サナポリ
イゾルテは再び海上にあった。暁の姉妹号に乗ってサナポリへと向かう途上である。
「陛下ぁー、そろそろ起きてください。今日はサナポリに着く日ですよぉー」
船室のドアの向こうから兵士の声が聞こえたが、イゾルテは起きなかった。
「ムニャムニャ、うーん、あとさんじゅっぷん……」
「分かりました、30分後ですね? 私は定時に起こしましたからね、ちゃんと覚えててくださいよ?」
「うーん……」
なんとも頼りない返事に呆れ、兵士は船長に報告しに向かった。後で「何で起こさなかった!?」と怒られないために船長に覚えておいて貰おうというのである。彼はまったくイゾルテを信じていなかった。
このところイゾルテは怠けきっていた。スエーズでは運河の件で忙しい毎日を送っていたのだが、船上にいる間は何もすることがないのだ。だったら寝貯めするしかないではないか! と訳の分からない宣言をして、彼女は始終ゴロゴロしていたのだ。だが一度起きてしまうと二度寝はなかなか難しかった。すでに限界いっぱいまで眠り過ぎているのだ。
「むう、せっかく気持ちよく寝てたのに起こしてしまうとは何事だ……」
自分が起こすように命じたくせにワガママな話である。彼女は仕方なく寝ることを諦め、ベッドの中でぐーっと伸びをした。
「んーーーーーっ! あれ?」
伸ばした手が彼女の頭の先で何かに触れた。それを掴んで目の前に持ってきてみると、それは……ペン{ボールペン}だった。
「あー、またこの贈り物かぁー。確かにインクが要らなくて便利だけどさぁー」
このタイプのペンは昔から何度か送られてきたことのがあった。一度は12本入りの箱が届いたこともあったほどだ。もっともそいつは、なんでかインクが赤色だったんだけど。
「一応インクの色くらいは確認しておくか……」
彼女はペンを手に起き上がると、文机の上のメモ用紙に落書きをしようと手を伸ばした。悲劇が起こったのはその瞬間だった。
カチっ
ビリビリッ!
「ウキャーっ!?」
ペンの背をノックした瞬間手にビリビリと刺激が走り、彼女はペン{ショックボールペン}を放り出した。
「な、何だったんだ、今のは……? ま、まさかあの時と同じもの……?」
彼女が思い浮かべたのは、かつての悲惨な体験だった。雷に打たれたのだ……メイド長の。そして正座させられて説教されている間に足が痺れてしまい、そこにエロイーザがすっ転んで乗っかってきた時のことを思い出したのだ。
「いやいや、なんか感覚は似てたけど状況が違う。確かにまるで雷に打たれたかのような感じはしたけど……。
はっ!? も、もしかして、これが……雷霆!?」
イゾルテは慌ててペン{ショックボールペン}――雷霆を拾い上げ、マジマジと見つめた。雷霆――即ち雷とはタイトン神話の主神ゼーオスが持つ、世界最強の神器である。太陽神の子パエターンが太陽の戦車を暴走させた時、彼を地上に戦い落としたのもこの雷霆であった。本気を出せば世界を滅ぼせるとも伝えられているのだ!
「ま、まさかこんなに恐ろしい物をひょっこりと……」
だがその割にしょぼい威力である。ひょっとすると複数本同時に使うと幾何級数的に威力が高まって、12本まとめて使うと世界が滅ぼせるということなのだろうか?
「うーん、でも1本しかないしなぁ。これだとビリビリっとするだけなのかな? そもそも自分がビリビリしてどうするんだろう?」
謎であった。だがこういうどうにもならないものを使えるようにするのが知恵の使いどころである。そして彼女は贈り物研究の第一人者なのだ。彼女にはすぐに使い道が思い浮かんだ。
「くっくっく、これは天罰を加えるのにちょうどいいおもちゃ……じゃなくて神器だな。さっそくエフメトに喰らわせてやろう! あいつは私のファルを奪った変態色呆け男だからな!」
言いがかりである。天罰というのなら、落ちるのは人妻を付け狙うイゾルテの方だろう。まあ、さんざん人妻をレイプしてるゼーオスがそんなことに目くじらを立てるとは思えないけど。
電撃ですっかり目が覚めたイゾルテは、着替えを済ますと甲板に出た。
「あ、陛下お早うございます。すでにサナポリが見えていますよ」
今回併合されるサナポリは、(ずっと維持してきたあのみみっちいガルータ地区を除いては)何百年ぶりかのアルーア大陸の領土である。国土回復である。ペリサリウス将軍の再来である。彼の偉業の1/100にも満たないけど! (注1)
「ほう、もうそんなに近くまで来ていたのか」
イゾルテが目を凝らすと確かに前方に港が見えた。城壁に囲まれた大きな都市である。が、イゾルテのお気には召さなかった。
――あれ? 意外にしょぼくないか?
