#07 氷の貴公子 終
目が覚めたらもう朝食の時間はとっくに過ぎていた。まだ昼にはなっていないが、ぐっすりと寝入ってしまった。
寝る前の感覚では熟睡することは出来ずに何度か起きてしまうかと思ったが、杞憂だったようだ。
寝入ってすぐ、唇になんだか温もりを感じ温かい魔力が補充されたような感覚があったが、夢でも見ていたのだろうか?
私はベットから起き上がると伸びをする。うん、すっかり回復している。良かった。
部屋にはもちろん誰もいない。さて、どうするか……。
少し思案した後、私は服を着替えると階下の食堂へと歩みを進めた。
「おや、お客さん、大丈夫かい?」
恰幅のいい女将さんに挨拶されて頷く。
「こんな時間にすまないが、何か腹に溜まるものはあるか?」
「別にかまわないけど、お連れの人はいいのかい?」
「ん?」
怪訝な顔で問いかけると、女将さんは上を顎でしゃくる。
「まだ部屋で寝てるんじゃないのかい? 朝早くに帰宅してそれっきりだよ」
「……レイスがか?」
「そうだよ、あの綺麗なお兄さんの事だろ? 朝方に部屋に戻るのを見かけたんだよ」
「……そうか、わかった。ありがとう。声をかけてみる。その後またお願いする事になるかもしれないが、かまわないか?」
「いいよ~。お得意さんだからね、サービスしとくさ」
女将さんはそう言って私の背中をバシンと叩くと、颯爽と仕事を再開した。
イタタタタ、見かけ通り中々の豪快さだ。
私はさっき下ってきた階段をまた上ると、自分の部屋の隣のドアをノックする。
「……レイス? 寝てるのか?」
ノックの後声をかけると、中で動く気配がし、ドアが開く。
「……ロリア様、申し訳ございません。起きられたのですね、気付きませんでした」
「別にかまわないが……お前も寝てたのか?」
「……ええ、少し疲れてしまったようです」
レイスはそう言って乱れた髪をかき上げると、ふぅと溜息をついた。
「レイス?」
「……何か食されましたか?」
「いや、まだだが……レイス、どうした?」
「……着替えてから参りますので、先に食堂に降りていて下さい」
私の呼びかけには一切答えず、レイスはそう言うと再び部屋に消えた。
……目の前でバタンと閉じられた扉にふつふつと怒りが沸いてくる。
なんだあいつは! 珍しく本当に疲れていそうな態度に、この私が心配してしてやったというのに、なんだあの態度は!
私はその釈然としない怒りのまま再び女将さんに話しかけた。
◆ ◆ ◆
「お待たせいたしました。…………ロリア様……私の分は……」
いつも通りピシッと身支度を終えた一分の隙も見えないレイスが食堂に下りてきた時には、私はもう食事を始めていた。
当然、自分の分だけでレイスの分を頼んだりはしなかった。当然だ。
「なんだ? お前も食べたかったのか? 言わなかったからわからなかった、悪かったなぁー」
にっこりと微笑みながらそんな風に言ってやると、レイスは珍しく椅子にガタッと音を立てて座った。
脱力したようなその行為に、ちょっと心が痛んだが……知るか! 私の気持ちを無碍にしやがった報いだ。そんなお前に食わすご飯はない。
「……いえ、お願いしなかった私が悪かったのです。ロリア様のお心を煩わせてしまい、申し訳ございません」
そう言いながら女将に飲み物だけを頼んでいるレイスに、仕方なく皿を差し出す。
「ほら」
そう言ってまだ口を付けていない野菜炒めを目の前に置いてやると、目を細められた。
「ありがとうございます。やはりロリア様はお優しいですね」
「……なんだその棒読みは! いらないならやらないぞ!」
「構いません、どうぞロリア様がお食べ下さい」
レイスはそんな風に可愛くない事を言うと、女将さんが持ってきた野菜ジュースに口つけた。
……なんだ? 固形物を取る元気がないのか?
