2 遠くと話す箱
寡兵で以って大軍に戦いを挑んでも、これを破る方法はない。
だが戦場の外でなら、これを破ることはむしろ容易である。
マリカ・ドゥシーコヴァ「兵站と戦略」
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遠征艦隊の旗艦に定められたゲルトルート号の艦上で、遠征艦隊の全船長を集めた会議が開かれた。ガレー船48隻、帆船31隻の大艦隊だ。船長だけで79人、さすがのゲルトルート号にもそれほど大勢で会議ができる部屋はなかったのだ。だが彼らが甲板上に整列したその様子は、会議というよりはむしろ朝礼という雰囲気だった。
まず遠征艦隊総指令官のムルクスが大方針を示した。
「まず、ドルクに向かいます。船を襲い、沿岸を焼き討ちし、港を襲ってメダストラ海に去ります」
その言葉に、てっきりローダスへ直行すると思っていた船長たちはざわついた。イゾルテは会議が荒れそうなのを察して機先を制した。
「さすが爺だ、性格が悪いな」
「姫様、そんなに本艦のトイレが懐かしいですか?」
それはもちろん罰当番の便所掃除をしたいのかという嫌味だった。
――さすが爺だ。本当に性格が悪いな……
「いやいや、褒めたのだぞ? その案に私も賛成だ。後背を突かれれば奴らも慌てるだろうし、我らとしては、ドルクにプレセンティナに向ける余力がないことを確認できる」
なるほど、と多くの者が頷いた。だが一人の船長が声を上げた。
「確認したいのですが、港は占領しないのですね?」
「ドルク相手に陸で戦うのは避けたいですね。泥沼になります。ローダスの為にそこまでやってやる義理はないですし」
「その後はどうされるのです?」
「その後は輸送船を狙います。ローダスなんて小島で十分な食料が手に入るとは思えません。ほとんど籠城軍が回収しているでしょう。
つまり、ドルク軍は毎日少なくとも10万人分の食料を輸送しているはずです。哨戒線を張ってこれを尽く沈めるなり奪うなりしてやれば、やつらは戦わずして躯となるでしょう。
つまり我々は、ローダスの小城を包囲していい気になっているドルク軍を、島に閉じ込めて兵糧攻めにしてやるのです」
その言葉の内容とムルクスの笑顔から漏れるフフフフフという笑い声に、一同はドン引きした。
ムルクスの古い部下なのだろうか、いち早く立ち直ることが出来た一人が疑問を呈した。
「その哨戒線ですが、偵察の船がいちいち報告に戻っていては逃げられてしまいませんか? それに最初に沿岸を襲えばドルクは船団を組むでしょうし、護衛の軍船も付けるでしょう。5隻や10隻では返り討ちに遭いかねません。狼煙でも上げて連絡するのですか?」
「その心配はもっともです。ですが、今回の作戦においてはその心配は無用です」
ムルクスの目配せを受けて、イゾルテは小さな釣り竿のような棒の付いた箱{無線機}を取り出した。
「あー、侍従どの、侍従どの、こちらイゾルテ。ドウゾ」
『はい殿下、私は侍従のルフスと申します。ドウゾ』
箱{無線機}から聞こえた人の声に一同がざわめいた。
「静かにしろ!
