アイヤール その2
街道に繋がる北門と長城に向かう東門を表玄関とするなら、この西門は裏口である。もっとも王都と言っても小さな国である。農業以外に碌な産業もないし長城に沿って軍が分散していることもあり、人口もそれに伴って分散していた。要するにスエーズの街は小さいのである。せいぜい5万人が直径2kmほどの歪んだ円状の壁の中に住んでいるだけだったからクマデブルクと変わらないだろう。城門は閉じていたが、サラが顔を見せて一言頼むと門衛の奴隷軍人はあっさり通してくれた。随分といい加減なものである。
門の外には有り合わせの布で作った天幕や家財を積んだ馬車などが見渡す限り立ち並んでいた。その無造作な並びと言い、いかにも管理されていないことがありありと伝わってきた。境界線らしきものも見当たらないところを見ると、自治組織はもちろん連絡網すら無いのかもしれない。難民全体に触れ(公示)を出すことすら難しそうである。
「これは大変そうですわ……」
「そうでゴザるか? 戦の際の軍営もこんなもんでゴザるよ?」
サラの言葉にイゾルテはため息を吐いた。可愛い顔をしていても軍人として育てられたサラの頭なんてこんなもんである。
「一般人は天幕暮らしになんて慣れていませんわ。況してここは異郷の地ですから、気候や風土にも慣れていません。健康な者もやがて体調を崩しましょう」
「そうは言ってもどうしようもないでゴザる」
「…………」
イゾルテは黙っていたが、実のところ考えが無くもなかった。防壁を解体して家を作ってしまえば良いと考えていたのだ。どうせ運河は防壁と違うルートに作られる事になるのだから、無用の長物である。だったらさっさと解体して集団住宅の材料にでもした方が余程良いだろう。
もちろん運河の脇には新たに防壁を築くことになるのだが、それだって運河を掘って土塁を作ったその上に築くことになる。つまり最後の最後であり、それまでにレンガを用意しておけば良いのであって、直近では無用の長物なのだ。
――だが、運河も無いうちに防壁を崩すことは動揺を誘うかもしれない。微妙なところだな……
そして何より、そんなことをサラに言っても仕方がなかった。せめてバールに言うべきだろう。
2人が天幕の間に分け入って行くと、そこにはあまり人がいなかった。恐らくは天幕の中にいるのだろうが、まだ宵の口といった時間なのに灯りの漏れる天幕も少なかった。薪なり油なりを節約してさっさと寝ているのだろう。
――しまったなぁ、夜なら顔を隠してないと思ったのに、そもそも寝ちゃってるとは誤算だった……
僅かな人影はところどころで周囲をぼーっと眺めている怪しい男たちだけであり、なんとも異様な空気が支配していた。なぜなら彼らは……半分寝てたから。
「不寝番でござろうか?」
「寝てますけどね」
奴隷軍人たちが見回りをしている形跡もなく、難民たちはそれぞれに自衛する必要があるのだろう。しかし素人が連日の不寝番に疲れて居眠りをしてしまっているのだ。起きている者もどうにも瞼が重そうだった。
――治安維持のための仕組みづくりが必要だな。だが奴隷軍人はあくまで兵隊であって衛士じゃないし、衛士は結構訓練が大変だしなぁ。
兵隊なら適当に徴用した農民に槍を持たせるだけでも格好はつくが、衛士は細かい規則や法律を一通り覚えなくては話にならない。中途半端なまま街に出せば、逆に体制への反抗の種になりかねないのだ。
だが難民たちはドルクのあちこちから集まった者達であり、敬虔なスエーズ人達の法とはもちろん、難民同士ですら同じ法に従っていた訳ではない。つまり何を教育するのか、難民たちにどの法を守れと言うのかすらまだ明らかではないのだ。
――やっぱりウチの町内会みたいなモノを組織するべきなんだろうなぁ。しかしドルク人に自治意識なんかあるのかな?
