#33
アストール先生は、ある町で町医者をしていた。そこで娘さんと二人慎ましく暮らしていたらしい。だが娘さんが異生に殺され、先生は異生を憎むようになる。ハンターをしている人間は、そう言う人が多い。近い人を親しい人を奪われ異生を倒す為にハンターになるのだ。
私は先生が過剰適合者だと思っていたが、ノルン上がりのハンターだと言う事はどれだけ異生を倒したのだろう? 憎しみに駆られ、異生を討伐するだけの日常は荒んだものだっただろう。ティバーに入った後も、その気持ちに揺るぎはなかったに違いない。
過剰適合者を保護するようになった後も、異生への憎しみは消えていなかったはずだ。だからこそ先生は私達に良く言っていた。『異生を根絶やしにしましょう』と。
だが、それと同時に異生への強い興味も抱えていたのだろう。その筆頭となったのが娘さんを殺したと言う異生が落とした琥珀色の魔石だ。見せてもらったその薄い色の魔石は、色からして弱い異生のものだったはずだ。だからこそ魔石が含んだ歪んだ魔力も弱いものだったのかも知れない。
だが、それでも、歪んで穢れた魔石の魔力は……人を狂わせていく。
先生に心酔し、先生が大切で、先生の為なら何でもすると言いながら、私は先生が魔石の魔力に狂わされている事を……見ないふりをしていた。
あの魔石は特別で、あの魔石には歪んだ魔力などなく娘さんが宿っていると言う先生の言葉が嘘だと分かっていたのに、それでも先生を信じた。そして全て従った。狂っていく先生を側で見ながら、自分も半分狂ってしまっていたのかも知れない。
私を娘のように大切に愛してくれる先生を失いたくなくて、私は先生と一緒に琥珀色の魔石を大切にしていたから。
なぜティバーにいるのか聞いたとき、先生は本当の望みを教えてくれた。異生を根絶やしにする事も強く望んではいるが、それ以上に求めていたのは……娘さんを蘇らせる事だ。そんな事出来るはずない。娘さんは亡くなったのだ。だが魔石に娘さんの意志が残っていると信じていた先生は、本気で娘さんを蘇らせる事が出来ると信じていて、そんな先生を私は当然否定する事など出来る訳なく、協力すると申し出た。
先生と同じ様に琥珀色の魔石を愛し、娘さんの復活を願っていた。
……だが、心の奥底で私は娘さんを憎んでいた。死んでもなお先生の愛を一身に受ける彼女が、羨ましかったのだ。だから、一度だけ琥珀色の魔石を盗んだ事がある。その時はすぐに怖くなって元に戻したが……先生はもしかしたら知っていたのかも知れない。
だからだろうか、魔石を移植すると言う先生の実験を、私は知らされてはいなかった。そして、入院していた私に先生はあの言葉を投げつけたのだ。
役に立たない。それどころが邪魔をする。長く築いた先生の理解者と言う私の立場は、一気に逆転する。琥珀色の魔石を盗んだ事を知っているから、私が死んでもいいと思い作戦に参加させたと思った私は、先生の実験に協力する事でまた側にいさせて貰えると思った。
だが……結果はより酷いものとなった。
先生のいる場所は心当たりがある。と言うかあそこしかないだろう。最初から私は何処にいるのか分かっていた。
先生と娘さんが暮らしていた家だ。娘さんを蘇らせると言う望みが叶うと言うなら、先生はそこで再び娘さんと暮らすはずだ。今までの事がなかったかのように……幸せに暮らすはずだから……。
◆ ◆ ◆
自分の浅ましさに吐き気がする。なんて利己的で醜いのだろう。
話し終え、その町を教えた後私は逃げるようにマネージャーの施設から飛び出した。皆の呼び止める言葉を無視し、身体の向かうがまま走り続ける。気付いたら灯台の壊れた門の前にいて……私はアストールクラスの施設へ入り込んだ。
誰もいなかった。つい先日間ではつまらなそうにだらけている生徒を何人も見たが、今は誰もいない。門が壊されているので、アストールクラス関係なく誰でも入れるはずなのに、人の気配はなかった。
静か過ぎる建物を素通りし、鍛錬場の方へ向かう。アストール先生と対峙した場所まで来て、そこで初めて誰かの気配を感じる。
