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第四話 剣の舞

 旅の汚れと疲れを洗い流した壹与いよは、女王にふさわしい衣装に身を包み、伊予国王の謁見えっけんの間へ導かれた。

 室内奥には、月読つくよみをはじめ、伊予国王と覇夜斗はやとが座し、手前には牛利ぎゅうり爾岐にぎ、そして男鹿おがが頭を下げて彼女を迎えた。

 一番奥の上座に通された壹与は、静かに腰を降ろし、ひざまづく男達を見渡した。


「顔を上げてください」


 壹与がそう言うと、男達はゆっくりと頭を持ち上げ、若い女王を見つめた。

 先ほどの汚れた少年の姿からは想像できなかった、女王の美しい姿に、一同は感嘆混じりのため息をついた。


「こたびの戦に際して、皆の力添えに感謝します」


 同盟国の王である伊予国王と、出雲国王の覇夜斗は再び深く頭を下げた。


「これから、どのように兵を進める予定ですか」


 尋ねる壹与に、最前列に座る月読が答えた。


「先に、出雲国いずものくにの配下の連合軍が、北航路で筑紫島つくしのしまを目指します。彼らが日向国ひゅうがのくにの西側に到着する頃を見計らって、こちらは東から挟み込む予定です」


「我々の兵は、筑紫島内の諸国を平定しながら南下し、外堀から埋めていくつもりです」


 月読の隣から、覇夜斗が付け加えた。


「…ひとつよろしいでしょうか」


 下座から、男鹿が片手を上げて声をあげ、一同は末席の少年に注目した。


「出雲国王様にお願いがございます」


「なんだ。申してみよ」


 覇夜斗に言われ、男鹿はうなずくと、物怖ものおじする事もなく発言を続けた。


「兵の一部を、対馬つしまに送って頂けませぬか。呉からの援軍を妨げるために」


「ほう」


 覇夜斗と牛利が同時に声をあげた。

 話が見えない月読と壹与が、怪訝けげんな顔をしていると、覇夜斗は彼らの方を見て説明した。


「対馬は、半島と筑紫島とのほぼ中間に位置する島だ。大陸から倭国わこくを目指す船は、必ず立ち寄るか、少なくとも島を目視できる範囲を通る」


 位置情報を得る手段の少ない当時の航海は、基本的に沿岸をなぞるように行われていた。

 大海原の真ん中で自分の居場所を見失う事は、すなわち死を意味する。

 そのため、大陸から訪れる渡来人は、半島を経由して、その末端から見える対馬を目印に航行してくるのだ。

 そして対馬から筑紫島を視界に捕え、倭国を目指す。

 そう言う意味で、対馬は大陸と倭国をつなぐ要所であった。


「こちらの動きに気付いているはずなのに、狗奴国くなこくが静かすぎる。場合によっては、本国である呉からの援軍を待っている恐れがある。それを対馬でつぶせと言うのだよ。こやつは」


 覇夜斗はそう言ってにやりと笑い、男鹿をあごで差した。

 対馬を経由して大陸に渡った経験のある牛利にも、男鹿の提案の意図が読めたようだった。

 爾岐にぎも腕を組み、感心したような表情で少年を見つめていた。


「しかし、呉の兵を抑えるには、かなりの兵力がいるのではないか?」


 不安気に尋ねる月読に、覇夜斗は彼の方へ向き直って続けた。


「島から見れば、海上の船など、格好のまとだ。入江に追い込み、岩場から矢を放てば、相手からこちらの動きは読めぬ。こちらに優位にことを運べば、少ない兵でも難しいことではない。もっとも、相手の数にもよるがな。まあ呉も、内戦が激しい上に、冬の荒れた北の海に、大軍は出せぬだろう。大事な戦力は減らしたくないだろうからな」


