モンゴーラ
なんか週刊化されつつあります……
ツーカ帝国とヒンドゥラ王国という2大強国を征服したモンゴーラはまさに日の出の勢いであり、このまま全世界を征服するかのように見えた。だが以外なことに、その中枢に居る者達ほどその将来に危機感を抱いていた。急激な版図の拡大によってモンゴーラ人の希薄化が進んでいるのだ。そもそも純粋なモンゴーラ人は10万ほどしかいなかったのだが、彼らがクリルタイを構成する周辺諸族を統一し大モンゴーラ国を建国したことで全部をひっくるめてモンゴーラ人と呼ばれるようになっていた。だが、それでもまだ70万程度に過ぎない。それが南へ、西へと拡大し、今や2億人近い人口を支配下に置いているのだ。(注1)
このような快挙を為したのは偏に遊牧民族の優秀さ故である。……であるのだが、さすがに1人で300人の異民族を抑えることなど出来ようはずもない。モンゴーラ人は混血を厭わず様々な民族の女との間に子を作っていたが、異国の地で異国の女に産ませた子がそのまま異国の地で育ってしまえば草原の民になどなれる訳がない。それどころか両親共にモンゴーラ人であっても占領下の石の街に育った者達は、連日の行軍にも耐えられず馬上で弓を引くことすら覚束なかった。
だからツーカ帝国を制したクビレイは積極的にツーカの文明を取り入れて融和政策を取ろうとしていたし、ヒンドゥラ帝国を破ったプラグは支配下に置いた民族を幾つもの階級に分けることで少数で多数を支配する体制を構築しようとしていた。だが彼らとは異なりあくまで草原の民としてのアイデンティティを守ろうという保守的な考えを持つ者もいた。キンチャク草原平定軍司令パトーもその1人である。(注2)
モンゴーラ人はあくまで草原の民であるべきだとパトーは考えていた。そして他の何者よりも精強であるべきだと。外交的な解決でも制度的な解決でもなく、あくまで自分たちの実力によって多数の他者を支配しようというのだ。古代スパルタに近い発想である。(注3)
だがスパルタと違って彼らは純血に拘ることは出来なかった。彼らが長くツーカ帝国に抑えこまれてきたのは、離間工作によって部族間、氏族間で対立してきたからでもあるのだ。(注4) だからこそクリルタイ諸族を一つにまとめた大モンゴーラは急速に拡大出来たのである。純血主義を持ち出せばどうしたって出身部族による派閥対立が起こるだろう。だがそういった視点から見ると、注目せざるを得ない勢力が西にあった。ハサール=カン国である。
彼らは大モンゴーラよりも遥か以前に12もの部族を大同団結させていた。人口も50万を越え、大モンゴーラに準ずる巨大勢力でもある。モンゴーラ人の大半が草原を離れている現在では草原における最大勢力とも言えるだろう。モンゴーラは農耕民族に負けることはあっても、草原に逃げさえすれば滅ぼされることはない。だがハサールは同じ草原の民だ。大モンゴーラを滅ぼす者がいるとすれば、それはまさにハサール人だろう。しかし強い草原の民を求めるパトーにとって、ハサールは必ずしも負の存在ではなかった。もしハサール人を大モンゴーラに取り込むことができれば、一挙にモンゴーラ人を倍増させることが出来るのだ。
彼はハサールの周辺部族を支配下に収めると周到に準備を重ねた。支配下に置いた草原の民をモンゴーラ軍に組み込むとともに、草原の外で育った若い世代を積極的に集めて重騎兵隊を組織した。刀槍を武器とする重騎兵は農耕民族の軍でも珍しい物ではないから、騎射の出来ない彼らにもその程度の素養はあったのだ。そして彼は、ハサールを混乱させ恫喝するために広範囲を一挙に襲撃するように命じたのである。