「……エンプ……?」
アストール先生とメアリーが消えた場所に、エンプは座り込んでいた。私は駆け寄ると振り向かないエンプを背中から抱きしめる。
馬鹿だ、私は大馬鹿者だ。エンプをずっと一人にしてしまっていたなんて。
「……ロリア……?」
虚ろな表情をしたエンプは、抱きしめられて初めて私が来た事に気付いたのだろう。不思議そうに私の名を呼んだ。
「いつからここにいた?」
「分かんない」
首を横に振り答えると、エンプは再び何もない空間を見つめる。その目にはアストール先生に抱えられたメアリーが見えているのだろうか。
「メアリーいつ帰ってくる?」
「……すぐに」
「本当?」
「アストール先生の場所が分かったから、すぐにでも帰ってくるさ」
本当ならもっと早くに助けに行けたのに……。私がいる場所をすぐに言わなかったからメアリーの救出も遅れてしまった。最低だ。
「分かったの!? なら俺も行く!!」
「駄目だ!」
力のないエンプには危険すぎる。それに、……もしかしたらメアリーは。その先を想像して、より激しく首を横に降った。
「駄目だ、駄目だエンプ」
「なんで?! それは俺に力がないから?! 俺が役に立たないから?!」
悲痛な叫び声が心を締め付ける。
「役に立たない訳じゃない! ただ危険だから」
「役に立たないから危険なんだろ!! 俺がちゃんと戦えたらっ!」
泣き叫ぶエンプを抱きしめ、説得するが、賢いエンプは気付いている。どんなに言葉を重ねた所で、エンプに力がなく戦えないのは事実だ。そしてそれはエンプを苦しめている。
「必ず連れて帰ってくるから、だから、待っていてくれ」
「ううっ、俺も、メアリーを、助けに……」
嗚咽を漏らすエンプを何度も慰める。何を言った所でエンプの心が軽くなる訳ではないと分かっていたが、それでも少しでも助けになりたい。
しばらくそのまま慰めていると、知らない男の声が割り込んできた。
「契約の姫魔女様は、こんないたいけな男の子を泣かせて何してるんですか?」
「……お前達……誰だ」
灯台から現れた二人の男から庇うように、エンプの前に立つ。
「覚えてないんですか? 俺の事」
「何?」
言われて一人の男を観察すると、見覚えがあった。あの村で、レイスが蹴り飛ばしたメアリーと一緒にいた男だ。
「お前達、ファンタとアントか」
「名前まで知ってもらってるとは嬉しいなー。俺がアントです」
そう言いながら男は一瞬で私との距離を詰める。
「ちっ」
エンプを突き飛ばし、アントへ拳を繰り出したが、逆にその手をつかまれ捻られ身動きが取れなくなる。
「痛っ」
「酷いな、なんで攻撃したんですか?」
「乱暴するなよ」
力強く決められ痛みを感じる。そんな私を見てアントはニヤニヤと嫌らしく笑った。
ファンタはゆっくりと近付いて来ると、私を素通りしエンプへと向かう。
「エンプに近付くなっ!」
「酷いなー、俺達これでもエンプとは知り合いなんですよ、なー、エンプ」
私の言葉にアントが茶化したがファンタは何も言わずにエンプの前に立ち止まった。
転がったままのエンプはいまいち状況に付いていけていないのか、捕まっている私と目の前にいるファンタを交互に見ている。
「久しぶりだな、エンプ」
「あ、えっと、なんでここに?」
「灯台に忘れ物があってな、それを取りに来た。だが……それ、エンプにやってもいいぞ」
「え?」
「ふざけるなっ! 何を言う!!」
アントに捕まれ身動きが取れないが大声で叫ぶとエンプは不安そうな顔を私に向けた。
「お前、力が欲しいんだろう?」
「……そう、だけど」
「俺たちの事は知ってるだろ? 力のないはずの人間が、今じゃ異生を簡単に倒せる」
その言葉を聞いて、エンプの表情がサッと変わる。駄目だ、耳を傾けては駄目だ!
「エンプ聞くな! 駄目だ!」
「ちょっと黙っててくださいよー、勧誘中なんですから」
アントはそう言うと、手で私の口を塞ぐ。叫ぼうにも腕を捻られ口を塞がれどうにも出来ない。
駄目だ、駄目だ駄目だ! エンプ! 聞いては駄目だっ!
