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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
223/354

草原

今更ですが時系列的には『悪魔の像』の前にしとくべきでした

しばらくしたら順番を入れ替えるかも

 プレセンティナ軍と合流したハサール軍は一旦北西部に引き返した。アムゾン海を囲むように"┓"型をしたこの国ではそれは国の半分を放棄することを意味したが、前線を縮小するという意味では効果的だった。

 対するモンゴーラ軍司令パトーも、そのまま彼らを追うことは出来なかった。その先にはまだハサールの大軍がいるはずだったし、完全に制圧した訳でもない東部を空にして先に進めば退路を断たれかねなかったのだ。包囲によってハサール軍を壊滅させかけた彼だからこそ、自らが包囲されることに警戒を怠ることは出来なかった。だが勝利に酔った兵士たちは追撃を主張した。

「パトー(カン)、ここは勢いに乗って一気に叩くべきです!」

「今度こそ敵の息の根を止めてみせます!」

血気盛んなことは良いことだったが、それは戦場でのみ美徳となるものだった。パトーは静かに首を横に振ると彼らに答えた。

「東部一帯の制圧を優先させる。スラム人の集落があちこちにあるはずだが、これを放置して前進すれば後背を突かれかねない」

「しかし、そちらに兵力を割けば敵主力に対応できません」

「敵が出てくるにはまだ猶予がある。が、それも長くはあるまい。故に大物見(おおものみ)を放つ」

大物見というのは威力偵察のことであり、それを行うための部隊である。敵を偵察しがてら発見次第実際に攻撃してみて、その数だけでなく練度と戦意も調べるのだ。(注1)

大物見(おおものみ)ですか? しかし敵主力が相手では……」

「そうではない。長駆してハサールの懐へと入り込み宿営地を襲うのだ。妻子の身が危ういとなれば宿営地を空けることも出来ず、戦力の集結もままならなくなるだろう」

 遊牧民の間では(奇襲や騙し討ちでもなければ)女子供が矢面に立たされるような状況はそうそう起こりえない。だがだからこそ、自分の留守に家族が襲われることなど想像もしたくないだろう。もちろん大物見にも大きな危険が伴うが、一度でも成功すれば……いや、そのような試みがあることが知られるだけでもハサール人の心胆を寒からしめることが出来るだろう。

「それは……重要な役目ですね」

「だが東部を制圧する時間が稼げるし、敵を殺さないで戦力を削ぐことが出来る」

「殺さないで……?」

「いずれ彼らもモンゴーラの一員となるのだ。特に女子供は強いて殺す必要などない。要は連中が不安に駆られれば良いのだから、天幕(ゲル)を焼くなり家畜を殺すだけで十分だ。無論、気に入った女でもいれば拐ってきても構わないがな」

「それは……まあ、可能なら……」

兵士たちとて女が嫌いな訳ではないのだが、拐った女を何百ミルムも運ぶことを考えればとても乗り気にはなれなかった。

「どうだ、やってみるか?」

「はっ! 女を攫うのは無理っぽいですが、良い馬がいたら奪ってきます!」

「よし! 他はこの地に陣を張り、東部の掌握に力を尽くすのだ!」

「「「はっ!」」」

こうしてモンゴーラ軍は再びその兵力を分散させ、ハサール各地へと向かわせたのである。



 一方プレセンティナ軍と合流したハサール軍は、族長たちの待つ大宿営地(オルド)に辿り着いた。国土が半分になったと言っても、農耕民族と違ってハサール人の財産は移動可能である。人はもちろん、家財も、家畜も、そして家すらも。東部に残されたのは文字通り土地だけだった。

 そしてその土地についても、ハサール人には農耕民族ほどの執着はなく、ただ家畜を肥えさせる餌場に過ぎなかった。しかもそれを半分失ったからといっても即座に家畜が飢えるわけではなく、家畜が草原の再生力以上に食べてしまう事によってじわじわと草原が痩せることになるかもしれない、という程度である。それも数年のうちにモンゴーラを追い出せれば影響はほとんど無いだろう。ただし家畜に餌を食べさせる都合上、各部族・氏族の宿営地は北西部全体に分散しており、大宿営地(オルド)に集結した兵の数は未だに少なかった。

 そんな中バイラムはクリルタイを招集すると、ブラヌが逝去したことを族長たちに告げた。

「我らはモンゴーラの奸計に嵌り、多くの被害を受けた。還らぬ者は15000あまり、可汗も毒矢を受けて亡くなられた……」

「そうか、可汗が亡くなったか……」

「決して愚かな男ではなかったが、負けっぱなしで終わったか。時節が悪かったな」

「しかし、このような時に可汗を失うことになろうとは……」

「ところで、可汗の遺言は何だったのだ?」

「それが……」

()らされたバイラムの視線を追って、族長たちの視線がズスタスに集まった。

「え? オレ?」

ルキウスとズスタスもオブザーバーとして呼ばれていたのだが、言葉が分からなくてぼけぇーっとしてたズスタスは急に注目されて慌てた。ルキウスに通訳していたプレセンティナの通訳官が、気を利かせてズスタスに耳打ちした。