やはりちょっと普段より疲れているのかも知れない。決着がついた後はそんな感じではなかったのに……。
「それよりも、例の魔石は昨日の内にノルンへ届けてきました。見てもらった所、魔石としての効力はなく、魔石と判断頂けなかったので報酬は頂けませんでした」
「……そうか……」
そう報告され、肩を下げる。がっかりだ。
異生を倒した事の証明となる魔石は、ハンターの協会ノルンに持っていくと報酬を貰える事になっている。
国の専属や協会所属とは違って、フリーのハンターにとってその報酬は生活の大部分を支える糧だ。
「ヘドベルト本人からも報酬を貰えるとは思えないな。それ所か、アイツには罪を償って貰わないと……」
私は目の前の炒め物の中から肉をつまむと口へと運ぶ。
と言う事はもしかして今回はただ働きか? 最悪だな。
「ロリア様、野菜も食べないと駄目ですよ? そもそもこちらのメインは野菜だと思いますが」
「うるさい黙れ」
「……今リンダに屋敷に行ってもらっています。魔石が失われた事に気付いていると思いますので、逃亡されては困りますので」
「そうか、そうだな……」
あれだけあの魔石に影響を受けていたのだ、喪失した事も気付いているだろう。
ヘドベルドの本心は確認しないと分からないが、推測するに私達に魔石を回収させたかったのだろう。
あの元リサーチャーだった男が魔石を奪った。それを取り返そうと用心棒などを雇ったが、あの男には勝てなかったのだろう。
当然か……、魔石がなければレイスには敵わなかったとは言え、元はティバーのリサーチャーだ。その辺のハンターに負けるはずがない。
相手が分からないと言っていたのも、墓が荒らされて困ると言っていたのも方便か。しかし、自分が取り返せない男より強い私達からどうやって魔石を奪うつもりだったのだろうか……。
でっぷりと太っていたヘドベルドを想像して、身震いする。気持ち悪さに鳥肌が立った。ヘドベルドのせいで食欲のなくなった私はフォークを置くと、話を続ける。
「それにしてもレイス、お前いつの間にそんな根回しを?」
「宿に帰着後、私はノルンへ行き、その足で現場に戻ったのです。さすがに二人だけに後始末は不憫かと思いまして……。子供には休息が必要ですし、二人にはそのまま宿に戻させました。そして私はヘドベルトの屋敷の監視を朝まで続けていましたが、特に騒ぎもなく逃走する様子も見られませんでしたので、朝方リンダと交代して貰い、私は今まで寝ていたのです」
「そうか……ちゃんと寝れたのか?」
「ありがとうございます、大丈夫です。休息は取れました」
「そうか。……ヘドベルドはどうなると思う?」
「分かりません。ただ、あそこまで影響を受けていますので、喪失と共に衰弱していくのは間違いないでしょう」
「……そう、だな」
ヘドベルドを再び思い出そうとして首を振った。仕方がないことだ。魔石に取り込まれてしまった人間は……生きていく事が出来ない。
「少女達の顔は……どうなったと思う……?」
「……それは分かりません。ですが、聞きたくない内容である事は確かでしょう。それも本人に確認すればいいのです。リンダも待ってる事ですし行きましょう。……ですが、ロリア様……これ、どうされるのですか?」
そう言ってレイスは自分の前に置かれた野菜炒めを指差す。
「……もちろんお前が食べるんだぞ。お前野菜好きだろう? だから残しておいてやった、どうだ、優しいだろう?」
本当は食欲がなくなって食べる気になれなかったのだが、そう言ってにっこりと笑ってやる。レイスはため息をつくと、無表情のまま淡々と野菜を食べ始めた。
残さず食べていくレイスを見て満面の笑みを浮かべる。頼んだ以上残すなんて申し訳ない。私の代わりにしっかりと味わってくれ。
ヘドベルドの事を考えると気が重いが、今は、少し休息が必要だ。私は果物のジュースを飲んだ。
そんなゆったりとして静かな食事風景に、騒がしい声が乱入してきて一気に気分が下がる。
「ロリア様ーーー!!!!」
「……リート、なんだ?」
仕方なく食堂に駆け込んできたリートに返事をしてやると、大混乱中なのか、口をパクパクするだけで何も発しない。
「リ・ィ・ト! 用があるならはっきり話せ!」
軽く頭を引っぱたくと、スイッチが入ったかのように一気に話し出した。
「た、大変です! 例の屋敷が燃えて! 消化する間もなく一気に燃えてしまったみたいで!」
「なんだと!?」
私は勢い良く立ち上がると、倒れた椅子を直す事も忘れるほど急いで駆け出す。
「ま、待って下さーい」
