第一話 覚悟の旅 ※挿絵
冬の足音が聞こえ始めた頃、卑弥呼の墓の築造現場で、埋め立て作業を見守る男鹿のもとに、張政が近付いて来た。
「伊予国の月読様から、出兵の要請が来た」
(とうとう……)
月読が伊予国に渡り、同盟を結べたとの知らせは既に聞いていた。
その日から、狗奴国との決戦が近いことは覚悟していた。
だが、いざその知らせを耳にすると、これまでに感じたことのない緊張感が、少年の全身を駆け巡った。
「壹与様には?」
「お伝えし、既に祈りに入られた」
「一旦神殿に戻ります」
そばにいた役人に、工事の監督を命じると、男鹿は捲っていた袖を伸ばしながら、神殿に向かって早足で歩き始めた。
男鹿が神殿へ戻ると、広場には既に、伊予国へ派遣される兵が集められていた。
戦慣れした傭兵も中にはいるが、大半は兵役のために集められたもと農夫だ。
皆不安気な表情を浮かべ、広場はざわめいていた。
そんな男達を横目に、男鹿は壹与が祈りを捧げる祈祷の間へと急いだ。
祭壇の前には、一身に祈りを捧げる壹与の姿があった。
男鹿が声を掛けようとしたその瞬間、外の兵士達が騒ぎ始めた。
「大王、この戦の結果を占ってくだされ!」
「この戦に勝てるかどうか、神に聞いてください!」
外から聞こえる男達の声に、壹与は、耳を塞ぎ、その場に突っ伏した。
男鹿が背後から肩を抱えると、壹与は泣きながら少年の腕にすがった。
「男鹿、どうしたらいい?私には神の声は聞こえないのに」
なおも、神託を迫る外の声に、壹与はとうとう泣き崩れた。
男鹿には、兵達が占いにすがるのは、現実から目を背け、恐怖から逃げるために思えた。
しかも彼らは、その結果の責任を、すべて巫女に負わそうとしている。
(これでは信仰でなく、依存だ)
男鹿は、立ち上がり、戸口から部屋の外へ出ると、広場へと続く階段の最上段から、騒ぎ立てる男達を見下ろした。
審神者である男鹿の姿を目にした男達は、神託がくだったものだと思い、口を閉じ、一斉に耳をそばだてた。
「神は……」
男鹿は言いかけて、ごくりと喉を鳴らした。
たとえ偽りでも、勝利するという神託を伝え、彼らを安心させるべきかとも思った。
しかし、命をかけて戦地に赴く彼らに、神託を偽る事は、誠意がないと思いなおした。
「神は、勝利は勝ち取れと言われている」
男鹿の言葉に、兵達は不信感を抱き、再び広場はざわめいた。
自分たちに結果を委ねるような物言いを、彼らは神に求めていないのだ。
戦に勝てるという神託さえあれば、ただそれを信じて戦うこともできるが、自分たちで勝ち取れと言われると、無力な自分達は、赤子のようにうろたえ、ただ死を待つしかない。
そんな神託を神が与えるはずがないと、男鹿の言葉を疑ったのだ。
死への恐怖で正気を失いかけ、彼に罵声を浴びせる者もいた。
「狗奴国は、呉の渡来人が支配する国だ。そんな国に敗れれば、どうなると思う」
男鹿は、騒ぎ続ける男達に構わず語りかけた。
「大陸では、強き者が弱き者を支配し、財産や命さえも搾取している。お前達の家族や仲間が、奴隷のごとく扱われ、虫けらのように命を奪われることになってもよいのか」
男鹿の言葉に、男達は一瞬静かになったが、ひととき間を置くと、前にも増して騒ぎは大きくなった。
倭国より遥かに技術が進んでいるとされる呉を相手に戦うなど、彼らにとっては自殺行為にも等しく思われたのだ。
「呉になど、我々がかなうはずがない!」
「そうだ!無駄死にになるだけだ!」
「神が勝つと言わない限り、奇跡は起こらぬ!」
口々に男達は、男鹿を責めたてた。
そんな中、祈祷の間から男鹿の後ろ姿を見つめながら、壹与は己を責め続けていた。
