援軍要請 その1
テュレイがスエーズを訪れていた頃、タイトン各国にイゾルテからの手紙が届けられていた。ハサールへの援軍を要請するものである。
最初の同盟者であるお隣のホールイ三国の王たちは、手紙を受け取るといつものように盟主エウノメアー王国の王都エウポリスに集まった。
「プレセンティナが動くというのなら、我らも動かねばなるまい」
「昨年も結局、イゾルテちゃんの言うとおりになりましたしね」
「ワシの娘と結婚しておきながらイゾルテちゃんなどと言うな! イゾルテちゃんはワシの嫁じゃ!」
出兵自体に反対する者は誰もいなかった。
「しかし、いかんせんハサールは遠い。況して我らの兵は遠征など未経験だ」
彼らの軍は基本的にドルクから身を守るためのものであり、しかも常備軍は申し訳程度のささやかなものだった。実際に戦う時は一般の民から募る義勇兵が主力になるのだが、彼らを今回の戦いに連れて行くのは無理があった。
「相手はハサールみたいな騎兵だそうですよ。歩兵を連れて行っても無駄なんじゃないですかね」
「そうじゃな。騎兵と輜重だけの方が良いじゃろう。歩兵を連れて行くと、返ってプレセンティナの足手まといになりそうじゃ」
彼らはキメイラの戦いぶりを目の当たりにしたわけではなかったが、当然イゾルテの武勇伝は聞き知っていたし、彼女がエウポリスを訪れた際にキメイラの勇姿を間近で目にしていた。また民生用バージョンであるカメルスは既に彼らの生活の中に入り込んできており、そのバネによる衝撃吸収機構{サスペンション}のおかげで驚くほど馬車が軽く動き、荒れ地に対する走破性も格段に優れていることを知っていた。それらで構成されたプレセンティナ軍に遅れずに付いていけるのは、騎兵の他には同じくカメルスで構成した輜重隊くらいだろう。だが……貧乏な彼らには碌に騎兵がいなかった。
「騎兵か……出せるのはせいぜい100騎だな」
「うちは50騎しか……」
「ならばワシは51騎じゃ」
騎兵というのは、例え軽騎兵であってもとかく金食い虫なのだ。その僅かな軽騎兵も本分は戦闘ではなく伝令なのだが。
「難民たちが開拓してくれたお陰で、今年の収穫は例年以上です。男爵イモも順調に増えているようですし、輜重を優先させましょう」
「そうじゃな。ならばカメルスをかき集めねばなるまいて」
「よし、騎兵200と輜重隊を出すと返答しよう」
こうして彼らは一致団結して出兵することが決まった。……若干の行き違いはあったようだが。
「騎兵は201騎じゃ!」
彼らと前後して、クマデブルクのベルマー子爵の元にも同様の書状が届いていた。ただし昨年の被害が著しいトランシルパニエ伯爵家は、復興に力を注いで欲しいとも書かれていた。それでも書状が送られてきたのは、あくまで同盟の盟主代理として辺境諸侯に伝えて欲しかったからである。辺境諸侯全員になどいちいち書いてなどいられなかったのだ。
だがそのクマデブルクには既に多くの辺境諸侯が集まっていた。故トランシルパニエ伯を偲び、彼の愛したクマデブルク復興のために何かをしようと思ってのことである。例えばある男爵は足繁く一軒の食堂へと通っていた。
「いらしゃいませぇー」
「やあ、ダリアちゃん、元気だった~?」
「昨日会ったばかりでしょ、男爵さま。それよりご注文は何になさいますか?」
「うむ、今日は持ち帰りで……ダリアちゃんを頂こうかな~?」
「もう、男爵さまったらぁ!」(バシバシバシッ)
「イタタタっ!」
彼はクマデブルク経済に貢献しようと金を落としているのである。そして傷ついた女性を慰めようとしているのである。……たぶん。
「うちの町に家を買ってあげるからさぁ。あ、あとお店も持たせてあげるよ!」
「ホントですかぁ~?」
「ホント、ホント」
新天地での生活を支援しようというのである。なんという優しさ! あくまで善意なのである。そしてそんな善意溢れる活動を行っているのは何も諸侯だけではなかった。
「オーダー承りましたぁー」
「やったぁー!」
「でも交易商の若旦那からもオーダーが入ってるんで、キャンセル待ちですよ?」
「…………」
