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第一話 背徳の決意

 少年は、天幕の影で怯えながら身を潜めていた。

 松明たいまつの炎に照らされて、白い幕に映る影は、まさに地獄絵図だった。

 そっと天幕を捲って室内を覗くと、先ほどまで、身の回りの世話をしてくれていた侍女や、いつも武術の手ほどきをしてくれた家臣達が、次々と大きな刀で斬り倒されていくのが見えた。

 時折血しぶきが吹き付けられ、少年はそのたびに布の影に隠れてかたく目を閉じた。

 そして、人のものとは思えない叫び声や、肉を切り裂く鈍い音の恐ろしさに、彼は耐えきれず、両手で耳を塞いでしゃがみ込み、声を殺して震えていた。

 突然、天幕が捲り上げられ、少年の後ろ姿が松明の灯りに照らし出された。

 少年は耳を塞いだまま、涙で濡れた瞳を、肩越しに灯りの方へ向けた。

 そこには、見上げるような大男が、血の滴った刀を片手に、少年に手を伸ばし立っていた。





 男鹿おがはいつもの夢の途中で目が覚めた。

 悪夢にうなされ、衣が汗でべっとりと体に貼り付き、激しく息があがっていた。

 彼はしとねの上で身を起こすと、額を濡らしている汗を手の甲で拭い、その手で両目を覆った。

 しばらくして、暗闇に目がなれてくると、見慣れない部屋の様子が見えてきた。

 粗末な板張りの狭い室内には、家財らしき物は殆ど無く、天井近くにある小さな窓から差し込む月明かりが、彼の横顔をぼんやりと照らしていた。

 月読つくよみ難升米なしめを討ち倒し、旅立ったあと、宮廷の護衛を命じられた男鹿は、大王おおきみの住む宮廷内の一角にある、この寝所を与えられたのだ。 


「男鹿、起きておるか」


 ふいに寝所の外で、なまりのある男の声が、自分の名を呼んだ。


「……はい」


「すまぬが、おぬしと少し話がしたい」


 音も無く戸口の戸が引かれ、月光を背に、初老の男が姿を見せた。


張政ちょうせい様?」


 それは八年前、難升米が帰国する際、使いとして共にやってきた張政という名のの役人だった。





「こんな夜更けに、私なんぞに、なんのご用でしょうか」


 導かれるままに、宮廷内の庭を歩きながら、男鹿は異国の男に尋ねた。

 魏の衣装を身に着け、魏の言葉を口にするこの男は、宮廷の中でも異質な存在だった。

 何の使命を受けて邪馬台に留まり続けているのかはわからなかったが、以前から牛利ぎゅうりと魏の言葉で話しているところはたまに見かけた。

 だが、男鹿が直接言葉を交わしたのは、この時が初めてだった。

 張政は問いには答えず、澄ました顔で話題を変えた。


「うなされていたようだの」


「……」


「幼い日に、父や母が殺された日の夢でも見ていたか」


「……なぜそれを?」


「おぬしのことは、牛利ぎゅうりからよく聞いておる」


 顎に白髪まじりの髭をたくわえた老人は、大きく開いた袖口に手先を納めてゆっくりと歩いていた。


「姉が難升米なしめの目にとまったらしいのう」


「……」


 邪馬台国の中でも、中心地から少し離れた集落の豪族の家に男鹿は生まれた。

 豪族とはいえ、地方の小さな集落であったため、家族の暮らしは慎ましく、それでも穏やかで幸せな日々を送っていた。


 だが、彼が八つの時に、美しいと評判だった年の離れた姉が、難升米に見初められ、屋敷に来るよう命じられたことでそんな日々は一変した。

 将来を誓った者があった姉はそれを拒み、父が丁重に断りを入れたが、ある夜、難升米の兵達が、強引に姉を奪いにきたのだった。


 姉を守ろうとした父や母は殺され、血に狂った兵達によって、使用人達もその多くが斬殺された。

 姉も兵士らの手にかかる前に自害し、物陰に身を隠していた男鹿だけが、暴走した兵を止めに来た牛利に拾われ生き残ったのだ。


 その後、難升米への復讐を果たしたい一心で、父親代わりとなった牛利に武術を学び、腕を磨いてきたのだった。

 そしてその思いは先日、牛利とともに月読を援護することで、ようやく果たすことができた。


「親のかたきも討てたというのに、おぬしはなぜ、牛利とともに行かなんだ」


「……」


 張政の問いに、男鹿は再び言葉を失った。

 もと豪族出身とはいえ、身を守るため出生を隠し、牛利のもとで難升米に仕えてきた下衆の身。

 いずれ大王となる壹与いよのそばにいたかったからとは、とても言えなかった。


 男鹿は、ここへ連れてこられた頃、よく宮廷の庭で寂しそうに一人で立っている壹与の姿を見かけた。

 幼い少女は、美しい少年が現れるたびに満面の笑顔を見せたが、慌ただしくすぐに去って行く少年の背中を見送る時は、その大きな瞳に、いつもこぼれ落ちそうなほど涙を溜めていた。

