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契約の姫魔女  作者: 尾花となみ
最終章 琥珀色の狂人
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#34

 苦しむエンプをただ見ているしか出来なかった私と違い、レイスとアントの戦闘は熾烈をきわめていた。レイスの繰り出す攻撃がアントには当たらない。簡単に見極められ、遊ばれているかのように翻弄されている。実際アントは楽しんでいるのか、顔は喜色に満ちていた。 

 アントの素早さは異常だ。どうにかレイスは距離を取りながら戦ってはいるが……難しいかも知れない。

 どうする? どうすればいい? レイスに魔力を提供したいが、この状態でレイスの邪魔をせず出来るだろうか……。そんな風に思案していた時だ、アントの攻撃を避け一瞬バランスを崩したレイスの隙を見逃さず、アントはレイスの腹に拳を打ち込んだ。


「ぐっ」

「レイス!!」


 衝撃でくの字の様に腹をへこませたレイスの口から鮮血が飛び散る。どうにか踏みとどまったものの、完全に中を痛めているのだろう。苦痛に歪んだ顔がそのダメージを物語っている。


「レイス!!」

「あんたさー、ティバーの中で強い人なんですよねー? なんでそんなに弱いんですかー?」


 アントはそう言いながらゆっくりとレイスに近付く。そしてレイス向かって蹴りを繰り出した。レイスはとっさに防御を取ったが、塞ぎきれずにその場に崩れ落ちた。


「あの時あんた、俺の事蹴飛ばして俺あっという間に意識なくなっちゃって。あの時はすげーなーって思ってたんですけどねー、つまんねーの」


 レイスの胸倉を掴み持ち上げると、無抵抗のレイスの顔を殴る。何度も何度も繰り返される一方的な暴力に、私はどうする事も出来ずに見ているだけだ。

 このままではレイスが死んでしまう……! 襲って来る感じた事のない恐怖に思考が止まる。身体が震え血の気が引いていく。

 

 誰か……誰か助けてくれ……。レイスが、死んでしまう……そんなの、嫌だ。


 だが祈っているだけでは助けなど来るはずもなく、奇跡も起こらない。ここにいるのは私だけで、私がレイスを助けなければ、アントは確実にレイスを……。

 震える身体に鞭をうち、どうにか立ち上がった体は、だがレイスに届く前に誰かに抱きしめられた。


「……エン、プ……?」


 そこには苦しんでいたはずのエンプが、私にしがみついている。私の腰を掴んでいた両手を離すと、エンプは自分の体を不思議そうに見た。


「なんか変なんだ、俺、どうしたんだ?」


 すっかりと調子を取り戻したエンプは、首を傾げたが、レイスの呻き声を聞いてすぐに二人の元へ走り出した。


「エンプ駄目だ!!」


 魔石の力を手に入れたとは言え、エンプはまだ10歳の子供だ。アントに勝てるはずがない。同じ様な状態になっていたとしても大人に勝てるはずがないのだ。

 だが、私のそんな思考は、一瞬で砕かれた。


「あ?…………あ”あ”あ”?!」 


 レイスを殴るアントの右手を、エンプが掴むとアントは変な声を上げた。そしてすぐにそれは叫び声へと変わる。


「なんだよこれ?! なんだよこれーーー!!」


 アントが絶叫しながら振り上げた右手は……なぜだか先がなかった。手首から先が、見当たらない。切り落とされたのとは違う、出血も何もしていない、ただ、あったはずの手がそこにはなかった。


「お前何したんだ!!」


 真っ赤に顔を歪ませたアントが今度は左手でエンプの首を掴む。……と思ったその手がまたなくなった。ザーっと砂で出来た偽物の様に崩れていく。


「ぎゃぁぁぁぁぁ!! 俺の手が!! 俺の手があああああ」


 両手を振り回すアントを呆然と眺める。一体何が、起きたんだ……? 砂のように消えていくあの状態は、まるで異生みたいじゃないか……。


「……俺……」


 エンプはその状態を呆然と見つめている。狂ったように叫ぶアントはそれでも今度はエンプから距離を取った。だがその間も腕はどんどん崩れていく。もうすでに両手は肘までなくなっていた。

 アントはその状態でずりずりと後ずさると、ずっと傍観を決めていたファンタを振り返った。


「ファンタ!! 助けてくれぇ!!」

「…………」


 だがファンタは泣き叫ぶアントを一瞥しただけで手を差し伸べる事はなかった。それどころか踵を返すと、自分で壊した塀へと向かう。


「ファンタ!! ファンタァァァァ!!」


 縋りつくようなアントの呼ぶ声に一度だけ立ち止まると、チラッとアントを見たが、すぐにエンプに視線を移す。その顔にはどんな感情も浮かんでいなくてゾッとする。仲間が目の前で助けを求めていると言うのに、どうでもいいのだろう。それよりも多分この状況を作り出したと思われるエンプに興味があるようだ。