善意に溢れる男たちが逗留するようになって、クマデブルクはにわかに繁栄を取り戻しつつあるようにも見えた。だが彼らは客人であって住人ではない。人口は増えていないのだ。それどころかイゾルテからの手紙に先立ってプレセンティナから届いた手紙により、150人あまりの女性がクマデブルクを離れていた。プレセンティナ兵が故郷に帰り着いて、冬の間に好い仲になっていた女達を呼び寄せたのである。みんなちゃっかりやることをやっていたのだ。イゾルテが知ったらきっと八つ当たりをするだろうが、彼女はまだプレセンティナに帰れそうにない。彼らをルキウスが率いるのは、新婚の兵士たちにとっては幸いだった。
とにかくそんな訳で、トランシルパニエ伯爵家としては一兵も出す余裕がなく、ベルマー子爵家の家臣たちもそのクマデブルクに屯する善意溢れる男たちを取り締まるのに忙しかった。
「という訳で、余裕のある方に行ってもらいたいのですが……」
ベルマー子爵が在地の諸侯にイゾルテの言葉を伝えると、彼らは血気盛んに叫んだ。
「ああっ、持病の癪が!」
「俺は腰痛が!」
彼らはとても元気だった。
「お前はふしだらなことをして痛めたんだろうが!」
「馬鹿を言うな、寸止めばっかでここに来てから一度も使ってない! これから使うんだ! お前こそ持病があるなら領地に引っ込んでろ!」
「看病してもらいに来てるんだ!」
わいわいと騒ぐ諸侯にベルマー子爵がほとほと困り果てていると、鋭い叱責が飛んだ。
「お黙りなさい!」
ピシャリとそう言ったのは、紅一点ボーヘミア大公夫人エリーザベトであった。この度晴れて大公位を得たバツイチコブ付きの美女である。確かに彼女も辺境諸侯ではあるが、イゾルテと違ってノーマルで婚約者も居るのに、ボーヘミアから1000ミルムも離れたこんな所に何故いるのだろうか?
「イゾルテが頼んでいるというのに、仮病で誤魔化すつもりなの?」
「い、いや、仮病ではないぞ」
「そうそう、本当にこれから腰痛に……」
エリーザベトはいきなりナイフを取り出した。
「では病気の原因を切り落としてあげましょうか?」
彼女の言葉に思わず諸侯は内股になった。恥じらいもなくこういうことを言っちゃうところはさすがに既婚者である。バツイチだけど。だが彼女にも援軍を渋る彼らの気持ちが分からないでもなかった。
「どうせあなた達はハサール人が怖いのでしょう?」
「「「…………」」」
諸侯はようやく真顔になった。それは誰もが避けていた問題の焦点だったのだ。
「ああ、怖いさ! イゾルテ陛下が率いていたのとは数が違う、ハサール人が何十万人もいるんだぞ!?」
「お前は西の果てのボーヘミアの人間だから、ハサールの怖さが分かっていないんだ!」
確かにボーヘミアは遥か西である。ディオニソス王国の王都バインの方が幾らか近いくらいだったから、彼女のハサールに対する警戒心は弱かった。
「そうね、私には分からないわ。でもあなた達も分かっていて? それを知っているのは誰よりもアルテムスの者達よ」
正論である。辺境諸侯はハサール人に怯えてはいたものの、山地を盾に対峙しただけで実際に戦った例はほとんどなかった。隣のアルテムスの惨状を見て、怯え、警戒していただけなのだ。唯一ベルマー子爵だけは旧アルテムス王国貴族の生き残りであり、直接の被害者であったが、まさにその逃避行の途中で生まれた彼にはその記憶が無かった。
「だが、だから何だと言うのだ?」
「そうだ、実際にアルテムスの連中が酷い目にあったのだ。我々がハサールを警戒する理由は十分にあるだろう!」
正論である。自分たちより酷い被害を受けた者がいるということは、その犯人を非難し警戒する理由にこそなれ、許す理由になどならないのだ。……ただ一つの場合を除いては。
「そうかしら? そのアルテムスの農民たちが、援軍に行こうとしているのに?」
エリーザベトの言葉に諸侯は驚愕した。ベルマー子爵も例外ではなかった。半世紀もの間ハサールに虐げられてきたアルテムスの農民たちが、辺境諸侯よりも遥かにハサール人の被害を受けてきたアルテムスの人々が、そのハサールの窮地に駆けつけようというのだから……!