力一杯暴れたがアントの力は全く緩まず、より一層拘束されていく。
「ほらこれ、見えるか?」
ファンタはそう言いながら自分のシャツをめくると、胸にくっ付いている魔力増殖装置を見せた。虫の足のようだと思った針金が皮膚に突き刺さり、中心には藍色の魔石がある。濁った魔力が渦を巻きながら身体に吸い込まれて行くのが見えた。
「……何、それ」
「魔力増殖装置だ。これをつけると凄い魔法が簡単に使えるようになる」
「そんなの……嘘だ」
否定の言葉を紡いだものの、その声は震えている。確実に心は揺り動かされているのだろう。
駄目だエンプ、その力は禍々しいものなんだ。一度付けてしまったらきっと取り外す事が出来ない。
「嘘じゃない、見てろ」
ファンタはそう言うと、灯台を囲む塀に向かって構えを取る。そして一気に跳躍し、拳で塀を突き破った。激しい音と粉塵が舞う。小さな瓦礫が私達の方へ飛んで来て、それをアントは目にも留まらぬ速さで弾いていく。
その姿を呆然と眺めていたエンプの顔に、赤みが差してくる。段々と興奮して行くその表情は、期待に満ちていた。
「すごいっ!」
「凄いだろ、この力をエンプにもやろう」
「本当に!?」
「エンプ駄目だっ!!」
口を放されたので叫んだが、私の声など聞こえていないのか、エンプの瞳は目の前に出された藍色の装置に釘付けになっている。すぐにでも掴もうと手を伸ばしている。私は体を回転させアントの手から抜け出すと、男の弱点めがけて蹴りを入れる。
「ぎゃっ!!」
見事にヒットしアントが股間を押さえうずくまる。すぐさまエンプに駆け寄ろうとすると、今度はファンタに髪を掴まれた。
「あぁっ!」
「情けないなアント」
ぐいぐいと髪を引っ張られ生理的に涙が浮かぶ。頭がもげてしまいそうだ。それでもエンプに手を伸ばしたが、エンプは私を見ないで手に取った装置をじっと見つめている。
「エンプ駄目だ!」
叫ぶとエンプが顔を上げた。その瞳が私を見て揺れる。悲しそうに泣き出しそうな顔が歯を食いしばると、首を横に振った。
「ただ素肌に押し込めば自然とそれが入っていく。やってみろ」
ファンタに言われエンプは上着を脱ぎ捨てた。そして恐る恐る装置を胸の中心へ宛がう。
「エンっうあっ」
止めようと手を伸ばしたが一気に髪を掴み上げられ、身体が浮き背中がファンタの胸に押し付けられる。そしてもう片方の手で首を絞められた。
息が、出来ない……苦しい……。
「静かに」
囁くように言われたが、うるさくする声なんて出ない。
首を絞められている私を見てエンプが一瞬躊躇したが、それでも装置を胸へ押し付けた。
「ううっ、痛いっ」
ずぶずぶと入り込んでいく足がエンプの皮膚を傷つけていく。胸から血を流しながら進んでいた足がピタリと止まると、藍色の魔石が輝き出した。そして濁った魔力をエンプに向けて供給し始める。
そんな……。
涙に翳み意識が飛びかけていた瞬間、絞められていた手を離され一気に空気が入り込んでくる。咳き込みヒューヒューと音がなる。人形か何かの様に放り投げられその場で息を整えていると、今度は胸倉を掴まれた。
「このアマ」
怒りに燃えたアントが私の頬を殴った。その衝撃に成すがまま転がって、エンプの所まで這い蹲る。うずくまっているエンプの肩を揺さぶって名前を呼ぶと、大粒の汗をいっぱいかいた顔が持ち上がる。
「……ロリ、ア……」
「エンプ、大丈夫か、見せてみろ」
支えながらエンプを座らせ埋め込まれた装置を見る。虫の様な6本の足は完全に胸に突き刺さり、藍色の魔力が渦巻いてエンプの身体に吸い込まれている。吸い込まれてはいるが……何だ?
渦巻いているはずの魔力がなぜか乱れていた。その原因は6本の足の内、1本から魔力が流れ出ていないからだろうか。欠陥品だったのか? 凝視していると今度はその隣の足から魔力がなくなった。
「何……?」
呟いた声に反応してファンタとアントがこちらを見る。もう後は待つだけと、二人は何やら話し合っていたようだ。興味を引かれたのかアントが近付いて来る。
「なんですかー」
先ほど私に怒っていた時とは別人のようにアントは聞いてくると、エンプの胸を見て顔色を変えた。
「なんだよ! あんた何したんだっ!」
再び怒りに顔を歪め私の胸倉を掴む。
「知るかっ!」
手を払い除け同じ様に叫び返したが、また殴られた。くそっ、早すぎて避けられない。一体この身体能力はなんだ、人間のものとは思えない。転がった私の髪を掴み上げられ顔が上向く。
「ファンタ! こいつどうする?!」
そう言った瞬間、ギラギラと怒りに燃えるその顔が苦痛に染まった。手が離され勢い余って顔が地面にぶつかるのを咄嗟に両手で庇う。何が起こったんだ? 力を込めて起き上がると、聞きなれた声が耳に飛び込んできた。
「貴様! ロリア様に触るなっ!!」
「レイス!」
目の前に飛び込んで来た姿を見て、涙が浮かぶ。まだ気を抜いちゃ駄目だと分かってはいるが、ホッとしてしまう。
「ロリア様、大丈夫ですか」
「大丈夫だ、私は大丈夫だ」
だがエンプはどうした? 座り込んでいるエンプに視線を送ると、苦しそうに胸を押さえている。
手を押さえ痛がっているアントはレイスに任せ、エンプに駆け寄る。胸を押さえている手を掴み装置を見ると、先程よりも魔力が薄くなっていた。やはりおかしい。虫の様な足の、6本の内3本が意味を成していない。付けた時は確かに起動していたと思うが……どう言う事だ?
「エンプ、大丈夫か、私が分かるか?」
「……ロリア……凄く、痛い……体が、変なんだ」
力なくエンプは呟くと、痛みに耐えるかねるのか、胸へと手を伸ばす。だが私はそれを押さえつけた。触れていいものなのか分からない、どうすればいいのか分からない、下手に触るのは危険だ。
「エンプ我慢しろ、耐えるんだ」
「……うぅっ、ロリア……ごめんなさい……」
「いいんだ、大丈夫だから」
涙を浮かべて苦しむエンプを慰め、私は装置を見ている事しか出来なかった……。




