない訳にもいかない。近衛兵は迷ったが、結局通すことにした。どうせイゾルテの側にはレオが居るんだから。

「分かりました、お通り下さい」

 まんまと潜入(?)に成功したサラは人の気配を探した。幸いこの大使館には近衛兵とイゾルテの他には愛しいトリスしかいないはずだから、イゾルテ以外の女性を探せば良いだけである。彼が廊下の角で目を瞑って耳を済ませると、中庭から軽やかな鼻歌が聞こえてきたではないか!

――きっとトリス殿にゴザるな!

 彼は足音を殺して中庭に忍び込むと、白黒のスカートを穿いた女性が洗濯物を干しているのを見つけた。シーツの影になって足しか見えなかったが、イゾルテが洗濯をするはずがないのだからトリスに違いなかった。だがサラはその姿を見て衝撃を覚えた。

――ああ、なんとあられもない姿だ! スカートと靴下の間から素肌が見えているではないか……。ふくらはぎ(◆◆◆◆◆)がっ!

スエーズ人にとっては衝撃的な露出度である。

――けしからん! まったくけしからん! 一言注意せねば!

彼は色んな意味で鼻息が荒くなっていた。

「トリス殿!」

シーツをかき分けてトリスの前に進み出てみると……その女性はトリスではなかった。確かに若いけど、可愛いかどうかは微妙だった。少なくともトリスを求めてやって来たサラにとってはガッカリレベルだ。まあ、今の彼にはイゾルテでさえガッカリなのだけど。

「トリスってぇ、誰のことですかぁ?」

「……そこもとこそどなたでゴザるか?」

「むぅ~、普通はぁ自分から名乗るものですよぉ」

言葉だけ聞けばまともな主張だったが、片方が王子でもう片方が下っ端メイドだったらむしろ名乗る方が普通ではない。名乗るとしたら主人への取り次ぎのためだが、少なくともメイドが偉そうにする理由にはならなかった。でもサラはトリスの同僚に嫌われたくはなかったので下手に出た。

「某はサラにゴザる。そこもとは……いや、トリス殿はどこでゴザるか?」

「誰ぇ?」

「イゾルテ殿にお仕えしているトリス殿でゴザるよ」

「……?」

「ほら、イゾルテ殿くらいの身長で、イゾルテ殿みたいに真っ白な肌で、イゾルテ殿と同じくらい美しくて、イゾルテ殿と同じくらいの……体格でゴザる」

彼が言い淀んだのは、イゾルテとの共通点を列挙している間に2人が同一人物だと気づいた……訳ではなく、本当は極々限定された部位の体格について言及しかけて慌てて誤魔化したからであった。彼だって男なのだから女性の極々限定された部位に興味があるのだ。だが彼が女性の極々限定された部位に興味があるとバレたら、トリスに嫌われてしまうかもしれないではないか! だがここまで説明してもメイドの反応はつれなかった。

「ほぇ~? そんな人ぉ、知りませんけどぉ~?」

「な、何でゴザると?」

イゾルテの身の回りを世話をするメイドが、イゾルテの側近を知らないとはおかしなことである。もしそんなことがあるとしたら、それはきっと……

「陛下にお会いしたのは1年ぶりくらいですからぁ」

……最近側近になったのだろう。

「そうでゴザるか……。じゃ、じゃあトリス殿が帰ってきたら教えて貰えないでゴザるか?」

「えええぇ~! そんなの面倒くさ……ショクギョウリンリに反しますぅー」

「…………」

なんとも正直なメイドである。だがそんな風に固辞されてしまっては、サラにはそれ以上頼めなかった。……口が軽そうだから。

「御用はそれだけですかぁ?」

「あ、ああ、えーと、確認したいのでゴザるが、イゾルテ殿の出発は明日でゴザったな?」

「はぁい、そうですよぉ」

明日出発ということであれば、それに同行するトリスは夜までには帰ってくるはずである。しかし夜中に独身女性の家を訪ねることなど初心(うぶ)なサラに出来るはずもない! 何故なら彼は……トリスがどこに住んでるのか知らないから。

――会えるとしたら今夜だけでゴザるが……うーん、なんとか手は無いものか……。あっ、トリス殿の方から訪ねてきて貰えば良いのでゴザった!