だがハサールは即座に5万もの軍勢を繰り出してきた。それだけの兵を集結させるにはモンゴーラであっても10日ほどはかかるところだが、彼らはわずか2日ほどで反撃を開始したのだ。恐らくこの5万は即応軍として常備されていたのだろう。
パトーの本営はハサール軍の素早い動きに動揺したが、これは逆に好機でもあった。ハサールの勢力の大きさから考えればいずれ10万以上の軍勢を整えることは確実だったが、とりあえず即応できる5万だけを小出しにしてくれたのである。まとめて叩くより各個撃破する方が容易だし、緒戦で叩きのめせば残りに被害を与えぬまま配下に加える事が出来るかもしれない。彼は分散していた兵力に集結を命じるとハサール軍に決戦を挑んだ。
パトーは草原の民であることに誇りを持ち、古来から伝えられる伝承や風習を大切にしていたが、必ずしも守旧派という訳ではなかった。彼はただ草原の民の強さを後世に残そうとしているだけであり、それを補強するものなら様々な異民族の知恵を取り入れることも厭わなかった。その一つが重騎兵であり、別の一つが煙幕だった。彼はツーカ帝国との戦いの中で精悍な草原の民がツーカ人の重騎兵に次々に討ち取られる状況を経験し、ただの煙玉によって翻弄されることもあるのだと身をもって学んでいた。パトーが困らされた状況を作れば、ハサール人も困るに違いないのだ。
彼の策はまんまと当たり、ハサール軍は包囲下に置かれた。即席の重騎兵隊も健闘し、歴戦のハサール軽騎兵達を次々に屠っていた。パトーは勝利を確信した。
だがそこにハサールの援軍が現れた。1万という数字はもとより無視できないものだったが、パトーを動揺させたのは彼らが弓ではなく短槍を持っていると聞いた時だった。
――ハサールにも重騎兵が? まずい、突破される!
彼は即座に総予備の重騎兵隊に迎撃を命じた。重騎兵には軽騎兵を当てるのがセオリーではあったが、軽騎兵は付かず離れず矢を射続けてちびちびと戦力を削ることしかできない。しかし敵の援軍の目的は迎撃部隊と戦うことではなく主力の開囲にあることは明らかだった。自身の損害を無視してモンゴーラ軍右翼に突入しようとするだろう。それを阻止するには同じ重騎兵で迎え撃ち、五分五分の殴り合いをするしかなかったのだ。
しかしその重騎兵同士の衝突は、ほぼ同数であったにも関わらずあっさりとハサール軍が勝利した。モンゴーラ重騎兵隊は衝突した瞬間に崩壊を始め、数分の後には完全に瓦解してしまったのだ。パトーには事後策を講じる時間もなく、ハサール軍重騎兵隊はモンゴーラ軍の右翼を破って主力と合流すると、目的は達したとばかりにスタコラサッサと逃げていった。
本陣には追撃を主張する者達もいたが、パトーはそれを認めなかった。相手は万を越える草原の民であり弓による反撃があることは明らかだったからだ。接近しすぎればさらに重騎兵が反撃に転じるかもしれない。だが何より彼はハサール軍が重騎兵隊を使いこなしていることに衝撃を受けていた。相手が単純な草原の民でないのだとすれば偽装撤退くらいするかもしれないだろう。そして彼ら自身がしてみせたように、罠へと引きずり込もうとしているのかもしれない、と。モンゴーラ軍は追撃を諦め、ハサール軍は地平線の向こうへと姿を消した。
草原には無数の屍が残されていた。ハサール軍は概算で15000、モンゴーラ軍は5000ほどの損害を受けた。モンゴーラの損害は戦闘不可能な重傷者を含んだ数だが、ハサールは死亡者数だけで15000だ。正確にはまだ生きているのかもしれないが、いずれその数字に追い付くことだろう。モンゴーラ兵は戦いが終わっても未だに戦場を駆けまわり、敵の生存者にはとどめを刺し、その死者からは貴重品を奪い、味方の負傷者は後送して、その死者からは形見を回収していた。何れの側も遺体は回収しない。彼らにとっては、草原に放置して獣の餌となり血肉となることこそが埋葬なのだ。(注5)