「……待ってくれ、なぜ貴女がそれを知っているのですか?」
ベルマー子爵の問いに、エリーザベトは少しばかり気まずげに答えた。
「……実際にアルテムスに行っていたからよ」
彼女は婚約者であるファーレンシュタインがなかなかバインから帰ってこないので、拗ねて家出をしていたのだ。
家出と行ってもさすがに彼女は行き先を告げずに出て来た訳ではなかった。ただおいそれと追いかけてこれないほど遠くへ――ペルセポリスへ向かっていたのだ。物凄い長旅ではあるのだが、イゾルテがくれたカメルスを移動指揮車風に改造していたので、それで旅をしてみたいという好奇心も少なからずあった。
だがアルテムスのある村に立ち寄った際、そのカメルスを見た村長が彼女をイゾルテの知り合いだと思ってある書状を見せてくれたのである。それはイゾルテの言葉を一文字版画{活版印刷}で複製したものだった。
『アルテムス共和国の皆さんへ
昨年の戦いでは苦労をかけました。
多くの人々が故郷に帰り着くことが出来たと聞いて喜ばしい限りです。
村を、そして国を復興させることは大変でしょうが、頑張ってください。
プレセンティナは助力を惜しみません。
ですが、悪い知らせがあります。
ハサールの更に東の草原から、別の遊牧民族が攻めて来るかもしれないのです。
戦いはハサール国内で行われることになるでしょうが、プレセンティナをはじめタイトン各国からも援軍が派遣されることになると思います。
彼らはアルテムス共和国の領内を通ることになると思いますので、便宜を図って頂きたいのです。
ただでさえお忙しいところを恐縮ですが、何卒よろしくお願いします。
プレセンティナ帝国皇帝 イゾルテ・ペトルス・カエサル・パレオロゴス』
寝耳に水の内容にエリーザベトは驚いた。
――東の遊牧民族? しかもハサールに援軍ですって?
おいそれとは信じられない話である。だが改めて村を見回してみれば、牧歌的な農村には似つかわしくない剣や槍をかかえた男たちが忙しく立ち回っている姿も見られた。
「……自警団かしら?」
「義勇兵ですじゃ」
「義勇兵?」
「プレセンティナ軍が通りかかったら、一緒に連れて行って貰おうと思いましてのぅ」
なんでもないように言う村長を、エリーザベトはマジマジと見つめた。イゾルテの書状も信じがたい内容だったが、村長の言葉はそれ以上に信じ難かった。
「……でも、イゾルテはあなたたちに援軍を出せとは言ってないわよ」
「姫さんは優しいですからのう。ですが、わしらは姫さんに恩があるんですじゃ。それを少しでも返したいんですじゃ」
「……ハサール人は憎い仇なんでしょう?」
「ハサールの奴らを助けに行く訳ではありませんのじゃ。姫さんを助けに行くんですじゃ」
迷いなく言い切った村長の笑顔に、エリーザベトはそれ以上何も言えず、そのまま辺境諸侯領へと引き返したのだった。
エリーザベトの話を聞いて、諸侯はバツの悪い顔をした。プレセンティナに、イゾルテに返しきれない恩があるのは彼らとて同じである。今こうして悠長に女の尻を追いかけていられるのも、彼女がハサールとディオニソスの牙を抜いてくれたからではないか。諸侯が沈黙する中、エリーザベトはトドメを刺した。
「村長がこうも言ってたわ。もしハサールが負けたら……こっちに逃げて来るんじゃないのかって」
「「「「…………」」」」
諸侯は互いに顔を見合わせ、ポンっと手を打った。頃はよしと、ベルマー子爵が決を採った。
「あー、では援軍派遣に賛成の方は?」
「「「異議なし!」」」
こうして辺境諸侯の出兵も決まった。その場にいなかった者達も、議事録を見て出兵を拒んだ者は一人としていなかった。イゾルテの警告を無視して見捨てられた、プレイアダス七都市連合の轍を踏みたい者など誰もいなかったのだ。
援軍を求める書状は、当然スノミ・スヴェリエにも届いていた。戦力的にも政治的にも一番便利に使えそうだからだ。ケトレア伯アクセルはイゾルテからの手紙と聞いて顔を顰めたが、さすがに国家元首同士の手紙を握り潰す訳にもいかず、しぶしぶ主君に差し出した。
「陛下、イゾルテから書状が届いております」
「えっ! マジで!?」
若き王ズスタス二世は、喜び勇んでその手紙を祖父から奪い取った。
『親愛なる我が従兄弟ズスタス二世陛下へ
初夏のスノミは大変美しいと聞いております。
如何お過ごしでしょうか。
私は北アフルークのスエーズ王国に来ております。