戦争相手としては研究していても下々の者の生活まで知っている訳ではなかったが、ドルク軍の兵の扱いを見ていればどんなものかはおおよそ見当がつく。自治意識があれば唯々諾々と皇帝に従ってこなかっただろうし、従わなければ皇帝に弾圧されてきただろう。
一方サラは緊張していた。薄暗い道のりに若く健康な男女が二人きり。一旦会話が途切れると、お互いがお互いを意識してしまい、次第に声をかけづらくなってしまった。
――し、しかしこんな好機は二度と無いかもしれないでゴザる……!
サラは思い切ってトリスに声を掛けることにした。
「トリ……」
「そういえば組長と総長って何が違うんですの?」
「…………」
機先を制されてサラは黙りこんだ。
「どうかなさいまして?」
「……いや、何でもないでゴザる。
アイヤールは組長を中心に10~100名くらいで組を作っているのでござる。でも大きなことをする時には組がいくつも集まって大きな組織を作るのでゴザる。その長として全体を指揮するのが総長でござる」
「しかし"アミール"とは領主とか将軍のことではないのですか?」
「それを真似ているのでゴザるよ。アイヤールなど所詮は真似事なのでゴザる」
イゾルテはその卑下するかのような発言を訝しんだ。
「ですが、その総長にまでなったんでしょう? なんで止めてしまったんですの?」
サラはふっと自嘲すると、静かにこう言った。
「テ・ワ殿に負けたのでゴザる」
「…………マジで?」
テ・ワはどう見ても強そうには見えなかった。
「テ・ワ殿は強いでござるよ。それに器が大きいでゴザる。テ・ワ殿は某を倒した後にこう言ったのでゴザル。『大道廃レテ仁義アリネ!』と」(注4)
イゾルテは感心したように頷いた。テ・ワならばさぞや時宜に適した事を言ったのだろう。
「なるほど! それで……どんな意味なんですか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
再び二人をロマンチック(?)な沈黙が包んだ。さすがのサラも、もう自分から話しかけようとはしなかった。
だがそんな沈黙は長く続かなかった。横手から「きゃー」という甲高い悲鳴が上がったのだ。
「サラ様、うるさいですよ」
「……某ではゴザらん」
サラが悲鳴の上がった方をジッと睨みつけていると、顔を隠した女達が5人ほど天幕の間を駆け抜けてきた。彼は彼女たちを驚かせないように穏やかにドルク語で呼びかけた。ドルクを主敵と見做してるだけあって、ドルク語は奴隷軍人の必修言語である。
「そこのお嬢さん方、いったい何事で――」
そして女達は駆け抜けていった。
「――ござるかぁ……?」
完全に無視されたサラは肩を落としたが、次いで静かに腰も落とした。今度は3人の男たちが女達を追いかけて来たのだ。薄闇の中で顔つきは分からなかったが、その特徴的な膝丈ズボンのシルエットが、彼らの素性を明らかにしていた。
「待たれよ。あの女子どもに何の用でゴザる?」
静かなサラの声には抑えきれぬ怒りが滲み出ていた。無視された八つ当たりである……はずもなく、婦女子に手を挙げる男を許せないのである。……たぶん。
「……お前さんこそ何の用でござんスか?」
「知れたこと、か弱き者を守ることこそアイヤールの努めでゴザる」
「けっ! 端金で女を買うことが守るってことでござんスか? ちゃんちゃらおかしゅうござんスな!」
なぜか自分が批難され、サラは首を傾げた。
「……なんの事でゴザる?」
「貧しい者の弱みに付け込むとは情けねえ、アイヤールの風上にも置けない野郎でござんス。このあたりの任侠も落ちたもんでござんスな!」
男たちが懐からナイフを取り出すのが見え、サラは刀に手をかけた。
「トリスどの、下がっていてくだされ! ……トリスどの?」
返事が無いので周りを見回してみると、愛しい女性の姿はどこにもなかった。