ドルク海軍の中心地だったのだから、ペルセポリスに匹敵するくらい大きな街だと彼女は思っていたのだ。だって数だけはかつてのプレセンティナ海軍を上回っていたのだから。
――エフメトと和解してまで手に入れたのがこんな小都市? みんな実は不満たらたらだったりして……
イゾルテは冷や汗を垂らした。実は水兵たちは不満たらたらなんじゃないだろうか? なんとか空気だけでも変えたいところである。そこでイゾルテはかっと目を見開くと、両手を天に掲げた。
「サナポリよ、私は帰ってきたぁー!」(ドルク語)
……嘘だった。言ってみたかっただけである。わざわざドルク語で言ったのに誰もツッコんではくれなかった。やっぱりみんな不満たらたらなのかもしれない。
「イゾルテ殿は来たことがあるのでござるか?」
そうやって話に乗ってきたのはもちろん水兵ではなく、サラでもなく、その父親のバールだった。奴隷軍人たちや元からのスエーズ国民は規律が保たれているので少しばかり王が留守にしても大丈夫なのだが、大親分として(ゴロツキに近い)アイヤールを纏めているサラの方は、とても国を空けられなかったのでお留守番である。当然事務仕事を一手に引き受けるアントニオも同じだ。この機会にアントニオがサラとの関係を前進させられるようにという配慮からである。なんと家臣思いの主君だろうか! だが彼女はちょっとだけそれを後悔していた。あんなにうっとおしいと思ったアントニオのツッコミも、無いなら無いで寂しいものだったからだ。
「……すまん、来たのは初めてだ。害のない嘘だよ」
「はぁ?」
害がないのは良く分かるが、全然利もなさそうである。イゾルテがなんで嘘を吐いたのかバールには全然分からなかった。
「姫サン、ワタシモ初メテネ」
「……そうか」
暇人のテ・ワは同行していたが、彼の慰めもよく分からなかった。ひょっとすると、その良く分からない慰めも計算ずくのボケなのだろうか? わざとボケが滑るところを見せているのだろうか? だが同じようにボケが滑っているのに彼の方がダメージが少ないように見えるのは何故だろう?
――はっ!? 天然だからか? いや、天然のフリをしているからこそ、ツッコミがない時にも滑ったことに気づかないフリができるのだ!
イゾルテは心底感心した。なるほど先人の知恵である。
――だが私の溢れる知性は遍く天下に知れ渡ってしまった。もう天然だなんて言い訳はできまい! もっと早く気づいていればよかった……
がっくりと項垂れる彼女が深く反省していることはバールの目から見ても明らかだった。
――何でもない嘘でこんなに落ち込むとは、少し生真面目すぎないだろうか? うーむ、結婚した後にシャジャルが窮屈な思いをしそうだ。
彼の中ではイゾルテが娘の婿の候補になっていた。もっとも全ては戦いが終わった後のことだが。
――しかし浮気はしなさそうだ。うむ、やっぱり真面目で結構だな!
