スエーズ その1
暁の姉妹号は半月あまりの航海を経てスエーズの港に到着した。あちこち旅をして回っているイゾルテだが、何を隠そうアフルーク大陸の土を踏むのはこれが初めてのことである。ただでさえ温暖なメダストラ海だというのにすでに晩春というより初夏という陽気で、イゾルテは日傘を差した上に面覆い{顔面サンバイザー}まで身に着けていた。
「ここがスエーズか……」
スエーズの港は……ショボかった。岸壁の規模こそ大掛かりだったが所々崩れていたし、倉庫や商家はあまりにも少なかった。所詮は貧乏国である。
「違うでゴザるよ。ここはポルコサイード(注1)でゴザる」
「でもスエーズだろ?」
「スエーズは南の端でゴザる」
「……?」
首をひねるイゾルテにテ・ワが助け舟を出した。
「姫サン、ココハスエーズ王国ポルコサイードノ港アルヨ。王都スエーズハ南ノ方ネ」
「国と都が同じ名前なのか? 都市国家でもあるまいに、紛らわしいなぁ」
イゾルテが呆れ顔で指摘すると、サラは口を尖らせてボソリとつぶやいた。
「我が国はムスリカ帝国でゴザる……」
スエーズ王国というのは他国が勝手に言っているだけであって、自称したことなど一度もないのだ。勝手に付けられたアダ名が紛らわしいと文句を言われて、いったいどーしろと言うのだろうか? もっとも、古ヘメタル帝国だって首都はヘメタル市だったんだからイゾルテの指摘も「お前が言うな」という類のものだったが。
行きには何とも思わなかったサラも改めてポルコサイードの港を眺めてみると、なんとも見窄らしく見えた。崩れた岸壁の補修すらもままならないポルコサイードと新築物件しかないコレポリスでは見た目の華やかさが比較にならないのは仕方がない。だがコレポリスの港はまだ小さいながらもひっきりなしに船が出入りしていたが、ポルコサイードには今は一隻の船もいなかった。この港は奴隷の購入と諸国からの支援物資――主に食料を受け取る事だけが目的の港なのだ。ショボいのも仕方がなかった。
一方陸上では、ポルコサイードの守備隊が異形の巨船の接近に慌てていた。どうみても商船とも思えず、かと言って一隻(二隻?)しかいないのでドルクの侵略とも思えない。だが貧しい上に精強な奴隷軍人の守るポルコサイードを襲う海賊などいるはずもない。その正体は想像がつかなかったが、彼らはひとまず港湾部を閉鎖すると槍先を並べて上陸に備えた。それを海上から見たイゾルテは、スエーズ軍の一糸乱れぬ動きに感心していた。
「おお、なんか盛大に歓迎してくれるみたいだな!」
「いやいや、むっちゃ武装してるでゴザる。雄叫びを上げてるでゴザるよ!」
「そうか? 歓声がここまで聞こえてくるぞ」
どうせ船に乗ってる間は無敵なので、イゾルテは悠長に彼らの声に耳を澄ませた。
「ああ! あれはサラ殿ではないか? サラ殿が乗っておられる!」
「おのれ海賊め! サラ殿の乗った船を襲って人質にしたか!」
「さすが海賊! 確かにサラ殿は我が国の宝にゴザる!」
「ああ、おいたわしや! きっとサラ殿はあんな事やこんな事をされてしまったに違いない!」
「くそぉ~! 我々は戒律に縛られて出来ないというのにぃ~!」
「小隊前へぇぇ! 海賊どもを斬って斬って斬りまくるぞぉ~!」
……大変な人気だった。そして嫌な人気だった。イゾルテはサラに同情した。
「サラ、大した人気だな」
「ううっ、仲間たちの友情が胸に滲みるでゴザる……」
サラは何故か感激していた。危機感がないにもほどがあったが、彼はその危険な友情(?)に応えるためにも声を張り上げた。
「お待ちくだされ! 海賊ではないでゴザるよ! こちらはプレセンティナの皇帝イゾルテ殿でゴザる」