連日の暑さにうんざりしておりますが、これも必要なことなのです。
というのも、東の草原から匈奴という遊牧民が押し寄せてきているのです。
しかもドルク方面とハサール方面に個別に押し寄せているようなのです。
そこで私はドルク方面の敵を撃退すべくスエーズに来ているのですが、ハサール方面に向かう父上の事が心配なのです。
このような時に頼りになるのは、唯一の身内であるあなただけです。
どうか父上と協力してハサール軍を助けては下さいませんでしょうか。
謹んでお願いし申し上げます。
遠い空の下であなたを想うイゾルテより』
「…………」
「イゾルテは何と言ってきたのですか?」
「……援軍を出せって」
「またですか……」
またと言っても、前回援軍を出せといったのはベルマー子爵であってイゾルテではない。というかイゾルテはさんざん兵を戻せと言っていたのに彼らはまともに取り合わず、結局は恐喝と色仕掛けと詐欺で占領地のほとんどを放棄させられたのである。一応ハルト海の島々は手に入ったので、制海権を手に入れることはできたんだけど。だがアクセルは実に嫌そうに顔をしかめた。
「どうせまた良いように使われるだけですぞ」
「だ、だけど今度はイゾルテの父親と一緒に戦うことになるらしいぞ。イゾルテのいないところで結婚話をまとめられる好機だ!」
イゾルテ本人よりはルキウスの方が御しやすいという判断は、あながち間違いではなかった。だがアクセルの方は、そもそも孫同士の結婚に反対だった。近親婚だからとかそういうまともな理由ではなくて、娘のゲルトルートに対する不審感をそのまま孫のイゾルテに相続させていたからである。
――アレは危険だ。ゲルトルートに輪をかけて危険だ。ズスタス陛下の後宮を私物化するくらいならともかく、私を山荘にでも軟禁して愛人たちを横取りしかねない……!
彼女にスノミ・スヴェリエ国内での権力を与えることは、彼にとっては○チガイに刃物だった。
「陛下、プレセンティナ軍を見たでしょう? アレに援軍が必要ですか?」
「ううっ……しかし、イゾルテ本人が援軍を欲しいと言ってきてるんだ、前回とは違う!」
「ではノーウェイ王国への侵攻はどうするんです?」
「うぬぬぬ……」
彼らはこりもせずまたまた侵略を計画中であった。スカンヒナビタ半島の西の端ノーウェイ王国である。というか、もともとノーウェイ王国に侵攻しようとしていた所にベルマー子爵からの檄文が届いたので、急遽行き先をディオニソス王国に変更したのである。そして今は本来の目的に立ち返り、ノーウェイ王国を征服してスカンヒナビタ半島を統一せんと目論んでいたのである。ズスタスとて若いとはいえ王である。今一番大事なことは何なのか、それくらい彼にも分かっていた。
「仕方ない、まずはノーウェイ王国に……うん?」
ズスタスが手紙を仕舞おうとしたら、封筒の中にもう一枚紙が入っていた。そこにはたった一行、こう書かれていた。
『追伸 このままだとスエーズの王子と結婚させられるかもしんない』
「なんだとー!?」
ズスタスは飛び上がった。文字通り座視できない事態である!
「爺っ、ノーウェイ侵攻は取りやめだ! イゾルテを助けに行く!」
「……しかし、既に宣戦布告してしまいましたが?」
「えーい、なんか適当に講和しとけ。余は軍を率いて先に出る!」
「……私の一存で決めて良いのですか?」
「構わん、イゾルテの一大事だ。特に貞操の一大事なんだ!」
「……私は処女には拘りませんよ」
「余が拘るのだ!」
何を言っても聞きそうにないので、アクセルは押し黙った。
――あの様子ではイゾルテ自身にその気がないのは明らかだが、政略結婚ということならあり得なくもない。もしルキウス殿が承知したら……。いや、その危険は今回だけではないか? ふむ、だったら根本から原因を断ち切るべきだな。
アクセルは内心でニヤリとほくそ笑んだ。これはある意味絶好の機会である。
「分かりました。ノーウェイとの講和はお任せください。あらゆる手段を講じてまとめておきましょう」
祖父の不埒な思惑など想像できないズスタスは、その頼もしい言葉に喝采を送った。
「やっぱり爺は頼りになるな! よし、今日から爺は宰相だ!」
ズスタスとしては、アクセルを厚遇することによりその孫であるイゾルテと娘婿であるルキウスに媚を売ろうというのであった。彼もなかなかの狸ぶりではあったが、その手の経験では祖父の足元にも及ばなかった。