指導者を妻にしながら浮気なんぞしたら極刑は免れないから、確かにその点では安心である。
やがて暁の姉妹号が接岸すると、駐留艦隊を指揮しているムルクスが岸壁まで迎えに来ていた。彼もイゾルテもお互いに国外に出ていたから、およそ一年ぶりの対面である。
「陛下、お久しぶりです」
彼はいつもの笑顔を見せた。だが彼の顔には確実にシワが増えていた。久々の再会はイゾルテも嬉しかったが、彼の老いを目の当たりにして彼女は少しばかり寂しさを感じていた。
「爺、苦労をかけたな」
「いえいえ、ようやくサナポリが手に入るのです。プレセンティナ海軍にとっては歴史的な日ですよ。苦労の甲斐があったというものです」
プレセンティナ海軍の宿敵は長くドルク海軍であった。その根拠地であるサナポリを手中に収めることは、未来に亘ってもドルク海軍の再興を防ぐことになるだろう。海軍に限って言えば、完全勝利と言っていい。ムルクスはかつての戦いで多くの犠牲者を出したことを悔いていたが、これで先に冥界に旅立った者達も報われると満足していた。感無量である。だがイゾルテはそれを許さなかった。
「気が早いぞ、全てはこれからだ。折角手に入れても匈奴に奪われたら何にもならん。お前にはまだまだ働いて貰わねばならんぞ?」
叱咤激励するその言葉には、だがどこか甘えが含まれていた。ムルクスが満足して引退することに、自分から離れて行くことに、彼女はまだ不安があるのだ。とうの昔に彼の手を離れ、1人でタイトン中を飛び回っているというのに! 彼はそんな彼女が愛おしく思えて、ますますシワを増やした。
「……姫は、人使いが荒いですなぁ。教育を間違えたかもしれません」
「ああ、だからお前には責任をとってもらう。あと10年は働いてもらうからな!」
「ええ、分かりました。姫の孫が生まれるまで働いて見せましょう」
ムルクスの言葉にイゾルテは胸が詰まった。彼の無私の愛情がとても嬉しかった。……でも、男と結婚する気なんてサラサラなかったのだ。
「……そうだな」
どこか歯切れが悪く、彼女は頷いた。
――大丈夫、きっとマヌエルは子供を作るだろう
まあ、養子のマヌエルの子供だってイゾルテの孫には違いない。
「ところでもうファル……じゃなくて、エフメトは到着しているのか?」
「先触れによると、午後からになるそうです」
「ふむ、では先に別の用件を済ませておくか……」
「別の用件? 視察ですか?」
自分の物になるのだから視察したいのは当然だろう。
「そうだ、奴隷市場のな」
「奴隷市場……ですか?」
ムルクスは眉を顰めた。確かにイゾルテはドルクの奴隷の扱いに否定的だったが、ここにはここのルールがあるのだ。ましてまだ正式にプレセンティナの物になっていない状況で奴隷市場に文句をつけるのは差し控えるべきである。
「しかし、陛下がいちいち見て回るほどでも……」
「いや、私は買いたいのだ」
「陛下が……ですか?」
ムルクスはますます眉を顰めた。確かにイゾルテだって今までも直接間接に奴隷を所有していた。直接というのはムスタファのことだが、間接的には新たに投資していた農場なんかが奴隷を所有していた。ファンドなので直接経営に口を出してはいないが、所有権としては一応イゾルテにあるのだ。
しかしドルクの奴隷は、根本的にプレセンティナとは異なるものだ。プレセンティナではあくまで離職権のない雇われ人に近い存在だが、ドルクの奴隷はその体も心も主人の所有物であって主人が認めない限り人間とも見做されない存在である。もちろんプレセンティナの方も善意からそうした待遇にしている訳ではなく、籠城戦の際に敵方に回らないようにするための配慮である。そのためプレセンティナ以外のタイトン諸国でも奴隷の扱いはドルクと大差はない。(注2) 彼女が投資した農場がことさら奴隷を使っているのも、プレセンティナ流の扱い方を各地に根付かせるためでもあるのだ。
「……ますます陛下が直に見る必要は無いのではありませんか? 農場で使う奴隷なら専門の者に任せれば良いでしょう」
「違う違う、農場の奴隷じゃないんだ。
ムルクス、私はスエーズで奴隷軍人の忠誠と規律の正しさをこの目で見たのだよ」
ムルクスは驚きのあまり目を大きく開けた。なんと通常の3倍くらいである! それでも6mmだったけど!