 最初は遠くから偶然見かけるだけであったが、そんな姿を日に日に目で追うようになり、年を重ねるごとに、いつしか彼の中で、彼女が愛しい人となっていったのだった。


「野暮な聞き方をしたな。おぬし、壹与様をしたっているそうじゃな」


 そんなことまで…と、男鹿は恩師である牛利を、一瞬非難したい気分になった。


「あのお方は今大変苦しんでおられる。おぬし、あの方を救って差し上げられぬか」


「私に何ができるというのですか」


 思わず男鹿は、少し投げやりな口調になっていた。

 月読が難升米と戦っている間、まだ若い男鹿は、壹与と女達を屋敷から安全に連れ出す任務を牛利から与えられた。

 避難先で月読の身を案じて泣く壹与に胸を貸したが、身分のいやしい自分が、あんなそばに居られることは、もう二度とないであろう。

 そんな立場で、大王となる壹与を、どうやって救えるというのか。


「まあ、ついて来なさい」


 張政はそう言って、神殿に向かって歩きはじめた。





 神殿の中の回廊を進み、祈祷の間に近付くと、深夜だというのに、松明の灯りがその入り口からこうこうと漏れているのが見えた。

 そしてそこに近付くにつれ、呪文を唱える低い女の声が聞こえて来た。

 神殿の中は勿論、祈祷の間など、男鹿のような身分の者は、一生近付くことさえありえない神聖な場所である。

 男鹿は緊張した面持ちで、張政のあとを付いて行った。


「あー!」


 突然呪文を唱える声が叫び声に代わり、男鹿は心の底から驚いた。


「壹与様、いかがされました。」


 祈祷の間に入りながら、張政が中に向かって声をかけた。

 彼の後を追って、男鹿も恐る恐る足を踏み入れた。

 そこには、巫女の衣装をつけて、床に突っ伏した壹与の姿があった。

 長い髪が川のように床の上にうねり、彼女の握りしめた両手のこぶしは力が込められ、小刻みに震えていた。


「やはり……神の声が……聞こえない……」


 壹与は張政に背中を抱えられながら、ゆっくりと上半身を持ち上げた。

 うなだれた顔は、黒髪に覆われ、表情は見て取れなかったが、首を左右にしきりに振り、肩を震わす様子に、悲愴感が漂っていた。


「今宵はもうおやすみなさい」


 張政が優しくそう言いながら軽く手を振ると、傍らにいた侍女達がすすみ出てきた。

 彼女らに声をかけられると、壹与はよろめく足で立ち上がった。


 先日、旅立つ月読を見送ったときの、毅然とした姿とはあまりに違う壹与の様子に、男鹿は言葉を失い、戸口付近に呆然と立ち尽くしていた。

 そんな彼の前を、侍女に両腕を抱えられながら、壹与は時折嗚咽おえつを漏らし、何度も崩れ落ちそうになりながら通り過ぎて行った。


「あの方には、もう神の声が聞こえぬのだ」


 壹与の後ろ姿を見送ると、張政は小さな声でつぶやいた。


「月読様へのご自分のお気持ちに、気付いてしまわれたからのう」


 思わず男鹿は、手で口を覆った。

 彼も巫女が俗世を捨て、神に仕えるということは、漠然と理解していた。

 しかし、それはあくまで表面上のことで、心まで捨てなくては務まらないものだとは思っていなかったのである。

 そしてこの時初めて、あの夜、月読の身を案じながら、自分には何の力も無いと、泣きじゃくっていた壹与の言葉の意味が理解できたのだった。

 巫女とは、ひたすら神を信じ、民の幸せだけを祈り続けなくては、神の声を聞くことができないのだ。

 ただ一人に心を奪われては、もう巫女として生きて行くことはできなくなるのだと。


「……私にあの方を救うことができるのですか……?」


 男鹿は、張政の言葉を思い出し、すがるような目で尋ねた。

 壹与のためにできることがあるのならば、どのような事であっても力になりたいと思ったのだ。

 張政は、その細い目で、信念を確認するように、男鹿の目を見つめ、彼はまっすぐな視線でそれに応えた。


「おぬしに、あの方の審神者さにわを務めて欲しい」


「審神者を……?」


 巫女が授かった神託を、民に伝える。

 月読が長年担ってきた重い職務を、張政は口にした。


「しかし、私は審神者の修行など何も……」


「修行などいらぬ。見たであろう。壹与様にはもう、神の声は聞こえぬ」


「それなら尚更、審神者の役目などないのでは?」


 男鹿には、この異国の老人の考えが理解できなかった。


「おぬしの言葉を神託であるとして、民達を導いて欲しいのじゃ」


「神の言葉をいつわれと……?」


 男鹿は言葉を震わせた。

 神の名を借りて民に指示するなど、神へ対する背徳行為以外の何ものでもない。

 そんな事をすれば、神の怒りをかって、いつか地獄に堕ちるだろう。


「おぬしも薄々気付いているはずじゃ。巫女の占いに頼るまつりごとの危うさを」


「……」


 確かに、巫女ひとりに重責を嫁す今の政には疑問を感じていた。

 この国では、人々は占いに頼るばかりで、自分たちで物事を考えようとしないのだ。

 だから歴代の巫女は一人苦しみ、時にはその責任を取って命をも差し出してきたのだ。男鹿は、それを覚悟の上で、巫女であり続けることを選んだ壹与を、見守りたくてこの地に残ったのだ。