「お、おのれぇぇぇえ! トリス殿はどこでゴザる! どこに隠したぁあ!?」
サラは烈火のごとく怒ったが、今度は男たちの方に身に覚えがなかった。
「な、なんの話でぇ?」
「トリス殿にゴザる! ついさっきまでここに居たのに、いったいどこに隠したのでゴザるか!?」
「言いがかりは止めてくんなせぇ! お前さんこそ人買いの用心棒でござんしょう!?」
「それこそ言いがかりでゴザる!」
ギリギリと睨み合い、緊張が一触即発にまで高まった時、両者の間にひょっこりとイゾルテが顔を出した。
「落ち着いて下さい。どちらも敵ではありませんわ」
「トリス殿! 無事でござったか!」
「無事も何も、先ほどの女性たちをナンパ……ゴホンっ! ちょっと事情を聞いておりましたの。この方たちは彼女たちを人買いの所から逃してくれたそうですわ」
イゾルテは人買いも正当な経済活動として考えていたが、それはあくまで正当な対価を支払った場合である。弱みに付け込んで買い叩くような商売は長続きもしなければ、信用という見えない財産を切り売りする行為である。真っ当なプレセンティナ商人は皆、そのようなやり方を蔑んでいた。
――300デナリウスなんてぼったくりもいいところだ! あの女性たちなら一人3万デナリウスまでなら払ってもいいな。……あれ? しまった! ついでに交渉してくれば良かった!
……商品価値に見合った対価が払われるのなら、プレセンティナ的には人身売買もそれはそれで良いのである。
だがイゾルテほど世間擦れしていないサラは、単純に人買い=悪いことだと認識していた。不思議なことにその人買いから奴隷を買い取って軍人教育を施している自国の行為には何の疑問も感じていないんだけど。
「なんだ、そうでゴザったのか。申し訳ゴザらん。悲鳴を上げて逃げる女子を追いかけているように見えたのでゴザる」
素直に頭を下げるサラに、男たちも毒気を抜かれナイフを収めた。
「いや、こちらこそ勘違いして申し訳ござんせん。てっきり人買いどもの用心棒かと思いやした」
男たちもやっぱり素直に謝罪した。誤解はあったが、どちらも女達を守ろうという侠気から出たことである。誤解が解ければ後腐れもない。これぞ若者らしさ! なんとも気持ちのいい男たちであった。
「ところでもちろん、あなた方はさっきの女性たちを横取りしようとした訳ではないんですよね?」
「なななな、なにを馬鹿な!」
「そそそ、そうでござんス! ちょっとナンパしようと思っただけでござんス!」
「助けたばかりだと成功率が高いんでござんスよ!」
なんともみみっちい男たちである。サラはその情けない主張に唾を吐き捨てた。
「恩に着せてナンパでゴザると? 恥を知れでゴザる!」
男たちは肩を竦めたが、意外なことにイゾルテが彼らを弁護した。
「まあ! ナンパというのは断る自由もあるのですよ? どこがいけないんですか?」
「と、トリス殿っ!?」
「私はナンパを応援しますわ! というか、私のナンパを応援して欲しいですわ!」
イゾルテが拳を握り締めると、男たちは急に身だしなみを整え始めた。……サラと一緒に。
「ところでお話を聞かせて頂きたいのですけど、ちょっとお時間を戴けますか?」
「「「「はーい!」」」」
なぜかサラまでもが返事をしていた。
注1 通常のマイヤールは一人の長が統率する10~100人位の集団だったそうですが、まとまって行動を起こす際にはアミールと呼ばれる統率者に率いられたそうです。
ちなみにアミールとは領主のことですが、もちろんそう呼ばれるだけです。。
まあその辺は、ガキ大将が陸軍大将でも海軍大将でもないのと同じようなものでしょう。
注2 「大道廃レテ仁義アリ」老子の言葉です。
義賊だの侠客なんぞが喝采されるのは政府の政が乱れているからこそであって、善政が敷かれていればそんなものは必要ないんだよ、というような意味です。




