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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
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スエーズ その2

すみません、また遅くなりました

 イゾルテ一行がスエーズ市へと向かっていた頃、そのスエーズの城には先駆けて伝令が到着していた。なんせ馬車の方がのろのろ運転なので、伝令の方が圧倒的に速かったのだ。もっとも長城に沿って点在する砦ごとにリレーをする駅伝システムは150ミルムの道のりも5時間とかからずに走破することが出来るので、もともと比較にもならないんだけど。


「上様! サラ殿がプレセンティナの皇帝を連れてこちらに向かわれているでゴザる。今夜か明日にでも到着するものと思われるでゴザる」

「サラが? 皇帝と?」

バールは息子の帰国を喜びつつも不安に(さいな)まれた。ペルセポリスまで行ったのなら2ヶ月はかかるところだが、サラが出発してからまだ半分ほどしか経っていなかったのだ。だが皇帝も一緒だというのなら国書は渡せたのだろう。とはいえ、なんで皇帝まで付いてきたのだろうか? 何かとんでもない誤解をされているのではないかという不安が拭えなかった。

――まさかとは思うが……サラの事を女だと思っているのではあるまいな?

実にありそうな話だった。そして次の展開も予想できた。『お嬢さんを下さい』である。さすがにここまで出向く前にサラが誤解を解いてくれそうな気もしたが、サラの方も朴念仁(?)だから男からの好意には鈍い所がある。皇帝の方が奥手だったりしたら、サラ本人には黙ったままバールと政略結婚の交渉しようと思うかもしれない。

「要件は聞いたか?」

「食料援助のための視察と交渉、とのことでゴザる」

「…………」

――まずいぞ、本当に政略結婚の話かもしれん。だがここまで来てサラが男だとバレたら援助はご破産だ。そうなれば難民たちも我が国の民も飢える他ない! ……サラを宦官にでもして嫁に行かせるか?

だがナニをちょん切っても女になるわけではないので、どう考えても誤魔化せそうになかった。

――しかし代わりにシャジャルを嫁に遣る訳にもいかん、アレは次期指導者(ハリーファ)なのだ。こうなれば……皇帝を人質に取るか?

それはあまりにも悪辣な手段だった。上手く行ったとしてもムスリカ帝国の威名は地に落ち、バールの悪名は末代まで語り継がれるだろう。

――だが難民と民を飢えから救うには……そうするしか無い!

バールは黙したまま頷くと、重々しく命を下した。

「分かった。到着前に警備を増やせ」

「はっ! しかし、一行は50人ほどでゴザいますが?」

「……いざという時のためだ」



 翌日の夕方になってようやくイゾルテたちの一行がスエーズに近づいてくると、難民たちが街道の脇に長大な行列を作っていた。

「なんだこの行列は?」

「恐らく配給でゴザろう。他の砦でもやっていたはずでゴザるが、規模が小さいのでキャンプの中で配っていたでゴザるよ」

王都だけあって難民たちもこの周辺に押し寄せているのだろう。配る方も貰う方も大変である。大変なのに何の生産性もないことが、イゾルテには我慢がならなかった。商業国家プレセンティナ人の(さが)かもしれない。

「こりゃあ配るだけでも大変だな。名簿は作ってあるのか?」

「作っていたはずでゴザる。でも入国した後でどこに移動したのかまでは把握してないので、あんまり意味が無いでゴザる」

無数にある砦のどこかから城壁を越えて入国しても、その場に記録されているだけなのだ。それを集計して1つの名簿にしようと思ったら大変なことだし、さらにそれの複製を作るとなると目も眩む作業である。イゾルテはきっと2回並んでるやつも居るだろうなと思いつつ、代理で並ぶ商売だと考えればセーフかな、などと頭を悩ませた。商業国家プレセンティナ人の(さが)だろう。

「まあ、人数だけでも把握できるのは有難い。そうじゃないと食料をどれだけ買えば(◆◆◆)いいのかも分かんないからな」

アントニオが交渉に失敗して帰って来れば、次はイゾルテの出番である。匈奴の脅威を利用したハッタリと脅しで安く買い叩き、それを恩着せがましくスエーズに運びこむのである。

