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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第2章 ローダス島(海)戦記
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4 緒戦

 「ローダス島沖の戦い」の緒戦となった「ウールラ岩礁沖海戦」では、チェスのように相手の動きを読みきったムルクスの作戦が冴え渡った。

 遠く離れた味方同士で意思の疎通が出来なかった当時において、互いに目視できない距離まで分散することは愚策とされていたが、彼はそれを逆手に取って敵を自軍の重包囲下に誘い出すことに成功したのである。

 この作戦指揮はドルク側には「魔術」のようだと評されたが、その印象も全て同行したイゾルテに奪われ、彼女が「黄金の魔女」と呼ばれる理由ともなった。


 ダニエル・クルシナ『黄金の魔術』


――――――――――――――――――――――――――――――――


 後世ウールラ岩礁沖海戦、または単にウールラ海戦と呼ばれるこの戦いは、遠征艦隊の計画通りには進まなかった。敵が想定通りに動かなかったため、最終的には会合地点の中心が20kmも東にずれて、到着時間も半時間遅くなったのだ。遠くと話す箱{無線機}がなければ各個撃破の良い見本になっただろう。もちろんお手本はドルク側だ。

 だが結果としては、分進合撃(ぶんしんごうげき)というか十面埋伏(じゅうめんまいふく)というべきか、包囲を詰めて罠に誘い込む見事な結果となった。軍学の見本にしたいところだが、遠くと話す箱{無線機}がないと絶対に成功しないので見本にはできそうになかった。

――うーむ、今後海軍ではこの戦いを後進にどう伝えるのだろうか?

イゾルテが思わず余計な心配をしてしまうほど、見事な勝利だったのだ。逆にドルクの迎撃艦隊にとっては、悪夢としか思えない展開だった。



 そもそも事の発端は、メダストラ海沿岸の中心都市サナポリに置かれた海防司令部に早馬が到着したことである。それはサナポリから北に400km離れたコスクの港が、10隻あまりのプレセンティナ船に襲われたという知らせだった。広大な国土に100万の陸軍を持つドルクは、陸軍の一部として駅伝網も整備されていた。駅伝網に沿って12騎の早馬が疾駆し、その知らせはわずか1日でサナポリに着いた。凄いことである。

 海防司令部は首都バブルンに急報を送るとともに、事実上海軍司令部が引っ越ししてしまっているローダスへと快速船を向かわせた。そして事前に練られていた作戦計画に従って、ガレー船20隻を迎撃に向かわせたのである。


 プレセンティナ海軍の動向は、当然ながらローダス侵攻計画の懸念事項となっていた。その動きは幾通りか想定されていたが、大まかには大艦隊をローダスへ援軍として送るか、それとも防備を固めるかのどちらかだと考えられていた。そして防備を固めた場合のオプションとして、嫌がらせと威力偵察を兼ねて小規模艦隊がドルク沿岸を襲う可能性も示唆されていた。

 そのため海防司令部は、本当はスッカラカンなのに十分な戦力があるように見せかけるため、指揮下にある全てのガレー船を動員して迎撃に向かわせたのである。……いや、向かわせちゃったのである。出撃しちゃった後で続々と続報が届き、「やべぇ、敵は10隻どころじゃねーじゃん! どうなってるの!?」と慌てたのだが後の祭り、迎撃艦隊は「敵は10隻」と信じたまま、一路北へと向かって行ったのである。



 敵影を求めながら北上すること3日、迎撃艦隊はサーラムの沖合で10隻のガレー船を発見した。

――プレセンティナのガレー船は手強い敵だが、二倍の数を揃えている今なら互角以上の戦いができる!

迎撃艦隊は猛然と攻めかかった。だが当然、敵は逃げに入った。敵が進路を西に取ったので、迎撃艦隊もそれを追った。ここでさっさと引き返してしまうと、「有利なのにすぐ引き返したな。やはりドルク沿岸は手薄なのかも……?」と思われちゃうので、ドルク軍は戦意を見せなくてはいけないのだ。そして追いつ追われつ5時間も大激走(?)してしまったのである。

――さすがにそろそろ帰らないと、夜までに沿岸に戻れないなぁ

……と思った迎撃艦隊が追うのを諦め、東に引き返したのが午後2時過ぎ。そして東に敵影を見つけたのが午後3時半だった。


「前方に敵影! ガレー船10! 距離は8kmあまり。進路は東!」

その叫びは悲鳴であったが、朝からの追いかけっこの間ずっと叫び続けていたので、既にガラガラに割れていた。迎撃艦隊の司令官は一瞬、

――ものすごく頑張って先回りしたのか?

と、馬鹿な想像が頭をよぎった。彼は敵は10隻だと聞かされていたのだ。

「馬鹿な!」

――そんな訳あるか! 別働隊が居やがったんだ!

「後方の、西の艦隊はどうしている!」

「こちらに引き返して来ています!」

見張りの叫びは、今度こそ悲鳴に聞こえた。

――馬鹿な! 馬鹿な! なぜ挟撃ができる! 互いには見えていないはずなのに!