リートの叫び声が聞こえたが、私は気にせず全速力で屋敷へと向かった。
◆ ◆ ◆
屋敷に着いたとき、周りは野次馬で溢れかえっていた。人より少しだけ小さい私は苦労したが、それでも一番前まで人混みをかき分けて進む。街の防衛隊が人混みを抑えている先頭に来ると、屋敷の凄惨さが目に付く。
大きな屋敷が、全焼していた。跡形もなく崩れ落ちている。辛うじて骨組みが残っているが、とても前の屋敷を想像する事など出来ない。過剰に装飾されていた玄関も、見る影もない。
なぜ、急に、こんな火事が起こるなど……。
「おい、なぜ急にこんな事になった!?」
すぐ近くにいた防衛隊の一人に話しかけると、男も気落ちした表情を隠さず首を振った。
「わからないんだ。火がついたと思ったらあっという間だったらしい。炎が風に煽られ、まるで生きているかの様に屋敷を飲み込んでいった。中の人々を助けようにも近づけず……この有様だ。……不甲斐無い」
そう言って項垂れる相手に何かを言える訳もなく、私は唇を噛み締め屋敷をにらみ付けた。
「……中の人達はどうなった?」
「朝早くの事だったから……たぶん……」
防衛隊の男はそう言って言葉の先を言いよどむと、他に騒いでいる野次馬の方へ走っていった。
「……くそっ、なんだって!」
口汚い言葉が無意識に口からこぼれた。それほど、心がざわめいている。
「ロリア様、そのようなお言葉感心しませんね」
「レイス!」
いつの間に現れたのか、すぐ隣にレイスがいて同じように屋敷を眺めている。
「……真相は闇の中、ですかね……」
諦めたようにそんな風に言うレイスにイラついて、殴ってやろうとレイスの方を向いたら、その後ろに見た事ある人影がかする。
「お、おい! 待てっ!」
レイスを押しのけ、人混みの中進むがうまく到着できない。もみくちゃになりながら見かけた所まで来て、辺りを見回したが……その相手はいなかった。
「ロリア様、一体どうされたのですか?」
後を付いてきたレイスに曖昧に返事をしながら、やはり諦め切れなくて回りを探すが、どうしても見つからなかった。
……今のはあいつだったと思う。確かに、あの男だったはずだ。私に依頼を持ってきた、晩餐の招待を持ってきた、あのウィンドルフと言う執事……。
あの執事が歩いていたのだ。
私が見た時の執事の格好とはかけ離れた、風来坊のような姿をしていたが、あれは絶対にあの男だった。
……どういう事だ? あの防衛隊の男の話では、屋敷の人間は皆被害にあったのでないかと言っていた。
執事と言う立場にいたなら、そう簡単に屋敷を離れる事などないはず……。しかも早朝などと言う時間に?
「……ロリア様、どうされました?」
思案中レイスに話しかけられ思わず肩が震える。そう言えば、早朝はレイスが屋敷を監視していたはずだ。それなのに火事に気付かなかったのだろうか?
そもそも交代したはずの、リンダはどこだ? こんな火事があったなら、報告に来るはずなのに……。
「……ロリア様?」
薄く微笑んでいるレイスを見て、なぜだか鳥肌が立つ。
「な、なんでもない」
私はどうにか返事をすると、そのまま人混みとは反対方向へ歩き出す。大分遅れて集合したリートに軽く手で合図して、そのまま私達は宿へ向かう。全焼した屋敷を再び見ることなく、私は無言で足を進めた。
悔しさに、涙が零れそうだ。少女達の無念を、晴らしてやる事が出来なかった。
ハンターは決して慈善事業じゃない。報酬があってこそ依頼を受ける。だが、この件に関しては、私は真相が分かるまでどこまでもヘドベルドを追及してやるつもりだった。
あいつが例え魔石の被害者であったとしても、失われてしまった命は戻らない。
消えてしまった少女達の顔を、ちゃんと埋葬してやりたかった……。でないと妹の死に嘆き、苦しみ、魔石に飲み込まれてしまったあの男も、きっと浮かばれないだろう。
同じあの林の奥に、静かに安らかに眠らせてやりたかった……。だが、それはもう、叶わない。
「……相変わらず潔癖だな……」
遠くでレイスの呟きが聞こえた気がしたが、それでも私は振り返らなかった。
きっと、私の知らない何かが早朝に起こったのだ。そしてそれに、レイスもリンダも関与している。もしかしたらリートも知っているのかも知れない。
だが、それを私に伝える気はないのだろう。私に……知られたくないのだろう。それならば、真相は闇の中……それでいいのかも知れない。
馬鹿な女だ。見ないフリ、気付かないフリをするなど。でも、それでも、話してくれない何かをレイスに確かめる強さを、私は持っていなかった――。
氷の貴公子 終