サラはそのアイデアに思わず膝を打った。とは言え、たいして親しくもない独身女性を理由もなく夜中に招待することなど出来るはずもない。なぜなら彼は……両親と同居してるから。だがそれは、親を出しに使えるということでもあるのだ!


「今夜イゾルテ殿を指導者様(ハリーファ)のもとへ招待するでゴザる。伝えておいて貰えるでゴザるか?」

「はぁーい、分かりましたぉー」

「奥の院は家族以外男子禁制でゴザる故、お伴は女性だけでお願いするでゴザる」

「うわぁ~い、やったぁ~。でへへへ」

だらしなくヨダレを垂らすメイドを見て、サラは勝利を確信した。彼女の無作法さこそが付け目である。

――うむ、イゾルテ殿は間違いなくこのメイドは連れてこないでゴザろう。そうなればお供はトリス殿しかおられぬでゴザる! イゾルテ殿と母上が話し込んでいる間に、某はトリス殿とお話ができるでゴザるよ!

イゾルテの心理まで読みきった合理的な作戦である。完璧と言って良いかもしれない。確かにイゾルテならエロイーザではなくトリスを連れて行くだろう。それが可能ならばの話だが……

「では、くれぐれもイゾルテ殿に宜しくお伝え下されでゴザる」

「わっかりましたぁー!」

威勢のいい返事を聞いて満足気に頷くと、サラはそそくさと王宮に帰った。急遽母である指導者(ハリーファ)のスケジュールを調整するためであった。きっと料理長にも怒られることだろう……



 エロイーザから伝言を聞いたイゾルテは、サラが何で直接言わなかったのか不思議に思いながらも、出来たばかりの移動指揮車(改)に乗って王宮へと出かけた。

「えへへぇー、どんな料理が出るか楽しみですねぇ~」

なんでか勝手についてきたエロイーザは始終にこにことしていた。

「スエーズは貧しい国だ、期待は出来ないだろう」

イゾルテは身も蓋もないことを言って窘めたが、エロイーザは夢見る少女だった。

「えぇ~! だって王様より偉い人なんでしょ~? きっとすんごく美味しい物をたーくさん食べてるに違いありませんよぉ! でへへへ」

世の男性が持つ少女への夢が粉々に砕けそうな夢想だった。いやしいよりはいやらしい方が男性には受けが良いのに。

「……時々お前が誰に仕えてるのか分からなくなることがあるぞ」

皇帝のイゾルテだって王様より偉いはずだが、彼女は粗食だった。甘い物以外は。その上エロイーザはイゾルテと同じ物を食べていたではないか。……味見や毒味と称して。

「だいたいどんな料理が出てこようとお前に関係ないだろう?」

「えー、お供にだって食事くらい出してくれるはずですぅ」

お供としてご相伴に預かるつもりだとようやく分かってイゾルテは内心で頭を抱えた。エロイーザなんて連れて行ったら、いったいどんなトラブルを巻き起こすかしれたものではない。

――かといって理由もなく連れて行かなかったら、こいつの機嫌が悪化するしなぁ。

イゾルテとしてはまた叩き起こされては堪らなかった。叩き起こされるだけならともかく、贈り物が目撃されたら目も当てられない。

――なんとか穏便にこいつを翻意させられないものか……

イゾルテは説得に乗り出した。

「エロイーザ、よく考えてみろ。お供は控えの間で待たされるのが相場だぞ?」

「きっと甘ぁーいケーキが出てきますね!」

「……ケーキでお腹は膨れないだろう」

「あっ、じゃあ賄い食を出してくれるかも! メイドは相身互(あいみたが)いですぅ~♪」

「…………」

エロイーザは他家のメイド友達の所に押しかけて賄い食探検ツアーでもやっているのかもしれなかった。というか、やっているに違いない。お返しに離宮の食材を振舞っているのだろうか? イゾルテに断りもなく!