「少なくとも、敵の数を減らすことはできるはず。私もその案に賛成です」


 牛利も身を乗り出して、月読に提言した。

 彼らの顔を順に見て、月読は頷き、壹与の顔を見た。


「ではさっそく、対馬に使者を送り、兵の受け入れを要請しましょう」


 壹与も月読の目を見て、しっかりと頷いた。






「噂通り、あの若さで見識があるんだな。男鹿おがは」


 謁見の間を後にし、回廊を歩きながら、月読つくよみ壹与いよに語りかけた。

 青年の後を歩きながら、壹与は小さく微笑んだ。

 覇夜斗はやと達に気に入られた男鹿は、女王との謁見が終わっても、室内で彼らに留め置かれ、未だ戦術談義に付き合わされていた。

 冬の夕暮れは、空気が澄み、乾いた風が彼女の長い髪を大きくなびかせていた。


「お前達のこと、なんとかしてやりたいが、私には……」


 月読は申し訳なさそうな表情で壹与の顔を見た。

 彼は、深く愛し合うふたりの力になりたいと思っていたが、彼にも埋められぬほど、女王と大夫たいふの身分の差は大きかった。

 民や同盟国の王族への信頼を維持し、倭国を安泰に保つために、それは決して超えてはならない壁だった。

 戦が終わり、大王おおきみの職を解かれたとしても、邪馬台国の女王にまでなった彼女の結婚相手は、王家にゆかりのある者か、もしくは大国の王でもない限り、とても釣り合わないのだ。