「ま、まさか兵制を変えるおつもりですかっ!?」
海軍も陸軍も市民からの志願者を核とするのがプレセンティナの通常兵制である。籠城時には徴兵もするが、市民だって他人事ではないからほとんどは自発的に協力する。プレセンティナの強さの理由の一つは、その一体感にこそあるのだ。イゾルテはそこに全く背景の異なる奴隷軍人を導入しようというのである。あまりにも無謀な考えだった。
「確かに陸軍は急激な拡大を余儀なくされていますが、だからといって数を増やせば良いというものではないでしょう。況して他国で上手く行っているからと言って我が国で導入しようなど、短慮に過ぎます」
だがイゾルテは自信ありげに微笑んだ。
「短慮は爺の方だ。別に私は奴隷軍人を導入しようなどとは思っていない。そもそも異民族に押し付けられるほどタイトンの神々は立派ではないぞ」
奴隷軍人制度の肝は、奴隷身分から開放することで恩を売りつけることと、ムスリカ教に改宗させることでバラバラの背景を持つ奴隷たちを一つに糾合することにある。だが多神教のタイトンの場合、神様たち自身が喧嘩したりレイプしたり略奪結婚したり浮気したりと、くっついたり離れたりを繰り返しているのだ。まとまりなんて欠片もない。それどころか奴隷たちが持ち込む異民族の神様をタイトン神話に取り込んじゃって、ますます一体感が無くなりそうである。
「……なるほど。では、いったい何のために?」
「私は奴隷軍人を見て考えたのだ、彼らの規律と忠誠心を必要としているのはどこだろうかと。そして気づいた。それは即ち……離宮だ!」
「はぁ?」
いきなりのスケールダウンである。皇帝というより離宮の主としての話であって、彼がただの海軍提督だったら心底どうでもいい話である。だが彼はイゾルテの守り役であり、祖父代わりを自認していた。
「えーと、近衛兵を私兵に入れ替えたいという話でしょうか?」
「ちが~う! メイドだよ、メイド! 主人を叱りつけて正座させたり、ブーブー文句を言ったりするメイドなんておかしいだろ? 私の言うことは何でも聞く、従順で可愛くて献身的で可愛くて、その上更に妖艶で可愛いメイドが必要なのだ!」
彼は守り役としても心底どうでも良くなってきた。それにどちらかというと、イゾルテの性癖の方が気になった。
「……百歩譲っても、従順と献身しか要りませんな」
「何でだよー、可愛い方がいいじゃん!」
イゾルテは真理を唱えたが、既に枯れ果てたムルクスは一蹴した。
「トイレも綺麗な方がよろしいですかな?」
イゾルテの顔が引き攣った。トイレ掃除こそ従順で献身的なメイドにやっておいて欲しいものである。この話題は危険だと判断し、彼女は話題を変えることにした。
「……さあ、会談の準備をしようか。何か新しい情報は有るか?」
「本国から連絡は来ています。ハサールの件はどこまでご存知ですか?」
「どこまでも何も、こちらから手紙を送っただけで返答は何も貰ってないよ」
ひょっとすると今頃スエーズに伝わっているかもしれないが、彼女が出てきた時には何も伝わっていなかった。
「ハサールからは陛下の危惧を裏付ける報告がありました。東でモンゴーラなる遊牧民が勢力を伸ばしているそうで、追いやられた他部族の流入が続いているそうです」
「モンゴーラ? 匈奴じゃないのか?」
イゾルテが首を傾げると、後ろからテ・ワがひょっこりと顔を覗かせた。
「匈奴アルヨ。匈奴ハ自分ヲモンゴーラト言ッテルアル」
「じゃあ、何でお前は匈奴って言ってるんだ?」
「知ランアル。ヘメタルヤプレセンティナノコトモ大秦国イウネ」
「……そうだな」
他国の言語で何をどう言おうが勝手だけど、固有名詞まで勝手に変えるのは勘弁して欲しかった。ひょっとしたらイゾルテのことだって、適当に「ゲゲゲ」とか「ヌヌヌ」とかにされちゃうかも知れないではないか。
――大秦国王ゲゲゲとか言われても、もはやどこの誰だか分からんなぁ
彼女は気にしないことにした。気にしたら負けだった。
「それで、父上は援軍に向かわれたのか?」
「はい、キメイラ3個大隊を率いて向かわれたそうです」
計4個大隊に増設したことは既に聞いていたので、本国に1個大隊残したことになる。まさかドルクと戦争になる可能性はないと思うが、留守中に更にキメイラを増強するつもりなのかも知れない。そのためには基幹要員がいないとどうにもならないから、敢えて1個大隊を残したのだろう。
――そのあたりは父上に任せるしか無いな。まだまだ私は帰れそうにないし