――ダメだ、こいつの辞書に遠慮の文字はない! 食欲そのものを減退させねば……

「おいおい、これから行くのはムスリカ教の総本山、しかもその奥の院だぞ?」

「期待できますねぇ♪」

「逆だ、逆。国中が厳しい戒律を守ってるんだぞ? 食べ物だって例外じゃないだろう。きっと生きて行くのに必要最小限の量しか出ないんだ。それも聖別された麦の粥とかそんなんかもしれないぞ? 味なんか二の次、三の次だ」

「…………」

二人の間に気まずい沈黙が訪れると、ちょうど馬車が王宮に着いた。

「……行ってらっしゃいませぇ~」

「……行ってくる」

イゾルテは一人で馬車を降りた。それは彼女の望んだことだったが、こんな風に見捨てられるとちょっと悲しかった。


 イゾルテは守衛に先導されていつもバールの居る外廷の更に奥に案内され、そこで目許以外を全部隠した(注1)黒尽くめの女官たちに迎えられた。彼女たちが女性だと分かったのは胸が膨らんでいたからだが、服装がダブダブすぎてさすがのイゾルテも彼女たちのバストサイズは分からなかった。……どうでも良いけど。

指導者様(ハリーファ)がお待ちです」

「うむ、案内を頼む」

「お供の方は?」

「……置いてきた。体調が悪くてな」

別にエロイーザを連れて来なかった理由なんてどうでも良いのだが、さすがに「料理が期待出来なくて来る気が失せたから」とは言えなかった。

「そうですか、こちらへどうぞ」

 長い回廊を歩いて行くと、ガランとした大きな円形の部屋に通りかかった。壁には幾何学模様がビッシリと描き込まれ、得も言われぬ荘厳な雰囲気が漂っていた。

――タイトンの神殿とはだいぶ違うな。なんというか……人間臭さが感じられない……

タイトンの神々は悪い意味で人間よりも人間臭いので、むしろイゾルテは非人間的な感じすら漂うこの聖堂の方に好感を持った。

――まあ、改宗することは出来ないんだけどな。

あるいは彼女の場合、神の束縛から逃れられないからこそ他の宗教に興味が湧くのかもしれなかった。彼女は荘厳な雰囲気の中で自分だけが顔を隠していないことに引け目を感じ、日焼け対策でいつも首に巻いているスカーフを脱ぐと女官たちを真似て顔を隠そうとした。だがそのスカーフでは長さが足りず、ただのマスクみたいになってしまった。

