援軍要請 その2
そのころタイトン諸国では……ディオニソス編
タイトン諸国がささやかながらもプレセンティナへ協力する姿勢を見せる中、意外な動きを見せたのが昨年までの二大強国、ディオニソス王国とアプルン王国だった。
その頃ディオニソス王国では、ファーレンシュタインが最高司令官として半壊した国軍の再建に奔走していた。しかし国軍と言ってもそもそも直営軍など多くはなく、大半は諸侯軍の寄せ集めなのだ。だから国軍を再編するには、どうしたって地方領の立て直しが必要だった。だが多くの地方領では深刻な問題が発生していた。
これまで地方の治安はその土地の領主の権威と責任によって維持されてきたのだが、昨年来の戦いで領主軍が壊滅したり領主自身が戦死して相続争いが起きていたりと、不安定化していた土地――つまり権力の空白地帯が北部地域を中心に数多く生まれてしまっていたのだ。妙な話だが、スノミ・スヴェリエがあっさりと撤退しちゃった弊害である。
軍が壊滅した地域を放っておけば盗賊が跋扈する無法地帯になりかねないし、領主が戦死して相続争いが起こっている地方を放っておけば内乱の火種となりかねなかった。そこでペルディナント王はファーレンシュタインに命じてそれらの地方領を王家の直轄領として接収させていた。領地に付随する様々な権利や利権をすべて失う代わりに、領主一族には王都バインの都市貴族としての地位と年金が保証された。領主たちは体裁を保ちつつ生きていくのに困らない程度の捨扶持を与えられて、その代わりに全財産を巻き上げられたのだ。
普段は啀み合う者達ですら、自分たちの既得権益が犯されそうになると途端に一致団結するのが貴族というものである。直接の被害者には抵抗する力が無いとはいえ、一つ間違えば全貴族の反乱を引き起こしかねない危険な政策であった。だが問題のある地方を放置する訳にもいかず、他の余力のある貴族に接収させてもより一層内乱の危険を孕むのだから、王家が接収するしかなかった。だから彼も思い切った勅令を発したのだ。
「王家の占断事項であった王国直轄領の徴税、政治、治安維持の権限と責任を新設する王国元老院及び執政官に委任する」
それは自ら王権を著しく制限する勅令であり、歴史上極めて異例なものだった。ましてディオニソス王国は王権神授説の上に成り立っていたのだ。もともと民主制を起点としている古ヘメタルやプレセンティナとは訳が違った。そして領邦を奪われた者を含めて領主たちは皆ディオニソス王国元老院議員に任じられた。要するに王家直轄領を含めた多くの地方領を全部一緒くたにして、ディオニソス王国元老院という共同体を通じて一括管理するということだ。封建主義体制から中央集権体制への大改革であり、しかも王を中心とした専制から貴族を中心とした寡頭制への大変革でもあった。さらにその元老院のモデルがプレセンティナであることは明らかであり、いずれ富裕市民階級の議員が任命されることも想像に難くなかった。
だがこれは必ずしもペルディナントがイゾルテに啓蒙された結果という訳ではない。20年か30年先には(彼の孫とはいえ)アプルンの王子に王位を譲らなくてはならないのだ。その前に王権を分散させて有名無実にしてしまおうというのが彼の真意だったのだ。
また領主たちはディオニソス元老院の議員であると同時に、事実上の「ヘメタル同盟元老院」となりつつある「プレセンティナ帝国元老院」の議員でもあったのだ。
ペルディナント王としてはアプルンに対する保険というだけでなく、彼らがヘメタル同盟人、あるいはタイトン人としてのアイデンティティに染まってしまう前に、ディオニソス人という枠に囚えておきたかったのかもしれない。それは領主とプレセンティナが直接繋がることで王権を骨抜きにしようと考えていたイゾルテには意表を突かれた形だったが、彼の思惑はともかくその目指す姿は限りなく彼女の理想に近かった。