「いいのよ。私たちは。今があるから。先の事はどうでもいい」


 壹与はそう言って、月読に小さく笑って見せた。

 その顔を見て、月読は言葉を失った。

 将来を諦めたような少女の物言いが悲しかった。

 せつな気に自分を見つめる彼を見て、壹与は無理に明るい笑顔をつくり、話題をかえた。


「あなたの皇女ひめみこに会ってきたわ」


 一瞬、月読の表情に明るさが戻った。


「可愛かったわ。とても。目元があなたに似ているみたい」


 壹与の言葉に、月読はまだ見ぬ我が子に想いを馳せ、表情をゆるませた。

 そして、ふと何かを思い出し、はにかむように目を泳がせた。


「……言葉ことのはは……」


 月読は探るように、もう一年近く会っていない妻の名を口にした。


「元気よ。母になって、少し強くなったみたい」


 旅立ちの日、抱きしめてくれた姉の、包み込むような優しさを思い出し、壹与は穏やかな笑顔を彼に向けた。


「そうか……」


 安心したようにつぶやき、月読は微笑んだ。

 そして一瞬黙って思いを巡らせ、やがて、静かに語り始めた。


「あの人に出会った頃、私は人の心を信じることができず、国固くにがためのため、義務であの人を愛したんだ」


 月読は、回廊の柵に肘をつき、環濠かんごうの向こうに広がる伊予国の町並を見下ろした。


「この旅の間に、私は初めて恋をした。結局片思いで終わったがね。でも、おかげで義理や義務を伴わない愛情が、どんなものかを知ったんだ」


 壹与も彼の隣に並び、青年の横顔を見つめた。

 昔恋い焦がれた人は、以前より深みが増し、一層魅力的に見えた。


「そこで初めて、あの人の愛情が他意のない純粋なものであったことに気が付いたんだ。あの人がくれた、この石のように」


 月読は、腰紐に下げた言葉媛から渡された勾玉まがたまを手にとり、夕空にかざした。水晶の勾玉は、夕日の色を取り込み、赤く輝いた。


「……きれい」


 勾玉を見つめる壹与の瞳も、茜色に染まった。

 月読は、その横顔に一瞬見とれた。

 二年あまり会わないうちに、幼かった少女の表情は、すっかり大人のそれになっていた。

 しばらくして、我を取り戻した彼は、静かに壹与に語りかけた。


「これからも私は、各地で妻を得るだろう。それが使命でもあるからね。でも、この戦いが済んだら、言葉ことのはを正室に迎えようと思う」


 決意を込めた彼の言葉を聞いて、壹与は心から祝福したい気持ちになった。

 同時に、国のため、愛をたくさん持ち合わせなくてはならない彼の境遇に同情した。


「ひとつの愛のためだけに生きられない運命も、つらそうね」


「……」


「私は、たったひとつのためにも生きられないけど……」


 うつむいてつぶやく壹与の瞳から、涙がこぼれ落ちた。

 声を殺して泣く少女を、月読は胸に引き寄せ、強く抱きしめた。


「すまない。私は無力だ……」


 懐かしい青年の匂いに包まれて、壹与は泣きながら、ひたいをその胸に擦り付けて首を振り続けていた。





 その夜、寝所で魏の書物に目を通す男鹿おがのもとを、野猪のいが訪れた。

 覇夜斗はやと達に、狗奴国くなこくへの侵攻手段についても意見を求められた男鹿は、張政ちょうせいから借りてきた倭国の地図を広げて考えを巡らせていた。

 いつまでも、戸口で黙って遠慮勝ちに立っている野猪に、書物を見たまま男鹿は声を掛けた。


「何か用か?」


 野猪は口を開きかけたが、ためらいを感じ、一旦口を閉じた。

 だが、再び意を決したように男鹿に問いかけた。


大王おおきみと月読様とは、どのような関係なのですか」


「叔父と姪だろう」


 相変わらず、書物から目を離さず、男鹿は淡々と答えた。


「……本当にそれだけですか?」


「何が言いたい」


 初めて野猪に顔を向けた男鹿は、少し苛立ちを含んだ視線を彼に向けた。

 その目におびえたように身を縮めた野猪は、戸惑い勝ちに言った。


「……その……、おふたりが先ほど回廊で……抱擁ほうようを……」


 彼は夕刻、回廊で泣く壹与を抱きしめる月読の姿を、遠目に見かけていたのだった。

 男鹿は一瞬、眉間にしわを寄せて、言葉を失ったが、再び書物に視線を向け、ため息をついた。


「月読様は、あの方の初恋の方だ。想いが通じたのであれば、よかったではないか」


「しかし、大王は男鹿様の……!」


 思わず感情的になった野猪に、男鹿は姿勢を崩すことなく、だが、強い口調で答えた。


「あの方の将来の伴侶として、月読様以上にふさわしい方はおられぬ。もともとあの方は、長年月読様を想っておられたのだ。ここまで無事あの方をお連れして、私の役目は終わった。元に戻っただけのことだ」


「しかし……!」


「野猪、いい加減にしろ。なぜ、私や大王の周りを嗅ぎ回る。お前は狗奴国の密偵なのか?」


 苛立ちが頂点に達した男鹿は、若い役人を睨みつけ、心にもないことを吐き捨てるように言い放った。

 野猪はしばらく言葉を失ったが、一息つくと冷めた目で男鹿を見つめた。


「私はあなたに憧れて、少しでも近付きたいと、一挙一動を見つめて参りました。しかし、このようなことにさえ、物わかりのよいように装うあなたは、同じ男として尊敬できませぬ」


 そう言い残すと、野猪は逃げるように回廊の闇に消えていった。


「……どいつもこいつも……。どうしろと言うんだ……」


 男鹿はそうつぶやいて、書物の上でこぶしに力を込めると、唇を強く噛み締めた。






 翌日、回廊を歩く男鹿おがを、覇夜斗はやと牛利ぎゅうりが呼び止めた。


「おぬし、我々をからかったな」


 腕組みをして睨むように見つめる覇夜斗に、心当たりのない男鹿は、戸惑いの表情を見せた。


「先ほど対馬つしまから使いが来た。すでに魏の兵が対馬に陣を張っており、呉から来た兵を沈めたそうではないか。おぬしが我々に対馬への出兵を提案した時には、とっくに魏に手を回していたのだな」