「……何をされているんですか?」

「いや、指導者様(ハリーファ)に会うにあたって、失礼の無いように顔を隠した方がいいかなと思って……」

女官たちの顔は見えないままだったが、彼女たちが呆れてポカーンとしたことがなんとなく感じ取れた。

「ふふふ、そんな必要はございませんわ」

彼女たちの笑い声には好意的な音が混じっていて、イゾルテの発言で気分を害した様子は無かった。

「しかし、私だけこのままと言うのも……」

「どうしてもと仰るのなら、髪だけ隠されてはいかがですか? 街の者はそうしていませんでしたか?」

髪だけ隠して顔を露わにしている女性などイゾルテは見たこと無かったが、ひょっとすると平時にはそうやっているのかもしれない。

「そうなのか。じゃあ、そうしようかな」

そう言ってイゾルテはほっかむりをしてみた。……女官たちはやっぱり呆れてポカーンとした。

「……違うのか?」

「ちょっとよろしいですか?」

女官の一人が進み出ると、イゾルテの髪を頭の上に簡単に巻き上げて、それに男性の多くが巻いているイマーマ{ターバン}(注2)みたいにスカーフを巻こうとした。

――へえ、女性でもこんなふうにするのか

だがもちろん長さが足りず、ぐるりと1周半しただけで終わってしまった。あまりにも残念なイマーマ{ターバン}である。

「……すいません。無理のようです」

「だよねー」

普通に考えてそっちの方が長さが必要だった。


「ああ、いたでゴザる。何でこんなところで……立ち止まって……」

聞き覚えのある声に振り向くと、サラがイゾルテを見つめたまま呆然と立ちすくんでいた。彼は髪を隠した目の前の少女がイゾルテなのかトリスなのか分からなかったのだ。

「サラ、どうしたんだ?」

イゾルテが呼びかけると、サラは金縛りが解けたようにはっと息を呑んだ。

「な、何でも無いでゴザるよ!」

だが言葉とは裏腹に彼は内心で酷く動揺していた。

――今気づいたでゴザる! イゾルテ殿とトリス殿は驚くほどそっくりでゴザる!

普段なら軍服を着ている時点でイゾルテだと判断するところだが、今日は「トリス殿が来るでゴザる!」と期待しまくっていた上に彼女が髪を隠していたので、とっさにどちらなのか判断が付きかねたのだ。

――思い起こしてみれば顔もそっくりでござる! 二人の違いは服装と髪の色だけでゴザるが、そんなもの着替えて(かつら)をかぶればどうとでもなるでゴザる。そして昼間のメイドがトリス殿のことを知らないと言っていたことを合わせて考えれば……答えは一つでゴザるよ!

ついに真実に辿り着いたサラはじっとイゾルテを見つめた。


――トリス殿は……トリス殿は……影武者でゴザったか!


……まあ、ある意味合理的な推理だった。

――なるほどそっくりな訳でゴザる。いや、むしろそっくりだからこそ側近に取り立てられたのでゴザるな! ではこのイゾルテ殿は本物のイゾルテ殿でゴザろうか? それともトリス殿でゴザろうか?

これが影武者だったら外交的には非常に失礼な訳だが、彼としてはむしろトリスであって欲しかった。

「イゾルテ殿、トリス殿はいかがなされたのでゴザるか?」

「へっ? とっ、トリス?」

いきなりトリスの名を出されてイゾルテは面食らった。

「あー、えーと、体調不良……かな?」

明らかにおかしな反応に、サラはこのイゾルテがトリスであると確信した。イゾルテは何か事情があって別行動をしているのだろう。思えば彼女がわざわざ出発を遅らせたのは、今夜このスエーズで何かをするためだったのだ。そこにサラが急遽招待をしたものだから、アリバイ作りのためにこうしてトリスが派遣されたのだろう。

――ここは(それがし)が一肌脱いで差し上げるべきでゴザろうな!

千載一遇の大チャンスにして乾坤一擲の大勝負である。彼はイゾルテの手を取ると鼻息荒く力づけた。

イゾルテ(◆◆◆◆)殿、事情は分からんでゴザるが、某はお二人(◆◆◆)を信じているでゴザる。某が手助け致す故、大船に乗ったつもりでいて良いでゴザるよ!」

「はぁ?」

イゾルテは意味が分からず首を傾げた。

「まずは、そのヒジャーブ(注3)は取った方が良いでゴザろう」

そう言ってサラは馴れ馴れしくもイゾルテのスカーフを取り上げた。

「あっ」

「金髪は珍しいから印象に残るでゴザるよ」

イゾルテの金髪は目立つから、たとえそれが(かつら)であっても他の人にはイゾルテとして記憶されやすくなる。下手に隠せば「もしやあの中には金髪ではないのでは?」と疑念を招きかねないのだ。ついさっきサラがそう思ってしまったように。

 だがそんなことなど知ったことではないイゾルテは眉根をしかめた。彼女には彼の考えなど分かろうはずもなかったのだ。

――いや、この周りくどい言い回しもこの聖堂での儀礼なのか? 指導者(ハリーファ)が私の美しい金髪を見てみたいと所望しているのかもしれん。だが髪を隠すことは教義でも推奨されているのに、最高位にある指導者(ハリーファ)が「髪を見せろ」とは言いにくいからこんな風にサラを通して回りくどく要望を伝えてきたのかもしれんな……