「可汗の最期の言葉は何だったのだ? と言っています」

「え……なんか……イゾルテによろしくって……」

凄くいい加減だった。ハサール語の分からない彼には、ブラヌの最後の言葉も"イゾルテ"という固有名詞以外は何も聞き取れなかったのである。実は本当にブラヌの最後の言葉はそんな感じの内容だったのだが、聞いた本人ですら知らないのだから今となっては闇の中である。というか、朦朧とした意識の中で言った言葉なので、それを遺言と言って良いのかどうかも分からないのだが。

 だが賢明なる通訳官は、適当な遺言を捏造するくらいなら最初から聞かなかったことにした方が百倍マシだと判断した。

「……安らかに亡くなられたと言っておきましょうか?」

「そう、それ!」

ビシっと指を突きつけたズスタスに通訳官は内心で呆れたが、平静を装ってハサール語に通訳した。

「何も仰ることなく安らかに亡くなられたそうです」

「そうか……」

「せめて後継者をはっきりさせてくれれば良かったのじゃがのぅ」

族長たちががっかりしたのを見て通訳官は冷や汗を垂らした。

――後継者が決まってなかったのか!? 『イゾルテ陛下にヨロシク』なんて伝えたら、いったいどんなにややこしいことになっていたか……

この場にイゾルテがいたら言葉巧みにハサールを乗っ取ったかもしれなかったけど、それはそれで厄介だった。通訳官以外では唯一ハサール語とタイトン語を(ちょっとだけ)分かるバイラムは、ズスタスと通訳官の遣り取りからなんとなく事情を察したが、彼らを責めたって仕方がないので黙っていた。それにズスタスなんかにブラヌを預けた彼が責められそうだったし。彼はゴホンと咳払いをしてから族長たちに語りかけた。

「ワシが聞いたのは、次の可汗はクリルタイで決めろというお言葉だった。御指名はされておられぬはずだ」

「しかし、候補者の大半はドルクに居るのだぞ?」

「この場にいる者から選べば、ドルクに行った者達が不満を持つだろう」

「むしろやる気のある者こそドルクに向かったのだしな」

タイトン方面での戦いが中断されてしまったので、候補者達の多くがドルクの内乱で手柄を立てようと出征していったのである。

「その通りだ。だから可汗を決めるのは先でいい。それまではワシが臨時で総指揮を執る」

バイラムの言葉に族長たちは静まり返った。

「……なに勝手なこと言っとるんじゃ?」

「……お前だって敗軍の将だろうが」

「……総指揮じゃなくて葬式を指揮してろ」

族長たちは冷ややかだった。

「いやいやいや! 可汗に命じられたんだってばっ!」

バイラムは叫んだが、やっぱり族長たちは不審そうだった。

「撤退の指揮を執れってだけじゃないのか?」

「怪しすぎるな」

「どさくさに紛れて自分が可汗になるつもりじゃろう」

「……可汗の側近たちの証言もあるんだぞ?」

バイラムが泣きそうだったのは、ブラヌの死を悼んでいたからである。……たぶん。

 話が行き詰まった様子を見て、それまで黙り込んでいたルキウスが口を挟んだ。正確には通訳官を挟んで口を挟んだのだが。

「横から失礼する。一刻も早くブラヌ殿の葬儀を済ませて欲しい。 と、言っています」

「しかし……」

「今は全ハサールの結束を固めるのが最も重要な事だ。ハサールが結束しなければ、我らタイトン諸国の援軍も結束出来ようはずがない。バイラム殿は葬式を指揮することで、皆をまとめて欲しい。 と、言っています」

ルキウスとしては顔を見知っていてタイトン語が(ちょっとは)分かるバイラムがトップに立つのは何かと都合が良かった。孤立無援と思われた中に現れた思わぬ援軍にバイラムは思わず膝を打った。

「聞いたか? ルキウス殿の言うとおりだ! 今は小事に(こだわ)っている場合ではない!」

「「「…………」」」

渋い顔をする族長たちにルキウスは説得を続けた。

「何も可汗になる訳ではない。いっそここで、バイラム殿が自分も自分の一族も可汗にはならないと宣言されてはどうだろう? それなら彼を疑う必要もないだろう? と、言っています」

