3 罠
ドルク沿岸の戦いでは、ムルクスは海賊のように小さな港町まで根刮ぎ襲わせた一方で、麾下の艦隊を細かく分割し、恐ろしく詳細なスケジュールを組んで有機的に連携させるという二面性を見せた。
クリステン・オスカーション『戦術論』
――――――――――――――――――――――――――――――――
遠征艦隊はペルセパネ海峡を下り、更にアルーア大陸にそって南に下った。そして本隊は南下を続けながらも、それぞれガレー船10隻で構成された4つの分艦隊が次々に港を襲っていった。ドルク勢力下のこの海域を知る者は少なかったが、ドルク沿岸部も元々はプレセンティナの領土だったのだ。詳細な海図が残っていたので、沿岸の地形と突き合わせれば簡単に現在地が分かり、迷子の心配はなかった。
『遠征艦隊司令部、遠征艦隊司令部、こちら第五分艦隊。ドウゾ」
「こちら遠征艦隊司令部、イゾルテだ。ドウゾ」
『朝一でスペンの港に行ってまいりました。大型船は帆船1隻のみ。こちらに損害はありません。現在スペンの南西10kmを南下中です。ドウゾ』
「帆船1隻、スペン南西10km、了解。その帆船はどうした。ドウゾ」
『火をつけてまいりました。最後まで確認しておりませんが、少なくとも修理に一月はかかるかと思います。ドウゾ』
「うむ、十分だ。ではサーラムに向かってくれ。ドウゾ」
『了解しました。サーラムに向かいます。ドウゾ』
「通信終わり、ドウゾ」
『通信終わり』
こうやって入れ替わり立ち代り沿岸にある港を軒並み襲って行ったのである。
以前士官食堂として使っていた部屋は、現在は遠征艦隊全体の司令室と化していた。普通の艦隊には司令官室はあっても司令室など必要ないのだが、遠くと話す箱{無線機}などという連絡手段が出来たことで、司令部で判断すべきことがいろいろ増えてしまったのだ。イゾルテの通信を聞いていた若い士官が、テーブルに広げられた海図から黄色い紙を剥ぎとり、代わりに赤い紙を貼った。そこには「10/22 帆船1中破以上」と書かれていた。彼は一緒に「5」と書かれた木の駒を赤い紙の少し左下に移動した。
彼はその糊のついた黄色や赤色の紙{付箋紙}が、"神器"だとは知らなかった。"神器"というのは、遠くと話す箱{無線機}の存在を船長達や司令部要員に公表して以降、彼らの間で口にされている言葉だ。その言葉にはなんだかちょっと幻想が入っているので、付箋紙も"神器"なのだということは伏せてあった。確かに綺麗に剥がれる糊は不思議だけど、"神器"だと言われるとなんだかがっかり感が半端無いのだ。実際に糊のついた紙{付箋紙}を使っている彼も、単に「お偉いさんはこんな便利なもの使ってるのかぁ」と思っているだけで、剥がした黄色い紙{付箋紙}を何の疑問もなくゴミ箱に捨てていた。
イゾルテは海図に目を走らせた。黄色は未達成の目標であり、今後の行動予定だ。赤は達成済みの目標であり、戦果である。海図を見ると、各分艦隊の位置と戦果が一目瞭然であった。でも遠くと話す箱{無線機}がなかったら今頃……
――分艦隊は無事だろうか? ひょっとして大艦隊が待ち受けていてヤラれちゃったんじゃぁ……。そんでもって我々を後ろから追ってきていたり……!?