「そのようなこと……。私は存知ませぬ」


 男鹿は目を見開いて、首を左右に振った。


「では先日、張政ちょうせいに魏に援軍を要請する使者を送ったからか?」


 覇夜斗は怪訝けげんな表情で牛利の方に向き直り、あごさすった。


「それにしては早すぎます。それによって張政殿が使いを送ったとしても、まだ魏に到着さえしておりませぬ」


 使者の手配をした牛利は否定し、それを聞いて、覇夜斗はますます首を傾げた。


「……張政様だ……」


 考えを巡らせていた男鹿は、小さくつぶやいた。

 あらゆる可能性を想定しても、張政が随分前から対馬に目を付け、魏に兵の要請をしていたとしか考えられなかった。

 彼の言葉に、覇夜斗もようやく腑に落ちたようだった。


「さすが、おぬしの師匠だな」


 覇夜斗が感心して男鹿に向かってそう言った時、伊予国いよのくにの役人が、彼らに近付いてきた。


「皆様、謁見えっけんの間へ。魏からの使者が来ております。大王と月読様は、既に向かわれました」


 三人の男は、顔を見合わせ、うなずき合うと、謁見の間へ急いだ。






 三人が謁見の間へ着くと、壹与いよ月読つくよみ、伊予国王が、既に奥の席に座っていた。

 上座に座った壹与に向かい合うように、鉄のよろいで身を固めた魏の使者がふたり、大陸風の礼をして控えていた。

 三人がそれぞれの場所に腰を降ろすと、月読が牛利ぎゅうりの顔を見て言った。


「魏の皇帝からの詔書しょうしょたずさえてきたようだ。彼らが読み上げたものを、我々に説明してくれ」


 牛利はうなずき、魏の言葉を使って、使者に詔書を読み上げるよう伝えた。

 魏の使者は胸の前で両手のこぶしを合わせて一礼すると、木札をすだれ状に繋いだ巻物を開き、そこに書かれた内容を大きな声で読み始めた。

 渡来人と関係の深い覇夜斗はやとは、少し魏の言葉が理解できるようで、時々頷いていたが、他の者は、ただ異国からの使者の張り上げる声に耳を傾けるしかなかった。

 男鹿にとっても、魏の書物に書かれた文字を読み解くことはできたが、人の口から発せられる言葉は、まったく未知のものだった。

 使者は詔書を読み終わると、再び丸め、数歩前に進み出て、それを壹与に差し出した。

 彼女はそれを恐る恐る受け取り、牛利に目で説明を促した。


親魏倭王しんぎわおうから、狗奴国くなこくとの戦況を伝え聞き、五百の兵を送る。要望通り対馬にて待機させ、狗奴国へ侵攻の要請があれば、筑紫島つくしのしまに渡り共に闘う」


