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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第2章 ローダス島(海)戦記
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5 波紋

 人々にとって望ましい噂は留まるところを知らないものだ。

 だが逆に望ましくない噂も、留まることを知らないものだ。


 ガスパロ・バレージ『慕情』


――――――――――――――――――――――――――――――――


 ドルク迎撃艦隊に勝利した遠征艦隊司令部は、一旦全艦隊に集結させた。そして艦隊が集結すると、イゾルテは各分艦隊司令部に伝令を走らせた。

「提督、遠征艦隊総司令部より伝令として参りました」

「ん? 艦隊司令部から?」

第8分艦隊の司令官は小首をかしげた。

――艦隊司令部からなら遠くと話す箱{無線機}で伝えれば良いんじゃないのか……?


「これを預かってまいりました」

ドンっとテーブルに置かれた鞄の中には黒く四角い石{無線機のバッテリー}がどっさりと入っていた。

「ああ、なるほど。確かにこれは伝令が必要だ。しかし今度はやたらと多いな。まだ5つ残っているぞ?」

「第8分艦隊には鹵獲したガレー船とともに一旦本国へ戻って頂くとのことです。その間はコレを補充できませんから、その分ということでしょう」

「なるほどな」

「その際、どれくらいまで話せるのかを調べて欲しいとのことです。皇宮とはいつのまにか話せなくなってしまいましたので」


 ドルク沿岸を南下している途中で皇宮と連絡が取れなくなった時には「まさか本国に一大事が……!?」と(艦隊総司令部と各分艦隊司令部の中では)大騒ぎになった。だが騒ぎが広まる前に、トランシーバーが2kmしか繋がらないことを思い出したイゾルテが、「ああ、距離に限界がある事を言い忘れていた。すまん、すまん。ドウゾ」と言って混乱を収めた。本当は遠くと話す箱{無線機}の方は限界がないと思い込んでいたので、皇宮の方には何も言ってきていなかったのだが。きっと彼らの皇帝陛下は娘を心配してやきもきしていることだろう。


「確か100kmくらいまでは話せていたな。150km離れた頃には呼びかけても応答が無かった記憶があるが……」

「ええ。ですので正確な限界距離を調べて欲しいそうです。ただし、殿下によれば天候や位置にもよるそうですが」

「位置?」

「窓辺や高いところが繋がりやすいそうです」

「……マストとか?」

「はい。殿下はたまにマストに登って試しておられます。勿論、皇宮にはつながりませんが」

「……ワシが登るのか?」

「……他の司令部要員でも良いのでは?」

司令官が周りを見回すと、部下たちは目をそらした。好んでマストに登りたがる士官はあまりいない。誤って落っこちれば即死である。しかも戦死じゃなくて事故死。そしてデログチョ。何かとマスト(しかもやたらと高いゲルトルート号の)に登りたがるイゾルテがおかし……水夫達に人気がある訳である。とはいえ、人気取りのために真似をしようという命知らずはここにはいないようだ。

「……まあいい。後でくじ引きでもしよう」

司令官は溜息をついた。


「ところで、使いきった石も回収するのだったな? 使い終わったのはこの8つだ。殿下にお返ししてくれ」

そう言って司令官は使用済みの黒く四角い石{バッテリー}を伝令に渡した。

「確かに8つお預かりしました。……あれ?」

「ん? どうした?」

「いや、てっきり軽くなっていると思っていたのですが……」

「ああ、不思議なことに力を使い切っても重さは変わらないようだ」

「なるほど、太陽の光には重さがないですからね」

思いがけない言葉に、司令官は首を傾げた。

「太陽の光?」

「はい、力を使いきった石をなぜ回収するのかお聞きしたら、殿下が仰っておられたのです。『再びアプルン(太陽神)の力を注ぎ込む』と」

「なんと!!」


 伝令が持ち帰った黒い石{バッテリー}は、(甲板上の唯一の構造物である)総司令官室の上に取り付けられた黒い板{ソーラーパネル}によって順次再充電されていった。いつからか黒く四角い石{バッテリー}は、関係者の間で「太陽の石」と呼ばれるようになっていった。



 降伏した迎撃艦隊は武装解除され、その兵を捕虜として第8分艦隊の10隻の帆船に収容すると、代わりにプレセンティナの水夫と水兵たちが乗り込んだ。そしてこれら合わせて30隻は、一旦プレセンティナに戻るべく本隊を離れて北上して行った。皮肉なことに、敵を降伏させたことで戦力が減ってしまったのである。

 負傷した司令官は後送したが、士官と水兵の10人ほどはそのままゲルトルート号に留め置かれた。尋問のためと、後々敵への軍使として使うためである。当初士官たちは尋問に口をつぐんでいたが、水兵達はサナポリに戦力がないことをあっさり吐いた。忠誠心がどうとか言う前に、それが重大な秘密だということを理解していなかったのだ。第8分艦隊が奴隷たちに行った聞き取り調査でも裏が取れたため、遠征艦隊司令部は本国の安全が確認されたとして第二段階への移行を宣言した。即ち敵補給線の遮断である。というか、ぶっちゃけ大掛かりな海賊行為である。



 第8分艦隊が鹵獲したガレー船を連れて帰国すると、プレセンティナは大きく湧いた。プレセンティナ海軍は外洋で小競り合いをすることこそ多いものの、大きな戦はいつも守りの戦ばかりだった。こちらからドルクに攻め込んだのは近年例のないことであり、しかも一兵も損なわずガレー船を20隻も拿捕したというのだ。これで湧かない方がどうかしていた。