と、怖い想像が後を絶たなかっただろう。それ考えると、遠くと話す箱{無線機}はやはり"神器"といって良い贈り物だったのだ。
『第三分艦隊より、遠征艦隊司令部。司令部、聞こえますか!?』
突然遠くと話す箱{無線機}から聞こえたその声は、よほど慌てているのか、お約束を忘れていた。
「こちら司令部のイゾルテだ。聞こえているから落ち着け。ドウゾ」
『あ、殿下。失礼しました。サーラム西南西10kmにて敵影を発見。ガレー船20、帆船なし。彼我の距離は約8km。南南東より我が方に接近しつつあり。ドウゾ』
イゾルテが目配せすると、士官の一人が司令室を飛び出して行った。ムルクスを呼びに行ったのだ。
「現在地サーラム西南西10km、敵影ガレー20帆船0、距離8km、南南東より接近中、了解。 1分後に指示を与える。ドウゾ」
『了解、1分待機します。ドウゾ』
イゾルテが遠くと話す箱{無線機}のボタンから手を離すと同時に、ムルクスが駆け込んできた。さっきの若い士官が「3」の駒を移動させ、その右下に黒い駒を置いた。
「ガレー20、帆船なし、8kmに迫っている」
海図に目を走らせたムルクスはイゾルテの簡潔な説明に頷き、遠くと話す箱{無線機}を手にとった。
「第三分艦隊、こちら司令部ムルクスです。指示を与えます。ドウゾ」
『こちら第三分艦隊です。ドウゾ』
「敵との交戦は避け、西南西60kmにあるウールラ岩礁方面に誘導しなさい。ドウゾ」
『交戦を避け、西南西に向かいます。ドウゾ』
「続いて第四分艦隊、こちら司令部です。聞こえていますか。ドウゾ」
『第四分艦隊、聞こえています。ドウゾ』
「第四分艦隊はウールラ岩礁東30kmに向かいなさい。ドウゾ」
『ウールラ岩礁東30km、了解。ドウゾ』
「次は第五分艦隊。司令部です。ドウゾ」
『第五分艦隊、聞いております。ドウゾ』
「第五分艦隊はウールラ岩礁北東20kmに向かってください。ドウゾ」
『ウールラ岩礁北東20km、了解です。ドウゾ』
「本隊はこれよりウールラ岩礁南東20kmに向かいます。各艦隊、到着時間は暫定的に6時間後としますが、敵の動き次第で変わります。1時間毎に推定位置を報告するように。第三、第四、第五分艦隊、ドウゾ」
『第三分艦隊、了解です。ドウゾ』
『第四分艦隊、了解。ドウゾ』
『第五分艦隊、了解しました。ドウゾ』
「通信終わり。ドウゾ」
『通信終わり。ドウゾ』
『通信終わり。ドウゾ』
『通信終わり』
司令部は静かな熱気に包まれていた。10対20と不利なはずの第三分艦隊が、今では敵を圧倒的な包囲下へと誘いこむ囮となっていた。もちろん敵が途中で進路を変える可能性もあるが、その時はその時で幾らでも手の打ちようがあるということも、ムルクスは目前で示して見せたのだ。恐らく指示を受けた各分艦隊の司令部も同じ熱気に包まれているはずだった。特に死戦を覚悟していたはずの第三分艦隊は一入だろう。
「第二、第七、第八分艦隊へ。こちら遠征艦隊司令部。ドウゾ」
ムルクスが本隊を構成する各分艦隊に指示を出すと、ゲルトルート号も俄に活気を取り戻した。進路を変えるために水夫や水兵たちが動き出したのだ。
ちなみに、水夫というのは専業の船乗りで航海術に習熟した者たちである。マストに登って帆を張る者や、帆の上げ下げや三角帆の角度を指示しているものがそうである。とはいえ、白兵戦になれば彼らも武器を手に取るのだが。一方水兵の方は、逆に基本は戦闘要員なのだが、巻き上げ機の操作のような力仕事では水夫を手伝って作業する。どちらが上ということもないのだが、水夫の方が民間でもつぶしが効くので水兵から転向するものも多かった。そういった者が軍から離れて民間の船乗りになっていくため、プレセンティナの船乗りは民間でも高い練度を誇っているし、戦闘力も侮れなかった。
「アドラーさん、急に進路を変えるなんて何かあったんですか?」
突然大騒ぎとなった甲板の端で、階段を登ってきたアドラーに弟子の一人が声をかけた。
「ああ、敵を見つけたらしい。下でも水兵共が大騒ぎしておった」
「えぇ!? じゃあ、すぐに戦いが始まるんですか? 俺はどうしたらいいんですかねぇ?」