 他民族と上手く付き合うためには相手の文化に寛容でなければならない。況して自分が相手の土地に滞在している時には尚更だ。郷に入りては郷に従え、である。そう考えれば、サラだって板挟みの仲介者みたいで気忙(きぜわ)しい立場である。スカーフを取られたくらいで目くじらを立てることも無いだろう。

「では、助言を頼もう。よろしく頼む」

いつもながらのイゾルテの男言葉も、サラの脳内ではこう変換されていた。

「ぜひフォローをお頼みしますわ。ああ、サラ様は本当に頼りになるお方ですわ!」

「いやぁ、それほどでもないでゴザるよぉ~」

サラは真っ赤になって激しく照れまくったが、それがますますイゾルテを混乱させた。

――うーむ、分からん。普段は分かりやすいサラの言動がこんなに訳が分からないとは……。さすがは奥の院、伝統文化の闇は深いなぁ。


 今度はサラに先導されて小さな部屋に通されると、そこには真っ黒なブルカ(注4)をかぶった二人の人影が待ち構えていた。まるでシーツを被っているかのように全身を覆うブルカは、顔どころか1mmの皮膚さえも見せない完全な防護であり、他者を寄せ付けない拒絶であった。そんな二人を前にして、イゾルテはこう思った。

――うーむ、日焼け対策に良いかもしれんな。でも黒だと暑いから白い奴を作らせよう。

彼女の悩みの種は日光に弱いことなのだ。

「紹介するでゴザる。某の母にして偉大なる指導者(ハリーファ)、13代目アリー様でゴザる」

「お会いできて光栄です。私はプレセンティナ帝国皇帝、イゾルテ・ペトルス・カエサル・パレオロゴスです」

「遠路遥々大義でおじゃる。これは娘のシャジャルでおじゃる」

そう言ってアリーが小さな人影を示すと、シャジャルも自己紹介した。

「しゃじゃるでおじゃじゃッ――」

そして口を押さえて身悶えを始めた。どうやら噛んだらしい。……文字通りに。

「だ、大丈夫……ですか?」

「ら、らいろーう」

ぷるぷると震えながらピースサインを送ってきたシャジャルは、とても大丈夫そうには見えなかった。


「母上、ブルカを取ったらどうでゴザるか? シャジャルも」

「サラ……何を言っているのでおじゃるか? 客の前だというのに、取れる訳がないでおじゃる」

彼女は指導者(ハリーファ)であり、娘のシャジャルもまだ幼いとはいえ次期指導者(ハリーファ)の大切な身の上である。家族でもない()の前で素顔を晒すことなど出来ようはずもなかった。だが母の懸念はサラには伝わらなかったようで、彼は首をかしげた。

「……?」

父であるバールもイゾルテには好意的であり、国家としても大切な賓客である。サラには母が隔意を示す理由が分からなかった。ブルカくらい取るべきではないか。ここには家族であるサラを除いては女性しかいないというのに!

「ですが母上、お客様と言ってもトリ……イゾルテ殿にゴザるよ? 以前から父上もイゾルテ殿をお招きしたいと言っておられたではないですか!」

するとアリーは一瞬ピクリと身を固まらせた。表情は外から全然見えないのだが、本人は覆面(ブルカ)の下で驚愕していた。

――バールの言っていた『迎え入れたい』というのは、家族として迎えたいという意味だったの!?

バールがイゾルテを招待したいと言っていたのは彼女ももちろん聞かされていたのだが、それがまさか、シャジャルの()として迎え入れたいという意味だったとは思いもよらないことだったのだ!