(私に神託さえ聞こえたら……)
巫女として無力な自分に代わり、矢面に立ってくれている男鹿の姿に、涙が止まらなかった。
そんな彼のためにも、何か自分にできることが残されていないか、壹与は心の中で、亡き母卑弥呼に繰り返し問いかけていた。
「あの卑弥呼様の墓を見よ。我々はこの手で山を造ろうとしているのだぞ」
男鹿は、広場の向こうに小高く見える、築造半ばの卑弥呼の墓を指差した。
「以前であれば、人が山を造ることなど、考えられたか?しかし、まぎれもなく、あれは我々の手で形になりつつあるのだ。知恵と勇気があれば、奇跡はこの手で起こせる」
少年の指差す方向に視線を動かした男達は、自分たちが造っている巨大な建造物を目にして、今更ながらに息を呑んだ。
神が創造したとされる大地に、自分たちが作り出したものが、地形をも変えて存在していることに改めて気が付き、驚愕したのだ。
「この夏の日照りの時期も、水を引き込む水路を造ったことで、雨乞いせずとも田が潤ったであろう。神にすがる前に、我々の手でできることは、まだまだ沢山ある」
もう、男鹿に声を荒げる者はなかった。
彼らも、この二年足らずの間に、男鹿の指導のもと、彼らにとって最大の脅威である自然を相手に、成し遂げてきたものを思い起こし、自分たちの秘められた力を自覚し始めていた。
「神は救いを求めるものであり、責任を転嫁するものではない。我々には、自分たちの未来を、この手で勝ち取る力があるはずだ」
熱く語りかける男鹿の言葉に、兵達の心は確かに少しずつ、変化しつつあった。
ふいに、男鹿の背後から壹与が姿を現し、彼の一歩前に進み出た。
突然現れた女王に、兵達の視線は集中し、広場は一瞬で静まり返った。
神の血をひく巫女を前にして、兵達は誰からともなく跪き、頭を下げだした。
「お前達の魂は、私が預かる。たとえ敵地でその身が滅びたとしても、魂は私がここへ持ち帰り、祈りを捧げる」
そう語る壹与の言葉に、兵達は一層深く頭を下げ、ひれ伏した。
彼らにとっては、死よりも、魂が行き場を失くす事が何よりの恐怖なのだ。
それを女王が救ってくれると聞き、彼らの表情から、不安の色が薄れていった。
「だから、この国と、お前達の大切な者達、そして未来のために、戦って欲しい」
広場を埋め尽くす兵士達を前に、凛として立つ壹与の姿を、男鹿も跪き、眩しそうに目を細めて見上げていた。
そんな男鹿に、壹与は広場に顔を向けたまま、小さな声でささやいた。
「男鹿、河内国王へ使いを送って。頼みがあると」
何かを決意したような壹与の横顔を見つめながら、男鹿は頷き、深く頭を下げた。
珍しく壹与から頼み事があるとの連絡を受け、河内国王は、日を置かず邪馬台国を訪れた。
「私は、伊予国へ赴き、兵達のため、祈りを捧げようと思います」
「なんですって?」
娘の口から出た言葉に、父は思わず大きな声をあげた。
「自分は安全な場所で守られながら、兵に命をかけろとは言えませぬ」
壹与は、毅然とした表情で、父の顔を見つめていた。
「危険すぎる……」
父は、吐き捨てるように言って首を振った。
確かに、女王が直々に赴けば、兵の士気は高まり、より勝機も見いだせるであろう。
だがわずか数ヶ月前、多くの侍従達に守られた神殿にいながらも、危険な目にあったのだ。
またいつ暗殺者に狙われるかわからない壹与が、敵陣の近くへ行くなど、危険この上ない。
伊予国へ辿り着く前に、海上で襲われる恐れも十分にある。
父として、とても賛成できる用件ではなかった。
「第一、あなたが邪馬台の地を離れれば、この国は誰が守るのです?あなたはこの国の女王なのですよ」
「それをお願いするため、父上に来ていただきました」