「そりゃ大工だって白兵戦となりゃ戦うさ。手を出さなくっても、負けたら殺されちまうしな。お前も武器を持って船室で……って、あぁ」
アドラーはその弟子が何を言いたかったのかに気付いて、気まずそうに頭を掻いた。
「俺は奴隷ですし、その上元は一応ドルクの軍人です。流石にドルク相手にゃ戦えませんよ」
そう答えた弟子は、ムスタファだった。結局身代金が払われず奴隷となったところをイゾルテが買ったのだが、彼女はそのままアドラーにまかせてしまったのである。仕方がないのでアドラーは船大工の弟子として扱っていた。
ボサボサの髪を切り落として髭を剃った今では、ムスタファはわりと好青年に見えた。本当は30を越えているのだが、童顔のせいか20代前半でも通るだろう。というか、だからこそ部下に舐められないようにとボサボサの髭モジャにしていたのだ。だがゲルトルート号ではイゾルテの不潔禁止令が出ているので、ボサボサの髭モジャはご法度だった。ボサボサと髭モジャを失って心細いのか、ムスタファの言葉はどこかしら気弱ですらあった。
「まぁ、楽勝らしいから出番は無いだろう」
「そう言われると複雑ですね……」
船体が壊れるまで持ち場のないアドラーたちは、ひとまず船内に引っ込んだ。
ゲルトルート号には第二、第三、第四甲板に多数の大きな窓があった。普通の船大工なら首をひねる所だ。というか、自分で作っておきながらアドラーも首をひねるところなのだ。原型となった贈り物の模型では、黒い鐘{大砲}が置かれていたところである。アドラーはもちろん、いろんな学者に聞いてもそれが何だかはさっぱり分からなかった。だが挿絵から見てどうやら武器らしいということで、ゲルトルート号では代わりに大弩や投石機が取り付けられるようにしてあったのだ。普段は邪魔なので取り外しているのだが、今は戦いを前にして水兵たちが慌てて取り付けていた。
彼らは知らなかったが、実のところプレセンティナ帝国には大砲があった。10年ほど前にプレセンティナに大砲を売り込みに来た外国人がいたのだが、1つだけ試作してみたところ「……投石機で良くね?」ということでお蔵入りになったのだ。だって籠城はしても城攻めする機会のないプレセンティナにとって、大砲はあんまり必要がなかったのだ。だがもし誰かがその存在を覚えていれば、ゲルトルート号には大砲が装備されていたかもしれなかった。
取り付けの様子を見ていたイゾルテが不満気に、肘だけを使って石を投げる真似をした。
「投石機と言うからこういうのかと思ったぞ」
それはドルクが城攻め(つまりはペルセポリス攻め)に使う振り子型の投石機のマネだった。彼女は子供の頃に双眼鏡でそれを見たのだが、実際に動いている所は(当然ながら)見せてもらえなかったので楽しみにしていたのだ。
「無茶言わんでください、姫。あんなのどんだけ小型にしても入りきりませんよ」
アドラーはそう言って肩を竦めた。暇なアドラー達が船内に引っ込んだところ、船内を見て回っていたイゾルテに出くわし、試験航海後に変わった所を聞かれて「投石機を積んだ」と答えてしまったのだ。おかげでこうして案内させられていた。
「しかし、こんなパチンコ(注1)みたいので城壁が崩せるのか?」
その投石機は、パチンコと弩の合いの子とも言うべきシロモノだった。大矢以外の物を発射できる弩というか、巻き上げ機の付いたパチンコのようなものだ。
「いやー、無理でしょうな。船に当てても穴も空かんでしょう。どっちかというと油壺とか投げるのに使うんじゃないですか?」
「むぅ、火攻めか。だが出来ればそれは避けたいところだ。奴隷や積み荷が焼けてしまう」
アドラーの後ろで話しを聞いていたムスタファが、小首をかしげながら声を上げた。
「あのー、例の網を投げるのに使うんじゃないんですか?」
「む? むむむっ? えーと、あれだ、その……誰だっけ?」
言ってからイゾルテは慌てて手を降った。
「いや、ここまで出てるんだ。ちょっとど忘れしておるだけで……!」
彼女が「ここ、ここ」と喉を示すと、アドラーが助け舟を出した。
「ムスタファです。試験航海で捕虜にして姫が買い取られた」