「まだ……先の事だと思っていたで……おじゃる。祝言なんて……」

「しゅ、祝言っ!?」

とんでもない勘違いにサラは慌てた。

「そ、そそそっ、そんなの、まだまだ先の事でゴザるよ! じゅ、順序は大切でゴザるっ!」

チラチラと横目でイゾルテ(トリス)を見ながら激しく照れまくるサラを見て、アリーも胸を押さえて安堵した。

「そうでおじゃるか。では、まだ先のことでおじゃるか」

何だか一波乱(ひとはらん)あったようだが、蚊帳の外にあったイゾルテには訳が分からなかった。

「あのぅ、いったい何の話で……」

「気にしなくて良いでゴザるよっ!」

「はぁ」

サラの的確なフォローに従い、イゾルテは気にしないことにした。


 正式な結婚は先の事とはいえ、婚約したのなら身内も同然である。アリーは感慨深げに深くため息を吐くと、覆面(ブルカ)を脱いでその美しい顔を(あらわ)にした。

――うーむ、やっぱりサラの母上だな。姉上ともニルファルとも違う神秘的な魅力があるなぁ。

「さあシャジャル、あなたも脱ぎなさい」

「……いいの?」

「ええ、この人――イゾルテの前では良いのよ」

「……分かりました」

何だか二人の言葉も口調も極々普通の北アフルーク語になっていて、イゾルテは目をパチパチとさせながら戸惑っていた。

「……普段はこんな口調なのか?」(コソっ)

「そうでゴザる。だからトリ……イゾルテ殿も、心配しなくて良いでゴザる」(コソっ)

「心配? ……まあ、話しやすいのは良いことだな、うん」(コソっ)

イゾルテの言葉にサラは小さくガッツポーズを決めた。

――トリス殿も嫁入りに抵抗が無いようでゴザるな!

 そうしている間にシャジャルがもぞもぞとブルカを脱ぎ、その全貌を現した。

「ぷはー、暑かったですぅ」

中から出てきたのは10歳くらいで長い髪をお下げにした、アリーに良く似た肌着一枚の美少女だった。特にタレ目がなんとも可愛らしかった。

「シャ、シャジャル! あなたなんて格好しているんですかっ!?」

「えー、だって覆面(ブルカ)を脱ぐとは思わなかったんだもん」

通気のためか大きく胸元のあいた肌着にノーブラで、少し屈んだだけで乳首まで見えてしまいそうである。貧乳だから。アリーがチラリとイゾルテを見ると、()は案の定大興奮していた。

――おおおっ! やっぱり可愛いじゃないかっ!

とはいえイゾルテの性的指向はあくまでお姉さま系であって、こんなまな板のような胸をした少女など完全に性的指向の対象外だ。彼女が興奮しているのは……猫可愛がりの対象としてである。

――ミランダもこのくらいの時は可愛かったなぁ。だが残念ながら、ミランダは変わってしまったのだ!

特に胸が。イゾルテが無償の愛を注げるのは自分よりバストサイズが小さい相手だけなのだ。それ以上だと有償になっちゃうのでお返しを期待しちゃうのだ。……性的な。

「な、撫でていいですかっ!?」

感極まったイゾルテがそう叫ぶと、アリーは驚愕し(おぞ)ましい物でも見るようにイゾルテを睨んだ。

「な、撫でるですって!? よくもそんなことを……」

だがシャジャルは快諾した。

「うん、いいよ」

「まっ、待ちなさ……!」

アリーが慌てて制止した時にはもうシャジャルは体を差し出し、イゾルテはニヤニヤと脂下(やにさ)がった顔で思う存分シャジャルを撫でまわしていた。……頭を。

「いやぁ、シャジャルちゃんは可愛いなぁ。こんな妹が欲しいなぁ」(ナデナデ)

「ぶはっ!」

なぜかサラが鼻血を吹いてひっくり返るのを尻目に、イゾルテとシャジャルはにこにことじゃれ合っていた。すこぶる健全に。

「お兄ちゃん、撫でるの上手ですね」

「お兄ちゃん? うーん、新鮮だなぁ。お兄ちゃんじゃないけど、お兄ちゃんでもいいやぁ」

――あ、あら? 意外と紳士なのね。単に子供好きなのかしら?


 この会合はサラの体調不良により途中で解散することになってしまったが、それまでの短い間シャジャルはイゾルテの膝の上に居を移してずっと頭を撫でられ続けていた。ふたりとも穏やかに微笑んでいて、アリーが危惧したような危険な香りは微塵も無かった。

――同じ女性にも人見知りしがちなシャジャルが、初めて会う男性(◆◆)にこんなに懐くなんて……。これも神の思し召しなのかしら?