 海戦では全く出番がないどころか最終局面を水平線の先でちらりと見ただけの第8分艦隊は、事情を知らない市民たちに英雄と持て囃された。市民たちは彼らを囲み、酒を奢って海戦の様子を訊ねた。そして兵士たちは答えた。

「…………軍機だ」

だって、知らないんだもん。

 それでも市民たちは知りたがった。可愛い女の子に胸をつんつんされながら、

「ねぇー、そんなこと言わずに少しだけでも教えてよー」

とか言われちゃうと、何か教えてあげたくなってしまうのが海の男だ。……山の男もでもそうかもしれないけど。そして兵士たちは艦隊の動きについては何も知らなかったが、最後に敵の足を止めた網の事だけは現物を見て知っていた。

「ここだけの秘密だけど、イゾルテ様の秘密兵器のお陰なんだ」

「えっ、秘密兵器!?」

 そのあまりにキャッチーな言葉に、ペルセポリスは「イゾルテの浮網」の噂で持ちきりとなった。誰かが言い出した「太陽の姫」という二つ名が人々の口の端に上るようになったのもこの頃である。



「まぁ、イゾルテが……?」

テオドーラの元にイゾルテの噂が届くと彼女は複雑な思いにとらわれた。イゾルテはテオドーラに誓ったその言葉通り、テオドーラとテオドーラの国のために働いて武勲を上げたのだ。それは守ってあげたいと思っていたイゾルテが、自分の腕の中から離れていったように思えて少し寂しかった。

――でも、凛々しいイゾルテに守られるのも、ちょっと悪くないかもしれないわ……

彼女は軽く頬を赤らめながらそんなことを考えていた。



 収容されたドルク軍捕虜の間にもイゾルテの噂は伝わった。プレセンティナでは、身代金を請求するような高級士官たちは、捕虜とはいえそれなりの暮らしと部外者との面会が許されていた。もっとも、宿敵であるドルク人との面会を希望するものは多くはない。数少ない例外は、ドルクとも取引のある北アルーク系の商人であった。彼らは捕虜と本国の家族との間を取り持つことで、仕送りや身代金の一部を報酬として得るのだ。プレセンティナとしても、彼らのお陰で身代金が手に入りやすくなるというメリットがあった。身代金が入らないと、捕虜たちは厄介な不良債権になっちゃうのだ。……ムスタファみたいに。


「では、お手紙をお預かりします。アフルーク経由になりますので本国のご家族に届くまで一月程かかります。どうぞご了承ください」

「うむ。頼んだ。ところで、戦況はどうなっている?」


 商人たちは、捕虜に気に入られれば彼らが本国で力を取り戻した時にうまい汁にありつける。だから時には、

「戦況のことは分かりませんが、街では面白い噂が広まっています。実は――」

……と、情報に飢えている捕虜たちに街の噂を差し入れたりもした。


「何? ではあの網を作ったのはイゾルテ皇女自身だというのか?」

「はい、そうらしいです。街はその噂で持ちきりです」

「そうか、あの悪辣な罠はやはり黄金の魔女の仕業だったか……」

「黄金の魔女?」

「……いや、なんでもない。それより手紙を返してくれるか? 書き忘れたことがあったのでまた明日取りに来てくれ」

こうして「黄金の魔女」という異名も静かに広まって行くのだった。



 一方遠征艦隊では、第二段階に移行するにあたって戦訓を活かした組織改編が行われていた。実際に無線を使った戦闘を経験して分かったのだが、戦闘行動中は分艦隊の司令官が遠くと話す箱{無線機}を離れられないのだ。それまで分艦隊旗艦の船長が分艦隊司令を兼任していたのだが、戦闘中は船の指揮は副長に任せっきりだった。そのため、正式に副長を船長に格上げし、分艦隊の司令官職を専任にしたのだ。同様にムルクスも総司令としての仕事が忙しくてとても第1分艦隊の指揮を摂る余裕がなかったので、総旗艦ゲルトルート号を第1分艦隊から外し、2番艦の船長を第1分艦隊の司令に格上げした。

 分艦隊司令官達は自分の船を奪われて悲しそうにしていたものの、実際に船の指揮が出来なかった以上は仕方がないと諦めてもいた。だがもう一つの重要な懸案事項については、分艦隊司令達をゲルトルート号に集めて密かに話し合いが持つ必要があった。


「諸君を呼んだのは他ではない、お約束について相談したいのだ」

これまでのお約束{通信プロトコル}は1:1の対話がベースになっていたので、総司令部から複数の分艦隊に指示をだす時に時間がかかってしまったのだ。今回の海戦では時間的に余裕があったが、お互いに陣形を組んでの堂々たる海戦ではこの時間的ロスが致命傷になりかねない。

「殿下、1:1のお約束と多人数でのお約束を完全に分けたほうが良いのではないでしょうか?」

「いや、どちらかというと1対多数のお約束を新たに考えるべきではないだろうか。緊急時には総司令部から複数の分艦隊へ指示を出すことが多いからな。

 時間に余裕がある時なら、別に今まで通りのやり方でもあまり問題はないから先送りしてもいいだろう」

「なるほど。ではこんな感じでは如何でしょう……」

「いやいや、それでは冗長です。ここは……」

 ……

「駄目だ駄目だ! 必ず応答があると思うな! 応答がない場合にも混乱を抑える手順が必要なのだ!」

「こんなところで一々応答を待っていては今までと同じです! ここは思い切りが肝心です!」

「まぁまぁ、落ち着いて。どうでしょう、ここはこんな風に考えては……」

 ……


 結局彼らの密談は翌朝まで続いた。眠そうな顔で自分の船に戻る提督たちを見た水兵たちは、「こんなに長く作戦会議をなされるとは……今度の作戦はよほど凄いらしいな!」と、密かに士気を高めていた。

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