そのモンゴーラ兵の中に粛々と馬を進める20騎ほどの一団があった。旗印は一際大きく立派なものであったが、その中心にいた男の出で立ちは、むしろみすぼらしいと思えるほどに地味な革鎧だった。この男こそがパトーである。彼らは戦場の外れまで馬を進めると、死体の折り重なるその場所で足を止めた。
「……随分と酷い有様だな」
パトーの漏らした言葉にモンゴーラ兵たちは緊張した。そこは敵の重騎兵がモンゴーラ重騎兵を一撃で粉砕した場所であり、そこに転がる躯の大半はモンゴーラ兵のものだったのだ。当の重騎兵隊を率いていた将軍は緊張に顔を青ざめさせながらパトーの馬前に跪いた。
「大切な兵を預かりながら、申し訳ございませんっ!」
彼の失敗は局所的な敗北というだけではなかった。彼らを突破した敵がそのまま包囲網を食い破りハサール軍主力を脱出させてしまったのだ。それはこの一つの合戦の完勝が辛勝に化けてしまったというだけですらない。ひょっとしたらこの戦いの結果を盾にハサールに降伏を迫ることが出来たかもしれないのに、その機会を棒に振ってしまったのだ。更には今回は相手の無警戒ぶりに付け入る形で罠に嵌めることが出来たが、次からはハサール軍も慎重になるだろう。あるいは劣勢を覆すために決戦を避け機動戦を仕掛けてくるかもしれない。いくら起伏に乏しい草原といえど、ここはハサール人の生まれ育った土地だ。どんな方法で足を掬われるか分かったものではなかった。将軍はパトーの馬に踏み潰されることすら覚悟したが、当のパトーは彼を見ていなかった。
「これはどうしたことだ……こやつらはハサールではないのか?」
パトーの目は敵の亡骸に釘付けになっていた。そこに横たわる男は白い肌に金色の髪を持ち、パトーを見つめる虚ろな目も青かった。どこをどう見ても異人種であり、キンチャク草原の遊牧民とはとても思えなかった。
「……周辺部族の話では、ハサールはスラム人なる農耕民族を支配下に置いていたとのことです。その者たちではございませんか?」
「スラム人だと? 農耕民族に負けたというのか!」
それは誤解ではあったが、スラム人だろうとスノミ人だろうと草原の民でないことには変わりなかった。そんな者達に未熟とはいえ草原の民が敗れたというのは、大モンゴーラの暗い将来を暗示していた。
――よもや騎兵同士のぶつかり合いでモンゴーラが遅れを取ることになろうとは……
しかも同じ数、同じ条件でありなら数分で潰走させられたのだ。惨憺たる結果と言う他ない。
「相手の素性は定かではありませんが、これを御覧ください」
将軍が草の間から拾い上げたそれを見て、パトーは眉根を寄せた。
「……人の拳か?」
正確には人間の拳を模した棍棒であったが、別に色合いまで似せようとしている訳ではないのでそれが本物でないことはいちいち指摘しなくても自明のことだった。
「これは敵騎兵の槍先です」
「槍先? 尖ってもいないぞ?」
「はい。しかしこれは短槍の先端部分なのです。彼らは短槍を構えて我らに向かってきましたが、接敵する直前にコレがすごい勢いで飛んできたのです! しかも何の素振りも見せないままに!」
「……ほう」
「そのような事を予測していようはずもなく、兵の多くはそれを避けることも出来ずに吹っ飛ばされました。矢を受けるのとは訳が違い、文字通り馬上からふっ飛ばされるのです!