 牛利が使者の言葉を訳すると、読み上げた者と別の使者が、両手に抱えた大きな木の箱を、壹与の前に差し出した。

 女の手には大きすぎる箱を見て、月読が立ち上がり、女王に代わって受け取った。


「それは黄幢こうどうのようです」


黄幢こうどう?」


 箱をそばの役人に手渡しながら、月読が牛利の顔を見ると、彼の顔は驚きの色に染まっていた。


「魏をあらわす黄色い旗です。戦地にそれがひるがえることで、敵に邪馬台軍の背後に魏があることを知らしめることができるのです」


 魏で闘っていた頃、その旗の効力を目にしてきた牛利は、驚きを隠せなかった。

 呉で戦った国の中には、黄幢こうどうが掲げられただけで恐れをなし、降参するところもあった。

 五百の兵は決して多いとは言えなかったが、黄幢こうどうを授けられ、より戦いが有利になると、彼には確信できた。

 だが、これもおそらく張政が画策し、魏に要請したのであろう。


「張政め。どれだけ周到に根回ししているのだ」


 腕組みした覇夜斗が、呆気にとられたような顔をして、小さくつぶやいた。

 そして、彼は何かを決意したように、壹与の顔を見つめた。


「大王、私は早急に出雲に戻り、北の連合軍と魏の援軍を率いて筑紫島へ侵攻します」


 一同の目線が、一斉に覇夜斗へと集中した。


「あてにしていた本国からの兵が辿り着けず、狗奴国は、体勢を整え直すまで時間を有し、統制が晩弱なはず。叩くなら今です」


「確かに。では、こちらに集まっている兵も、それぞれの拠点に派遣する準備をいたしましょう」


 覇夜斗に続いて、牛利も壹与に詰め寄った。

 彼女は、意見を求めるように、月読の目を見つめ、皇子は力強く頷いた。


「では早速、出陣に先立ち、戦の勝利を祈って神事を行いましょう。よろしいですね。大王」


 めまぐるしく進行していく事態に、壹与は戸惑いながらも頷くしかなかった。





 その頃、爾岐にぎ伊予国いよのくにの港で、各地から続々と集まって来る、同盟国の兵の受け入れを行っていた。


「どこから来た?」


阿波国あわのくに(徳島県)です」


 爾岐はそばの役人と顔を見合わせ、首を傾げた。

 出陣の要請をしていない国からの小隊が、港に到着したのだ。


「今回、阿波国には兵の要請はしておらぬはずだが」


倭国わこくの一大事に、指をくわえて傍観などしておられませぬ。共に命を掛けて戦ってくるようにと、王から仰せつかって参りました」


 阿波国軍の指揮官を名乗る男は、みぞおちに手を当て、真剣なまなざしを爾岐に向けた。

 その誠実そうな態度に、爾岐は半信半疑ながら、少し表情を緩めた。


「ひとまず、長旅で疲れたであろう。確認がとれるまで、町には入らぬ条件で上陸を許そう」


「よろしいのですか」


 受け入れ作業を手伝っていた野猪のいは、不安気に大男を見上げた。


「遠路ここまでわざわざ来たものを、無闇に帰す訳にもいかぬだろう。なに、町も宮殿も環濠かんごうで強固に護られているゆえ心配はいらぬ。それにこの者達は、信用できそうだ」


 尚不安そうな表情の野猪に背を向けて、爾岐は役人に声を掛けた。


「よし、次だ次!」


 野猪は、阿波国から来たという男達の腰に挿された剣に違和感を感じていた。

 半島から離れた阿波国は、邪馬台国同様まだ銅剣が一般的なはず。

 しかし彼らのそれは、鉄製のようだったのだ。

 しかし伊予国の副官である爾岐に対して、いち役人に過ぎない彼は、それ以上意見することができなかった。



  