 だが当然歯向かって来る事もなく、そのまま瓦礫を跨ぎ何事もなかったように外へ出て行った。


「ファンタァァァァ!!!」


 怒り狂ったアントの声だけが響く。だがそのアントの腕は……肩までなくなっている。両手をなくしたアントは身震いすると、その怒りの矛先を呆然と立ちすくんだままのエンプへ向けた。


「キサマキサマキサマ俺の力を……!」


 憎しみに満ちた瞳が藍色に光る。ゆるりと立ち上がったアントは、エンプに照準を定めると雄たけびを上げながら一気に駆け出す。両手がないのだからバランスを崩してもおかしくないはずのその動きは、だが揺ぎ無く一直線にエンプへ体当たりした。


「エンプ!!」


 避けも受け止めもしなかったエンプは衝撃で吹き飛ばされると思いきや……音を立ててその場に崩れ落ちたのはアントだった。エンプにぶつけただろう肩が、また砂のように崩れていく。ボロボロと欠けて行く体はとても人間のものとは思えず、まるで泥で作った人形の様に無様だ。


「あ”……あ”……あ”……」


 唖然とした表情のままアントは消えていく。言葉を発する事も出来ず……その姿は無残にも崩れて行く。あっという間に人であったとは思えない塵が山のように重なり、その上にぽとりと何かが落ちた。無言のままエンプが拾い上げたそれは、魔石が中心に埋め込まれた魔力増殖装置で、だがその色は白く濁っている。

 私は駆け出すとエンプを抱きしめた。呆けていたエンプは私のその行動に驚き私の体から抜け出そうと押し出したが、私はより力を強くし抱え込む。


「ロリア駄目だ! 俺変なんだ!!」


 泣いて叫ぶエンプの顔を見るため力を緩めると、エンプは逃げ出そうとした。だが私はその手を掴み膝を付きエンプと目線を合わせる。


「大丈夫、大丈夫だ。私は触っても平気だ。何ともないから」

「…………本当? ロリアは……壊れない……?」


 不安そうに揺れる瞳に笑って頷くと、首に抱きついてきた。


「俺っ、俺!!」

「装置の影響なのかも知れない、エンプ、胸の装置を見せてみろ」


 動揺しているエンプを落ち着かせたいが、それより今は装置の確認が先だ。エンプはそう言われ素直にしがみついていた私から離れる。晒したままだった上半身を確認すると、装置はやはりエンプの胸に埋め込まれたままだったが、魔力はもうなかった。禍々しい魔力は何処にも含まれていない。それどころかアントが落とした装置と同じ様に、中心の魔石は色を無くしていた。


「魔石の魔力が尽きたのか……?」


 こんな急激に? しばらく埋め込んでいたアントの魔力が尽きたと言うならまだ分からなくはないが、エンプはついさっきだ。こうなった理由が分からない。それに、エンプと接触するまでアントは絶好調だったはずだ。嬉々としてレイスを痛めつけて……。


「そうだ! レイス!!」


 倒れているレイスに駆け寄ると、男前が酷い顔になっていたが息はある。


「……もっ、と……早く、気付いて頂けると……」

「すまんっ! 大丈夫か?!」


 さっきまでの恐怖を思い出し怖くなったが、意識はしっかりとしている。皮肉を言える元気があるなら大丈夫だろう。レイスの腕に嵌っている遠話具で助けを呼ぼうと思ったが、門の方から走ってくる皆の姿が見えた。

 その中に回復に明るいリサーチャーの姿もあって気が抜けその場に座り込む。すると今まで何も感じていなかったはずの痛みが疼きだした。アントに殴られた頬がジンジンして来る。


「……ロリア様の、顔を殴るなど……」


 私の顔を見て怒りの表情を浮かべるレイスを見て苦笑する。

 本当に良かった、死んでしまうかと思ったのに……。浮かんだ涙はレイスの指に拭われる。


「……ご心配を、おかけして申し訳ございません」

「いや、助かった」


 あの時レイスが来てくれなかったら私はもっと痛めつけられていただろう。身を呈して守ってくれたレイスに感謝しかない。

 

 エンプは側に来ると私と同じようにしゃがみこんだ。私は落ちていたエンプの上着を拾いエンプに被せる。


「今はそれを隠しておけ。後でちゃんと説明が必要だが」


 エンプの状況が分からず心配ではあるが、魔石を埋め込んでいる私に触れても消えないのだからとりあえずは大丈夫だろう。だが、良くない事が起きないとは限らないのでエンプにはあまり色々な物に触らないように注意する。

 エンプは神妙な顔で頷くと、恐る恐る私に手を差し出してきた。私はその震える手に自分の手を絡めると、騒がしい仲間達を静かに迎え入れた。


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