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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第6章 内乱(上)
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講和1

ご無沙汰いたしておりました。予告よりまるっと一月遅れて帰ってまいりました。またまた(だいたい)日刊で投稿していくつもりです。

ついでに今日は2連投しておきます。

今後ともご贔屓(ひいき)の程を、宜しくお願い申し上げます。

 6月半ば、義父であるブラヌ可汗がクレミア半島へと引き返し、妻のニルファルがそれを追いかけて行ってから半月あまりの頃、動くに動けなくなったエフメトはエライノーでジリジリと続報を待っていた。

「殿下、ハサールの伝令です。ハサール軍がクレミア半島に繋がるペレコーポ地峡に於いて大敗を喫した模様です」

市庁舎に置いた本営に飛び込んできたハシムの言葉に、エフメトは思わず悪態を吐いた。

「クソっ、遅かったのか……! それで舅殿は無事か!?」

「はい、軽症のみとのことです」

「良かった……。最悪の事態は回避されたな」


 もしブラヌが死んでいたら、ハサール全軍の混乱は測り知れなかったのだ。ドルク軍としてはクレミアの奪回などどうでも良かったが、ブラヌの死による混乱で補給が(とどこお)ることが彼らの死活を分けかねなかったのだ。


 だがほっとするエフメトの目の前で、ハシムは顔を強ばらせたまま立ち尽くしていた。

「どうした?」

「……問題が2つあります」

「もったいぶるな。何だ?」

「ハサール軍が兵を退くとのことです」

「なに! まさか、単独で講和するというのか!?」

「いえ、復讐戦のためです」

エフメトは頭を抱えた。

「……こちらも最悪の事態ではないが、その次くらいに悪いぞ。魔女が守りを固める中に飛び込むなんて、とても正気の沙汰とは思えない」

「ペルセポリスを目指す殿下がそれを言いますか?」

「ハサール軍が、と言うのが問題なんだ。ハサール騎兵は強いが、応用は利かない。日常的に訓練を積んでいるからこそ、違う戦いが出来ないだろう。ただでさえ攻城戦が苦手なのに、相手は魔女だぞ? 荷がかちすぎる」

「なるほど」

「それでもう一つの問題は?」

「それが、その、今のはハサールからの伝令の情報なのですが……」

ハシムの歯切れは更に悪かったが、その内容は実にあたりまえのことだった。ドルクの伝令の足などハサールの伝令には比べるべくもないのだ。

「そりゃあそうだろう。それの何が問題なんだ?」

「宛先が殿下だけではないのです。ニルファル様の名が併記されていました」

「はぁ……?」


 それのどこが問題なのかと、しばらく間エフメトは不思議そうな顔をしているだけだった。だが事態の深刻さに気付くと、彼は蒼白になってガクガクと震えだした。

 ドサリ

その場に崩れ落ちて尻もちをついた彼の頼りなげな姿は、幼い頃からずっと一緒にいたハシムも初めて見るものだった。


 それは可汗がニルファルの所在を知らないと言うことを意味していたのだ。戦闘に負けたということはニルファルは間に合わなかったということだろう。だが、包囲を破って脱出したはずの可汗がなぜニルファルと合流していないのだろうか? それは当然、彼女が包囲の中に入ったまま置き去りにされてしまったからに他ならないではないか!


「ファル……! あれほど言ったのに……!」

がっくりとうなだれたエフメトは、ゴツンゴツンと床を殴った。何度も何度も床を殴り拳が血に染まっても、ハシムは彼を止めることが出来なかった。エフメトは二ルファルを責めているのではなく、この結果を半ば予測しつつも彼女を送り出した自分自身を責めているのだから。だがその一方でハシムは、ただでさえ突拍子もない行動を取ることの多いエフメトが、自棄(やけ)になってとんでもないことを言い出さないかと恐れていた。