彼女も皇帝の権力など必要としない世界を望んでいた。だがパレオロゴスの家名を誰よりも大切に思う彼女には、おいそれと帝位を否定することも出来なかった。彼女が第一人者制を理想としていたのも、そんな矛盾する2つの感情の妥協の結果だった。やがて彼女が最終的な理想とする政治体制の萌芽が、ディオニソスの神威を騙るディオニソス王家から生まれようとしていたことは皮肉なことであった。
だが彼の思惑が何処にあったとしても王家が自ら身を切ったのは明らかであり、貴族たちの反感は立ち消えになった。ただし、彼は全ての権限を放棄したわけではなかった。軍権だけは残したのだ。むしろ王国直轄領は増えたのだから、近い将来には王国直轄軍の規模は倍増することになるだろう。もちろんこれをそのままアプルンに渡す訳には行かないのだが、時限的措置として国内が――というか元老院が安定するまでは手元に残しておく必要があったのだ。
「……ということで、お前が頼りなんだ!」
「はぁ……」
そして彼はそのままファーレンシュタインに軍の再建を押し付けたのである! だって実務は知らないから! 本来ファーレンシュタインの契約はスノミ・スヴェリエと講和が整った時点で満了したはずなのだが、ここで見放すことが出来るのならそもそもウシペストの山中からディオニソス軍を率いて決死の大脱出などしなかっただろう。彼は愛しのエリーザベトの元に帰ることも出来ず、でも折角だからとさりげなく自分の傭兵団の人間を位は低いが重要な職に就けたりしながら軍の再編と地方領の接収と一時的な軍政に忙殺されていたのだった。
そしてようやく形になってきたかなと言うところで面倒な仕事が舞い込んだ。
「プレセンティナのイゾルテ陛下から援軍を出して欲しいとの要望が来ている」
「プレセンティナが?」
ペルディナント王の意外な言葉にファーレンシュタインは面食らった。援軍要請が来たこと自体はつい数カ月前に戦火を交えた仲だと考えれば奇妙なことではあるが、同盟を締結しているのだから当然とも言えた。問題は「プレセンティナが援軍を必要とする敵がいるのか?」ということである。
ドルク軍40万に包囲されても撃退し、ドルク・ハサール連合軍60万もいいようにあしらわい、他ならぬディオニソス軍との戦いでは一兵も損なわぬまま(推定)虎の子の重装騎兵1000騎を主将ごと瞬殺してしまった。そんなプレセンティナ軍の何を援護しろというのだろうか? 野営地を作る手伝いとかなら納得だけど。
「遊牧民族がハサールに攻めてくるそうだ」
「……ハサール人も遊牧民族ですが?」
「遊牧民族同士の戦いということだな」
「…………」
遊牧民族と言ったら異世界人も同様である。まだドルク人や北アフルーク人の方が農業の概念があるだけ理解し合えるかもしれない。だというのに、何が悲しくてそんな戦いに出向かなくてはならないのだろうか? 軍事的に見ても、歩兵が出て行っても置いてきぼりにされるのは明らかであり、補給も指揮命令系統も寸断されて個々に全滅させられそうだった。
だがペルディナントにはイゾルテの思惑が分かっていた。あるいは分かっているつもりだった。
「ヘメタル同盟の結束を知らしめたいのだろう。タイトン諸国が一致団結してこの戦いに臨む様を、ハサールに、ドルクに見せつけたいのだ」
「……なるほど」
確かに政治的なパフォーマンスとしてなら納得できた。そしてプレセンティナ軍の引き立て役兼歴史の目撃者としての役割も担うのだ。
――引き立て役として殺されたらやり切れんけどなぁ……
彼個人としては、長年愛しく思っていた幼なじみとようやく結婚できるところなのだ。そんなつまらない理由で死にたくなかった。そうじゃなくても嫌だけど。
――まあ俺は最高司令官だし、ちょこっと援軍を出すだけなら適当なヤツに任せればいいだろう。
「じゃあ騎兵ですかね。数としては1000や2000なら出せないこともないですが、近衛もほとんど解体しちゃったのでまとまった騎兵部隊が残ってないんですよね……」
外征を目的としていたこれまでの直轄軍は基本的に訓練や管理のしやすい兵科ごとの部隊編成だったが、今は各地方の治安維持を部隊ごとに行えるようにと三兵編成に切り替えられていた。この再編成が結構大変だったのだ……事務仕事的に! もちろん各隊から騎兵を抽出出来なくもないが、またまた面倒な作業である……事務仕事的に! まあ、ハサールくんだりまで行くよりは遥かにマシだったが。