落馬した者は後続の騎兵に跳ね飛ばされ、後続の兵は突撃を中止せざるを得ませんでした。そこに敵が突っ込んできたのです!」
その場に居るのは全て騎兵である。その一瞬の混乱がありありと想像できた。いったい誰がこんな馬鹿げた武器があるなどと想像できたであろうか? そしていったい誰がこんな馬鹿げた武器を考えたのであろうか……
「……射程は短かろうな。歩兵や重騎兵相手には役に立つが、軽騎兵や弓兵には役に立たぬということか……」
つまりハサール人に対しては無力だが、周辺の農耕民族と戦う時には便利に使えるということだ。ハサールが支配下の異民族に持たせるには取って置きの武器だろう。
ツーカ帝国やヒンドゥーラ王国は農民を駆り集めた武装も適当な軽歩兵が主体であったから、ハサールの更に西のタイトンでは隙間なく盾を並べた重歩兵が用いられているとはパトーは想像もできなかった。神の槍は本来そういった敵を破るために作られたのだが、重騎兵相手にも有効であることは間違いなかった。
「支配下の異民族に補助兵としての役割を与えたのか。最初から出てこなかったのは、こちらが軽騎兵しかいないと思って控えていたのだろうな……」
彼らは当然ハサール人よりも低い地位にあるのだろう。ハサール人に対して反感も持っているかもしれない。だがそれでも死を賭してハサール軍を助けた。それはつまり、今回の相手はあくまで先遣隊に過ぎず、主力は別にいるということの証左だった。彼らは今回の戦いを見てもまだ、ハサール軍が勝つと考えているのだ。
「長い戦いになりそうだな……」
パトーが深い溜息を吐いていたころ、ズスタスもしょげていた。遥々こんな辺境までやってきたというのに到着早々ボロ負けしたのだ。最初にかち合った騎兵はいつも通り手早く料理できたものの、ハサール軍を包囲していた敵は厄介な騎兵だった。混戦の中でも隙あらば距離を取って矢を射掛けてくるのだ。あいにくゴトゲルトは既に使ってしまっていたし、彼らとしても戦うこと自体が目的ではなかった。彼らは攻撃に耐えつつ多大な犠牲を払いながらルキウス(だと彼は思っているが、実はブラヌ)を助けに行ったというのに、そのルキウス(実はブラヌ)は彼の背中で冷たい躯となっていた。……彼とイゾルテとの結婚を認めないままに! しかも周りを見回してみればプレセンティナ軍のあの特徴的な馬車は一台も見当たらない。彼らががどうなったのかは、あの白煙を見れば聞かなくとも分かることだろう。
――くそっ、全滅か! せめて俺が頑張ったという証人が居れば……!
言葉も片言なハサール人しか証人がいないというのは非常に困る。そもそも彼らがなんと言ったところで、蛮族の言葉などイゾルテが信じないだろう。
――これでは何のためにここに来たのか分からん! ああ、返ってイゾルテに恨まれてしまいそうだ……
彼がしょげるのも仕方がなかった。だが彼とてイゾルテの従兄弟である。というかアクセルの孫である。長時間へこんだままでいられるほど生真面目でもなければ諦めの良い人間でもなかった。
――そうだ、せめて叔父上は安らかに旅立たれたと言っておこう。うん、これもイゾルテのためだ。ついでに俺の活躍にも脚色を加えて……って、ああっ!
彼は唐突に天啓を得た。そしてその思いつきに腕を震わせた。それは恐ろしい考えではあったが、同時に甘露のように甘く魅力的な考えだった。彼は股肱の臣であるホルンに馬を寄せると、その肩をガシリと掴んだ。
「なあホルン、お前……聞いたよな?」
「……何をッスか?」
主君の唐突な発言にホルンは戸惑った。
「イゾルテに俺と結婚しろっていう叔父上の遺言だよ」
「へ?」
多くの部下を失って凹んでいたホルンは、思わぬ言葉に目を丸くした。
「聞いただろ? 俺にイゾルテを頼むって言ってたよな? 早く孫を作れって言ってたよな!?」
ぐぐぐと肩にかかる力が痛いほどで、ホルンは頬を引き攣らせながらカクカクと頷いた。
「あっ、そ、そうでした! そう言ってたッス! エッチなことをしてもOKだって言ってたッス!」
「よし!」
満足そうなズスタスを見てホルンは改めて主君の才覚に敬服した。絶体絶命のピンチを起死回生のアイデアで逆転させてしまったのである。(注2) でもあんまり信用するのはよそうとも思ったことはナイショである。
モンゴーラ軍の追手がないことを確認し十分な距離を取ると、ハサール、スノミ両軍は行軍を停止した。どちらも騎馬軍団であり野営地を防衛するくらいなら迎え討った方がマシだと考えているので、馬防柵を作ったり土塁を盛ったりはしない。ただ野営の準備をするだけである。ズスタスが馬を下りてルキウス(実はブラヌ)の遺体を火葬にする準備をしていると、バイラムがやってきた。
「ナクナッタ……ノカ……?」
「ああ、安らかに息を引き取られた。それがせめてもの慰めだ」
ズスタスの言葉にがっくりと膝をついたバイラムは、ブラヌの遺体に縋り付いた。
「可汗! このような時に亡くなられてどうするのですか!」(ハサール語)
ズスタスには彼の言っている内容は分からなかったが、バイラムが故人の死を嘆いていることはその素振りから明らかだった。……なんでこんなに悲しんでるのかは分からなかったけど。でも折角なので世論工作をしておくことにした。
「亡くなる前叔父上は俺に言った。イゾルテを頼むと、結婚して子を作れと」
バイラムはピタリと動きを止めるとギギギとズスタスに顔を向けた。
――叔父とはどういうことだろうか? 親愛の情を込めて"おじさん"という意味で言ったのだろうか? いや、だがなんでイゾルテ殿のことを?