「む? あのムスタファなら覚えておるが、こんな若くなかったぞ」
「髭モジャを取ったらこうなったのです」
「うーむ、確かに今は亡きムスタファの面影がないこともないが……」
「いや、本人ですって!」
その本人のムスタファを放ったまま二人は漫才を始めてしまい、手の空いた水兵たちが遠巻きに見て笑っていた。
笑いを取って気を取り直したイゾルテが、ムスタファに質した。
「ところで網を投げるとはどういうことだ?」
「以前俺のガレー船の櫂を絡めとった網です。あの時は随分近かったですけど、これを使えば50mくらいは飛ぶんじゃないですか?」
「しかし網なんて軽すぎて飛ばんだろう。槍を100m投げれる男でも、シーツは5mも投げられん。網も然りだ」
「錘を付ければいいんです。漁師ならみんなやってるじゃないですか」
ムスタファの言葉にイゾルテは目を剥いた。
「お、錘とは……迂闊だった。まさに逆転の発想! 青天の霹靂!」
「逆転の発想?」
「私は浮きを付けることを考えていたのだ。ガレー船に追われている時に、浮きを付けた網を投げ捨てればどうなる?」
「はぁ、そりゃあ、追ってきたガレー船が……」
言いかけて、今度はムスタファが目を剥いた。ガレー船は網の上に乗り上げて左右の櫂が一緒に絡まってしまうのだ。
――そんなの避けようがねーじゃん! なんちゅう悪辣な戦法だ!
それは謂わば、戦車(二輪の馬車)レースで障害物をコース上に放り投げるようなものかもしれなかった。真剣にレースに臨んでいる者にとっては卑劣極まりない陰険で唾棄すべき最悪にして破廉恥な妨害行為である。ムスタファはイゾルテを非難すべく周囲に同意を求めようとしたが、アドラーも水兵たちも頻りに頷いてイゾルテのアイデアに感心していた。
――くぅ~っ、所詮帆船乗りには分からんことだ!
網はガレー船にだけ効いて、帆船には効かないのだ。ここがガレー船であったなら、ムスタファの味方も居たかもしれない。実際、先日の会議の後にその浮網(浮きの付いた網)を支給されたガレー船の船長たちは、とっても嫌そうな顔をしていたのである。
「よし、アドラー。網に錘を付けろ。今日の戦いで、網の面積、錘の重さと数、ついでに畳み方なんかをいろいろと変えて試してみるのだ」
「はぁ、でも戦いはすぐ始まるんでしょう?」
「聞いとらんのか? 戦いは6時間後の予定だぞ」
「でも、敵を見つけたって聞きましたよ」
「あぁ。今はその敵をウールラ岩礁というところにおびき寄せている途中だ」
ウールラ岩礁と聞いてムスタファがピクリと震えたが、誰も気付かなかった。
「あぁ、見つけたのは別の艦隊の連中なんですね。それを例のおくりも……」
アドラーが迂闊な事を言いかけた瞬間、電光の早さでイゾルテの拳が飛んだ。その速さにアドラーは避けることも身構えることも出来なかったが、身構えなくても「ぺちっ」という感じの軽さしかなかった。が、失言を悟るにはそれで十分で、彼は慌てて取り繕った。
「いやーロクじかんしかないのカァ。たいへんだナァ。いろいろつくらないといけないナァ。じゃあ、どうぐをとりに行コォー」
カクカクしながらアドラーが船倉に引っ込むと、水兵たちは釈然としない物を感じながらも、漫才の終わりを悟って三々五々に散って行った。イゾルテもそれを見届けると見回りに戻った。そして密かに考え込んだ。
網に錘を付けるという発想そのものは、ムスタファの言うとおり漁師なら誰でも知っていることなのだろう。だが投石機を見て「網を投げるのに使える」とまでは普通は考えないはずだった。おそらく彼なりにあの網の使い方について研究していたのだ。
――腐っても准提督ということか。ムスタファめ、意外と使えるヤツかもしれんな。
注1 ここで言うパチンコとは、どう見ても賭博なのに賭博じゃないと言い張ってる謎の18禁遊戯のことではありません。
スリングショットのことです。
ただし、パチンコと言われるのは主に玩具のやつであって、本当に狩猟で使えそうな奴はあんまりパチンコとは言わないようです。
まあ、「パチンコで獲って来た」と言って鴨とか雉とかを渡されても奥さんは困りモノですが。