「ハシム、ハサールに戻るぞ。ハサール国内が治まらなければこのまま進軍する事もままならん。10万でいい」

「……その倍は連れていけますよ?」

「兵を動かせばそれだけ腹が減る。それに、戦場が地峡では一度に展開できる兵数が限られる。10万でも多いくらいだ」

激情に駆られたようでありながらもエフメトが冷静さを失っていないことに安堵を覚えつつ、ハシムは頷いた。

「分かりました。早急に手配します」



 その頃当のニルファルは、エフメトのことなんかすっかり忘れて馬を奔らせていた。クレミア半島に残されていたハサール人達と共に地峡を抜けた彼女は、父であるブラヌ可汗の危篤の知らせた聞き、彼の許へと急いでいたのである。だが彼女が父の命を案じる理由の半分は、夫のエフメトのためでもあった。跡目の決まっていない現状で可汗が死ねば、ハサールの結束は大いに緩むことになるのだ。その時後ろ盾を失ったエフメトは、食料の乏しい中で孤立することになるのだ。

 彼女は一晩駆け通し、翌日の明け方には可汗の宿営地に到着した。一番大きな(パオ)(組み立て式の家)の前に直接馬を乗り付けると、彼女は急ぎ足で中に入ろうとした。だがまだ薄暗い中だ、歩哨が彼女の行く手を阻んだ。

「待てっ! 何者だ……ってニルファル様? 失礼しました!」

「父上はご存命か!?」

食って掛かったニルファルの勢いに、叱られたかと思って一瞬首を竦めたその歩哨は、戸惑ったように首を軽く傾げた。

「え? ええ、ご存命だと思いますけど……?」

「良かった! 間に合った!」

ニルファルはそう言うと衛兵が止める間もなく中に入ってしまった。

 だがズンズンと進んで可汗の寝室に入ると、想定外の光景に彼女は息を呑んだ。寝台の上にブラヌが横たわるだけで、誰一人として枕頭に侍る者は居なかったのである。きっと大勢の医者と親族と族長たちがいると思っていたのに。


「えっ……ま、まさか……私はまた遅れてしまったのか……」

彼女はよろよろと歩み寄ると父の亡骸に縋り付いた。

「ち、父上ぇ~」

「うわぁぁぁぁあ!」

「きゃぁぁぁあぁ!」

寝ている所を突然抱きつかれて驚いたブラヌと、死んでいたはずのブラヌが突然起き上がったことに驚いたニルファルが悲鳴を上げた。


「に、ニルファル? 何でここにおるのだ?」

「な、何でと言われても……父上こそ、何で生きてるんですか!?」

「何でと言われても……」

自分が随分と酷いことを言っていると気付いたニルファルは慌てて取り繕った。

「あ、いや、生きていて下さって嬉しいんですけど……」

……が、はたと自分が騙されていたことに彼女は気付いた。

「……危篤と聞かされましたよ? 全然元気じゃないですか! 一体どういうことなんですか!?」

彼女は烈火のごとく怒ったが、父の方は耳をほじりながら軽く受け流した。

「危篤? ああ、あれか。ワシはただ、『このまま負けたままでは死にきれん! 死ぬ前にせめて一矢報いたい!』と言っただけだぞ。10日くらい前に」

悠然と(うそぶ)いたブラヌの言葉に、ニルファルはますます激昂した。

「それは悪趣味な冗談で言ったんですか? それともそう愚痴ったのがうっかり正式な伝令網に乗っちゃったんですか? それとも兄上達を強制的に集結させるためにわざと言ったんですか!?」


 本来ニルファルはそういうことに気づく女ではなかったが、実際に慌てて飛んで来てしまったことでブラヌの思惑に気づかざるを得なかった。それに、最初は慌てていたくせに、まるで予期していたかのように悠然としたブラヌの答えが――というか予期していたからこその悠然とした答えが、彼がわざと危篤という偽報を流したのだと物語っていた。


「ほう、惜しいな。皆が自発的に飛んでくるように、わざとうっかり言ったのだ」

口が減らないおっさんだった。


 後継者争いにおいて今回の遠征における戦果が重要であることは明白であった。だが敵らしい敵が居ない以上、目に見える戦果は占領地だけなのだ。それを放り出して駆けつけて来いと命じたところで二の足を踏むことは目に見えていた。だが可汗が危篤ということであれば、「やべぇ、俺がいない間に可汗が死んだら、その場で後継者を決められちゃうかも!?」ということで慌てて飛んでこなくてはいけないのである。だが、後継者争いに関係のないニルファルは、そんな事は知ったことではなかった。