 数日後、戦の勝利を祈る神事を行うため、兵達が広場に集められた。

 各国から集められた兵は、約四千にのぼり、武装した男達の黒い波で、広場は埋め尽くされた。

 この儀式が終われば、覇夜斗はやとと、彼が率いてきた兵の一部は、北の連合軍と合流するため、出雲国いずものくにへと旅立つことになっていた。

 突然とどろいた大きな銅鑼どらが、ざわめく男達を黙らせた。

 男達の視線は、広場の中央の、盛り土された上にそびえ立つ、神殿へと向けられた。

 御簾みすが上げられ、しばらくすると、そこに現れた人影が、静かに彼らを見下ろした。

 それは、巫女の衣装をまとった壹与いよだった。

 その姿を目にして、兵達は低い歓声をあげた。

 兵達には、邪馬台国の女王が彼らを激励げきれいするためにこの地へ来ていることを、直前に知らされていた。

 しかし、遠い戦地まで女王がわざわざおもむくはずがないと、誰もが半信半疑でいたのだ。

 だが、輝くような女王の姿を目の前にして、彼らは誰からともなく、その場にひれ伏していった。


 銅鑼が鳴るたびに、女王が、地上へと続く階段を一段ずつ降りてきた。

 階段を側面から見上げる位置に座った男鹿おがは、久しぶりに巫女の姿をした壹与を見つめていた。

 純白の大きな袖と、長い黒髪を風にひるがえし、歩みをすすめる彼女の横顔は、凛として美しかった。

 やがて、女王の両足が地面を踏みしめた。

 距離を置いて円を描くように跪く男達を見渡し、壹与は両手の指を組み、瞳を閉じて神に祈りを捧げた。

 そんな女王の姿に呼応するように、男達も手を合わせて神に祈りを捧げた。


 しばしの静寂を破って、軽快な太鼓と笛の音が、広場に響き始めた。

 その音に合わせて、壹与の足がはねるように宙を舞い、天を仰ぐようにしなやかに反らされた上半身と、大きく広げられた両手が円を描くように回転した。

 この世の者ではないような、無機質で美しい横顔に、その場にいる誰もが酔いしれた。

 一見無表情に見えるその顔は、時にはかな気に、時に力強く、めまぐるしく印象をかえ、兵士達の目を捕えて放さなかった。


(ああ、やはり遠い方だ……)