「「「プレセンティナ?」」」
サラの言葉で奴隷軍人たちは自らの過ちを悟った。
「や、やつらの神は女だけでなく少年まで手篭めにすると言うぞ!」
「くそぉ~! やっぱりサラ殿はあんな事やこんな事をされてしまったに違いない!」
「破廉恥な異教徒め!」
大変な偏見である。でもあんまり勘違いではなかった。サラがイゾルテと同性だったら、きっといろいろな事をされてしまっていただろうから。
「違うでゴザる! こちらは大切な御客人でゴザるよ!」
「た、大切な……?」
「ああああぁぁぁ、ついにサラ殿の結婚が決まってしまったのかぁぁl」
「「なっ!」」
サラとイゾルテは顔色を変えた。
「こいつは男だ!」「某は男でゴザる!」
二人は顔を見合わせた。
「おい、どういう意味だ?」「……忘れていたでゴザる」
なんだか良く分からないが、とにかく二人が噛み合ってない事だけは良く分かり、奴隷軍人たちは誤解を解いた。
ポルコサイードの港の東には壁があった。ドルクの侵攻を防ぐための長大な城壁である。そしてそのすぐ西側には、おそらくは軍の移動を目的とした街道が150ミルムほど南の王都スエーズまで続いていた。1万ミルム以上の旅をして来たイゾルテにとっては指呼の距離である。
イゾルテ達はポルコサイードで馬と馬車を買い、この街道を南へと向かうことにした。だが馬車は幾らでも売りに出ていたが、馬の方が少なかった。
「難民が居るのなら馬くらい幾らでも売られていると思ったんだけどなぁ」
旧アルテムス王国領からプレセンティナにやって来た難民達は多くの家畜も連れてきていたし、何より家財道具を積んだ馬車が多かった。当然ドルクの難民も多くの馬や家畜を連れてきていると思っていたのだ。
「馬ハ生カシテオクノ大変ネ。コレ以上逃ゲルコト出来ナイナラ、サッサト潰シテ肉ニスルネ。食料ハ飛ブヨウニ売レルアル」
「なるほど」
要するに人間様の食料が足りないのだから、馬なんか生かしておく余裕はないということだった。確かに放牧しておく土地だって足りないだろうし、その土地だって余所者が勝手にして良いわけではない。難民の間でも争いが起こりそうだ。
「馬車はともかく50頭の馬を買い揃えるのは難しそうだな」
「ごじゅう……?」
イゾルテが振り返るとロンギヌスが不思議そうな顔をしていた。
「どうした?」
「あの……ひょっとして我々の乗る馬ですか?」
「そりゃあそうだろう。護衛が馬に乗らんでどうする?」
するとロンギヌスは困ったように眉根を寄せた。
「あの……なんで我々が馬に乗れると思ってるんですか?」
都市と海に生きるプレセンティナ人は乗馬など出来ない。海軍はもちろんだが、衛士隊だって乗馬の訓練なんかしないのだ。人で混み合う町中で馬に乗ってたら顰蹙ものである。
「……近衛だから?」
「任命されただけで乗れるようになるのなら苦労はありません!」
イゾルテは明後日の方向を見て咳払いをした。
「ゴホンっ! 何れにせよ馬を50頭も買わなくて済んだのは重畳、重畳! だから8台ほど馬車を買って来い。お前らの乗る7台は荷馬車だ」
馬車に乗ったイゾルテ達は、奴隷軍人達に護衛されてスエーズ市へと旅立った。だがその旅路はのっけからイゾルテを不愉快にした。
「なんということだ。これほどまでに酷いとはな……」
彼女が顔を曇らせるのを見て、サラも顔を曇らせた。
「某が国を離れた時よりも更に増えているでゴザる。国境の関にはまだまだ長い列があるとも聞き申した。更には難民の中にも持てる者と持たぬ者がいて、出身地ごとにも党派に分かれて争いが起こっているそうでゴザる」