問題はイゾルテが異教徒であることと、他国の王であることなのだが……

――それもイゾルテが改宗すればいいことね。聖戦(ジハード)をしなくても国が一つムスリカの神に帰依するのなら言うこともないわ!

……考え方次第でメリットになるものである。



 翌朝、出発するイゾルテ一行をアリーが見送りにやって来た。しかもシャジャルを連れてである。野次馬にやってきていたスエーズの人々はめったに無いことに驚きながらも神妙に膝をついた。

「イゾルテ殿、武運長久を祈っているでおじゃる」

アリーはブルカをかぶり、口調も外向けのものに戻っていた。もちろんシャジャルもブルカをかぶっていた。

「お兄ちゃん、がんばってでおじゃじゃッ――」

シャジャルは口を押さえて不思議なダンスを踊り始めた。彼女の口の中はきっと傷だらけなのだろう。

「ありがとうございます。バール殿をお助けし、必ずや勝利して参ります!」

八百長だからイゾルテも自信満々である。

「シャジャルちゃ……様も、その……怪我をしないように……ね?」

「ら、らいろーう」

ぷるぷると震えながらピースサインを送ってきたシャジャルは、とても大丈夫そうには見えなかった。そんな健気な彼女を思わず揉みくちゃに撫で回したくなったが、たぶん人前でやっては失礼なのでイゾルテはなんとか我慢した。だがイゾルテがシャジャルを撫で回さなかったことで、サラはこのイゾルテを本物のイゾルテだと判断した。昨晩の様子から考えれば、トリスなら絶対に頭を撫でているところである。だって命を賭けた戦いに出かける彼女にとっては、これが最後になるかもしれないのだから。

――トリス殿とも今生の別れかもしれないでゴザる。一目お会いしたいものでゴザる!

「イゾルテ殿、ト、トリスどのは何処(いずこ)に?」

おずおずと質問してきたサラに、イゾルテは冷たかった。

「トリスなら体調不良だと言っただろう。移動指揮車(改)の中で寝ているよ」

昨日からトリストリスとウザったかったから、ちゃんと言い訳を考えておいたのだ。

「そ、それでは一目お見舞いをさせて下され!」

「えっ……?」

そんなに親しくもないのに、異性の病室に入り込もうとはサラらしくもない話である。だがサラの方は昨晩の「シャジャルを妹にしたい」発言を聞いて既に婚約者になった気分だったのだ。だがもちろん許可を出すことなど出来るはずも無かった。

「だ、ダメだダメだ! 絶対にダメだ!」

「何ででゴザるか! せめて一目なりともお会いしとうゴザる! これが死出の旅路となるかもしれぬのでゴザるぞ!」

この戦いが八百長だと知らなければ、死戦になると考えるのは当然のことだろう。最後に一目会いたいと思うのも仕方がないかもしれない。

――だが、どうあっても断らなければ……!

なんせ移動指揮車でぐーすか寝ているのは、トリスじゃなくてエロイーザなのだから。しかもただの昼寝である。まだ朝なのに……。

「だがダメなのだ。なぜなら、トリスは……トリスは……全裸で寝てるから! あいつは全裸じゃないと寝られない性質(たち)なんだ!」

「ぜ……ぜん……裸? ぶはっ!」

サラは盛大に鼻血を吹きながらひっくり返り、アリーの護衛のマムルーク達に引きずられていった。訳の分からないアリーは、訳が分からないなりに不審に思った。馬車に全裸で寝かしておくなど尋常のことではない。愛人ではないかと勘ぐったのだ。

「トリスというのは……誰でおじゃるか?」

「あー、えーと、私の側近で……サラ殿とは顔見知りなんですよー」(棒)

――側近ということは男なのね。サラだってパンツ一枚で寝てるし、そんなものかしら

指導者(ハリーファ)を除いては完全な男社会であるスエーズ人の感覚では、皇帝の側近と言えば男だと確信できた。同性(◆◆)なら多少の無作法も許されるだろう。さすがにちょっと知ってるだけのサラに見せるのは抵抗があるだろうけど。