 男鹿は白鷺しらさぎのように舞う女王を、せつない想いで見つめていた。

 彼は、巫女として舞う壹与の姿が何より好きだった。

 だが同時にそれは、彼女が手の届かない存在であることを、彼に否応無いやおうなしに知らしめた。

 女王の真後ろに目をむけると、背筋を伸ばして座り、彼女を見つめる月読つくよみの姿があった。

 女王に似たその横顔も、また人間離れした美しさをたたえていた。

 俗世の者には近寄ることさえ許されない、けがれのない光が彼らを包み込んでいるように、男鹿には見えた。


 次の瞬間、踊る女王のその先の人波の中に、きらりと光るものが見えた。

 男鹿は無意識に、女王が踊る円の中へ飛び出し、壹与の体を胸に抱えるようにして地面に倒れ込んだ。

 一瞬胸のあたりに激痛が走ったが、そんなことに構っている余裕はなかった。

 男鹿におおかぶさられた状態で、仰向けに倒れた壹与が顔を横に向けると、地面には黒光りする矢が刺さっていた。


「貸せ!」


 覇夜斗はやとはそばにいた兵から弓と矢を奪い取ると、人波の向こうで弓を構える男に向かって矢を放った。

 矢は鈍い音を立てて、男の胸に刺さり、男は仰向けに倒れた。


「月読様、壹与様を!」


 上半身を起こし、男鹿は月読に向かって叫んだ。

 月読は少年の体の下から、壹与を引きずり出すと、後方の侍女達の方へ彼女を押しやった。

 壹与が安全な場所に保護されたことを見届け、立ち上がろうとする男鹿の背後に、殺気立った表情の男が剣を振り上げて近付いてきた。

 剣を抜いた男鹿は、身をねじるようにして男の方へ向き直ると、振り下ろされた剣を弾き返した。


 同時に兵達の群れのあちこちから、男達の悲鳴が聞こえ始めた。

 兵の中に混じっていた敵が、一気にやいばを向け、不意をつかれた味方の兵がばたばたと倒れた。

 月読も、牛利ぎゅうりも、剣を抜いて、兵の中にまぎれた敵に向かっていった。

 そこかしこで、剣がこすれる歯が浮くような音が響き渡り、どさどさと人が倒れる音がした。

 敵はそれほど多くはいないはずだったが、各国から集められた、服装もまちまちな、四千人もの男達の中で、彼らを区別することは困難だった。


 敵のねらいは、壹与と月読の命に違いなかった。

 周りより小高くなった神殿の足元で戦う月読に、少し離れた場所から、弓を構える敵に、覇夜斗とその兵は次々に矢を放った。

 月読のそばには、牛利が寄り添い、彼に近付こうとする敵を躊躇ちゅうちょなく斬り捨てた。

 だが、押し寄せる敵の数に、牛利にも対処しきれず、月読も剣を振り上げて応戦した。

 壹与の後を追おうとする敵の前には、男鹿が立ちはだかった。

 執拗しつように剣を振り下ろしてくる敵に対して、彼も刃を立てて防衛し、隙を見つけると、一直線に剣先を急所に差し込んだ。

 少し離れた兵の渦の中では、爾岐にぎ大鉈おおなたを振り回し、剣を握った敵の腕や、首を切り落としていった。


「お前は…!」


 剣を片手に襲いかかってきた男の顔を見て、爾岐は叫んだ。

 それは、先日阿波国あわのくにの指揮官と名乗り、己が入国を許した男だったのだ。

 自分の失態に気付いた彼は、吠えるような声をあげながら、男の頭に大鉈を振り下ろした。


 当初突然のことに混乱していた味方の兵達も、現状を理解し始めると積極的に交戦を始めた。

 やがて、少しずつ金属音や叫び声が途絶え始め、広場に静けさが戻った。

 最後の一人の脇腹に貫通させた剣を引き抜き、牛利は周りを見回した。

 すぐそばには、返り血を全身に浴びた月読の姿があった。

 彼は肩で激しく息をつきながら、牛利の視線に気が付くと、互いの無事を喜ぶように微笑んだ。


「みな、無事か?」


 弓を片手に、しかばねまたぎながら覇夜斗が近付いてきた。

 少し離れた場所では爾岐が、大鉈を地面に下ろして呆然と立ち尽くしていた。


「よくぞ大王おおきみを守ってくれた」


 男鹿の後ろ姿を見つけた月読は、その背後に近付き、軽く肩を叩いた。

 その瞬間、少年の体は前のめりにゆっくりと崩れた。


「男鹿……!」


 叫ぶような月読の声を聞いて、牛利と覇夜斗も駆け寄ってきた。

 月読が少年の体を仰向けにすると、彼の鎖骨さこつの下あたりのころもに穴が開き、血が溢れ出していた。

 そして、苦しみにゆがむ顔には脂汗が浮いていた。


「お前、壹与をかばった時に矢を受けたな」


「こんな状態で戦っていたのか?」


 月読に向かい合うように、覇夜斗は少年の顔をのぞき込み、唇をきつく噛み締めた。

 そんな覇夜斗の後ろで、牛利は血の気を失った顔で立ち尽くしていた。


「……男鹿……?」


 いつしか、ただならぬ空気に引き寄せられ、奥で身をひそめていた壹与がそばに来ていた。

 彼女の目は大きく見開かれ、その視線は、少年の胸から溢れ出す血に注がれていた。


「壹与……」


 彼女に気付いた月読が、声を掛けようとすると、壹与は両てのひらで口元を覆い、叫び声をあげた。