計画的に避難させ、事前に受け入れ準備を整えたプレセンティナとは何もかもが違っていた。出身地や教派ごとにまとめることすらできず、難民たちが勝手にテントを張って勝手に住み着き、詐欺や窃盗、食料の強奪まで頻発しているのだ。敬虔で勤勉なムスリカ教徒だけだった半年前のスエーズでは考えれらないほどの治安の悪さである。
「ワタノ国ノ偉イ人、コウ言ッタネ。『衣食足リテ礼節ヲ知ル』 食料不足ノ不安ガ争イノ根ッコニアルネ」
「今週から食料配給量も減らしたそうでゴザる。難民たちの持ち出してきた食料の再配分も抵抗にあって上手く行かず、我々としてはどうしようも無いでゴザる」
難民の多さから予想されたことではあったが、厳しい現実を目の当たりにしてイゾルテは顔を顰めた。
「古来から民衆暴動の原因の多くは飢餓だ。民衆は指導者なしに団結しないものだが、飢えた場合だけは別だ。そして指導者なき反乱は、何の成果も成し得ない。民衆をより困窮させるだけだ……」
そう言いながら悲しげに顔を伏せていたイゾルテは顔を上げてカッと目を開いた。
「だが私が酷いと言っているのは道のことだ! 何だこの道は? ボロイにもほどガッ! ヒ、痛イ……舌を噛ンダ……」
街道はレンガ敷きだったのだが、そのレンガのあちこちが欠けたりなくなっていたのだ。しかも馬車の方も当然のように車軸にバネがなく、木の車輪には何かの革が巻かれているだけだった。軍事道路だけあって難民たちは道路から排除されていたのだが、それでも時速で8ミルムくらいしか出せずにいた。それ以上の速度を出そうとすると、とても馬車が持たないのだ。……あるいは乗ってる人が。
「姫サン、旅ヲスレバ分カルアル。道ハ何処モコンナモンアルヨ?」
テ・ワが旅の達人とでもいうようにイゾルテを諭した。彼女も長い長い旅を経験してきたのだが、それでも確かにテ・ワの足元にも及ばないだろう。
「……そのうちお前も移動指揮車に乗せてやる。二度と普通の馬車に乗れない身体にしてやるぞ!」
「面白ソウネ。ドンナ乗リ物ニモ乗ルアルヨ」
ハッハッハと笑うテ・ワの余裕あり気な顔が更にイゾルテをムカつかせた。
「ところで、難民の女性たちがみんな顔を隠しているのは何でだ?」
「もちろん戒律だからでゴザる」
「タイトン人やウロパ人も居るんだろ? なのにみんなが隠してるぞ?」
「身を守るためでは? イゾルテ殿だって隠しているではゴザらぬか」
ムスリカ教徒の女性が顔を隠すのは神の教えだということもあるが、女の顔を見るだけでムラムラしちゃう残念な男たちを刺激しないためでもある。ただしサラの場合、自分の方が可愛いので大抵の女を見ても何とも思わないということがコレポリスで分かっていた。だが皆が皆サラではないのだから、イゾルテのような美少女の顔をみたらどんな不埒者が現れるか分かったものではない。
――まあ、コレポリスの港で会ったあの少女ほどではゴザらぬが
サラは未だに港の少女がイゾルテだとは気づいていなかった。髪の色と口調が違うといっても獅子を連れている時点で気づきそうなものだったが、彼は最初に会った少女が獅子を連れていたことで、タイトン人にとっては獅子を連れて歩くことは割りと普通のことだと思い込んでいたのだ。
――もしまた彼女と出会うことがあったら、某は我慢できるでゴザろうか? 某は……某は……彼女が嫌がっても無理やり……手を握ってしまいそうでゴザる!
サラは奥手だった。
一方イゾルテもサラの言葉に深く納得した。
「そうか、私と同じ理由だったのか。確かに南に下ったせいか日差しも強い気がするしな」
彼女が顔を隠すのはすぐに日焼けして真っ赤に腫れあがるからである。肌が白すぎて日光に弱いのだ。
――ふっふっふ、ならばナンパは夜にせねばなるまいて。スエーズについてからが本番だな!