「いや、手付かずの1000騎があるだろう」
「え? そんなのって……あ」
ファーレンシュタインは敢えて手を付けていなかったある部隊を思い出した。
「……アレですか?」
「アレだ」
「いや、しかしアレは……」
「あれも騎兵だ。実に我が国らしい騎兵だろう?」
「……まあ、確かに」
二人の脳裏にあったのは、つい半年前まで「タイトン最強、いや世界最強!」とブイブイいわしていた重装騎兵隊だった。だがおよそ半分の1000騎がクマデブルクに向かい、1騎として戻って来なかった。一応騎士だけなら200人ほど戻って来たのだが、全員が馬も鎧も失い、半分は覇気も自信も失っていた。彼らは基本的に貴族の次男三男で構成されていたから、親族の不幸で実家に連れ戻されるなどして残った1000騎の中から100人ほどが退役していったが、その装備を引き継ぐ形で九死に一生を得た者達が穴を埋めていた。歴戦の古強者……というほど経験も対策も何もない一瞬の出来事だったのであんまりアテには出来ないが、少なくとも隣の騎士が惨めな死に方をしても動揺しない打たれ強さは持っていることだろう。
「まあ、アレは我が国とアプルンくらいしか出せませんし、インパクトはあるでしょうねぇ」
「人々の記憶に残ればいい。最小努力による最大効果だ」
ずいぶんぶっちゃけた話である。だがハサールのような遊牧民族を草原で迎え撃つというあまりにも過酷な戦場では、馬までも鎧で武装した重装騎兵は有効な兵種だろう。遊牧民族の恐ろしさは馬上からの弓射にあるのであって、それを防ぐことが出来て(それなりに)機動力のある重装騎兵は遊牧民族にとっても恐ろしいはずだった。……キメイラほどではないにしても。
「分かりました。重装騎兵隊が遠征できるように手配しておきます」
「そうか、長い間ご苦労だった」
ペルディナントの言葉にファーレンシュタインは虚を突かれた。
「……ようやくお役御免ですか? やった!」
かれは喜びを隠そうともせずガッツポーズをした。だってもうペルディナントは雇い主じゃないし!
「ああ、軍の再編はもう大丈夫だ。これからはハサール遠征に専念してくれ」
「…………は?」
「だから、重装騎兵隊を率いてハサール遠征に行って欲しいのだ」
ファーレンシュタインは再び虚を突かれた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 国軍の再編が終わったらボーへミアに帰るって約束だったじゃないですか!」
だがペルディナントは意外そうな顔をした。
「そんなに……ボーヘミア大公国軍として遠征したいのか?」
「あ……」
彼の婚約者ボーヘミア大公エリーザベトはなんでかイゾルテと友達なのだった。スノミ・スヴェリエとの決戦にイゾルテが割り込んできた際にも、彼女は「イゾルテ陛下のことを私と思い、何事も陛下に従いなさい」という手紙を書いて寄越した程である。どう考えても彼女が援軍を組織しているのは明らかであり、今帰ればその指揮を押し付けられるのも確実だった。
――どっちみち行かなくてはならないのか……
「それに……そなたが指揮をしていなければ、辺境諸侯を刺激するのだ。他に指揮官の候補はいない」
「……確かに」
プレセンティナが調停に入ったからといって、昨年の蛮行が無かったことになった訳ではない。重装騎兵は良くも悪くもディオニソスの象徴なのだ。彼らの姿を見れば辺境諸侯の反発を招くのは明らかであり、むしろ戦場よりも辺境諸侯領を通過する間の方が危うかった。だが辺境諸侯の一員であるボーヘミア大公の婚約者であり、同盟の盟主代行ベルマー子爵の盟友でもある彼は、ディオニソス王国軍の最高司令官でありながらも中立的な立場にあるのだ。彼がディオニソス軍の指揮を執っていれば、辺境諸侯にとっても大きな安心材料となるはずだった。
――なら、リズも許してくれるよな……?
彼は大きな溜息を吐きながらも、首を縦に振らざるを得なかった。