「えっ……?」

自分を支持してくれると思った途端にハシゴを外されてバイラムは唖然とした。そして今度は族長達が膝を打った。

「うむ、その通りだな!」

「さすがは魔女の父親だ!」

「全く以て理にかなっておる!」

「い、いや、しかしだな……」

「バイラムの言うとおり、小事に拘っている場合ではないな!」

「…………」

自分の言葉を盾に取られて肩を落とすと、バイラムは右手で力なく胸を叩いた。

「……可汗にはならないと誓う」

「お前だけか?」

「……息子にも誓わせるさっ!」

バイラムの悲痛な叫びが大天幕を震わせ、族長たちはいっせいに頷いた。

「よしっ、これでハサールは一枚岩だ」

「うむ、それこそがハサールの強さの源じゃて」

「さあ、葬式と反撃の準備を始めねばな!」

ルキウスの言った通りその団結力の強さを見せつける族長たちに、バイラムは恨みがましい目を向けた。

「ちょっと待て、俺の指揮権を認めてないだろう! 俺の指揮に従うと誓え!」

「ああ、うむ。誓う」

「誓うぞ」

「誓った」

「誓うが?」

あまりに軽いノリにバイラムは再び肩を落とした。そこにあったのは主従関係のような強固なものではなく、対等な同盟における便宜上の盟主のようなものだった。あるいは羊追い競技(ブズカシ)の主将みたいなものかもしれない。作戦をミスしたら責められるけど、チームが勝っても女にモテるのはいつだって活躍して点を入れた選手なのだ!

――あれ? 何で今更若い頃のことを思い出すんだろう……

バイラムが泣きそうだったのは、ハサール全12部族の意思が一つにまとまったのが嬉しかったからである。……たぶん。


「ええーい、じゃあさっさと準備を始めろ! 葬儀も兼ねて全軍を集結させる! 東には斥候を放て!」

「斥候はうちが受け持とう」

「うちの部族は西の果てにおる。男だけに限っても10日はかかるぞ」

「ワシのところは3日もあれば来れるじゃろう。さっそく準備を始めよう」

ようやく先に進もうという雰囲気になったが、もちろん葬式のことだけ相談すれば良いわけではない。話題は自然とモンゴーラとの戦いへと移っていった。

「しかし、葬儀までに敵が攻めてきたらどうする? いや、そもそも戦力はどれくらい集められるんだ?」

「無傷なのはせいぜい2万だ。先の戦いで15000を失い、更に2万は傷を負っている。中には自ら馬を操ることも出来ず、馬の背に括りつけられてなんとか落ち延びた者すらいるくらいだ」

「とすれば、かき集めても5万というところか……」

「さらに3万だと? なんとか弓の引ける程度の子供まで含めても、我が部族からは2千も出せんぞ!」

「そこまで出してしまえば、宿営地に残るのは本当に女子供だけになるな」

「そんな状況では兵士たちも安心して戦えない! 相手も草原の民なのだ、大きく北に迂回して後ろに回り込まないとも限らないのだぞ!」

「確かにな……」

これまで国内に攻めこまれたことなど無い彼らにとって、非戦闘員をどうやって守ればいいのかという事は未知の領域であった。相手がスラム人やタイトン人なら逃げれば済むことだったが、相手も草原の民となれば追いつかれやすい。更には昨年の戦いで多くの女子供がクレミア半島に取り残された記憶も新しく、自分の部族の者達が敵に蹂躙されるのではないかという不安が頭を(よぎ)った。族長たちの不安げな顔を見て、彼らを安心させようと再びルキウスが口を開いた。

「アルテムス人が大勢こちらに向かっている。彼らは身の守り方を知っているから、宿営地を砦にしてくれるだろう。 と、言っています」

だが族長たちは困惑するように眉根を寄せた。

「……あんなの簡単に突破できるぞ?」

「とても安心は出来んな」

敵として何度もアルテムスの村々を襲った彼らからしてみれば、そこに張り巡らされていた柵や土塁がどんなに脆弱なものか良く分かっていた。確かに馬で突入することは難しいが、ぶっちゃけ火矢を放てば血祭りにあげることは難しくない。アルテムス人もそれを分かっていたからこそ、大人しく年貢を差し出していたのだ。だから攻めるのがハサール人からモンゴーラ人に代わったところで、大きくは変わらないように思えたのだ。だが、彼らは前提条件の違いを見逃していた。