「プレセンティナの皇帝がイゾルテ殿のような方で良かったでゴザる。公平に配る手立てだけはこちらで何とかするでゴザるよ」

「そういうことはお前のオヤジと話すよ。お前には何も決められないだろう?」

身も蓋もない事を言うイゾルテを、テ・ワが横から窘めた。

「姫サン、ソウイウ言イ方ヨクナイネ。若サンハ自分ガ役立タズダッテ分カッテルアル。敢エテ傷ツケル言イ方ハ良クナイヨ」

テ・ワの容赦無い言葉にイゾルテも顔を強ばらせた。

「……そうだな。お前の言葉を聞いて私も心底そう思った。サラ、ごめん」

「…………」

サラは無言でいじけていた。


 スエーズ市に入り王宮へと続く大通りを進んでいると、折り悪く日没告げる声が聞こえてきた。サラがソワソワしだしたので、イゾルテは溜息を吐きながら彼に声をかけた。

「我慢できないのか、あともう少しなんだぞ? ここで始めちゃったら真っ暗になっちゃうだろ?」

「が、我慢とかそういう問題ではないでゴザる。これは宿命であり、義務でゴザる!」

サラはソワソワしながらも大げさなことを言った。

「でもテ・ワは我慢出来てるぞ?」

「長イ旅ノ間ニハ時間ノ分カラナイコトモアタネ。多少ノ誤差ハキット大丈夫アルヨ」

「ほら」

だがサラは食い下がった。

「でも護衛の奴隷軍人(マムルーク)たちだってソワソワしているでゴザる! 街の人なんかもうとっくに始めちゃったでゴザるよ!」

確かに街の中にはそこかしこで始めちゃった人たちが大勢いた。公道のど真ん中でやっている者もいて、まさしく無法地帯である。このまま進んだらうっかり轢き殺しちゃいそうでもあった。イゾルテは仕方なく御者を務めるロンギヌスに声をかけた。

「ロンギヌス、馬車を止めてくれ」

「何事かありましたか?」

「ワガママ王子が礼拝(サラート)(注1)をしたくてしたくて仕方がないんだそうだ。礼拝(サラート)が終わるまでちょっと待っていよう」

「分かりました、松明の準備をしておきます」


 慌てて馬車から飛び降りたサラや馬を降りた奴隷軍人(マムルーク)たちが額を地面につけて神に祈る間、イゾルテは馬車からその光景を不思議そうに眺めていた。といっても彼女がムスリカ教徒の礼拝(サラート)を見るのは初めてではない。ペルセポリスにも北アフルーク商人は大勢居るし、その中の少なからぬ数はムスリカ教徒だった。コレポリスの総督府でもサラとテ・ワがやっていたことも知っている。だが彼らはあくまで少数派だった。だから道のど真ん中で礼拝(サラート)を始めたりはしなかった。だが今イゾルテの目の前では大勢の人たちが一斉に神に頭を垂れていた。タイトンでは考えられないことである。

――タイトンならせいぜい葬式か結婚式くらいだな。せいぜい膝をついて黙祷するくらいだし。

人々をこれほどまでに盲目的に従える宗教の力に、イゾルテは危険な匂いを感じていた。なぜなら彼女は……基本的に神の人格(?)を信じていなかったから! 神様と最も繋がりの深い彼女だからこそ、神様の考えだけは全く理解できなかった。いつも訳の分からない物ばかり送ってくるのだから仕方がないだろう。

――いつぞやは物凄く臭い保存食{シュールストレミングの缶詰}なんかも送ってきたしなぁ

その日は移動指揮車の風呂に5回入り直すハメになった。盲目的に神様を信じちゃうとそういうヒドイ目に遭うのだ。ちゃんと中身を警戒すべきなのである。

 だがこんな事をサラが聞いたら「タイトンの神とは全然別の存在でゴザるよ!」と怒りそうなものだが、実のところムスリカの神も何気にタイトンの神々の一柱になっていた。しかもムスリカ教が発生するずーーーーっと前からのことである。タイトン人は古ヘメタルの時代から、占領した土地の神様(神像)を連れ帰って万神殿(パンテオン)に祀っちゃう伝統があったのだ。(注2) 恐らくは「験担ぎ」+「占領したことの宣伝」+「ローマ人が同じ神を祀ることによって現地の人たちを慰撫する」という、なかなか打算的な意味もあったのだろう。

 だから当然、当然ウーダラ人を征服した時にはウーダラ教の神(像)をヘメタルの万神殿(パンテオン)に祀ったのだ。ムスリカ教はウーダラ教をベースに発展改良された宗教だから、神様自体は同じ存在である。もっとも、あんまり数が多すぎて十把一絡げになっていたけど。


 そんな不信心なことを考えていたからか、それとも奴隷軍人(マムルーク)たちが礼拝(サラート)に熱心になりすぎて警戒がおろそかになっていたからだろうか、一人の不審者が警備の隙をついてイゾルテの馬車忍び寄っていた。彼は窓から身を乗り出していたイゾルテの顔を確認すると、猛然と走り寄りながら日除けにかぶっていた外套を跳ね上げ、イゾルテに襲いかかった!