双方の艦隊は迎撃艦隊からギリギリ見えているくらいなのだ。東西の艦隊からは、互いの姿は水平線の向こうのはずだった。

――いや、連携している訳ではないのか? 西の艦隊は、単に付かず離れず我が艦隊との距離を保とうとしているだけなのでは……?

そうやって、こちらがどこまで喰い付いてくるかで戦意を測ろうとしている可能性はあった。逃げ足に自信がないととてもできない作戦だが、敵地深く侵入してくるような手練なら充分にあり得た。

「取り舵反転180度! 再び西に向かう!」

「宜候!」


 そうして再び西に舳先を向けたところ、司令官の予想通り西の艦隊も距離を取るように進路を西に向けた。

――やはりそうか。どうせ追いつけないだろうが、東の艦隊をやり過ごすまでは西に向かおう。今夜は陸の見えない所で寝ることになるだろうが……

しかしその思惑は外れた。

「後方の艦隊が追ってきています!」

「何!? それは東の艦隊のことか!?」

「そうです!」

――まずい! 東の艦隊も、西の艦隊と同じことをやっているのか! しかし、敵の海域に分け入って退路であるを西を塞がれても逃げ切れる自信があるというのか? なんというクソ度胸だ! ……いや、北方の沿岸部を偵察してきたのなら、そこにこちらの戦力が無いことは露呈しているのか。北に逃げれるから大丈夫と踏んだのなら、北を塞ぐと脅せば……!

「面舵! 今度は北に向かう!」

「宜候!」


 こうして迎撃艦隊は北に進路を向けたが、案の定東の艦隊はそのまま西に向かっていた。

――これで合流されてしまうが、止むを得ない。とにかく北に脱出して、何処かの港に入ろう。

たとえ挟撃でないとしても、対等の数のプレセンティナのガレー船には勝てないのだ。司令官は既に逃げることしか考えていなかった。だが更にここで悲鳴が上がった。

「前方に敵影! ガレー船10! 距離は8kmあまり。進路は北!」

「…………!」

――まさか、まさか、まさか! 本当に奴らは連携していないのか!? これではまるで、得体のしれない何者かの手の上で弄ばれているようではないか! ……いや、そんなはずはない、運が悪かっただけだ! まだ奴らは互いが見えていないはず! 南に向かえば活路はある!

「面舵一杯! 南に向かうぞ!」

「宜候!」


 迷走した迎撃艦隊は、こうして南へと最後の転進を遂げた。彼らを半包囲する3つの艦隊も、迎撃艦隊を追うように南に進路を取った。

――後は船足の勝負だ! 朝から漕がせっぱなしだが、プレセンティナの奴らも疲れているはず! 十分に勝機はある!

もちろん、勝機と行っても鬼ごっこを逃げ切る勝算である。ここに至って海戦で勝てるとは微塵も思っていなかった。だが四度目の悲鳴が聞こえた時、彼は一瞬気を失いかけた。

「前方に敵影! ガレー船8、帆船1! 距離は8kmあまり。進路は北!」

――南東に逃げるか? ダメだ、南の艦隊と東の艦隊に挟み撃ちにされる。それくらいなら正面の艦隊と対航戦をした方がマシだ。相手は8隻。正面からなら足止めできるのはせいぜい2隻か3隻だ。最悪8隻が足を止められたとしても、半分以上はすり抜けられる!


 だがこれまでドルク海軍では「正面の敵をすり抜けて逃げる」などという想定はしたことがなかった。だから当然、こんな時に出す合図も存在しなかった。旗艦が突破出来さえすれば「我に続け」の信号旗を上げて遁走すればいいのだが、敵も当然旗艦を優先して足止めしてくるだろう。旗艦が足止めされても見捨てて逃げるように指示を出す必要があった。

「信号旗を掲げよ! 横列陣形! そして撤退!」

――意図が伝わってくれると良いのだが……


 横列陣形と撤退を表す2つの信号旗が掲げられると、僚艦は旗艦の左右に舳先を並べた。するとそれに呼応して、正面の敵のガレー船は4隻ずつ左右へと分かれた。正面には巨大な帆船が1隻残されただけだ。

――どういうつもりだ? 我らが逃げるつもりだとは思っていないのか? だからあの帆船を攻撃するように仕向けて、左右から挟撃しようと……? 馬鹿な! ありえん! だが、意図は分からんが折角の隙だ。あの間をすり抜けられれば全艦が助かる!

「信号旗を掲げよ! 2列縦陣と撤退だ!」


 絶体絶命の危機にあったからだろうか、それとも単なる偶然だろうか。迎撃艦隊は普段からは想像できない最高の艦隊運動をしてみせた。旗艦と右隣の二番艦を先頭に、横列陣から雁行陣、そして二列縦陣へと流れるように陣形を変えてみせたのだ。間隔は多少間延びしたが、先頭の速度は落ちていなかった。そして慌てて中央に寄せてくるプレセンティナのガレー船の間に、二列の先頭が飛び込んだ。

――間に合った!