うんうんと何度も頷くイゾルテに、サラは不思議そうに小首を傾げた。
スエーズへの到着が待ち遠しくなったイゾルテは、窓から顔を出して行く手を眺めた。だが起伏の緩やかな荒れ地に延々と城壁が続き、その隣に街道が続いているだけだった。
「しかし、地峡と言っても広いものだな。ペレコーポとはエライ違いだ」
「ペレコーポ? 何アルカ?」
「ああ、以前私がハサール人――つまり、匈奴のような遊牧騎馬民族と戦った戦場だ」
「コッチニモ蛮族ガ居ルアルカ。大変ダタネ」
テ・ワは同情で言ったつもりだったが、イゾルテはそれに激しく反駁した。
「蛮族じゃない! 彼らは誇り高い人たちだ。かなり価値観が違って、ヘンテコな風習があるだけだ!」
あんまりフォローになっていなかった。だがテ・ワにも彼女が何らかの共感を抱いていることは分かった。テ・ワたち宋の民が匈奴に対して抱く恐怖と嫌悪のイメージとは根本的に異なるようだ。
「でも、確かにお前の言うとおり大変だったよ、あの戦いは」
「負ケタアルカ?」
「いや、勝ったよ。でも殺しすぎた。戦いというより虐殺だったよ。
一度の局地戦で決着を付ける必要があったとはいえ、後味が悪いよ」
「…………」
事も無げに語るイゾルテにテ・ワは絶句した。ツーカ帝国の長い歴史の中で匈奴相手に勝った戦いは少なくなかったが、虐殺と言えるような完勝は皆無だった。それほどまでに劣勢なれば彼らはさっさと逃げ出すからであり、それを追撃することはほぼ不可能だからだ。騎射を得意とする彼らを追いかけて槍で仕留めるなど、無茶にも程があるというものだ。
「しかしまっ平らという点ではペレコーポと同じか……。スエーズは地形を利用して守っていると聞いてたんだがな」
「国境がこの地峡に限られている点では間違いではゴザらぬ。だが実際には、点在する湖と先人の残して下さったこの長い城壁で守ってきたのでゴザる。これも歴代指導者様の御威光の賜物でゴザるよ」
その長い城壁をじっと見ていたイゾルテが、ボソリと呟いた。
「これ作ったの、たぶんウチの先祖だわ」
「……え?」
「ほら、マイルストーン代わりのプレートにSPQHって書かれてるだろ?」
確かにそこには、蔦の絡まった模様の中に4文字のタイトン文字が刻まれていた。
「SPQP……とは?」
「|プレセンティナの元老院と市民《Senatus PopulusQue Presentinanus》、ウチのことだよ。たぶん、ムスリカ帝国の侵攻からナイール属州を守るために作ったんだろうなぁ」
「…………」
ずっとムスリカ帝国が作ったんだと教えられてきたサラは愕然とした。押し黙る彼を見てイゾルテは意地悪そうにニヤリと笑った。
「ああ、何という皮肉だろうか。まさかムスリカ帝国からこの地を守るために作られた防壁が、そのムスリカ帝国の身を守り続けていたとは! しかもムスリカ帝国が作ったことにされているとは! そしてその王子がプレセンティナの皇帝に対して滔々と自慢するとは!」
「…………」
サラは返す言葉もなかった。
「むしろ感謝して欲しいところだなぁー。神の代わりにこの国を守ってきたことに対してぇー」
「…………」
サラが反論できないのを良いことに、イゾルテは調子に乗りまくっていた。馬車の揺れや、女っ気が全くないことに対する不愉快を忘れようと思ったのかもしれない。
ネチネチとサラをいたぶっていているイゾルテを見ながら、テ・ワは不思議な気持ちになった。ヒンドゥラ王国が匈奴の前に倒れ、ムスリカ帝国が他国の援助なしには立ち行かないほどに衰退している今、大秦国こそが匈奴に対抗する最後のカードであった。だがその大秦国も分裂した上に滅亡寸前だと聞いて彼は絶望しかけていた。だがその大秦国の片割れたるプレセンティナ帝国は、滅亡寸前どころか広大なメダストラ海を支配し、他の国々にも絶大な影響力を持っているという。それも彼女が表舞台に登場してからのここ数年の内に為されたというのだ。そして彼女は草原の民を相手に虐殺と言えるほどの完勝をしてみせたのだという。
――姫サンナラナニカヤルカモ。最後ノ最後デ大当タリダタカモネ。
だが歳相応に子供っぽいところのある彼女にとって、これから起こる戦いがどれほどの重荷となるのだろうか。過酷と知りつつも彼女を戦いへと駆り立てねばならない自分に、テ・ワは密かに唇を噛んだ。
一行は道中で一泊し、翌日の夕方には王都スエーズへと到着した。
注1 ポルコサイード=ポートサイド
ポートサイドの名前はスエーズ運河建設許可を与えたサイード・パシャの名前に由来します。海岸通りとかではありません。
初版では珍しくイゾルテが歌を歌っていましたが、運営から警告を受けたのでその部分を削除しました。