あ、すまん、ルフスどの、こっちのことだ。
ところで陛下はそこにおられるかな? ドウゾ」
『テオドーラ様の所に行っておられます。ドウゾ』
「あー、姉上は任せましたと伝えてくれ、ドウゾ」
『かしこまりました。ドウゾ』
「じゃあ、通信終わり。ドウゾ」
『お待ちください。陛下から伝言があります。ドウゾ』
「うむ、言ってくれ。ドウゾ」
『死ぬな。死んだら殺す。以上です。ドウゾ』
「あー、死なんから殺さんでくださいと伝えてくれ。ドウゾ」
声を殺していた船長達が吹き出した。
『了解しました。ドウゾ』
「では今度こそ通信終わりだな? ドウゾ」
『今度こそ通信終わりです』
そして、ブチっという音とともに声が途切れた。
帆船模型が届いてゲルトルート号の設計を始めた頃から、イゾルテの離宮には研究所……のようなものが出来つつあった。当初は情報漏えいの防止と作業の効率化のために空いていた一棟にアドラー達船大工を集めただけだったのだが、彼らには解決できない問題があった。模型には左右両舷に黒い鐘{大砲}がたくさん付いていたのだが、これが何なのか分からなかったのだ。
「ワシらには船本体の事しか分かりませんぞ」
「うーん、父上に言って誰か連れてくるか……」
そうやって学者や他の職人たちが出入りを始め、一棟を占拠するようになったのである。それはいつからか研究棟と呼ばれるようになり、メイドたちに忌み嫌われる魔窟と化していた。……掃除をしないから。
そして彼らは、そして用途不明のため物置の肥やしとなっていたガラクタ……ではなく、贈り物を発見して弄くりだしたのである。慌てたイゾルテは、それらを「古代遺跡から発掘された遺物」という胡散臭い説明をしていた。そのため彼らの間では、用途不明な遺物の使い方を解き明かすことを"再発掘"と呼んでいた。そしてこの遠くと話す箱{無線機}も彼らが"再発掘"したものの一つであった。
イゾルテ自身も送られてきた時にいろいろと弄ったのだが、当然のように1つ1つを弄っていた。まさか二台を同時に使う必要があったとは想像出来なかったのだ! つまり、大勢で弄り回していたからこその"再発掘"であった。彼女は今回の遠征にそれを持ち出して来たのだ。
イゾルテは船長たちに遠くと話す箱{無線機}を掲げて見せた。
「見ていて分かったと思うが、これは遠くと話をする道具だ。
陛下のもとに1つ置いてきたのでついでに御言葉を賜わろうと思っていたのだが、くだらん冗談を聞かせてしまったな。陛下の名代として私が謝っておこう。
この道具を分艦隊に1つずつ渡すので、これを使って連絡を取ることにする」
「殿下、これは一体……」
「皆まで言うな。私も仕組みは知らんのだ。
ただ言えるのは、我らのもとにはタイトンの神のご加護があるということだ」
イゾルテが思わせぶりに"神"という言葉を使ったことで、その場の空気が異様な熱気を帯びた。神話に伝わる雷霆とか三叉槍とか……に比べると地味だけど、それでも"神器"である!(と彼らは思った) タイトンの神々は、目に見えないし、いい加減だし、人格的にとても尊敬できない神様も多いけど、こうして具体的な形として神の奇跡を見せられると「やっぱすげぇ」と思っちゃうのだ。こういう単純で素朴な宗教観が、タイトン人のタイトン人たる所以なのかもしれなかった。
興奮した一人が手を挙げた。
「これがあれば作戦の幅が広まります。正面から戦っても勝てるのでないですか?」
だがムルクスは冷静だった。
「確かにそうでしょう。ですが今回はどうしても戦わねばならない訳ではありません。それならなるべく危険が少なく、楽な戦いにしたいところです。ローダスを守るために死ぬのは嫌でしょう? ついでに輸送船を拿捕できれば遠征費用の元が取れますし」
イゾルテも調子に乗って混ぜっ返した。
「くくくっ、まるで海賊だな、爺」
だがムルクスには効かなかった。
「姫、トイレの場所をお忘れなら案内を付けますよ」
――やはり爺だ。どこまでも底意地が悪い……
二日後の朝、遠征艦隊は押し寄せた大勢の市民が見守る中を出航した。79隻の錚々たる大艦隊が進む中、巨大なゲルトルート号は一際彼らの目を引いていた。そしてその視線が白い国旗と皇家の紋章がたなびくメインマストに移されると、彼らはそこに白い人影を見つけた。
それが誰なのか説明もなく、しかも顔は面覆い{顔面サンバイザー}で隠されていたのだが、何より風にたなびくその金色の髪が彼女が誰なのかを物語っていた。東の空を登りつつある太陽が彼女に重なった時、その髪は一際強く黄金の輝きを放った。それを見た人々は思わず息を飲んだ。そして誰かが呟いた。「太陽の姫」と。
遠征艦隊はペルセパネ海峡を下り、まだ見ぬ戦いの海へと漕ぎ出して行った。