「狼煙を上げて2時間耐えるくらいは出来るだろう? そしてハサール騎兵なら2時間で50ミルムを駆けることが出来る。 と、言っています」

ルキウスの言葉を聞いて族長たちははっとした。アルテムス人にはどこを探しても援軍など居なかったが、今回はそうではないのだ。

「そうか……足止めしている間に援軍がたどり着ければいいのか」

「直径100ミルムを1隊でカバーできるとなれば、必要な戦力はずっと削減できるな」

「待て、敵の規模が分からないのだぞ。1隊で対処できるなければどうするんだ?」

「1隊が時間を稼ぐ間に他の隊がかけつけるだろう。そもそも敵が大軍なら、現状の兵力ですら守ることは出来んのだしな」

「どちらにせよ、粗末な柵でもあった方がマシということか……」

自らをたのみとするハサール人にとって、他民族の力をアテにするという経験は少なかった。数少ない例は昨年の戦いでプレイアダス七都市連合を攻めるのにドルクの力を借りたことくらいだが、それとてドルク軍とは完全に別行動だった。それなのに、常に下に見て虐げてきたアルテムスの農民たちの力を必要とする事になろうとは、ある意味晴天の霹靂である。あるいは塞翁が馬か。

 居心地悪く押し黙った長老たちに、ルキウスは諭すように語りかけた。

「アルテムス人が柵を作っても時間を稼ぐことしかできない。ハサール人がいくら急いでも、無防備な宿営地が蹂躙されるのを止めることは出来ない。だが、この両者が協力すれば不可能だったことが可能になるのだ。 と、言っています」

「「「…………」」」

 跪いて力を借りるのではなくお互いに協力するのだというルキウスの主張は、ハサール人の耳にも耳障りではなかった。もしこれがちゃっかりクレミア半島を手に入れてハサールの女子供を手に掛けようとしたスラム人の口から出た言葉であったなら「けっ!」と吐き捨てたことだろうが、ルキウスの治めるプレセンティナ帝国は実際に無欲であり、誠実だった。アルテムスやクレミアの件といい、西のタイトン諸国間でのいざこざといい、他人を守るために争いに首を突っ込み、そして勝ち続けながらも土地も金も家畜も何一つ受け取っていないのだ。彼らが求めたのはただ一つ、同盟だけである。協力することで不可能を可能にするという一見甘っちょろい信条を、彼らは忠実に守り続けているのだ。それを理解した時、族長たちは不思議な感動に胸を打たれた。

「いい話じゃ」

「なんと気持ちのいい連中だろう」

「なるほど、魔女の父親だけのことはある」

「ブラヌも魔女にはころっと丸め込まれておったからのぅ」

「馬鹿を言うな、丸め込まれたのはワシらも同じじゃろうて!」

カッカッと笑う族長たちはなんとも楽しそうな顔をしていた。……バイラムが要らないことに気づくまでは。

「……ちょっと待て、プレセンティナがどういうつもりだろうと、実際に宿営地に行くのはアルテムス人だろう? アルテムス人はどう考えているんだ?」

プレセンティナ人は確かに労力を払ったかもしれないが、ハサール人に恨みがあった訳ではない。実際にハサール人から被害を受けたアルテムス人たちは女子供を預けられるほど信じられるのだろうか?

「「「…………」」」

族長たちに注目されてルキウスは冷や汗を垂らした。彼だってアルテムス人のことなんか良く分からないのだ。

「えーと、たぶん、大丈夫かと…… と、言っています」

「……そんなんで納得できるか」

「信用できんな」

「やっぱり魔女の父親だけのことはある」

「危うく丸め込まれるところじゃった!」

いきなりの手のひら返しである。ルキウスは慌てて弁明した。

「いやいや、彼らはイゾルテに恩を感じてやって来たのだ。そのイゾルテが最も嫌うことをするはずがない。イゾルテが女子供に危害を加える事を(こと)(ほか)嫌うということは皆知っていることだ。 と、言っています」

「それはそうだが……」

「まあ、確かに……」

「そもそも狼煙が上がれば2時間でハサール軍がやって来るんだぞ? 絶世の美女がいたとしても私なら手を出さないな! と言っています」

「「「…………」」」

ルキウスのぶっちゃけた言葉に族長たちは白けた顔をしていた。凄く納得できる素晴らしい説得だったが、ルキウスの株は急騰も暴落もせず、そこそこに落ち着いたようである。

「お、叔父上、余は、余は、イゾルテのためなら命を懸けます!」

「…………」

嫌な方向に懸命である。ズスタスの株はルキウスの中で暴落したことは言うまでもなかった。

注1 大物見とは威力偵察部隊のことです。まあ、日本の戦国時代の用語なんですけど。

偵察というのは文字通り相手の様子をうかがって察する受け身の行為ですが、威力偵察というのは実際に敵を攻撃してみて敵の数だけでなく練度や士気の高さまでも調べる行為です。

そんな訳で単独で小戦闘をこなせるそれなりに有力な部隊でなくてはなりません。

あんまり弱いと情報を持ち帰ることも出来ずに全滅しちゃいますから……

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