壹与は、顔色を変えずに、淡々と父に語りかけた。
自分の身を案じて口にする、父の言葉は有り難かったが、少女の心は既に決まっていた。
「私の留守中、この国を守っていただけませぬか。このような事、父上にしかお願いできませぬ」
壹与はそう言って手をつき、父に深く頭を下げた。
彼女は、自分が戦地へ赴く間、同盟国の頂点に立つ邪馬台国の政を任せるため、信頼できる父を呼び寄せたのだった。
「邪馬台国の王としてではなく、同盟国を束ねる国の巫女として、兵達のそばに寄り添いたいと思うのです。どうかお願いします」
頭を下げたまま、強い口調でそう言う娘に、父は戸惑い、助けを求めるように、女王の後ろに控える少年に視線を向けた。
だが、彼も少女に同調するように、ただ黙って頭を下げ続けていた。
「なぜ、反対しなかった。そなたが説得すれば、大王も思い直されたのではないのか」
祈祷の間を後にする河内国王を、見送ろうと回廊に出た男鹿に、王は責めるような口調で問いかけた。
男鹿はうつむいて、しばらく唇を噛み締めていたが、つぶやくように答えた。
「大王の決められた事に、私は意見できる立場にありませぬ」
普通の恋人同士であれば、自分のために自重して欲しいとも言えるだろう。
しかし、未来を約束できない彼には、彼女の希望を叶えてやることしか、選択肢は残されていなかった。
やがて顔を上げた少年は、河内国王を、澄んだ目でまっすぐ見つめた。
「何があっても、命をかけてあの方をお護りします」
そう言うと、男鹿は王に深く一礼し、壹与の待つ祈祷の間へと引き返して行った。
「純粋すぎるということは、恐ろしいですな」
男鹿とのやり取りを聞いていた張政が、河内国王に背後から語りかけた。
少年の後ろ姿を見送っていた王は、眉を寄せて異国の老人に向き直った。
「あの二人は、共に過ごせる未来がない事を知っています。未来への欲がないために、今に妥協することを知らぬのです」
少年が去った空間に遠い目を向けながら、老人はせつな気な表情を浮かべた。
河内国王は、しばらく言葉を失い、立ち尽くしていた。
「壹与は、卑弥呼と同じ目をしていた……」
先ほどの悲しいほどに毅然とした壹与の姿を思い出し、王の瞳から、熱いものが流れ落ちた。
「卑弥呼に何もできなかった分、私にできる事ならば力を尽くそう。しかし、壹与には、一日も早く、普通の少女のように笑える日が訪れて欲しい……」
口元を抑えて涙をこらえる河内国王を、張政も同じ気持ちで見つめていた。
しばらくして、邪馬台国の兵が伊予国を目指し、旅立つ日がやってきた。
その日、旅支度のすすみ具合を確認するために、男鹿は壹与の寝所を訪れた。
「壹与様、準備のほどはいかがですか?」
男鹿が部屋の戸口から中を覗くと、そこには、小柄な少年の後ろ姿があった。
彼の声に気が付いた少年は、恥ずかしそうにゆっくり振り向いた。
「……どう?」
少年に見えたのは、男ものの衣装を身につけた壹与だった。
「昔の月読様にそっくりです」
男鹿は、一瞬目を丸くしてその姿に驚き、次の瞬間、くすくすと笑った。
髪を美豆良に結い、丈の短い上着に身を包んだ壹与の姿は、卑弥呼を偽り始めた頃の、少年の日の月読を思い起こさせた。
今回、壹与は邪馬台国から派遣される兵と共に、伊予国へ向かうことにした。
女王が同行しているとなれば、本人だけでなく、周りの者達にも危険が及ぶ恐れがあるため、兵達にも内密に、少年兵に紛れて旅立つことにしたのだ。
「今日からあなたは、私の兄上ね」
旅の間、男鹿が常にそばにいても不審がられぬよう、二人は兄弟を装うことにしていた。
照れくさそうに頭を掻く男鹿の胸に、壹与は微笑んで身を寄せた。