 その時の光景を、イゾルテは後にこう語った。

「それは正に閉じんとする(あぎと)に、槍を突き入れたが如き光景だった」


 そして2本の槍と化したドルク艦隊は、鈍重な巨大帆船をあざ笑うようにその左右をすり抜けていった。巨大帆船の向こうから僚艦の無事な姿が現れると、司令官は初めて笑顔を見せた。

「よし、このまま南に向かうぞ! 信号旗、我に続けだ!」

だがその信号旗が掲げられる前に、彼の笑顔は凍った。

「ぶつかるぞー!」

誰かの叫びを耳にした時、僚艦は既に目前に迫っていた。



 イゾルテは一連の顛末を、ゲルトルート号のメインマストの上から見ていた。水面からの高度が50m近いここからは、望遠鏡{双眼鏡}を使えば半径20km以上を見渡せた。イゾルテはここから敵味方の位置を見て、小型の遠くと話す箱{トランシーバー}で司令室のムルクスに伝えていたのだ。

 この小型の遠くと話す箱{トランシーバー}は分艦隊に持たせた遠くと話す箱{無線機}と違い、お互いに聞きながら話せる非常に使いやすい道具だった。だがいかんせん使える距離が短く最良でも2kmまでなので、こうして船内通話に使っていた。まぁ、トランシーバーが無くても大声で何とかならないことも無いのだが、一々大声を出していたらそのうちイゾルテがダミ声になってしまうことだろう。きっとそのあたりを心配して贈られたのではないだろうか。

 ちなみに第二分艦隊の8隻が見せた左右への展開と中央への幅寄せは、事前に白いラッパ{拡声器}で知らせておいた作戦行動に従ったものだ。小型の遠くと話す箱{トランシーバー}を通してムルクスから指示を受けて、イゾルテが赤と白の旗を振り、各艦はそれを見てタイミングを合わせていた。


 イゾルテは当初、右往左往する迎撃艦隊に一々大笑いしていたのだが、迎撃艦隊が最後に見せた艦隊運動の鮮やかさには舌を巻いた。前もって撒いておいた浮網(浮きの付いた網)の前に誘導され次々に櫂を絡めとられたのだが、縦列で突っ込んで来たせいで、後半の船が通り過ぎる時には網がなくなっていたのだ。それを止めたのは、左右合計32門の投石機の投げつけた投網だった。ムスタファの提案がなければ、彼らはこの罠を潜り抜けていただろう。

――ドルク侮りがたし……!


 だが結局20隻全てが網にかかり、今は僅かに残された櫂でなんとか動こうとジタバタしていた。可哀想なことに、先頭にいた2隻に至ってはゲルトルート号の後ろに回り込んだ所で互いに激突してしまっていた。助かったと思った所で仲間と衝突だ、その無念たるや想像するに余りある。もっともここを抜けてもまだ40隻近い帆船が待ち受けていて、さらに東方には第6分艦隊10隻が待機していると知れば諦めがつくかもしれなかった。優しいイゾルテは彼らを楽にしてやることにした。


 彼女は見事な敵に対する礼儀として丸兜{ヘルメット}を脱ぎ、白いラッパ{拡声器}を手にとって敵に呼びかけた。

「ドルク軍の諸君。

 私の名はイゾルテ・ペトルス・カエサル・パレオロゴス。

 プレセンティナ皇帝ルキウス陛下の娘にして名代である。

 諸君らはよく戦った。特に最後の艦隊運動は見事であった。

 だが今や君たちは、われらの術中に嵌まって身動きが取れず、漕ぎ手達も疲れ果てている。

 そしてこちらには、北から30隻、南から40隻の艦隊が合流しつつあり、更に東では10隻の艦隊が君たちの逃げ道を塞いでいる。

 もはや君たちに逃げ場はない。

 武器を捨て、国旗を下ろせ。

 今降伏すれば、我が名において寛大な処置を約束しよう」

その時風が吹きイゾルテの髪がたなびいた。



 激突の衝撃で頭を打った司令官は、仰向けに倒れたままその言葉を聞いていた。

――イゾルテ・ペトルス・カエサル・パレオロゴス

その名に覚えるのは、怒りか、憎しみか、それとも安堵か。様々な感情が浮かんでは消え、最後に残ったのは諦めだった。彼が見上げるその白い人影は、その背に陽光を受けて金色の光を放っていた。彼は部下に抱え上げられながら、その光を掴もうとするように右手を伸ばし、そして呟いた。「黄金の魔女」と。


 気を失った司令官に代わって旗艦の艦長が降伏を命じると、他の船も次々に国旗を下ろした。こうしてウールラ岩礁沖海戦は、一滴の血も流すことなく――というか、怪我人は大勢いたので血は流れたのだが死者は出すことなく――終わったのだった。

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