「いやー!」


 全身を震わせて崩れそうになりながら何度も叫ぶ、壹与の肩を月読が支えた。


「私のせいだ。私が危険だと知りながら、こんなところまで来たから…!」


 泣き叫びながら、男鹿のそばへ近付こうとする壹与の体を、月読は全身で抑えた。

 月読は、背後で彼らを見守っている、四千人の兵の視線に気が付き、壹与の体を引き離すと、両肩を握る手に力を込めた。


「しっかりするんだ。お前は邪馬台国の女王だろう」


 強い口調で言われた壹与は、月読の目を見つめて、声を発するのはやめた。

 それでも、震えと涙は止まらなかった。


「お前が兵士らを不安にさせてどうする!」


 その言葉に我にかえった壹与は、濡れた瞳で、広場を埋め尽くす兵士らを見渡した。


「男鹿は大丈夫だ。お前は顔を洗って出直してこい。そしてもう一度、兵達の前で神に祈りを捧げるんだ」


「そんなこと……できない……」


 壹与が男鹿の方に再び目をむけると、彼は目を閉じたまま動かなくなっていた。

 その様子を見て、壹与は再び自分を見失いそうになった。


「大丈夫。気を失っているだけです」


 男鹿の首筋に手を当てながら、覇夜斗が言った。


「お前は何のためにここまで来たのだ。男鹿は何のために、命懸けでお前を守ろうとしたんだ。男鹿の想いを無にするな」


 目に力を込めて言う月読に、壹与は震えを抑えるように、自分の両腕を抱いた。

 そんなふたりの背後で、しばらく呆然としていた牛利は、男鹿のそばへ歩み寄り、身をかがめると彼を抱き上げ、立ち上がった。


「こいつは私が死なせませぬ。大王はご自分のお役目を果たしてください」


 そう言い残すと、牛利は宮殿に向かって歩き始めた。

 その姿を呆然と見送った壹与は、月読の手を振りほどくと、さっきまで男鹿が横たわっていた場所へ歩み寄った。

 そして身を屈めると、その場に置いていかれた男鹿のつるぎを手に取った。

 壹与を守るため張政ちょうせいから託された剣は、柄も刃も血で染まっていた。

 彼女は、剣を両手で握ったまま、しばしうなだれ、心を落ち着かせようと目を閉じた。


 再び顔を上げた壹与は、彼女を不安気に見守る兵達の顔をゆっくりと見渡した。

 取り乱す女王の姿に、彼らは戦に勝てる自信を失いつつあるように見えた。

 彼らにこんな顔をさせるために、彼女はここまで来たのではなかったはずだった。

 そして、男鹿もこんな状況を望んで、身を投げ出して、彼女を守ったのではないはずだ。

 彼女は、彼らをこのような思いを抱かせたまま出陣させる訳にはいかぬと自分に言い聞かせ、男鹿の剣を顔の前に構えた。

 その顔はもう、先ほどまでの、弱々しい少女のものではなかった。


 立ち上がった壹与は、剣を手にしてゆっくりと踊り始めた。

 しなやかに伸びた腕が弧を描くように宙を舞い、剣が風を切る音だけが広場に響き渡った。

 周りの者達は、静寂の中舞い始めた女王の姿を、呆けたように見つめていた。

 月読は、背後に控えていた奏者達に、手で合図を送った。

 やがて少しずつ、女王の舞いに合わせて、笛や太鼓の音が、絡み合ってきた。

 次第に激しく奏でられる旋律せんりつに合わせて、女王の握る剣も、激しく円を描いていった。

 そんな女王の姿に、兵達の心も徐々に高ぶり、先ほどまでの不安気な表情は、払拭ふっしょくされていった。


 広場全体が興奮状態となり、最高潮を迎えると、壹与はその場にひざまずき、前面に腕を伸ばして剣を水平に構えた。

 そのまま彼女は、上半身を反らし、両手で柄を握ると、天を突くように刃先を空に向けた。

 演奏もやみ、再び訪れた静寂の中、激しく息をつきながら、彼女は剣を握ったまま、天を見上げて祈りを捧げた。

 その姿に、周りにいた誰もが、手を合わせ、祈りを捧げた。

 やがて、力尽きて前のめりに倒れた壹与を支えるように、月読がその肩に手を添えた。

 彼は、片手を女王の肩に置き、もう一方の手に握りしめた剣を、天に高く掲げた。


「魏の皇帝は、倭国と共に戦う証しとして、兵士と黄幢こうどうを送ってくださった。既に魏の兵は、対馬つしまで呉の兵を北の海に沈めた」


「おーっ!」


 月読の言葉に、兵達は歓声を上げた。

 魏の後ろ立てがあり、しかも既に呉に対して、勝利をおさめたという事実は、兵達に計り知れない勇気と希望を与えた。


「次は我々倭人わじんの力を示し、呉から狗奴国くなこくを取り戻す番だ」


 再び、兵達はこぶしを掲げて声をあげた。

 月読は立ち上がり、いっそう、剣を天高く掲げた。


「いざ、狗奴国へ!」


「いざ、狗奴国へ!」


 高揚した顔をした兵達は、拳を振り上げ、皇子の呼びかけを繰り返した。

 そして、幾度となく繰り返されるかけ声と共に、拳が振り上げられるたび、場内の心はひとつにまとまっていった。

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