「そうでおじゃるか。快癒をお祈りするでおじゃる」

「も、もったいないことです……」

イゾルテが激しく恐縮してぺこぺこするのを見て、()がその側近を大切に思っていることがアリーにも良く分かった。


 こうしてイゾルテは移動指揮車(改)と100台あまりのカメルス、そしてたった1台のキメイラを率いて東へと旅立って行った。無骨な(なり)をしているのは1台だけで、他はすべて木目も丸出しの箱馬車に過ぎない。あまりにも頼りないその一行に、見送る人たちは不安を隠し切れないでいた。



 その日の昼過ぎになって、サラはようやくアイヤールの事務所に出勤してきた。すこぶる青い顔をしていたが、機嫌の方はすこぶる良かった。以前アントニオがトリスの裸を見たと自慢して衝撃を受けたが、その仕掛けに気づいたからである。

――うっかり部屋を間違えて寝姿を見てしまったとか、起き抜けで寝ぼけたトリス殿とばったり会ってしまったということでゴザろう。全裸で寝ていれば、そんな事故があっても不思議ではないでゴザる。

彼には確かめようが無かったが、その推理は限りなく事実に近かった。確かにトリスの裸を見たことは羨ましくはあるのだが、事故で裸を見たからといって仲良くなれるわけではない。それどころか、今や彼は圧倒的なアドバンテージを得ていたのだ。

「アントニオ殿……妹御はおられるか?」

「え? ……一人っ子ですけど?」

サラはニヤリと口元を歪めるとふっと鼻で笑った。可憐なサラがそんな仕草をすると、途端に高慢ちきなお嬢様っぽくなるのは不思議な感動である。M男には堪らないだろう。事務所にいたアイヤールの一人が幸せそうな顔でブルブルと身を震わせた。

「持つべきものは可愛い妹でゴザるなぁ」

「……意味が分かりませんけど」

「はっはっは、気にしないで良いでゴザる! もう全ては終わったことにゴザるよ!」

勝ち誇るサラに対して、さっぱり意味の分からないアントニオはただ沈黙するしかなかった。

――体調悪そうだなぁ。そっとしておいてあげよう。

注1 目元を残して上と下に布を巻く方式の覆面(というかヴェール)はニカーブと呼ばれます。

ヘルメットをかぶったキシリア閣下もニカーブと言えるかもしれません。


注2 英語のターバンとして有名なアレはアラビア語ではイマーマと云います。

ターバンというとインドのイメージもありますが、ターバンをしてるインド人はシーク教徒なのでイスラムとは全く別です。

特にシーク教徒は教義で髪を切っちゃダメってことになっているので、みんなロン毛なんですよね。

それをぐるぐる巻いた上に布もぐるぐる巻くという……

でもイスラムの方は別に散髪OKみたいなのでそんなに大変じゃありませんね

あれ? 比較対象が悪い気がする……


注3 ヒジャーブ(アラビア語)はイスラム圏の女性が身に付ける布で、髪と首周りを隠すものです。

分かりやすく言うと武蔵坊弁慶みたいになってるやつです。

ただし色や柄は多様で、お洒落の余地があるようです。

サングラスをかけてスカーフでほっかむりした女性が昭和の映画やサスペンスドラマに出てましたが、あれは髪が見えてるのでアウトです。(たぶん)

もうちょっと長くてダラっとしてるヒマールというのもあります。これは日本の尼さんが着けているのと限りなく似ています。

またイランのチャードル(ペルシャ語)がありますが、これは真っ黒で長く、フード付きの外套というべきサイズです。

さらに前述したニカーブや後述するブルカのように顔を覆い隠すタイプのものもありますが、こういった覆面系も含めて全部ひっくるめてヒジャーブと言うこともあります。


注4 ブルカ(アラビア語)はヒジャーブの一種ですが、頭からすっぽり全身を包むタイプのものです。視界を確保するために、目の周りだけは網目になっています。

そのまま肝試しのお化け役、もしくは養蜂家になれそうです。

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