バイラムには理解できなかった。
「カガンガ、ソンナコト?」
ズスタスは大きく頷いた。
「ああ、そうだ。カガンが俺に……」
言いかけてズスタスも首をかしげた。
「カガンって何?」
2人が見つめ合う中、バイラムの元に伝令が走り寄って何事か耳打ちした。すると彼も慌ててどこかへ走り去ろうとしたではないか。すわモンゴーラの襲撃かと、ズスタスは慌てて彼を呼び止めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 何事だよ!」
だが振り返ったバイラムには緊張した様子はなく、どこかほっとした表情でこう答えた。
「プレセンティナ、ルキウス、キタ!」
「へ?」
ズスタスがあっけにとられる中バイラムは馬に乗って西へと駆け去っていった。彼の行く先にズスタスが目を向けると、夕暮れの中沈みゆく太陽を背にして特徴ある四角いシルエットがいくつも浮かび上がっていた。キメイラだ! 朗報である、プレセンティナ軍は無事だったのだ!
「……じゃあ、このオッサン誰なんだよーっ!?」
ズスタスの悲しい雄叫びが草原に木霊し、この日の惨劇の幕を閉じた。
注1 Wikipediaによると1250年ころのアジア人口(旧ソ含まずトルコ含む)は2億6000万くらいだそうです。
その内中国が1200年11500万→1300年8500万、インド亜大陸が1200年8600万→1300年9100万で、全体の1/3ずつを占めます。
ちなみに日本は1000万にも満たないレベルですが、中国・インドとの人口比で考えれば現在とあまり変わりませんね。
また、『中国人口通史(上)』(の内容を元に人口の表を公表しているサイト)によると、元朝のちょっと前(金+南宋)の人口は最大で12480万だったそうです。元朝は平均6000万くらいで最大9830万だそうですので、ちょっとプロパガンダ(異民族支配下で苦しんだアル!)が含まれているかもしれませんが、一方で中国の場合易姓革命が起こると人口が激減(後漢末は1/4になった!)するのが普通だったりするので、十分にあり得る話だったりもします。
まあともかく、2億というのも強ち荒唐無稽な数字ではありません。
一方でモンゴルの人口はチンギス・ハンのころでせいぜい70万程度だったそうです。
このとんでもない人口比で広大な帝国を支配できたのは、異民族の人材を積極的に取り入れたことと、ジャムチと呼ばれる駅伝制のおかげでもありました。
モンゴル人が数人しかいない街で反乱が起こると当然あっさりやられちゃう訳ですが、ジャムチで連絡するだけで即座に神出鬼没&精強無比のモンゴル軍が現れて反乱軍を鎮圧&皆殺しにしてくれるという、年中無休24時間サポートサービスがあったわけです。
素晴らしいビジネスモデルです。
反乱とコピー機のトナー切れは業務遂行の致命傷となりかねませんからね。
注2 クビレイ=フビライ、プラグ=フラグ、パトー=バトゥ、キンチャク草原=キプチャク草原 です
キプチャク草原は中央アジアからウクライナ辺りまでの広大な草原地帯です。モンゴル高原とともに遊牧に向いた地形・気候のため、紀元前から遊牧民族が住んでいました。
バトゥはモンゴル帝国の王族の1人で、ヨーロッパ遠征の総大将を務めました。そして東ヨーロッパの諸勢力を軒並み壊滅させた上に略奪しまくりました。……が、祖国の第二代大汗オゴデイ(オゴタイ)が死んじゃったのであっさり帰っちゃいます。残されたヨーロッパ人は( ゜д゜)ポカーンです。
もともと"農地を獲得する"という農耕民族的な発想が無かったんでしょうね。略奪オンリー。
例えばチンギス・ハンの逸話としてこんなのがあります。
彼はある時新たに獲得した土地の農民を皆殺しにして農地を放牧地に変えようとしたのです。
それを聞いた契丹人官僚の耶律楚材という人がビックリして止めました。
「いやいや、農民は生かしておけば毎年年貢を収めてくれるんですよ! 一年待ってくださいよ!」
チンギス・ハンは試しに1年待ってみましたが、なんと本当に年貢が入ってきたではありませんか!