「まだもう少し、女でいていい?」
男鹿は愛し気に、彼女の体を両手で包み込んだ。
優しい腕の中で、壹与は今回の旅が危険なものになると覚悟していた。
だが同時に、愛する少年としばらく共に過ごせると思うと、少女の心をささやかな幸福感が満たしていた。
旅の準備が整った壹与と男鹿は、出発の挨拶をするため、謁見の間を訪れた。
そこには、大王の代理を務める河内国王の姿があった。
男の衣装を身に着けて現れた娘に、父は、一瞬やりきれない表情を浮かべた。
「河内国の港には、邪馬台兵の船を用意させてあります。そこから、河内の兵も合流します。王子が私のかわりを務めていますので、不自由があれば、なんなりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
父の心遣いに、壹与は感謝の言葉を口にし、深く頭を下げた。
「では、行って参ります」
微笑みを浮かべてそう言うと、壹与は立ち上がり、謁見の間を後にした。
一礼して、彼女のあとに続こうと立ち上がった男鹿を、河内国王が呼び止めた。
「決して壹与に、あのような姿のままで命を落とさせないでくれ」
涙ぐみ懇願する王に、男鹿は、腰に挿した剣を両手で握りしめ、力強く頷いて見せた。
「壹与がここへ?」
壹与が、兵と共に伊予国をめざし、旅に出たとの報告を受け、月読は思わず大きな声をあげ、目をむいて驚いた。
「……無茶なことを……」
眉間に皺を寄せ、不安気に耳の後ろを掻く月読に、覇夜斗は苦笑した。
「無茶をするのは、そなたの血筋か?」
覇夜斗のいつもの軽口にも、月読は今回ばかりは応える余裕がなかった。
「男鹿がそばにいながら、なんてことを。……申し訳ありませぬ」
牛利は、月読に向かって頭を下げた。
彼は父親がわりになって育ててきた男鹿が、壹与の危険な旅を阻止できなかったことに憤慨していた。
誰よりも壹与を愛する男鹿なら、決して彼女を危険な目に遭わせる事はないと信じていた。
その思いを、裏切られた気がしていたのだ。
「いや、男鹿には止められぬよ。それより、壹与の希望を重んじてくれたのであろう」
月読は、男鹿の心中を察し、拳を震わせて怒りを抑えている牛利をなだめた。
「牛利、明石国と吉備国へ使いを送ってくれ。邪馬台の兵に合流しながら、こちらへ向かうようにと。大船団を組みながらすすめば、敵も簡単には手を出せまい」
「はっ!」
牛利は、月読の指示を伝える使者を送るため、矢のような勢いで、その場から立ち去って行った。
「女王は、まだ十四、五の少女なのであろう?それでいて、危険を顧みず、巫女の役割を果たそうとするとは、たいしたものだな」
覇夜斗はまだ見ぬ邪馬台国の女王に、どれほど神がかり的な人物かと思いを巡らせているようだった。
「いつも私の背を追い泣いている、か弱い少女だったよ」
月読は、遠い日の壹与の姿を、瞼に思い浮かべていた。
彼が邪馬台から旅立つあの日、気丈に振る舞ってはいたが、立っているのがやっとに見えた壹与。
それが、ここまで成長するには、どんな日々を過ごしてきたのだろう。
また、巫女として致命的な、神託が聞こえなくなるという現実と向き合うために、どれほど涙を流してきたのだろう。
だが、そのどんな場面にも、そばにいてやれなかった自分に憤りを感じていた。
「この二年たらずの間に、大人になったのだろうな」
そして、そこには常に、男鹿の存在が大きく影響してきたのであろう。
すると、重なるはずのない二人の未来を、なんとかひとつにしてやりたいという思いが、月読の胸にあふれだした。
だがいくら思いを巡らせても、今の彼には、それを叶えてやれる秘策は見つからなかった。