「月読様も同じ思いを持って、南へ向かわれた。巫女に頼らない魏の政をならった朝廷を開くために。おぬしにもここで、そのいしずえを築いて欲しいのじゃ」


「……」


「私もこの国の巫女が持つ力には、不思議なものを感じている。それをうやまう民たちの結束力にも。しかし、倭国統一を目指し、外の国と対等に付き合うためには、今のままでは限界がある」


「しかし、神託もなしにどうやって導けと……」


 男鹿には、神の言葉もなしに、人が人を導く術など、考えられなかった。

 それほど、この国では、巫女の存在が絶対的であったのだ。


「魏では、星の動きや雲の動きを見て、天気の移り変わりを知る学問がある。また、川縁かわべりに土を盛って氾濫を抑えたり、雨水を貯める池を造ることで、雨の少ない時期にも田畑に水を満たすのじゃ。そうやって、危機を前もって回避するための知識を、おぬしに伝えようと思う」


 神しか知り得ないことを、人が操る術があるなんて、男鹿には夢のような話であった。

 これまでは、大雨が降れば巫女が神の怒りを鎮め、反対に干ばつに見舞われれば、雨乞いをしてきたのだ。


「しかし、ここの民達に、いきなり人からの導きは受け入れられぬじゃろう。だから、おぬしに審神者の語る神の言葉として、それらの知識を民に伝えていって欲しいのじゃ。壹与様を救うためにも」


 張政の話を聞いているうちに、未知の学問へ対する好奇心と、何より壹与を救いたいという思いから、男鹿の神へ対する恐怖心は、徐々に薄れつつあった。


「なぜそのような大役を私に……?」


 ふと疑問を感じ、男鹿は張政に尋ねた。

 政のかなめを司る審神者になる者は、これまで王家に縁のある者か、もしくは大夫たいふか、いずれにせよ位の高い者が務めてきたはずだ。

 自分のような出生の者が、与えられるようなものではないのだ。


「おぬしのことは、牛利がよく褒めておった。何事にも熱心に取り組み、聡明であると。女を使って難升米を油断させるというあの策も、おぬしの考えと聞いた。審神者として、民の心を惹き付ける見目の美しさもある。そして何より……」


 張政は、言いかけて、男鹿の肩に手を置き、ふっと微笑んだ。


「おぬしは決して壹与様を裏切らぬ。それだけで十分じゃ」






 翌朝、再び男鹿は祈祷の間に呼ばれた。

 祭壇を背に座した壹与は、昨夜の取り乱した様子が幻であったかのように、巫女らしく凛とした姿でそこにいた。

 向かい合って座った男鹿は、下げていた頭をゆっくりと持ち上げ、若い巫女を見据えた。


「あなたは……」


「男鹿と申します」


 難升米なしめの屋敷から助け出してくれた、涼し気な目をした少年の顔を、壹与は記憶にとどめていた。

 月読の身を案じ、不安と無力感で心が押し潰されそうだったあの時、優しく抱きとめてくれた腕の感触がにわかに甦り、胸が熱くなったが、彼女は努めて平静を装った。


張政ちょうせいから聞きました。本気で今回の職務を受けるつもりですか?」


「はい。唯一、この国を護る術ならば」


 一晩彼なりに考えた答えに迷いはなかった。


「神に逆らうような行為なのよ?」


 壹与は、思わず感情的になって声を荒げた。

 男鹿は無言で少女の目をまっすぐ見つめていたが、しばらくして穏やかな微笑みを見せた。


「地獄に堕ちるなら堕ちましょう。私はそれでも構いません」


 ゆるぎない決意を感じさせる男鹿の言葉に、壹与は言葉を失い、次の瞬間両手で顔を覆い、声をあげて泣きだした。

 巫女としてこの国を護るためにこの地に残ったはずが、神の声を聞く事ができず、少女の肩には邪馬台国の未来への不安と焦りが、重くのしかかっていたのだ。

 そのあまりに大きな責任に、わずか十三歳の少女の心は壊れかけていた。

 それが、男鹿の決意によって救われたのだった。

 占いに頼らない政など、想像できるはずもなく、また、何もかもがうまくいくとも思えなかった。

 だが、たとえどんな未来が待っていようとも、運命を共にしてくれる同士を得られたことで、少女は心を取り戻せる気がしていた。

 すると、張詰めていたものが一気に緩み、涙と嗚咽が止まらなくなったのだ。


 巫女としての仮面を脱ぎ捨て、少女の顔を晒して泣く壹与を、男鹿は静かに見守っていた。

 幼い日より、いつも遠くから見てきた泣き顔だった。

 でも今は、手を伸ばせば届きそうなところにそれがある。

 この時、神に背徳する恐怖よりも、愛しい少女と言葉を交わせるほどの距離に近づけた幸福感が、少年の胸の内を満たしていた。

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