「では諸外国の方はどうだ?」
「ホールイ3国は騎兵と輜重を出してくれるそうです。200……いや、201騎ですが」
「まあ、あそこは出してくれるだけでいいんだ」
微々たるものだが、0と1では大きく異る。政治的な意味が変わってくるのだ。もっとも、200と201はあんまり変わらないけど。
「それで、他は?」
「辺境諸侯も出すことにはなったそうですが、なにせバラバラなので調整に手間取っているそうです」
「相手がハサールだから温度差が激しいんだろう。あそこも形だけで満足せざるを得ないな」
「ディオニソスとスノミも出すとの返事です。ディオニソスは虎の子の重装騎兵を出してくれるそうですよ」
「えっ、ホントに?」
イゾルテは意外な言葉に目を輝かせた。確かにディオニソスには気を使ったけど、あれほどの被害を受けた後でこれほどのサービスをして貰えるとは思っていなかったのだ。
「とはいえ1000騎しか残っていないそうですが」
とはいえそうしたのはイゾルテの仕業である。彼女がさじ加減を間違えたのだ。
「いや、あれはなかなかの戦力だ。キメイラとは違った意味で度肝を抜くからな。うん、1000騎でも十分だ!」
なんだか言い訳っぽかったが、確かにハサール人の斥候も鎧を着た馬に衝撃を受けていたから、匈奴も驚くに違いない。それに矢を弾く装甲はもちろんだが、いくらかキメイラよりも足が速いという点も重要である。キメイラと連携して動かすのに理想的な部隊だった。
「それで、スノミは? まさかあのバカが断ったりはしてないだろう?」
とっておきの秘策を施した彼女の手紙を見れば、ズスタスが飛んでくることに疑いの余地はなかった。
「それが……分からないのです」
「は?」
「『すぐに行くから待ってろ!』という返事だけがあったそうです」
イゾルテは頬を引き攣らせた。こういう時にいつ何をどれくらい連れて行くのか言わなくてどうするのだろうか。ディオニソスでは「援軍は要らんから帰れ」と言っても言うことを聞かなかったし、つくづく協調行動の取れない奴である。
――いや、まさか……クスリが利き過ぎたのか?
「ひょっとして……スエーズに向かってないよな?」
「大丈夫……だと思いますが?」
イゾルテがサラと結婚してしまうと思って押しかけてくる可能性は否定できなかった。スノミからプレセンティナへの航海は彼女の母ゲルトルートや祖父アクセルも経験していることだ、スエーズに行くのも大差ないだろう。だがそれはあまりにも意味のない行動だった。だってイゾルテは騎馬隊を必要としているのだから! しかもハサールで!
「まあ、きっと大丈夫だ。うん、あいつだってバカじゃない。……はず、だよなぁ?」
「…………」
ムルクスは答えなかった。ズスタスと会ったことがあるのはこの場でイゾルテだけなのだ。
――まあいいや、考えても仕方ないことは考えないでおこう
それが現実的な唯一の方策だった。もっとも何一つ解決はしないのだけど……
一行は太守の館に向かい、会談の準備を整えた。エフメト達一行が到着したのはその日の午後の事だった。
注1 ペリサリウス=ベリサリウス
ベリサリウスは東ローマ帝国に地中海を取り戻した偉大な将軍です。(既出ですので最低限)
注2 中世ヨーロッパにも奴隷はいましたが、以外なほど数は少ないです。どちらかというとイスラム諸国に売っていた方ですね。
理由はいろいろ考えられますが、一つにはローマ時代に奴隷制から農奴制に移っていたという事情があるでしょう。そしてゲルマン人に征服されるとそれがそのまま領主―農民の関係になります。農民と言ってもローマ時代の自作農は自由と権利を持つ市民でしたが、封建時代の農民は転居も許されない農奴に近い存在です。
そしてもう一つが、戦争に勝ってないということです。そもそもローマが農奴制に移ったのは、領土拡張戦争が収束して戦争奴隷が手に入らなくなったからです。封建時代にはますます弱くなって、イスラム勢力にはコテンパンにされます。もちろん十字軍や小競り合いなんかで異民族を奴隷にすることもあったでしょうけど、全体としては押されています。
つまり道徳とかの問題ではなくて、一般農民自体が奴隷みたいなもんだということと、ヨーロッパ自体が弱かったというだけのことです。あと貧乏だったので輸入するどころか輸出していたと。
だからこそ大航海時代以降に戦争して勝てる環境が整うと、そりゃあもう気が狂ったように奴隷狩りをしました。
ちなみに旧約聖書でも神様は奴隷を公認しておられます。