「…………」

黙り込んだニルファルの額がヒクヒクと動いている事に気づいて、ブラヌは慌てて言い訳をした。

「いや、お前と婿殿にはちゃんと正直に軽傷だと知らせたはずだぞ? お前はいったい誰に……というか、おまえはいつ聞いたんだ? 婿殿にはようやく伝令が届く頃のはずだが……?」

ブラヌはようやく最初に戻って、何故今ここにニルファルが居るのかと首をひねった。

「誰って……伝令ですけど」

「誰からの?」

「さあ? 地峡を抜けたところで待ってましたけど、父上からではないのですか?」

「ふーむ、きっと誰かが気を利かせたのだろうな」

大きなお世話だった。だがすぐ近くにニルファルが居ると知れば、父親の危篤を教えてやるのが人情であろう。誰にも罪は無いのだ、ブラヌ以外には。


「……って、待て。今、地峡と言ったか? 地峡を抜けただと?」

ブラヌが訝しむように眉をひそめると、ニルファルも小首を傾げた。

「えっ、聞いていないのですか? クレミアに残ってたハサール人をほぼ全員連れて来ましたよ?」

ブラヌは目を(しばた)かせた。

「……何を言っているんだ? 地峡は敵に抑えられたままだぞ? それどころか日々何やらを作り続けておる」

「ええ、まだまだ工事中って感じでしたけど、既にとんでも無いことになってましたね」

まるで見てきたかのような物言いにブラヌは呆気にとられ、マジマジと愛娘を見つめた後、ベッドから大げさに飛び上がった。

「ほ、本当にクレミアから地峡を抜けてきたというのか? その上敵に囚われた女子供を全て助けたと!? 

 ……お前は勇者だ! クリルタイ(族長会議)を招集して、可汗の地位はお前に継がよう!」(注1)

寝間着のまま大はしゃぎする父を前にして、ニルファルはとんでも無い勘違いに今度は頬をヒクヒクと引き攣らせた。

「待って下さい! 私はただ、捕虜になっていただけです!」

ピタリと動きを止めたブラヌは、じっとニルファルを見つめると、今度はくしゃりと顔を顰めた。

「そうか、そうだったのか。辛かったろうな。気付いてやれずに悪かった……」

今度は突然悲しげに慰めてくるので、躁鬱病か戦のトラウマか外傷後ストレス障害か、あるいは単に老人ボケかとニルファルは訝しんだ。

「そろそろ皆が到着し始める頃だ。お前は早く婿殿の元に帰れ。顔を合わせ辛いだろうが、婿殿ならきっとお前を許してくれることだろう。……どスケベだから」

ニルファルには一向に話が見えなかった。

「はぁ? 一体何の話をしてるんですか?」

「だから! ……スラム人やタイトン人の捕虜になってたんだろう?」

「ええ、正確にはプレセンティナ軍の捕虜になってました」

「そうか、プレセンティナか……。プレセンティナ帝国許すまじ! 最愛の娘の体を弄びおって!」

ようやく父が言っている意味が分かって、娘は大声で反論した。

「ええーっ!? なんてこと言うんですか! そんなコトされてませんよ!」

「本当か? 本っ当に、裸にされたり、触られたり、舐められたりしていないのか?」

「…………」

ニルファルは黙って目を逸らした。

「くそーっ! プレセンティナ滅ぶべし!」

「だから違いますって!」

注1 クリルタイは遊牧民族の族長会議です。モンゴルのものだと思いがちですが、そうと限ったことではありません。チンギス・ハーンが超有名なだけですし、彼の出身部族のモンゴル族が勢力をドカンと拡大しただけで、クリルタイ自体はいろんな遊牧民族の国際会議です。だからどう拡大解釈してもモンゴル族ではない女真族(満州族)のヌルハチもクリルタイで大汗になっています。……たぶん。『韃靼疾風録』ではそうなっていたような……。まあ、女真族は当時既に定住化しちゃってたそうなんですけどね。

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