彼は「へー、便利なもんだな」と感心したとかしなかったとか……
まあ、たぶんウソ話ですけどね。
でも信長、秀吉、家康のホトトギスみたいなものだと思います。
真実味があるからこそ、まことしやかに後世に伝わっちゃう類の創作話でしょう。
ちなみにバトゥは、キプチャク草原に半独立のキプチャク=ハン国を作ります。
注3 古代スパルタ市は8000~10000人程度の市民(成人男子のみ)で15万~25万の共有奴隷を支配していました。
そのため市民(成人男子限定)は全員がグリーンベレーやシールズ以上の過酷な訓練を施されます。いわゆるスパルタ教育の語源ですね。
どれくらい厳しいかというと、なんと彼らは、一年を通してノーパンワンピース一枚が義務付けられるのです! ……誰得?
ちなみにこのお話ではスポルトとかスペルタとかの空耳ワードに改変しようと思ったのですが、既に「スパルタ教育」という言葉を使っちゃっていたのでスパルタのままになりました。
注4 中国は歴代王朝がそうやってきましたが、モンゴル帝国のちょっと前は女真族の金がやってました。
中国の北半分を奪ってましたので。あそこも半農半牧だから結構したたかですよね。
注5 古代からモンゴル帝国時代に至るまで、モンゴルではテンゲル(テングリ、天神)崇拝と呼ばれる素朴な自然崇拝が行われていました。それで一般的には「風葬」が行われてきました。
なんか「風葬」と聞くと遺灰を風に撒くみたいですが、実際には灰にしないまま野ざらしです。裸にしてそのまんま。獣が美味しく食べてくれます。
後にチベット仏教が広まりましたが、それだって結局は鳥葬です。風葬とどう違うのかよく分かりませんが、wikipediaによると鳥や獣が残さず食べてくれることが理想なので、食べやすいように人の手で解体までしちゃうとか……
Wikipedia要注意ですわ。グロ注意。トラウマになっても知りませんよ!
注5 似たような事例は歴史上無数にあります。
例えば……あれ? あるはずなんだけど、具体例が思いつかない……
微妙に歴史じゃない例では、三国志演義では劉表(劉備の前に蜀を治めてた赤の他人)が死んだ時に長男に継がせようとしたのに、遺言を預かった重臣が勝手に書き換えて次男に継がせます。
大河ドラマ「天地人」では上杉謙信の死後に遺言が「あった」ことにして甥っ子の景勝が相続しました。
両方とも創作物ですけどね。
基本的に怪しげな遺言を根拠に「どうだ参ったかぁ(ドヤ顔)」をやると「うそだ!」と言われて余計に混乱します。
こうなるとどっちが当主に向いているという客観的な判断や2つに分割しようという妥協案はなくなり、「言った」「言わない」の水掛け論に終始することになります。碌な結果になりません。火に油を注ぐだけ。
水掛け論なんだから、油火災に水をかけると言うべきでしょうか。
もっとも炎上するからこそドラマにはなるんですけどね。
そして死に際に口頭で何を言ったかなんて後世の我々には確認しようがありませんから、「史実」として確定することもまずありません。
だから正確には、「似たような事例は"たぶん"歴史上に無数にあります」ですね。