「やりましたよ、陛下! ナイールを説得しました!」

……アントニオだった。彼は彼でイゾルテに朗報を届けようと必死で馬を駆り、ようやくスエーズについたところだった。と言っても何気にカーヒラとスエーズは近いんだけど。ナイールの宰相が怯える訳である。

 イゾルテは突然のことに目をパチクリとさせると首を傾げた。

「何の話だ?」

「いや、ですからナイールが無償で食料を支援してくれることになったんです!」

イゾルテの頬が凍りついた。

「……無償で?」

「無償で!」

「……1デナリウス(プレセンティナの通貨)も要らんのか?」

「1ディナール(ドルクの通貨)も要りません!」

信じられない話を聞いて頭を整理しようとしたイゾルテは、ある恐るべき可能性に思い当たった。

「……私やミランダが嫁に行くとか?」

「……行きたいんですか? 宰相閣下はすごく太った人でしたよ?」

どうやら本当に代償無しに援助を決めたのだと悟り、イゾルテは胸が熱くなった。500万人分の食料なんて援助する訳がないと思ってふっかけたのに、大したものである……ナイールの宰相とやらは!

「ナイールの宰相は立派な男ではないか! 人を見た目で判断するな! 私は感動したぞ? 嫁に行くならそのような男の元に行きたいものだ。お前はいかにも人を見た目で判断しそうな見た目だけどな!」

どうやらアントニオはなんとも複雑な見た目らしい。褒めて貰えるどころか叱られてしまい、アントニオはちょっとふてくされた。でもイゾルテが喜んでいるのは表情からも明らかで、その笑顔を見ているだけでも彼も嬉しくなった。

「分かってはいても、見た目で判断しちゃうんですね。よーく分かります」

イゾルテが面食い(ただし女性限定)なのは既知の事実であり、彼自身もイゾルテの見た目に惹かれていたのだ。もちろん内面にも惹かれるところはあったのだけど、がっかりする部分も多かったのでそっちはトントンである。

「しかしこれで予算の問題は大幅に軽減されたな。いや、これはあれか? やらずボッタクリってやつ」

「ボッタクリ?」

アントニオは首をひねった。何がどう転んでも儲かるような要素は皆無だった。

――いや、まさか……

彼は恐るべき計略の存在を悟った。

「やっぱり500万人ってのは嘘なんですね? 過剰請求してちょろまかすつもりなんですね!」

人の親切(?)に付け込んで金儲けをしようとは、イゾルテはやはり魔女の名にふさわしい悪女である。大変ながっかり要素だった。

「そんなことするか!」

彼女は心外そうに怒鳴った。

「確かに今はまだそんなに居ないだろうが、近いうちにそれを越えるだろう。いや、むしろもっと呼び込むべきだ!」

「ホントですかぁー?」

まだ信じないアントニオに少しばかりイラっとして、イゾルテはその心の一端を明かした。

「居てもらわないと困るんだよ! 何せ人手が幾らあっても足りんからな!」

注1 イスラム教の礼拝は日に5回ですが、大体の時間帯はこんな感じです。

ファジャル《Fajar》 : 明けがたから日の出まで

ゾフゥル《Zohar》 : 正午から昼すぎまで

アッサル《Asar》 : 昼すぎから日没まで

マグリブ《Maghrib》 : 日没直後

イシャ《Isha》 : 就職前

旅行中なんかでやむをえない場合は、ゾウゥルとアッスルは日没までに、マグリブとエシャは就寝までにまとめてやっちゃてもOKなんだそうです。

まあ、仕事の会議中だとかオリンピックの競技中に始められても困りますしね。


注2 ローマ人は征服した民族の信仰を取り入れる習慣というか伝統がありました。そういう異教の神々は万神殿(パンテオン)ではなくてファヌムと呼ばれる神殿で祀られていたそうです。

ブッダがヒンドゥー教のヴィシュヌ神の化身だったりするようなもんでしょうか。

必ず取り入れなければならないという訳でもないでしょうが、ペルシャのミトラ教とかエジプトのイシスとセラピスなんかは流行ったそうです。

ちなみにヤーヴェがローマのファヌムに祀られていたかどうかは不明です。ユダヤ人は死ぬほど嫌がったでしょうからやめたかもしれません。

イスラム以前のメッカでは(色んな神様と一緒に)祀られていたそうですけど。

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